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あのキスの行方 01

Author: 市瀬雪
last update publish date: 2025-09-03 06:00:03

 本来なら、十日で終了のはずだった。

 なのに結局、そのままずるずると延長されて、気付けば三ヶ月もの月日が流れていた。

 そこでようやく認められたのだ。

 もう教育係の目がなくても――俺が手を離しても大丈夫だって。

   ***

 三ヶ月か……。

 過ぎてしまえば、長かったような、短かったような……。

 彼が酷い上がり症だと言うのは本人から聞いていたし、義弟のこともあったのである程度は覚悟していたつもりだった。

 つもりだったが、実際にはそんな覚悟ではまったく足りなかったというか……。

 正直、本当に俺でいいのかと思ったことも一度や二度じゃない。

 教えた仕事を覚えるのは、案外早く、エプロンだってあの一度きりで次からはちゃんと巻けるようになっていた。

 落ち着いて集中していれば手際もいいし、周りも意外と見えている。初心者にしては盛り付けのできもいいから、慣れればかなりの戦力になるだろうこともすぐにわかった。

 ただ、仕事よりも人に慣れるのがとにかく遅く、そこに何より手間取ってしまった。

 厨房に常駐しているスタッフや、始終一緒にいた俺にはそこそこ早く慣れてくれたが(それでもそこそこだ)、それ以外のスタッフには本気で心配になるくらい時間がかかった。

 河原は正社員なので、月に6日ほどある休みの日以外、同僚に当たるスタッフとはほとんど毎日顔を合わせていた、にもかかわらず、だ。

 そうかと言って、特に対人恐怖症だとかそういうわけでもないらしく――。

 確かに、彼自身は人が好きなようだし(世の中に本当に悪い人はいないと思っているタイプ)、もちろん相手に迷惑をかけていないかということは気にしていたが、基本的にはそこまで他人からの評価を意識しているようにも見えなかった。

 ……まぁ、どのみち決まった相手や決まった状況の反復にすら、慣れるまでにこれだけの時間を要したくらいだから、不特定多数の客を相手にするホールの仕事はやっぱり難しいだろうなとは思ったけれど。

   ***

河原かわはら――間に合いそうか? もう24時時間だけど」

「ああ、大丈夫。これで終わり」

 終業時刻を示唆しながら声をかけると、彼は最後の皿を洗浄器に入れて、迷うことなく稼動ボタンを押した。

 結果最終日となったその日は、ほとんど見守るだけの一日だった。

 俺だけでなく、他のスタッフから見ても、ちょこちょこチェックしにきていた店長冴子さんから見ても特に問題はなかったようで、終業前に冴子さんから事務所に揃って呼び出され、直々に翌日からの予定を告げられたときには、河原もほっとしたように笑顔をこぼしていた。

 ……まぁ、今までが今までだったしな……。

 河原を待つ傍ら、俺は改めてその姿を思い返す。

 慣れないスタッフに名前を呼ばれるたび、皿を取り落としそうになったり、やりかけていた作業の続きがわからなくなり、もう一度最初からやり直す羽目になることも少なくなかった。

 それだけならまだしも、気安く肩を叩かれれば持っていたパフェが宙を舞い(大体俺がキャッチ)、不意打ちで顔を覗き込まれればバナナがアイスの墓標になるし(後で美味しくいただきました)、あまつさえシンクの掃除中に包丁で指を切りそうになることだってままあったけれど――そのどれもに今日は遭遇しなかった。

 一見頼りなくも見えるのに、その実真面目で、ひたむきで、意外に諦めが悪い。そんな一生懸命な姿に、自然と俺以外の周囲スタッフも何かと協力してくれるようになっていたのも大きかったように思う。そうでなければ、三ヶ月ではまだ足りなかったかもしれない。

 元々の性格が温和で柔らかく、人好きのする空気を纏っていることも幸いしたのだとは思うけれど……。

 ……やっぱり、あっという間だったな。

 俺は一旦思考を閉ざし、人知れず苦笑する。

 間もなく一緒に歩き出し、二階へと続く階段の方へと向かう。促されるままに先に階段を上がり始めた彼の背中を見つめながら、静かに吐息を重ねた。

「明日から早速シフトずれるけど……まぁ、何かあったら店長にでも相談しろよ」

 俺はその後ろに続きながら、壁面にある電気のスイッチに手を伸ばす。何でもないように淡々と声をかければ、河原は一瞬歩調を緩め、

「あ、そっか。明日暮科休みだっけ。……うん、わかった。そうするよ」

「あぁ、それか木崎でもいい。あいつも仕事·できるから。わかるよな、木崎って……あのチビっこい……」

「大丈夫。木崎は最初から親切だったし……いつもよく声かけてくれるよ」

 と、肩越しに俺を振り返るなり、ふわりと笑って頷いた。

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