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第4話

Author: クルミ
隼翔は怒りで胸がいっぱいになっていたが、大勢の人がいるこの場ではさすがに感情をぶつけるわけにもいかなかった。

真奈がその隙を突いて口を開いた。

「お姉ちゃん、もう隼翔と喧嘩しないであげて。彼だってすごく大変なんだから。

お姉ちゃんがいなかった数年、彼はよく眠れなくなるくらいあなたのことを想ってたんだよ……」

言葉の途中で、隼翔が遮った。

彼は真奈の手を取って、司会へ合図した。

「やめろ。式を続けて」

紗奈はその様子を見て、隼翔が怒っているのをすぐに見抜いた。

けれども、もうそれを宥める気力は残っていなかった。

彼女は会場を背に振り返り、そのまま隼翔と暮らしていた家へ戻った。

紗奈の父はここ数年体調がどんどん悪化していて、川村家はすっかり継母の掌の中にあった。

だから紗奈も帰国したあと、川村家には一度も戻るつもりはなかった。

もともと彼女は自分で部屋を借りていたが、それを知った隼翔に強引に連れられ、彼の家に住まわされていた。

紗奈は荷物をまとめながら、本当に面倒なことになったと頭を抱えた。

最初から隼翔に関わらなければよかった、と。

帰国してもう一ヶ月以上、この家で揃えた物も少なくない。

結局、荷造りがすべて終わるまで三時間かかった。

新しい住居に移り、ベッドに倒れると、紗奈は疲れ果ててそのまま眠りに落ちた。

夢の中で、彼女は大学時代に隼翔と過ごした日々に戻っていた。

二人は別々の大学だったため、隼翔は毎週末わざわざ地下鉄に乗って会いに来てくれた。

卒業する頃には溜まった領収書が本一冊ほどの厚みにまでなっていた。

その頃、紗奈が一番楽しみにしていたのは、隼翔がからかってくれる声を聞くことだった。

異国で一人きりで病気を患ったとき、何度もその記憶だけを頼りに耐えしのいだこともある。

やがて偶然の縁で宮田直人(みやた なおと)という友人と出会い、彼の家の力添えで病を治すことができた。

それでも日々、隼翔と一緒に過ごした日々が頭に浮かんだ。

直人が熱心に紗奈へ尽くしてくれるたび、彼女は戸惑い、どう応えればいいのか分からなかった。

結局のところ、自分は妥協して生きる気はなかった。

だから、若い頃の心のときめきを信じ、第六回目の告白を断ったあと、思い切って帰国を選んだのだ。

そのとき直人は傷ついた表情で言った。

「最後にもう一度だけ待つよ。もしその人に大事にされなかったり、もう別の相手ができていたなら……俺のところに戻って、一度だけ試してみない?」

直人は裕福な家の出で、容姿も良く、言い寄ってくる人は数え切れないほどいた。

なのに、彼はひたすら自分にこだわり続けた。

紗奈はため息をつき、内心で思った。

そういう意味では、自分と直人は同じ種類の人間で、同じように頑固なのだと。

そんなことを思いながら、紗奈は目を覚ました。

顔は涙で濡れていた。夢の中で泣いてしまっていたのだ。

彼女は涙を拭い、何か食べようとベッドから降りかけた。

だが、そのとき外から妙な物音が聞こえてきた。

胸がぞくりとする。

このマンションは適当に選んだだけで、防犯設備がろくに整っていない。

もしかして泥棒か?

紗奈は咄嗟にスマホを開き、隼翔へ助けを求めるメッセージを送った。

しかし返ってきたのは冷たい一言だった。

「そんな理由で俺を騙すことも覚えたのか?今は真奈と一緒なんだ。これ以上騒ぐな」

胸の奥がひどく締め付けられる。

こんなふざけた嘘を今までに言ったことがあるだろうか。

きっと、ただ彼は来たくないだけなのだ。

紗奈は隼翔を通知オフにして、警察へ通報しようとした。

その矢先、ドアの外から気怠そうな声が響いた。

「……紗奈、起きたか?」
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