Masuk白檀の香る明治の屋敷―― 美貌の御曹司・彰人は、まるで飾られた硝子細工のように、触れることさえ許されぬ存在だった。 そこに書生としてやって来たのは、無骨で実直な青年・直哉。 禁欲と理性を信条に生きてきた彼は、彰人の静かな色香に、知らず心を奪われていく。 すれ違いざまに揺れる睫毛、障子越しの気配、 布団に並んだ夜にこぼれる無防備な吐息―― 美しすぎるそのひとが、少しずつ直哉の理性を侵食してゆく。 布団に並んだ夜、こぼれそうな吐息。 指先が触れただけで、心が揺れる。 そんな折、彰人に“見合い話”が持ち上がる。 現実の影が、ふたりの関係を静かに裂こうとしていた。 身分差と禁忌、理性と欲望が交錯する、耽美と官能の長編BL。
Lihat lebih banyak行灯の火が消えて、夜の帳が薄く溶け始めていた。障子の向こうにぼんやりと白みが差し、鳥の声がひとつ、ふたつ、静かな朝の訪れを告げている。布団の中には、まだ昨夜の熱がわずかに残っていた。彰人は直哉の胸元に顔をうずめ、ゆっくりと息を吸い込む。汗と体温、椿油の名残、そしてもう一度確かめるように抱きしめる直哉の腕の重さ。ふたりの身体は裸のまま絡まり、肌と肌が、指先と髪と唇が、まるで互いを離すまいと、執拗に結びついていた。彰人はまどろみの中、何度も夢と現実の境目を漂った。ときおり直哉の心臓の鼓動が耳に響き、その振動が自分の胸にも伝わる。汗ばんだ頬に、直哉の手がそっと触れる。「……もう朝、ですか」彰人の声は、まだ眠りの底にいるような、柔らかくくぐもった音だった。直哉は黙ったまま、彰人の額に唇を押し当てた。細い指で髪を梳き、優しく耳たぶをなぞる。「起きなくていい。今日は誰も、僕たちを急かさない」そう言っているように、抱擁の力がほんの少しだけ強くなる。彰人は、直哉の胸元にさらに深く顔を埋めた。「……夢みたいですね」彰人はそう呟いたが、直哉は首を横に振る。「これは夢じゃありません」その低い声が、身体の奥まで沁み込んでいく。彰人は指先で直哉の背中をなぞり、肩甲骨を探る。互いの脚が絡まり、膝が触れ合う。まだ体の奥には夜の痕跡が残り、ふたりの汗と涙と精液の香りが、布団の隅にしみ込んでいる。その生々しさすら、今は安らかな幸福の一部だった。彰人は、直哉の肩にそっと口づける。柔らかく、何度も、子どものように無心に。「離れたくありません」「離さない」短い会話が、余韻を残して空気に溶けていく。ふたりの間には、もう誰も介入することができなかった。過去の痛みも、喪失も、夜の激しさとともに浄化されていく。いま、ここにあるのは、微かな体温と、再び出会った朝の光だけ。障子の隙間から、春の光がやわらかく室内を照らし始める。畳の香りと、鳥のさえずり。布団のなか、ふたりはまどろみながら、手
彰人の脚が、直哉の腰にきつく絡みつく。行灯の灯りが、ふたりの汗ばんだ素肌に淡い金色の輪郭を落としていた。畳の上に積まれた布団は湿り、肌の上には互いの汗と愛撫の痕が幾重にも重なっている。直哉は彰人の髪に顔を埋め、深く息を吸い込んだ。白檀と椿油、そして彰人自身の匂い。指先で背中をなぞり、肩甲骨から腰にかけてゆっくり撫で下ろす。彰人の身体は、ひとつ息を吸うごとに波打つように震え、潤んだ瞳が夜の灯に濡れていた。「……直哉さん」苦しげな声が喉の奥で震える。直哉は彰人の顎にそっと指をかけ、正面から見つめた。ふたりの視線が絡み合い、互いの孤独がその瞳の奥で溶けていく。「どうして、こんなにも……」彰人が言葉を継げず、頬を濡らす涙に舌先を滑らせる。塩味が指先にも伝わり、愛しさが増した。「もう、離れません」直哉は低く囁いた。彰人はただ首を横に振る。言葉では追いつけない感情が溢れ、ふたりの身体はより密着していく。彰人の後ろをゆっくりと押し広げながら、直哉は自身を深く沈めていった。粘膜のぬるみと、熱い奥に包まれる感触が直哉の全身に広がる。彰人は眉を寄せて、小さな声で喘ぐ。身体の芯まで満たされ、痛みと快楽が交互に押し寄せる。「……もっと、奥まで」彰人が苦しげに、しかし懇願するように呟いた。直哉はゆっくりと腰を進め、全てを受け止める彰人の奥深くまで、自分のものを埋め込む。彰人の背中が弓なりに反り、指が直哉の背中に食い込む。ふたりの汗が、肌と肌の間に流れ落ちる。畳の上に落ちる水音、布団のきしみ、荒い呼吸と唇を塞ぐようなキス。そのすべてが夜更けの静寂に滲む。「……苦しい?」直哉が問いかけると、彰人は首を振る。「平気、です……あなたじゃなきゃ、もう、駄目なんです」その言葉は、救いのように響いた。直哉は彰人の耳たぶに唇を落とし、頬を舐め、首筋に甘噛みを残す。彰人は啼き声をこぼし、奥で蠢く肉にきつく締めつけた
障子の外で夜風が梢を鳴らしていた。新居の寝間、行灯の灯りがふたりの影を畳に淡く映す。さっきまでの会話の余韻がまだ室内に漂っていたが、今はもう言葉が追いつかないほどの熱が、息づかいの合間に濃密に満ちている。直哉の指が彰人の頬に触れた。わずかに震えるその手が、あごの輪郭をなぞり、耳のうしろの髪を撫でていく。彰人はその動きを拒むこともできず、ただ身を委ねて目を閉じた。肌の奥で心臓が跳ねている。唇が重なったとき、息が止まる。舌がそっと歯列を押し分け、互いの口腔に忍び込む。彰人は小さく呻き、直哉の肩に指を食い込ませる。「……もっと」声にならない声が、直哉の耳に落ちた。直哉は彰人の着物の合わせを静かにほどく。帯が滑り落ち、下着越しの肌が露わになる。膝の内側を指先でなぞると、彰人の身体がぴくりと跳ねる。白檀と椿油の香が、ふたりの間にじわじわと立ち上る。畳に投げ出された布からも、肌の汗と夜の湿気が漂い、衣擦れの音とともに、ふたりの熱を余計に際立たせていた。彰人は直哉の胸元を掴み、わずかに引き寄せた。指先が震えている。だがその力は迷いなく、欲望に正直だった。「……怖いくらい、あなたが欲しい」彰人がそう呟いた瞬間、直哉の理性はふっとほどけた。直哉もまた彰人の着物を脱がせる。滑らかな肌が露わになり、首筋や鎖骨に唇を這わせていく。唇で、歯で、舌で、ひとつひとつの骨を確かめるように舐める。彰人の乳首が固くなり、直哉はそれを舌で転がし、唇で軽く吸い上げた。「……あ」彰人の吐息が甘く漏れる。背中が反り、首筋に汗がにじむ。直哉の手はさらに腹部をなぞり、下腹へと進んだ。下着越しに勃起を指先で感じ、優しく包み込むように撫でた。彰人の腰が揺れる。息が詰まり、喉奥から甘い声がこぼれる。直哉は下着を下ろし、彰人の昂ぶりをあらわにする。先端からは透明な雫が滲んでいた。直哉は指先でそれをなぞり、手のひらで幾度も擦った。彰人の瞼が揺れ、唇が切なげに震える。「直哉、さん……」彰人
夕餉の後の空気は、微かな余熱と静けさに満ちていた。新しい家の寝間、畳の上に並べられた布団。その上に、ふたり分の影が重なっていた。行灯の橙色の灯りが、壁と天井にゆらめく。春の宵の外気は冷たくもあり、だがこの部屋だけは肌にぬくもりが溜まるようだった。彰人は、布団の端に膝を立てて座っていた。直哉の顔を見つめてはすぐに視線を落とし、指先で自分の膝をさする。唇が震え、何かを言いかけては押しとどめる。こうしてふたりきりになるのは初めてだった。直哉もまた、布団の上で落ち着かぬ面持ちのまま彰人を見つめる。数年ぶりの再会を果たし、互いの息遣いを感じる距離で向き合っている。だが、手も、肩も、すぐには触れられなかった。障子の外では、どこかで春の虫が鳴いている。遠くの家々の灯りや声も、夜風の中にかすかに溶けていく。ふたりの沈黙の中で、鼓動だけが際立つ。彰人の髪は少し伸びて、頬にかかる。行灯の明かりが、その横顔にやわらかな影を落とす。直哉は、息を呑んだ。ずっと触れたいと願い続けてきた横顔が、ほんの数尺の距離にある。けれど、手を伸ばしてしまえば、いままでのすべての自制が崩れてしまうようで怖かった。彰人は、そっと膝を寄せてきた。手が、直哉の着物の裾に触れる。衣擦れの音が、不自然なほど鮮やかに響いた。「……直哉さん」呼ばれる名の響きが、内臓を震わせる。彰人の指が、震えながら直哉の手を包み込む。指先は冷たく、それでいて微かに汗ばんでいた。直哉は、彰人の手をしっかりと握り返した。たったそれだけのことで、呼吸が浅くなる。肌と肌の間に、幾年もの孤独が滲み出す。「……彰人さん」名を呼ぶ。ほんとうに久しぶりに。声に出した瞬間、自分の中の抑えていたものがこぼれていくのがわかった。彰人の視線が、行灯の明かりのなかで静かに揺れる。瞳の奥で涙が光っているように見えた。「こうして、あなたに触れられる日が、もう二度と来ないと思っていました」彰人の声は、ほんのかすかな震えを含んでいる。「……私も」短
夕暮れの桂木邸は、日中の熱気を残しながらも、徐々に夜の冷たさに包まれ始めていた。庭の葉は湿った風に揺れ、木々の隙間から入り込んだ赤紫の光が、地面に斑のような影を落とす。草いきれの匂いに混じって、どこからか線香の残り香が漂っていた。石畳の上を、白い足袋が音もなく進む。彰人は庭をゆっくりと歩いていた。手には何も持たず、視線も定まらないまま、茂みや植え込みの隙間をなぞるように進んでいた。耳に届くのは、虫の声と、風の音。そして、屋敷のどこかから漏れてくる人の声。縁側を通り過ぎようとしたそのとき、障子の内側から、兄・篤人の声が
桂木邸の応接間には、微かな白檀の香が漂っていた。障子越しの光がふわりと室内に射し込み、畳の上に淡い格子模様を描いている。昼下がりの柔らかい陽射しだったが、それはどこか乾いていて、肌の奥まで沁み込むような湿度を欠いていた。彰人は、正座の姿勢のまま、膝の上で両手を静かに重ねていた。襖の向こうから女中が下がる音がし、室内に静寂が戻る。正面に置かれた朱塗りの盆には、封をされたままの書状が一通。桂木尚道の印が封蝋に刻まれている。兄の篤人が、それをそっと手に取り、封を切る。「父上からの文だ。読んで構わないな?」彰人は目を伏せ
障子の向こうは、完全な闇だった。月も雲に隠れ、風ひとつ吹かない夜。深く、息の詰まるような静寂が屋敷を包み込んでいた。直哉の部屋の中には、蝋燭が一本だけ灯っている。火は細く、頼りない明かりを行灯の中で揺らしていた。時折、芯が焦げる小さな音だけが、空気の重さを切り裂いている。直哉は、敷布の縁に腰を下ろし、背を丸めるようにして座っていた。白い寝巻の袖口から覗く手は、指先に微かな緊張を帯びている。先ほど彰人の涙と声に触れてから、時間はたっていないはずなのに、体感では随分と長い沈黙だった。隣には、彰人が静かに座っている。顔を伏せ、両膝を抱えた姿勢のまま、
夜の桂木邸は、ひどく静かだった。庭の端に据えられた石灯籠が、淡く揺れる火を灯している。虫の音が間断なく響き、風もないのに葉の擦れる気配がする。縁側に敷かれた竹の簾越しに、庭の闇が緩やかに広がっていた。彰人はその縁に腰を下ろしていた。裸足のまま、膝を抱えて。広がった白い着物の裾が、簾の影に溶け込んでいる。冷たい木の感触が、掌と足の裏を通じてじんわりと染みてくる。けれど、寒いとは思わなかった。むしろその冷たさは心地よかった。熱を持て余しているわけでもないのに、内側だけがじわじわと重く、息をするたびに胸の奥がじりじりと擦れる。尚道の姿