LOGIN「まぁ、ほら。とりあえずさ? 過去はどうあれ、今一番仲がいいのは暮科なんだし……」
過去はどうあれって……どの口がいうのか。
「だからさ、きっと大丈夫だよ。なんとかなるって」
「……適当なことばっか言うんじゃねぇよ」我ながら素気無く撥ね付けると、木崎は不意に立ち止まり、再び声を張った。
「もう! なんでそんなふうにしか言えないの?! どうなるかなんてわかんないじゃん!! やってみたら意外といい結果になることだってあるんだよ?!」
「それも〝お前の〟経験則だろ。俺のじゃない」構わず俺は、ようやく見えてきた木崎のマンションを前に、足を止める。
ここまで来れば、いい加減放置しても平気だろう。「だいたい、なんなんだよお前は。なんだって急にそんな……」
人の中に土足でずかずかと入り込むような真似を――。
振り返りながら、そう吐き捨てるように言うと、
「……急じゃないよ」
ぽつりと落としながら、木崎はわずかに俯いた。
「ほんとはもっと早く言いたかったよ。でも、タイミングがなくて……」
今度はぽろりと涙の粒が頬にこぼれる。
え……。……いや、ほんとなんなんだ。
俺は小さく息をつくと、木崎の方へと一歩近づく。
これも酔っているからなのか? 次は泣き上戸なのか?「もうすぐ……クリスマスだし」
「クリスマス?」しかもまた話が飛んだ。
思わず眉をひそめていると、木崎は顔を上げ、俺をまっすぐに見据えて言った。「クリスマスって言ったら、恋人と二人で楽しい思い出を作る日でしょ?! だからさ、二人をよく知る俺としては……やっぱりこの辺でうまく行ってくれたらいいんじゃないかなって……それだけ。それを言いたくて、今日は誘ったの!」
木崎はごしごしと目を擦り、かと思えば強がるように語気を強め、つんと上を向いた。
俺は呆れたように溜息を重ねて、それから目を伏せ、かすかに肩を揺「……やっぱ似てるなぁ」 「は? 何が?」 「いや、まぁ……なんとなく」 「何独りでにやにやしてんだよ。誰が何と似てるって?」 わざとらしいほどに胡乱げなその表情がおかしくて、俺は肩を揺らしてしまう。「いや、ほんとなんでもない」 「河原ぁ?」 問い詰めるように言われても、それ以上はもう答えない。答えないまま、ポケットから携帯を取り出し、言外に「時間」と促した。「良かったら構内まで送ろうか」 「恋人でもねぇのに、ここで十分だよ」 揶揄めかして言いながら、「さっきの話もまた聞くからな」と釘を刺すのも忘れない。そんな甲斐の姿がまたおかしくて、踵を返したその背にかけた声にも笑みが滲む。「本当にありがとう。今までのことも……これからのことも」 「だからなんなんだよ急に……気持ち悪ぃな」 「急にじゃないよ。ずっと思ってた。――甲斐が友達でいてくれて良かったって。……ほんと感謝してる、心から」「――おっまえぇ……」 甲斐が肩越しに俺を振り返る。「お前マジ帰す気あんのか」と呟くように文句を言われた。 俺は笑って「あるある」と甲斐の肩を叩く。そのままエントランスの方へと押し出すようにしながらも、「別に変なこと言ってないだろ」 「いや……まぁそりゃそう……って、だからな。河原は、そういう……変なとこで素直すぎんだよ!」 「えっ、でも俺、ついこの間ももうちょっと素直になれって言われたばっかなんだけど……」 「それはまた別の話だろうがよ」 「えええっ……?」 結果、またぽかんとして見返す羽目になっていると、あからさまに「やれやれ」と溜息をつかれた。「は――…っもう、だからお前は……」 「いや、待って……いまのは一体どういう……」 「あー、もう無理。時間ないから今日は帰る」 「甲斐……!」 言うなり、歩き出した甲斐から手が離れる。 甲斐は振り返ることもなく、「またな」と肩の上でひらひらと手を振った。「あ、気
言われてみれば、確かに俺は塔子さんとのことも、特別甲斐に相談していたというわけでもなかった。それでも甲斐はだいたい察してくれていたし、もっと言えば至らない俺のフォローなんかもしてくれていた気がする。だけど、この甲斐の様子からして、それはただ甲斐の勘が良かっただけのことじゃなくて、多分――。 塔子さんは、相談してたんだ。そして、甲斐もそれだけ塔子さんを見ていたということ――。 ああ、俺って本当情けない。周りが見えてないにもほどがある。今頃悔やんでも遅いけど、申し訳なくて堪らない。自分の浅はかさが恥ずかしい。 俺は更にワインを呷った。「――で、さ」 ややして、珍しく言い淀むように切り出した甲斐に、俺はどうにか頷いた。 どのみち、今の俺にできることは何もない。独り勝手に反省することはできても、今更塔子さんのために何かしてあげるなんて……。 傾けていたグラスを天板に戻し、黙って言葉の先を待っていると、倣うように甲斐もそっとグラスを置いた。「俺……塔子さんと付き合いたいと思ってて」 甲斐は俺をまっすぐに見て言った。 俺は一瞬瞠目し、それから「そっか」と破顔した。 正直ほっとした。どころか、ありがとうとすら思った。 ――良かった。俺にもまだできることがあったみたいだ。 *** 「まぁ、また改めて連絡するから」 すっかりいつもの調子に戻った甲斐に、俺は「待ってる」と笑って頷いた。 結局閉店近くまで飲んでいた俺たちは、酔いを醒ますがてら、最寄りの駅までの道のりを歩くことにした。 店をあとにし、のんびりペースで、三十分。目的地まではあと少し。もうそのエントランスは見えている。「今日はありがとな」 「こちらこそ」 自然と緩む足取りに、少しだけ名残惜しいような気分になる。 でも別にこれが最後ってわけじゃない。暮科にもちゃんと紹介したし、何なら次は暮科も一緒に、というのもありかもしれない。「つーか、今更だけど。お前、マジあ
「お前にだけは言われたくねぇよ」 「いや、意味分わかんねぇし」 相変わらず軽口めいた応酬は続いている。けれども、そこにはもうさっきまでの険悪さは感じられなかった。今度は気のせいじゃない。「河原……お前、マジなんで甲斐なんかとつるんでんだよ」 「へ……」 それどころか、まるで何ごともなかったのように今度は暮科に名を呼ばれ、思わず間の抜けた声が出た。 払われないのをいいことに、暮科の手を掴んだままなっていた手も緩む。「それはこっちのセリフだわ」 甲斐の言葉にもいっそう力が抜けた。力も気も抜けて、唖然とするばかりで言葉も出なくなる。 なんなんだよ……。 俺は頭痛がするみたいに額を押さえた。 二人が少しでも打ち解けてくれたなら、俺だってそれが一番嬉しい。嬉しいけれど、正直なところ、やっぱり腑に落ちない部分はあった。だってきっかけが全くわからなかったから。 ……まぁ、いっか。 俺は長い前髪を力なく掴み、深呼吸をするように大きく息をついた。 するとそれに気づいた二人が、今度は揃って肩を揺らす。 ――あ、分かった。この二人、似てるんだ。 思い至ると、少しだけ呆れたような心地になったけれど、同時に酷くほっとした。「二人とも、俺の話……ちゃんと聞いてくれてたよな?」 俺は仕方ないように笑って念を押した。 二人が当たり前のように頷いたことで、ようやく俺の心も少しは晴れたような気がした。 *** 暮科が立ち去るのを見送った頃には、近場のテーブル席はすっかり空になっていた。元々そんなに忙しい時間でもなかったけれど、考えてみれば俺は今の今まで、周囲のことにまで頭が回っていなかった。 対して二人はあれでもちゃんと声は抑えていたから……やっぱり似たもの同士というべきか、さすがだなぁと思う。 ……反省。 心の中で呟き、溜息をつく。 と、まるでそれが聞こえたかのよう
俺は改めて背筋を伸ばすと、暮科を一瞥し、それからまっすぐ甲斐を見た。「ごめん。ちょっと聞いて」 俺の言葉に、暮科が黙って背を向けようとする。その手を俺はとっさに掴む。「暮科も」 自分でも驚くくらい端的に言うと、暮科も手を振り解くことはしなかった。「俺、今日は二人に、聞いてもらいたいことがあって」 暮科も甲斐も、今度はちゃんと話を聞いてくれるらしい。視線の所在はまちまちだったが、それぞれが俺の声に耳を傾けてくれているのはしっかり伝わってきた。 俺は密やかに深呼吸をして、まずは暮科の方を見た。 そして軽く甲斐を示しながら、説明を始める。「えっと、この前も言ったけど……甲斐は俺の前の会社の同僚で、いまも時々飲みに行ったりしてる友達。……あ、あと、この間の女の人も、同じ会社で知り合った人」 暮科はいつもみたいに伏し目がちのまま、特に何も言わなかった。 言わなかったけど、それが拒絶を示しているようにも見えなくて、俺は少しだけほっとする。 次いで視線を甲斐に移すと、不意に甲斐は声には出さず、「なるほど」と口だけを動かした。 この間の女の人、という説明に、ピンと来るものがあったのかもしれない。 塔子さんの名前は出さなかったけど、俺が外で二人きりで会う女性なんて、他にはいないし……それは甲斐が一番よく知ってるはずだし。 かと言って、それ以上の感情は表には出さず、甲斐はただ苦笑気味に頷いただけだった。 ああ、そうか。今夜甲斐が話したかったって話も、塔子さんに関することだったんだ。 ……ごめん。それはあとでちゃんと聞くから。 心の中で謝りながら、俺は再び口を開く。「で……こっちは暮科。さっき甲斐が言ったことは……まぁ、うん……間違ってない」 「間違ってないって……」 「ああ、いや、〝合ってる〟ってこと。確かに俺は、今まで好きになった人は……そう、なんだけど。……それでも、暮科なら平気だなって思うから」 「マジで……?」「平気……」
ほどなくして俺と甲斐が座るテーブルの前へとやってきた暮科は、きわめて淡々と頭を下げた。「お待たせしました」 告げられた声に、心臓が跳ねる。 ……まさか、暮科が運んでくるなんて。 正直、それだけはないと思っていた。だから気持ちの準備もできていなかった。 もともと、暮科に声をかけるつもりはあったのだ。そのために場所もアリアに変えたわけで。 甲斐と一緒に店に行き、暮科をどうにか捕まえて――それが無理なら、最悪呼び出してでも顔を出してもらって――そうして、今夜こそちゃんと紹介しようと思っていた。二人それぞれに、甲斐という友人のことを、そして暮科という恋人のことを。 ――なのに。 ちょっと、待って……。 突然すぎるこの状況には、どうしても頭が真っ白になってしまう。 動揺しすぎて視線は泳ぎ、鼓動も逸るばかりで収まらない。緊張した時みたいに顔がどんどん熱くなって、それがよけいに俺を萎縮させる。 考えてみれば、暮科が給仕にくる可能性なんていくらでもあったのに、なんで俺は〝それだけはない〟などと思い込んでいたのだろう。 こうして暮科が出てきてくれたこと自体は純粋に嬉しいのに、何故かその分胸の痛みも強くなっていく。「ご注文の赤ワインと――グラスはこちらをお使い下さい」 「あ、ありがとう……」 そんな俺の目の前で、暮科はまるで普段通りにワインボトルとグラスを下ろす。半ば反射的に俺が頭を下げると、そつのない会釈まで返されてしまい――。 だめだ、とにかく引き留めないと……! 思うが早いか、俺は深呼吸するみたいに大きく息を吸い込んでいた。「く、暮し――」 「珍しいな。わざわざ店を選ぶなんて」 けれども、俺が口を開くと同時に、降ってきたのは暮科の声――。 そのくせ、とっさに上げた目線の先で、暮科は淡々と視線を伏せるなり、何ごともなかったように一礼を残して踵を返すところだった。 俺は慌てて声をかけた。 「あ、ち
塔子さんを店に連れて来た日、暮科がホールに出てこなかった理由を、俺は木崎に聞こうと思っていた。だけど結局、飲みに誘ってもらった日も聞けるタイミングがなくて、今日までそのままになっている。 それでも、多少吹っ切れたような心地にもなっているのだ。そこまで気になるなら、本人に直接聞いてもいいんじゃないかと……そう思えるようにもなっていたから。「――へぇ、ここがお前の」 甲斐と約束をしていた月曜日。 最初はどこかの居酒屋にでも行こうと言う話だったが、急遽その予定を変更して、向かった先はファミレス『アリア』――。 気になるなら本人に、と思いながらも、木崎と飲んだ翌日から暮科は予定外の早番が続き、挙句、昨日はまた向こうの公休日で、現実問題、なかなかゆっくり話せそうな機会は持てていなかった。 だから俺は、昨日のうちに甲斐に連絡をして、場所を変えさせてほしいと頼んだのだ。居酒屋ほど雑多な種類はないけれど、酒なら一応、うちの店にも置いてあるからと。 それでもし返答を渋られたなら、その時は素直に取り下げるつもりだったんだけど、そんな心配をよそに甲斐はあっさりOKしてくれて、寧ろ一度俺の職場を見てみたかったから丁度いいとまで言ってくれた。特に場所を変えたいと言った理由を問うこともなく――。 甲斐にも救われてるなぁ、俺……。 改めて思いながら、俺はたどり着いた店の外観を見上げている甲斐の横顔に無意識に目を細める。「ほんと洒落た店なんだな。ファミレスって言うわりに」 不意に「なるほど」と頷いた甲斐の様子に思わずぱちりと瞬いた。 「……?」 その姿にどことない違和感を覚えて一瞬首を傾げたものの、「入ろうぜ」 続けざまにそう促されると、結局「オーナーの趣味らしいんだ」と返しながら、招き入れるようにドアを開けることしかできなかった。「この時間、まだちょっと人が多いけど……」 二人揃って店内に入ると、先日の塔子さんの時と同様、必要以上にスタッフの視線を集めてしまう。 俺は多少気恥ずかしく感じながらも、見知った店員に