Masuk「この世は支配する側とされる側しかいない」 初恋が実った翌日、父の借金で人生が一変した18歳のオメガ・柚木柊。取り立てに来たヤクザ・鬼頭鷹臣に、その場でオメガの処女を奪われる。 なぜこんな目に――絶望の中、彼の冷酷な瞳が一瞬だけ揺れた。 「お前、気づいてないのか?」 運命の番だと知った時、全てが変わっていく。 愛を知らない飢えた獣と必死に弟のために生きるオメガの不器用な恋愛が始まる――
Lihat lebih banyakスマホの画面に表示された「合格」の二文字を見つめながら、僕は何度も瞬きを繰り返した。信じられない気持ちと、じわじわと込み上げてくる喜びが胸を満たしていって、思わず声が漏れた。第一志望の国立大学に合格した事実が、まだ夢のように感じられて現実味がない。
リビングのソファに座ったまま、僕はスマホを握りしめた。画面が揺れて見えるのは、手が震えているからだと気づき、深呼吸をする。冷たい空気が肺を満たし、ゆっくりと吐き出すと少しだけ落ち着いた気がして、もう一度画面を確認した。
(合格してる。見間違いじゃない)
鼓動が早鐘のように打ち、頬の筋肉が勝手に緩んでいくのがわかる。嬉しさが全身を駆け巡り、涙が溢れそうになって慌てて目元を押さえた。
(そうだ! 篤志に連絡しなくちゃ)
メッセージアプリを開いて、メッセージを送る。里見篤志は同じクラスのクラスメートであり、高校三年間苦楽を共にし、そして僕の初恋の相手である。
『合格したよ!』
返信は驚くほど早く届いた。僕の第一志望の大学の合否が今日だと知っていて、待っていてくれたのかもしれない。
篤志は昨年の十一月には推薦で、私立大学への進学が決まっていた。もう勉強しなくていいのに、僕の受験勉強に親身に付き合ってくれたいい奴だ。
『おめでとう、柊。すごいじゃないか』
篤志からの祝福の言葉に、胸が熱くなる。通う大学は違うが、四月から同じ大学生になれるのだと思うと嬉しかった。
さらにメッセージには続きがあると気づいて、僕は視線を下にする。
『実は、ずっと言いたかったことがあるんだ』
数秒ほどしてから、画面に新しいメッセージが表示されて、僕の目が大きく見開いた。
『柊のことが好きだ。付き合ってほしい』
篤志からの告白に頭が真っ白になる。
『柊の大学が決まったら、すぐに告白するって決めてた。返事は急がないから』
ずっと片想いをしていた相手から、まさか告白されるなんて思ってもみなくて、現実感がない。合格の喜びと告白の驚きが一度に押し寄せてきて、呼吸困難になりそうだ。
『僕も篤志が好き。付き合いたい』
そう返事を返すと、篤志からハートマークのついている嬉しそうなスタンプが送られてきた。
スマホを胸に抱きしめたまま、僕はソファに倒れ込んだ。
(僕たち――両想いだったんだ)
天井の白い壁を眺めながら、全身が温かくなっていくのを感じる。大学合格と、初めての恋人。人生でここまで満たされた瞬間があるなんて、想像もしていなかった。
◇◇◇
翌朝、目覚まし時計の音で目が覚めた。いつもより早く目覚めたのは、昨夜の興奮がまだ残っているせいだろう。ベッドから起き上がって伸びをすると、身体が軽くて気分がいい。
顔を洗って髪を整え、制服に着替えるとキッチンへと向かう。朝食の準備を始めると、程なくして弟が部屋から出てきた。
「おはよう、お兄ちゃん」
弟の歩が眠そうな顔で現れて、椅子に座る。十歳の弟は小さな身体をしていて、同年代よりも少し身体が小さい。僕と同じオメガだ。
華奢で儚げな容姿は、父によく似ていた。僕はどちらかと言うと、父よりも産みの親であるアルファの男性に似ていると言われる。
名前は知らない。会ったこともない。つかず離れずな関係を何度も繰り返し、僕と弟の歩を産んだ。今も連絡を取り合っているのかさえも、わからない。
「おはよう。よく眠れた?」
「うん」
短く答えて、歩は大きなあくびをした。僕はトーストを焼きながら、フライパンで目玉焼きを作る。歩の分の牛乳をコップに注ぎ、テーブルに運んだ。
「今日は何の授業があるの?」
「算数と国語と、体育」
歩が眠そうに答えて、牛乳を一口飲む。僕はトーストが焼けたのを確認して、バターを塗ってから歩の皿に乗せた。目玉焼きも添えて、自分の分も用意する。
「体育は好き?」
「まあまあ。でもサッカーは楽しい」
歩が少し表情を明るくして、トーストを齧った。僕も自分の朝食を食べながら、弟の様子を眺める。父がいない朝は静かで、二人だけの穏やかな時間が流れていった。
父は夜の仕事をしているから、朝はいつも不在だった。ホストとして働いている父の生活リズムは、僕たちとは真逆で、朝に顔を合わせることはない。僕たちが学校に登校した後に帰宅して、時間が合えば一緒に夕食を食べてから出勤している。
親子らしい会話や、外出は少ないがそれでも僕たちを育てていくために、一生懸命に働いている父の姿は誇らしい。
「お兄ちゃん、大学受かったんでしょ?」
歩が突然言って、僕の顔を覗き込んだ。
「うん。受かったよ」
「すごいね」
歩が口角を上げて、僕も釣られて笑ってしまった。
「ありがとう」
「お父さんに言った?」
「メッセージだけ送ったよ。今日、帰ってきたらちゃんと話すつもり」
朝食を食べ終えると、歩は歯を磨きに洗面所へ向かった。僕は食器を洗って片付け、歩のランドセルが玄関に置いてあるのを確認する。
歩が準備を終えて玄関に来ると、僕はランドセルを背負う背中を眺めた。
「行ってきます」
「行ってらっしゃい。気をつけてね」
歩が元気よく玄関を出て行くのを見送った。
◇◇◇
高校に着くと、職員室に向かった。久しぶりの登校は、胸を弾ませる。特に今日は、嬉しい報告を担任にしにいくと思うと、足取りも軽くなる。
先生に声をかけると、書類を睨めっこしていた担任が顔をあげた。
「柚木か。どうした?」
「合格の報告に来ました」
そう告げると、教員は満面の笑みを浮かべて僕の肩を叩いた。
「おめでとう! 第一志望だったな」
「はい、ありがとうございます」
他の教員たちも祝福の言葉をかけてくれて、胸の奥が温もりで満たされた。何人かの教員と話をしてから職員室を出ると、教室に向かう。
三年生は自由登校期間に入っていて、教室は誰もいなかった。静まり返った廊下を歩いていると、自分の足音だけが響いて妙に大きく聞こえた。
教室の扉を開けると、一人だけ座っている人影が見えて僕は驚いた。窓際の席に座って、こちらに視線を向けている篤志がいて、胸の鼓動が速くなった。
「篤志……」
名前を呼ぶと、篤志が立ち上がってこちらに歩いてきた。明るい茶髪が朝日に照らされて、優しい茶色の瞳が僕を捉えている。
「合格の報告に来ると思って、待ってたんだ」
篤志がそう言って微笑み、僕は顔が火照るのを感じた。昨日告白されたことを思い出し、心臓が激しく鳴り出した。
(会えるなんて思ってなかったから……緊張する)
恋人同士になってから初めて顔を合わせる瞬間に、緊張で手のひらが汗ばんだ。
「ありがとう」
声が少し上擦ってしまう。篤志が微笑むと、席を立って僕に近づいてきた。吐息がかかるほどの距離に立ち、見上げると篤志の顔がすぐ近くにあった。
(格好いいなあ)
「柊」
名前を呼ばれて、返事をする前に唇が塞がれた。柔らかくて温かい感触に、目を見開く。篤志が僕にキスをしている。
生まれて初めてのキスに、頭が真っ白になった。
ほんの数秒だったと思うが、やけに長く感じられた。篤志が僕の顔を覗き込んで、少し心配そうな表情を浮かべている。
「ごめん。驚いた?」
「う、うん……」
正直に頷くと、篤志が優しく笑った。
「初めて?」
「……うん」
耳の奥まで熱くなって、顔全体が燃えているような気がする。篤志が僕の頬に手を添えて、親指で優しく撫でてくれた。
「俺も初めて」
篤志がそう言って、少し照れたような表情を浮かべる。二人とも初めてのキスで、お互いに緊張していたのだと思うと、少しだけ気持ちが楽になった。
「一緒に帰ろうか」
「うん」
短く答えて、僕は篤志と並んで教室を出た。廊下を歩きながら、時々篤志の手が僕の手に触れて、その度に電流が走ったような感覚がある。誰もいない廊下で、二人の足音だけが響いていた。
朝の光がカーテンの隙間から細く差し込み、瞼の裏をぼんやりと明るく照らしていた。 意識が浮上するにつれて、背中にぴったりと張りつく体温と、腰に回された腕の重みが感覚として戻ってきた。寝息を立てている鷹臣さんの呼吸が首筋にかかるたびに産毛が揺れ、くすぐったさで目が覚めてしまう。 鷹臣さんの腕を掴んで引き剥がそうとしたものの、眠っているとは思えないほどの力で抱き込まれていて、仕方なく肘で胸板を押しながら身体をずらしてベッドの端まで這い出た。 足元に転がっていた下着を手探りで拾い上げて穿き、枕元に脱ぎ捨てたままのシャツを頭から被った。袖から手を出しながら眠気をこするように目を擦り、重い身体を引きずるようにして寝室の扉に手をかけた。 扉を押し開けた瞬間、ゴンッ、と鈍い衝撃が手のひらに伝わった。 何事かと思わず身を引いて大きく目を見開くと、廊下の床に二つの丸い影があった。正座の姿勢のまま深く額を床につけている二人の頭が、薄暗い廊下にぼんやりと浮かび上がっている。「え? なに?」「大変申し訳ありませんでした! お兄さんにご挨拶が遅れ、さらにはご不快な思いをさせてしまい……」 聞き慣れない男の声が廊下に響いた。「え? ええ?」 声を上げると、がばっと身体を起こした青年が目に入った。短く整えられた髪に端正な顔立ち、怯えと緊張でこわばった表情をしながらも、背筋だけはまっすぐに伸びている。正座のまま再び深々と頭を下げると、震える声で言葉を続けた。「俺は神宮寺蒼介と申します。歩くんとは中学二年生のときからお付き合いを始めました。一年生の文化祭で一目惚れをして、二年生の運動会で告白して、付き合い始めてからずっと一緒にいます。高校生になってすぐに歩くんに初めてのヒートが来て、身体の関係を持ちました。まだ学生の身分ですが、お互いに社会人になったら結婚もしたいと思っています」 矢継ぎ早に繰り出される言葉の一つ一つが丁寧に練り上げられた文言で、何度も暗唱して備えてきたのだろうと察しがついた。圧倒されて口を開いたまま固まっている僕に、隣の歩がおずおずと顔を上げた。「――あ、はい」 間の抜けた返事しか出てこなかった。「兄さん、黙っててごめんなさい」 歩の声は震えていた。火照った頬と潤んだ瞳がヒート中であることを物語っていて、辛い身体を押して廊下の冷たい床に正座している
苛立ちを抑えきれないまま寝室に入り、照明もつけずにベッドへ倒れ込んだ。枕に顔を埋めると、鷹臣さんの匂いが鼻腔を満たして、余計に苛々が募った。歩の恋人の話を聞かされた衝撃と、僕だけが蚊帳の外に置かれていた悔しさが胸の奥で渦を巻いて、どちらの感情が上なのかすら判別がつかなかった。 口うるさい母親と変わらない――。 鷹臣さんに突きつけられた一言が、何度も頭の中で反芻された。 寝室の扉が開く気配がした。足音は聞こえないのに、背後から近づいてくる鷹臣さんの体温がはっきりと伝わってきて、ベッドが僅かに沈んだ。 後ろから腕が回された。広い胸板が背中にぴたりと密着して、鷹臣さんの体温が薄いシャツ越しに染み込んでくる。「まだ怒ってるのか」 低い声が耳のすぐ後ろで響いた。「怒ってない!」「いや、怒ってるだろ」「どうせ僕は口うるさい母親みたいなもんだからね」 自分でも声が尖っているのはわかっていた。八つ当たりだと自覚しながらも、言葉を丸める気にはなれなかった。「拗ねるなよ」「拗ねてない!」「機嫌なおして」 鷹臣さんの声は穏やかで、怒っている気配は微塵もなかった。腰に回された腕に力が込められ、背中が硬い胸板に押しつけられる。首筋に温かな吐息がかかり、皮膚がぞわりと粟立った。 鷹臣さんの手が、腰骨の上からゆっくりと下へ滑り落ちていった。指先が部屋着の薄い生地越しに太腿の内側を撫で、そのまま股間に触れた。「ちょっと!」 身体を捩って振り払おうとしたのに、背中から密着したままの鷹臣さんの片腕に腰を固定されて逃げられなかった。手のひらが布地の上から性器の輪郭をなぞるように揉みしだいてくる。「溜まりすぎてるから、イライラしてるんだろ?」「違う!」「少し黙ってろ」 有無を言わさない声音だった。抵抗しようとした手首をあっさりとシーツに押さえつけられ、仰向けにひっくり返されたかと思うと、鷹臣さんの指が部屋着のズボンのゴムに掛かった。下着ごと一気に膝まで引き下ろされ、夜気に晒された肌が震えた。 鷹臣さんが僕の脚の間に身体を滑り込ませた。顔が下腹部へと近づいてくる。鷹臣さんの吐息が陰茎に触れた瞬間、意志とは無関係に身体がびくりと跳ねた。 熱い舌が根元から先端に向かってゆっくりと這い上がってくる。舌先が裏筋を丁寧になぞり、窪みに達すると円を描くように舐め回された
仕事を終えてマンションの玄関を開けると、味噌と醤油の混じった温かな匂いが廊下の奥から漂ってきた。靴を脱ぎながら深く息を吸い込むと、疲労で強張っていた肩の力がほんの少しだけ緩んでいくのがわかった。 リビングに足を踏み入れると、鷹臣さんがキッチンに立っていた。フライパンを傾けて皿に盛りつける手つきは手慣れたもので、油はねを気にして腕まくりをしたシャツの袖口から覗く逞しい前腕が、妙に家庭的な光景と釣り合わない。付き合い始めた頃は卵焼きすらまともに作れなかった人間と同一人物だとは信じ難い上達ぶりだった。帰宅が遅い日が続くうちに、疲れている僕の代わりにと少しずつ包丁の使い方を覚え、歩の好き嫌いまで把握して献立を組んでくれるようになった姿を見ると、感謝と申し訳なさが同時に胸を満たした。「おかえり」「ただいま。ありがとう、いい匂い」 鷹臣さんが振り返らずに短く頷いた。換気扇の低い音と、味噌汁が静かに煮立つ音だけがキッチンに響いている。 スーツのジャケットを脱いでハンガーに掛け、部屋着に着替えてリビングに戻ると、室内の静けさが妙に引っかかった。普段ならテレビの音量を控えめにして観ている歩の気配や、試験勉強の鉛筆を走らせるかすかな音が聞こえてくるはずなのに、どちらもなかった。廊下に出て歩の部屋を覗くと、照明は消えたままで、ベッドの上も綺麗に整えられている。携帯を開いてメッセージの着信を確認したが、歩からの連絡は一件も届いていなかった。「歩は? 家にいないみたいだけど、連絡あった?」 配膳を終えた鷹臣さんの背中に声をかけた。「同じマンションに同級生がいるから。試験前でそいつの家で勉強してくる、お泊まりで――って昼過ぎに言ってた」「え? 誰?」 思わず声が裏返った。同じマンションに同級生がいるなんて、全く知らない情報だった。歩が出かける前に一言くらい兄に相談があってもいいはずなのに。 胸の奥がチクリと痛んだ。仕事が忙しくて帰宅時間が遅い日ばかり続けば、必然的に歩と鷹臣さんの間で交わされる会話は増えていくのだろう。頭では当然だと理解していても、兄である自分を飛び越えて鷹臣さんのほうに先に伝えられた悔しさは、どうにも抑えが利かなかった。「気になるか?」 鷹臣さんがこちらを振り向いた。口元にニヤリと浮かぶ意地の悪い笑みが、嫌でも目に入る。「気になるに決まってる」
朝の光がキッチンに差し込んでいた。 スーツの上にエプロンをつけて、僕は歩の弁当を仕上げていた。卵焼きを綺麗に詰めて、ブロッコリーとミニトマトを隙間に入れる。蓋を閉めて弁当袋に入れると、歩がリビングに入ってきた。 十六歳になった歩は、すっかり背が伸びていた。 僕の肩を越すくらいの身長になって、制服姿が凛々しい。中高一貫の私立に通っていて、毎朝早く家を出る。父さんとは一緒に暮らさず、今も鷹臣さんのマンションで僕と生活していた。「お弁当」 僕が手渡すと、歩が笑顔で受け取った。「ありがとう、兄さん」 嬉しそうに弁当袋を鞄に入れて、玄関へと向かう。僕も後を追って、玄関で歩を見送った。「いってらっしゃい」「いってきます」 歩が手を振って、マンションを出ていく。ドアが閉まる音が響いて、静寂が戻ってきた。 時計を見ると、もうすぐ父さんが迎えにくる時間だった。 僕は鷹臣さんの寝室へと向かった。ドアを開けると、カーテンが閉まった薄暗い部屋が広がっている。鷹臣さんが裸でベッドに寝ていて、規則正しい寝息が聞こえてきた。「鷹臣さん、起きて」 優しく声をかけると、鷹臣さんがうめき声をあげた。「んー……」 寝ぼけた声だった。僕はベッドに近づいて、鷹臣さんの肩を揺する。「もうすぐ父さんが迎えにくる時間だよ。着替えて」 父さんはホストで働いていたが、ゆりの保育園の時間内で仕事ができるように、鷹臣さんが自分の秘書として雇用してくれた。今は運転手兼秘書として、鷹臣さんの仕事をバックアップしている。「ああ」 鷹臣さんが短く返事をして、ベッドから起き上がった。裸の上半身が朝日に照らされて、筋肉の陰影が浮かび上がる。僕は顔を逸らして、カーテンを開けた。「朝ごはんはテーブルに。お弁当はキッチンにありますから」 伝えると、鷹臣さんが僕を見た。まだ眠そうな目で、僕を見つめている。「……もう行く時間か?」 寂しそうな声だった。僕は時計を確認して、頷く。「そう。行ってきます」 鷹臣さんに近づいて、軽くキスをした。甘い口づけに、鷹臣さんが僕の腰を抱き寄せる。「いってらっしゃい」 優しく囁かれて、僕の胸が温かくなった。もう一度キスをして、寝室を出る。 ◇◇◇ 社会人になって三ヶ月が経った。 鷹臣さんの職場に就職しろと言われたが、僕は別の会社に就職した
篤志と別れて、僕は鷹臣さんの会社に戻ってきた。(相当、怒ってるだろうなあ……鷹臣さん) オフィスに入ると、鉄平さんが慌てたように駆け寄ってきた。表情は真っ青で、それを見ただけで鷹臣さんのご立腹度が伝わってくる。「柊くん! 社長のご機嫌を直してぇ」 拝むように両手を合わせられて、僕は思わず後ずさった。「直してって……」「超絶不機嫌なんだよ! さっきから誰が話しかけても無視するし、書類に目を通すだけで舌打ちするし、もう手がつけられない!」 鉄平さんが必死に訴えてくる。他の社員たちも「やれやれ」と言わんばかりの呆れた表情で笑っていた。「わかりました。行ってきます」 諦めたように
リビングのドアを開けると、楽しそうな会話が耳に飛び込んできた。 歩と鷹臣さんがテーブルを挟んで向かい合っていて、二人とも笑顔で何かを話している姿が目に入る。テーブルの上には、焼きたてのトーストと目玉焼き、サラダ、それにオレンジジュースが並んでいた。湯気が立ち上っている目玉焼きからは、バターの香ばしい匂いが漂ってくる。 鷹臣さんが朝ごはんを作ったのだと気づいた瞬間、胸が締めつけられた。 いつもなら僕が作る朝食を、鷹臣さんが準備してくれている。歩が一人で寂しく朝を迎えることがないように、鷹臣さんが早く起きて朝食を用意してくれたのだ。ありがたさと申し訳なさが同時に込み上げてきて、喉の奥が熱
ある夜、リビングに入ると鬼頭さんがソファに座って酒を飲んでいた。 琥珀色の液体が揺れるグラスを片手に、窓の外を眺めている姿が目に入る。普段は真っ直ぐな背筋が、今夜は少しだけ丸まっているように見える。仕事から帰宅して、ジャケットだけを脱いで飲み始めたようだ。ワイシャツ姿でくつろいでいるのは、珍しい気がする。 リビングで酒を傾けている鬼頭さんは、どこか違う人のように見えた。「鬼頭さん、お酒を飲むんですね」 声をかけると、鬼頭さんがゆっくりと振り返った。少し目が据わっているように見えるが、酔っているというほどでもない。グラスを軽く揺らして、僕に視線を向けてくる。「ああ。社員からブランデ
目覚まし時計が鳴る前に目が覚め、僕は布団から身体を起こす。カーテンの隙間から朝日が差し込んでおり、新しい一日の始まりを告げていた。時計を見ると、午前五時を少し過ぎたところだった。 ベッドから降り、廊下を抜けてキッチンへと向かう。足音を立てないように気をつけながら歩き、リビングに入った。鬼頭さんのマンションは広く、キッチンも使いやすい。最新の調理器具が揃っており、料理をするのが楽しい。 エプロンを身につけ、冷蔵庫を開ける。 三人分の朝食を用意するために、食材を取り出していく。昨日の夜に下ごしらえしておいた材料もあり、手際よく調理を始める。フライパンが温まる音が静かなキッチンに響き、ベー