Mag-log inシステムエンジニアの啓太郎は仕事で疲れきっている中、マンションの隣室に住む引きこもり青年・裕貴と知り合う。 生意気で、小悪魔のようでありながら、妙に愛情深いところもある裕貴に食事の面倒を見てもらっているうちに親交を深め、そこで啓太郎は、裕貴の内面にも次第に立ち入ることになる。 裕貴と特別な関係となった啓太郎の前に、裕貴の兄・博人が姿を見せるが、兄弟の間には誰にも言えない秘密があり――。
view more**** 自分が感じた『嫌な予感』が、頭から離れなかった。 せっかくの正月休みだというのに何もする気が起きず、コタツに入って横になったまま啓太郎は天井を見上げていた。 裕貴と別れたのは、ほんの数時間前だ。どこの温泉に出かけたのかは知らないが、もうすぐ日が暮れようとしているので、観光したにしても、そろそろ旅館かホテルに入る頃だろう。 もしかして事故にでも遭ったのではないか――。 普段、自分の直感など信じない啓太郎だが、裕貴が関わっているのかと思うと、最悪の事態ばかり想像してしまう。 つけっぱなしにしてあるテレビから、にぎやかな声が流れてきた。気を紛らわせるつもりでつけているのだが、かえって気が散る。 片手を伸ばしてテーブルの上に置いたリモコンを取ろうとしたとき、突然、スマホが鳴り始める。慌てて体を起こした啓太郎は、勢いよくスマホを取り上げた。表示を見ると、裕貴からだった。「裕貴かっ?」 必死の声で問いかけると、拍子抜けするような柔らかな笑い声が電話の向こうから聞こえてくる。『何、啓太郎、必死な声出して。あっ、おれがいなくなって寂しかったんだろ』 からかうような裕貴の言葉を聞き、一拍置いてから啓太郎は肩から力を抜いた。自分の心配が杞憂で済んだと確信できたのだ。 ほっとした次の瞬間には、笑みが洩れる。いくぶん抑え気味の声で裕貴に問いかけた。「宿泊先に着いたのか?」 『うん、とっくに。きれいな旅館だよ。父さんが知り合いに頼んで、無理やり取ってくれたところらしいけど。ご飯も美味しかった』 「……そりゃ、よかった」 気楽そうな裕貴の言葉を聞くと、この数時間の自分の心配はなんだったのだろうかと思えてくる。 俺の直感はあてにならないと、啓太郎は苦笑しながら髪に指を差し込む。「それで、お前の親父さんや、博人さんは?」 『二人とも、大浴場に行った』 「で、お前は?」 『嫌だよ。知らない人たちと一緒に風呂に入るなんて』 いかにも裕貴らしい意見で、妙に啓太郎は納得してしまう。引きこもりを旅行に連れ出したところで、過ごし方はあまり変わらないらしい。 しかし、裕貴がみんなと風呂に入らない事情は、そう単純ではなかった。『啓太郎、おれが引きこもりだから、大浴場に入れないと思っているかもしれないけど――それもあるけど』 「あるんじゃ
「あー、いえ……。休みの間、俺も裕貴の世話になりっぱなしも心苦しいので、つい余計なことを言ってしまいました。それに、こんなときぐらい家族と過ごすのがいいと思いますし」 裕貴が出かけるのなら、いつまでもここにいるわけにはいかない。啓太郎は靴を履こうとしたが、奥から裕貴の声がする。「啓太郎っ、まだそこにいてよっ」 思わず博人と顔を見合わせると、珍しく博人が苦笑めいた表情を浮かべた。「弟がすみません」 「いえ……。俺もかなり慣れてきたんで、気にしてません」 十分とかからず裕貴は出かける準備を整え、バッグを持って玄関に再び姿を現した。 いつものように目深にニットキャップを被って、大きめのダウンコートを羽織り、首元にはしっかり、啓太郎が贈ったマフラーが巻かれている。よく見てみれば、ダウンコートのポケットからは、手袋が少し出ていた。意識しないまま啓太郎の口元は綻びそうになり、寸前のところで表情を引き締める。「みんなして、おれが引きこもりだって忘れてるだろ。平気で外に引っ張り出して」 ごく自然に博人は裕貴の手からバッグを受け取り、当の裕貴は何事もなかったようにシューズボックスからブーツを取り出した。 こいつの日常にブーツなんて必要なのだろうかと思い、ついじっと見つめていると、啓太郎の視線に気づいたのか裕貴が顔を上げる。「……大学行ってる頃に、兄さんが買ってくれたんだ。おれの場合、新しい靴なんて買う必要ないからね」 博人がわずかに目を細めてから先に玄関を出る。啓太郎も靴を履いてあとに続こうとしたが、裕貴にそっとトレーナーの裾を掴まれ引っ張られた。 何事かと思って振り返った瞬間、裕貴が声を上げた。「あっ、忘れものした。取ってくるから、兄さん外で待ってて」 啓太郎も、とは裕貴は言わなかった。博人は物言いたげな表情を一瞬浮かべてから、頷く。 裕貴はブーツを脱ごうとしていたが、玄関のドアが閉まり、博人の姿が見えなくなった途端、ピタリと動きを止めた。 憂鬱そうにため息をついた裕貴が肩に額を擦りつけてきたので、啓太郎は慌てながらドアの向こうの気配をうかがう。「おいっ……」 「兄さんなら大丈夫だよ」 「……お前、博人さんは勘がいいとか言ってなかったか?」 「そんなこと言ったかな」 とぼけられ、啓太郎は思わず笑ってしまう。裕貴がしがみついてき
「お前が無理に呼びつけたんじゃないか?」 「ホットカーペットが欲しかったから、買いに連れて行ってもらったんだよ。……結局、啓太郎に買ってきてもらって、おれは車で待ってたんだけど」 「羽岡さんだって、こんなときぐらいゆっくり休みたいだろう。俺――わたしを呼べばよかったんだ」 ああそうなのか、と妙なところで啓太郎は納得した。博人が言い直した言葉を聞いて、裕貴の前では堅苦しい『わたし』ではなく、『俺』を使っているのだと知った。最初に博人と会話を交わしたときにも、裕貴には『俺』と言っていたはずだが、あのときは啓太郎も動揺していて、さほど気に留めなかった。 しかしこうしてあからさまに言い直されると、裕貴に対するのと、他人も同席している状況では、博人の対応は違うのだと知る。 裕貴は皮肉っぽく唇を歪め、首を横に振った。「兄さんこそ、忙しいだろ。あの人の実家に顔出したりして」 「年末顔を出して、千沙子だけ置いてわたしは帰ってきた。こっちはこっちで用があったからな」 「……その用って、聞きたくないな……」 露骨に顔をしかめる裕貴とは対照的に、博人は淡々とした表情を変えないまま告げた。「――父さんが、温泉旅行に行くと言い出した」 「あの人まだ、日本にいたのっ?」 「来週には取材に発つそうだ。だからその前に、温泉でのんびりしたいそうだ。子供と一緒に。宿は予約を入れてあるから心配しなくていい。それと、裕貴も連れて来い、と言われた」 見る間に裕貴の顔が真っ赤になり、博人を睨みつける。「嫌だよっ」 「たかが二泊三日だ」 「そういう問題じゃないよ。なんで父さんも兄さんも、人の予定も聞かないで勝手に決めるんだよ。それに行くなら、二人で行けばいいだろ」 「わたしだけ行っても、父さんはつまらないだろう。あれでも、お前のことを可愛がっているんだ」 裕貴がふいにこちらを見る。ドキリとした啓太郎に対して、裕貴の目は必死に『助けて』と言っているようだ。 啓太郎も突然の事態に、内心は動揺している。できることなら、行くな、と言ってやりたいが、そう言えるだけの理由が準備できないし、言う権利もない気がした。なんといっても博人は、裕貴の兄だ。それに父親が、裕貴を旅行に連れて行きたいと言っているのだ。 威圧的なものを感じて視線を博人に向けると、冷ややかな眼差しがじっと啓太郎を見
誘われるように顔を近づけると、裕貴の涙を唇で吸い取る。すると裕貴が顔を動かし、ごく自然な流れで二人は唇を触れ合わせ、啄ばむようなキスを数回繰り返した。油断ならない裕貴は、その間に啓太郎の脇をくすぐってくる。「残念だな。俺はくすぐられるのには強いんだ」 「人間じゃない」 こいつ、と呟いてから、裕貴の脇をくすぐろうとしたが、気が変わって体を起こす。裕貴の胸元に両手を這わせ、赤みが強くなっている胸の突起を中心に優しく撫でてやる。素直な裕貴の体はすぐに反応を示し、あっという間に胸の突起は硬く凝った。 片方の突起は指で摘むようにして刺激し、もう片方には顔を寄せ、舌先でくすぐる。クスクスと笑ってから、吐息交じりの声で裕貴が言った。「昨日、ほとんど一日中やってたのに」 「今日はまだだろ。……触るだけだ」 裕貴の脇腹に唇を這わせ、スウェットパンツの下に片手を潜り込ませる。鋭く息を吐き出した裕貴が肩にすがりついてきた。 少し前までふざけ合っていたはずなのに、今ではもうすっかり、甘やかで妖しい空気が二人を包んでいる。 このまま行為に没頭しようとしたとき、不粋なインターホンの音が割って入った。 平日ならともかく、正月気分に浸っているこんな日に誰だろうかと思い、啓太郎は顔を上げる。このとき、裕貴の顔色はすでに変わった。「……兄さんだ」 「博人さん?」 「こんな日に、堂々とうちに来る人間なんて、兄さんしかいないよ」 部屋にいるのが確実な裕貴が、応対しないわけにはいかない。啓太郎は仕方なく裕貴の上から退き、裕貴に手を貸して起こしてやる。 Tシャツを直した裕貴はパーカーを羽織ると、複雑そうな表情をしたままインターホンに出た。啓太郎はただそんな裕貴の様子を見つめるしかできない。「わかった……」 裕貴はぽつりとそれだけ洩らすとインターホンを切り、玄関に向かう。自分はどうすればいいのかと、啓太郎はダイニングで立ち尽くすしかない。 そうしているうちに、玄関で交わされる会話が聞こえてきた。「――こんな日に、何しに来たの」 「誰か来てるのか?」 「わかってるだろ。啓太郎だよ」 ここで無視するわけにもいかず、啓太郎も玄関に向かう。 スーツの上からコートを羽織った博人とまっさきに目が合い、こちらに背を向けていた裕貴が振り返って、困惑気味の表情を浮かべ
**** ただでさえ風変わりだった啓太郎と裕貴の関係は、さらに妙なことになりながらも、比較的穏やかに続いていた。 相変わらず啓太郎は、裕貴に昼メシ以外では食べること全般世話になっており、とうとう裕貴の部屋のテーブルの上には、貯金箱が置かれるまでになった。アクリル製のシンプルなデザインで、透明で中が見える貯金箱だ。 裕貴に頼まれて啓太郎が買ってきたものだが、この貯金箱に、食事代――だけでなく、その他で裕貴の世話になったときに相応の金を入れている。いわゆる、『時給制の恋人』に対する対価というやつだ。 透明な貯金箱に貯まっていく金を見るたびに、こんなにも裕貴に世話になっているのかと
すぐには啓太郎は、裕貴の言葉の意味がわからなかった。「はあ?」 「だからさ、今の羽岡さんの言葉を聞いてると、おれってけっこう条件にぴったりじゃないかと思ってさ。今だって金もらってメシ作っているんだから、時給について考慮してもらえるなら、いくらでもオプションをつけてあげるよ?」 「オプションって、お前な……」 どう見ても、裕貴は男だ。 啓太郎は身勝手な『時給制の恋人』について、前提として『彼女』と言ったはずだが、裕貴はあまりその点について重要視していないらしい。そうでなければ、男の裕貴が自ら名乗りをあげるはずがない。 啓太郎の視線は無意識に、裕貴の胸元に向けられる。トレーナーの
包丁を手にした裕貴が体ごと振り返り、不思議そうな顔をして啓太郎を見つめてくる。「羽岡さん、俺をからかうなって、怒らないわけ?」「それで今度は、俺がお前を無視するのか? どう考えたって、俺の分が悪いだろ。俺はお前に相手してもらわないと困るけど、お前は俺の相手なんてしなくても困らないんだから」「おれの相手なんてしてくれる変わり者……、羽岡さんだけだよ」 裕貴がちらりと苦い表情を見せる。初めて見る表情に啓太郎は目を見開いたが、視線に気づいたのか、逃げるように裕貴は背を向けてしまった。** 十日ぶりに裕貴が作ってくれたのは、ポテトグラタンに、チキンボールの入ったスープだった。そこにパ
街灯の明かりで浮かび上がる地上がやけに遠くに見える。五階といえば、やはりけっこうな高さなのだ。 いまさらながら、そんなことを実感した啓太郎はゴクリと喉を鳴らす。 フッと短く息を吐き出してから、手すりに両手をかけて力を込める。体を支えてバランスを取りながら、なんとか片足を手すりにかけることができる。 すかさず片手で手すりを、もう片方の手で仕切りを掴む。「……何こんなことで、命かけてるんだろうな、俺は……」 ぼやきつつも、もう片方の足も手すりにかけると、体がぐらつく。両手ですがりついた仕切りがガタッと大きな音を立てた。 手すりの上に立つだけなら、まだ楽だ。だが啓太郎の目的は、ベ