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糸 07

Author: 市瀬雪
last update Last Updated: 2025-09-28 06:00:05

「気付かねェっていうか、どう見てもあいつが見てたのは……お前だったろ」

「俺じゃない、暮科だよ。将人さんは真面目にお前のことが好きで……でも、昔酷いことをしたから、許してもらえないかもしれないって。それでも、できることならやり直したいって……」

「昔……」

 どことない中空を見つめたまま反芻するように呟くと、河原が「あ……」と小さく声を漏らす。言い過ぎたとでも思ったのかもしれない。

 けれどもそれもあとの祭りで、俺はそんな河原を視界の端に捉えたまま、小さく息を吐いた。

 正直頭が混乱していた。

 河原の言うことが本当だったとして、それをそのまま鵜呑みにはできない。

 見城《あの男》のことだ。河原の気を引くための方便だという可能性もある。むしろどうせそんなところだろうと思ってしまう。

 ……だけどそう言い切るだけの根拠がない。

 例えばそれは嘘だと、お前は見城にだまされているのだと言ったところで、河原は信じないだろうし、俺だってそこまで確信があるわけじゃない。

「暮科……?」

 そのまま黙り込んでいると、横から心配そうな声がかかる。

 俺は深いため息を一つ吐き、緩慢に顔を上げると河原が持ったままだった煙草を抜き取った。

「……煙草、吸っていいか」

「え……あぁ、うん」

 とにかく頭を冷やしたくて、ソファへと戻るなり早速ライターを構える。それを横目に、隣に河原が腰を下ろす。

 けれども、こんな時に限ってなかなか火が点かない。カチカチと言うチープな音だけが部屋に響く。そんな中、先に口を開いたのは河原だった。

「昔……付き合ってたのか? 将人さんと」

 煙草の先はまだ真っ白なままだ。なのに俺はその言葉に思わず手を止めてしまった。

 俺との過去について、見城がどんなふうに話したかは分からない。分からないが、例えありのままを口にしていたとして、いつもの河原ならもっと言葉を濁していただろう。

 そう思うからこそ言葉が出なくなる。いつものように誤魔化せなくなる。顔もろくに上げられず、視線は手元の煙草から離せない。

「暮

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  • 君にだけは言えない言葉   糸 09

     逃げるのをやめようと思ったのは、なにもその成就を望んだからじゃない。  ただ俺が、見城のことで妙な誤解をされたままでいるのがどうしても堪えられなかったからで、と同時に、本当にこれで全てを終わらせてしまおうと思ったからだ。 それに、「……だからって、別にお前になにかを望んでるわけじゃねぇ」 もし河原が、なにも知らないまま、気持ちも伴わないまま見城に手を出されたらと思うと黙っていられなかったが、こうしてちゃんと理解して、その上で受け入れるというならもうなにも言うことはない。そもそも、そんなふうに先に手を出してしまったのは俺の方だったし――。「安心しろよ。……今後は一切口出ししねぇから」 終止符を打つように言葉にすると、不覚にも声がわずかに揺れた。 ――あぁ、本当に情けない。 すぐさま笑み交じりの呼気を吐いてはみたが、さすがにこの状況で上手く誤魔化せたとは思えない。  その上、気が付けば煙草を持つ指にも無意識に力が入っていて、それが未練なのだと自覚すると不覚にも泣きたいような気分になった。「……お前、今日はもうこのまま上がれよ。そんなんじゃ仕事にならねぇだろうし、帰りに一応病院行っとけ」 俺は逃げるように視線を逸らすとそのまま立ち上がった。こんな心境知られるわけにはいかないし、なによりこの話はもうここで終わりにしたかったからだ。 「……」 けれども、河原はなにも答えなかった。答えないどころか、ともすれば時が止まったかのように動かなくなっている。  ソファの片側から重さが消えて、必然と身体が振られても、それすら気付かないみたいにどことない中空を見つめたままだった。 さすがに呆れられただろうか。呆れるどころかひかれてしまったかもしれない。 まぁ、どっちにしても想定内だ。 そんな河原の様子を視界の端に、俺は小さく息を吐く。そしてその数秒後には、いつまでも未練がましい胸の痛みを吹っ切るようにゆっくり背を向けた。――物理的にも彼から距離をとりたくて。「店長には、俺からちゃんと伝えといてやるから――」 「ま

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    「それにさっき暮科……こっち側の人間がどうとか言ってたし。それって要するに、そういうこと、だよな? 暮科も将人さんも〝そっち側〟の人間? で、二人は過去にそういう関係にあったって……俺はそうとったんだけど、違うかな」 一応探るようではあったけれど、河原の声に迷いは感じられなかった。  俺は再び口を噤んだ。どう答えればいいか迷うばかりで言葉にならない。そうだともそうじゃないとも言えないまま、まっさらな煙草を持つ手を見詰めるだけだ。  そんな胸中を知ってか知らずか、河原は独り言のように呟いた。「……少なくとも、あれ? ってなってからは、俺にも分かったよ。将人さんが暮科のことをどう思ってるかってことは……」 その声がどこか上擦っているように聞こえたのは、俺がそう思いたいからだろうか。「……」 どのみち、もう誤魔化しきれない。  今更冗談にもできないし、なにも知らないと言い通すこともできない。……そうかと言って、ここから逃げ出すことも。 ……自業自得か。 俺は静かに瞑目した。  少なくともあの日――俺が河原に触れた夜――、他でもない自分の手で、それまでの関係を壊した自覚はある。そしてそれがあったから、河原は今俺にこんな話をしているに違いない。 俺と見城との関係を踏まえて、俺との間に明確な線を引くために――。「なぁ、暮科。……せめてこれだけでも教えてほしいんだけど」 「……なんだよ」 いまだ火を点けることもできないのに、まるで唯一の拠り所みたいに未練がましく手放せない煙草。俺はそれを口端に添えると、緩く髪を掻き上げながら静かに問い返す。  視線は上げない。伏目がちのまま、瞼だけをわずかに上げる。視界の端で、なんの変化もない煙草の穂先をぼんやり眺める。 もういい。これ以上聞きたくない。  そう思う一方で、これでどこか楽になれるのではないかとも思っている。 そうだ。これで完全に諦められる。 ――そう覚悟を決めた矢先、「お前もまだ、将人さんのことが好き、なのか……?」

  • 君にだけは言えない言葉   糸 07

    「気付かねェっていうか、どう見てもあいつが見てたのは……お前だったろ」 「俺じゃない、暮科だよ。将人さんは真面目にお前のことが好きで……でも、昔酷いことをしたから、許してもらえないかもしれないって。それでも、できることならやり直したいって……」「昔……」 どことない中空を見つめたまま反芻するように呟くと、河原が「あ……」と小さく声を漏らす。言い過ぎたとでも思ったのかもしれない。 けれどもそれもあとの祭りで、俺はそんな河原を視界の端に捉えたまま、小さく息を吐いた。 正直頭が混乱していた。  河原の言うことが本当だったとして、それをそのまま鵜呑みにはできない。  見城《あの男》のことだ。河原の気を引くための方便だという可能性もある。むしろどうせそんなところだろうと思ってしまう。 ……だけどそう言い切るだけの根拠がない。  例えばそれは嘘だと、お前は見城にだまされているのだと言ったところで、河原は信じないだろうし、俺だってそこまで確信があるわけじゃない。「暮科……?」 そのまま黙り込んでいると、横から心配そうな声がかかる。  俺は深いため息を一つ吐き、緩慢に顔を上げると河原が持ったままだった煙草を抜き取った。「……煙草、吸っていいか」 「え……あぁ、うん」 とにかく頭を冷やしたくて、ソファへと戻るなり早速ライターを構える。それを横目に、隣に河原が腰を下ろす。  けれども、こんな時に限ってなかなか火が点かない。カチカチと言うチープな音だけが部屋に響く。そんな中、先に口を開いたのは河原だった。「昔……付き合ってたのか? 将人さんと」 煙草の先はまだ真っ白なままだ。なのに俺はその言葉に思わず手を止めてしまった。 俺との過去について、見城がどんなふうに話したかは分からない。分からないが、例えありのままを口にしていたとして、いつもの河原ならもっと言葉を濁していただろう。  そう思うからこそ言葉が出なくなる。いつものように誤魔化せなくなる。顔もろくに上げられず、視線は手元の煙草から離せない。「暮

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     外に漏れてしまうのではないかというくらい、鼓動がうるさい。呼吸の仕方を忘れるくらい胸が締め付けられる。それでも平静を装って言葉を紡いだ。「それで、お前なんて答えた?」 問いを重ねると、ますます胸が痛くなった。 河原はストレートだし、普通に考えれば断っているはず。  だが、相手はあの見城だ。結果は分からない。「……分からない、って答えた」 返された答えに、ぴくりと目線が揺れた。「分からないから、待って欲しいって……」 「分からない?」 被せるように言う俺に、河原は再び口を噤んだ。 俺は別に河原を責めたいわけじゃない。追い詰めたいわけでもない。けれども、結果としてそうなっているのは明らかで、そんな自分の態度に自嘲めいた笑みが浮かぶ。それでも言わずにはいられなかった。「分からないってなんだよ……待って欲しいって、そんなの、……」 いつの間にか、身体ごと揺れそうなほどに鼓動がうるさくなっていた。全身から血の気が引く感覚がして、唇までもが震えそうになる。「そんなの、考えるまでもねぇだろ……? ――お前はこっち側の人間じゃねぇんだから……っ」 絞り出した声が、堪えきれない焦燥にわずかに揺れた。 口にしてしまった内容に、遅れて我に返るもあとも祭りだ。いや、そんなふうに思うのも今更のことかもしれない。現に窺うように顔を上げても、河原の様子に大きな変化は見られなかった。「……そう、なんだけど……」 怯むでもなく、気圧されたふうもなく、河原はただ淡々とした口調で言葉を継いだ。  俺はそんな河原の後ろ姿を見詰めながら、吐き捨てるように呼気だけで笑った。「やっぱ、あいつは特別なんだな」 改めて思い知らされる。全くその指向がなくても、やっぱりあいつには惹かれるのか。  元々そうなる可能性は考えていたくせに、認めたくないばかりにこんなにも無様な姿をさらす羽目になっている。 ……格好悪ぃな。 込み上げる自嘲に、口端が歪む。「うん……で

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    「なに考えてたんだよ」 「え……」 「一体なにを考えててこんなことになった?」 「なにって……」「こんなこと、もうずっとなかっただろうが」 いくら忙しい時間帯だったとは言え、新人時代を除けば本当に久々のことだった。  要はそれくらい余裕がなかったということだ。「あ……うん。ごめん、迷惑かけて」 「迷惑とかじゃねぇ」 努めて淡々と告げていたつもりの声が自然と険を帯びる。「……見城のことだろ」 「え……」 「お前の頭ん中、もうずっと見城のことばっかだもんな」 「……」 否定しない河原の顔を見ることができない。  目の前の河原の腕を無意味に見つめたまま、俺は責めるように続けた。「俺、関わるなって言ったよな。なのにお前、あのあとあいつと会ってたよな。……俺に……俺にあんなことされた直後だっていうのに」 そこまで言うと、自嘲気味に口端が歪んだ。 本当は圧迫止血だって、本人にさせればいいことだ。なのに俺は河原の手が離せない。ともすれば固定を兼ねて共に巻いた隣の指ごと、強く握り締めてしまいそうになっている。 俺の言葉に、河原の身体がわずかに強張る。  その反応で分かった。河原は覚えている。酒のせいで記憶にないというわけでもない。  だけどそれだけだ。それについて河原はなにも言わないし、たった一言すら俺を詰ることもせずただ黙り込むだけだった。 ……そんなに俺とのことはどうでもいいのか。 俺は衝動のままに言葉を継いだ。「見城になに言われたんだよ」 「え……」 「好きだとでも言われたか? それとも先に」 「え、ちょ、ちょっと待っ……。暮科、なにか誤解して――」 見城の名前が出るなり、河原はとたんに口を開いた。結局見城か。  そのことにますます冷静ではいられなくなる。「なにが誤解だよ」 「……ぃ、……!」 被せるように言うと、河原は小さく悲鳴のような声を上げた。

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