川村紗奈(かわむら さな)は、福井隼翔(ふくい はやと)にとって留学中四年間ずっと心の支えだった。 四年もの歳月が過ぎ、彼の愛はもうすっかり消え去ってしまっただろうと、彼女は思っていた。 しかし、彼が帰国するやいなや、大々的にプロポーズしてきたのだ。 誰もが紗奈のことを、隼翔が最も愛する女性だと口にした。 紗奈は感動し、ついに勇気を出して隼翔を受け入れた。 しかし、彼女は見てしまった。隼翔が、自分に隠れて、腹違いの妹である川村真奈(かわむら まな)と結婚しているところを。 紗奈は狂ったように理由を問い詰めた。 だが、隼翔は何事もないように答える。 「四年前、お前が何も言わずに消えた時、ずっとそばにいたのは真奈だったんだ。彼女はいま余命わずかで、結婚だけが唯一の願いなんだ。だから俺は、それを叶えてやるしかなかった」 その言葉に、紗奈はただ静かに微笑んだ。 彼が知らないのは、四年前、紗奈が彼のもとを去った理由も、彼女が不治の病を患っていたからだということ。 その後、紗奈の病気が再発し、隼翔に関するすべての記憶を失った。 しかし、隼翔はまるで狂ったように、何度も何度も彼女の部屋のドアを叩き続けた。
view more隼翔は自首した。 彼は警察署の取調室に静かに座り、魂を失ったかのように虚ろな目をしていた。 「真奈を殺した」 隼翔の声はかすれ、しかし平静だった。 「法律の裁きを受ける覚悟はできている」 警察はすぐに捜査を開始し、証拠は揃っていた。隼翔は正式に逮捕された。 法廷で、彼は罪を否定しなかった。 「人を殺したのは認める」 隼翔の声は低く、しかし揺るぎなかった。 「だけど後悔はしていない。もう一度やり直せても、同じことをするだろう」 傍聴席で真奈の母は、今にも泣き崩れて倒れてしまいそうだった。 彼女には真奈という一人娘しかおらず、それが彼女に残された最後の救いだったのだ。 だが今、その命も奪われ、白髪の母が黒髪の娘を見送ることになった。 最終的に、隼翔には死刑判決が下された。 彼は刑務所に収監され、最後の時をただ待つことになった。 「紗奈、ごめん」 隼翔は心の中で静かに呟いた。 「俺が裏切った……俺のせいで君はあんなにも苦しんだ」 もう二度と、彼女への償いの機会は訪れないと分かっていた。 ――その頃、紗奈は病院で治療を受けていた。 彼女の記憶の中にあるのは直人だけ。ここ数日の出来事しか残っていなかった。 隼翔の存在も、自分がどれほどの苦痛を経験したかも、何ひとつ覚えていなかった。 直人は毎日そばに付き添い、丁寧に世話をし、二人の思い出を語って記憶を呼び起こそうとした。 しかし紗奈の記憶は戻らない。 「直人、私……何を忘れちゃったの? どうしてだろう、胸の奥がずっと空っぽな気がするの」 直人は彼女を見つめ、静かに告げた。 「紗奈、君はひとりの人を忘れてるんだ。 君にとって、とても大切だった人を」 紗奈は眉をひそめ、必死に思い出そうとするが、何も浮かばない。 「そんな大事な人、忘れるはずないじゃない……私はずっと直人のこと、覚えてるよ」 その言葉に直人の胸は熱くなった。しかし、彼は己の気持ちに流されるわけにはいかなかった。 「紗奈、俺は君のそばにいる。これからもずっと。 君が思い出してもしなくても、俺は守り続ける」 数日後、紗奈の体は次第に回復し、退院できるまでになった。
隼翔は魂が抜けたように病院を出た。外の陽射しがあまりにも眩しく、目を開けていられなかった。 彼は目的もなく歩き続け、生気の欠片もない。 そのとき、不意に携帯が鳴った。 隼翔が画面を見ると、真奈からの着信だった。眉間に皺が寄る。 彼は出たくなかったが、一瞬ためらった末に通話ボタンを押した。 「全部聞いたわ!」電話口から響いたのは真奈の甲高い声だった。「紗奈は記憶を失ったのよ。もう二度とあなたのことを思い出すことはない!」 隼翔の頭に血が上り、怒りが胸を突き破る。だが必死に抑え込み、冷ややかに言い放った。 「よく言えたな……全部お前のせいだろう!」 「私のせい?」真奈は鼻で笑った。「隼翔、忘れたの?最初に私を選んだのはあなただよ。利益のために紗奈を捨てたのはあなたでしょ。それを今さら私のせいにするなんて、どの口が言うの?」 隼翔は拳を握りしめ、額に血管が浮き上がった。 「真奈……お前は最低だ!」 歯を食いしばりながら吐き出す。 「俺を手に入れたい一心で、手段を選ばず……紗奈まで傷つけた」 「よく聞け、真奈」隼翔は一語一語噛み締めるように言う。「今日から俺と川村グループは敵同士だ。全ての取引を止める。たとえ自分が破産しても、お前らを道連れにしてやる!」 電話の向こうで真奈は言葉を失った。 「……狂ったの? 自分のやってること分かってる?あなた一人だけじゃなく、福井グループまで滅びるのよ!」 「それでも構わない!」隼翔は怒鳴る。「お前に代償を払わせられるなら、俺は何だってする!」 そう言って電話を切った。 隼翔はすぐさま役員を召集し、川村グループとの全ての協力案件を停止すると発表する。 役員たちは色めき立ち、必死に止めようとした。だが隼翔の決意は揺らがない。 「川村グループが不義を働いた以上、俺も容赦しない。たとえ共倒れになっても紗奈のために戦う」 説得が通じないのを悟った役員たちは、渋々決定を受け入れるしかなかった。 一方その頃――川村グループのオフィスで、真奈は怒りのあまり震えていた。 「紗奈のために……ここまでやるなんて!」 彼女は隼翔のオフィスに乗り込む。 「隼翔、話しましょ」 「話すこ
隼翔は不意を突かれて殴り倒され、床に転がった。 顔が焼けるように痛んだが、彼の胸中には一切の不満はなかった。 自分が悪いことを、よくわかっていたからだ。 「この一発は紗奈の代わりに打ったんだ」直人は冷たい声で言い放った。「お前なんか、彼女の隣に立つ資格はない」 隼翔はゆっくりと立ち上がり、口元の血をぬぐって黙り込んだ。 その時、病室の扉が開き、医者が出てきた。 「先生、彼女はどうですか?」隼翔と直人が同時に問いかけた。 「患者さんは目を覚ましました」医者は答えた。「ただし、少し特殊な状態です」 「特殊って……どういう意味ですか?」隼翔は焦りを隠せない。 「彼女は記憶を失っています。 最近の出来事は覚えていますが、それ以前のことは全て忘れているようです」 頭の中でガンッと何かが鳴り響き、隼翔は呆然となった。 「頭部を強く打ったことで記憶障害が生じたのでしょう」医者は続けた。「一時的なものかもしれませんが、永続的な可能性もあります」 その言葉に直人の胸にも痛みが走った。しかし彼はすぐに冷静さを取り戻す。 「先生……彼女は、俺のことを覚えていますか?」 「ええ。あなたのことは覚えています。名前をずっと呼んでいました」 その瞬間、隼翔の心は絶望に沈んだ。 二人が病室に入ると、紗奈はベッドに横たわっていた。顔色は悪いものの、瞳は澄んでいる。 「紗奈……」隼翔はかすかに声をかけた。 紗奈は顔を向け、彼を見つめる。しかしその瞳には明らかなよそよそしさがあった。 「あなたは誰……?」 隼翔の胸に鋭い痛みが走る。だが必死に悲しみをこらえ、言葉を絞り出した。 「俺だよ……隼翔だ。覚えてないのか?」 紗奈は眉をひそめ、頭の中を探ろうとするが、何も思い出せない。 「ごめんなさい……知らないです」 心臓を切り裂かれるような痛みに顔が歪む。 「そんなはずない……本当に俺のことを覚えてないのか? 俺たちはこんなに長い時間を一緒に過ごしてきたんだ……全部忘れたのか?」 紗奈はただ疑わしげに隼翔を見つめるだけだった。 「……私の記憶にあるのは直人だけ。ずっと側にいてくれたのは彼でしょ?」 絶
隼翔は真奈からの電話を受け取ると、心配でたまらず、すぐさま車を走らせて彼女のマンションへ向かった。 道中、彼の気持ちは複雑で重く沈んでいた。 紗奈の誕生日を台無しにしてしまったことを分かっていたからだ。胸の奥にはどうしても消せない罪悪感が広がっていた。 紗奈、ごめん…… 隼翔は心の中でそう呟いた。真奈のことを片付けたら、必ず埋め合わせをするから。 だが、彼が真奈のマンションに駆けつけると、彼女はソファに悠然と座り、妙に得意げな笑みを浮かべていた。 「お前、頭おかしいんじゃねえのか?」 隼翔は怒りに任せて問い詰めた。「今日が姉さんの誕生日だって分かってるのか?」 真奈は無邪気な顔で彼を見つめた。 「隼翔、本当に怖かったの。さっき死ぬかと思ったのよ」 隼翔にはその言葉があまりにも馬鹿げて聞こえた。 彼の忍耐はすでに限界を超えていた。 「真奈、お前は一体何がしたいんだ?」怒りを必死に抑えながら問い正した。「こんなことをしたら、俺が紗奈を失うことになるって分かってるのか?」 真奈は突然笑い出し、その笑いは狂気じみていた。 「私はあいつを苦しませたいの」真奈は憎しみを込めて言った。「あなたに一緒にいてほしいのよ。隼翔の心の中にまだ私がいるって、あいつに見せつけてやるの」 隼翔は目を見開き、自分の耳を疑った。 「お前、狂ってる……。俺は一度もお前を好きになったことなんてない。ずっと愛しているのは紗奈だけだ」 その言葉で真奈の表情は一気に歪み、凶相に変わった。 「嘘よ! 私を守るって言ったじゃない!ずっと傍にいるって言ったじゃない!」 隼翔の胸には強烈な嫌悪感が湧き上がった。 「あれはただの同情だ。お前に恋愛感情を抱いたことなんて一度もない」 真奈の顔はさらに醜く歪み、突如として隼翔に飛びかかり、その頭を抱きしめた。 「どうでもいい!私はただ隼翔がいてくれればいいの!一緒にいてくれるなら、他には何もいらない!」 隼翔は力いっぱい真奈を突き飛ばした。 「真奈、もういい加減にしろ!俺が愛してるのは紗奈だけだ。お前と一緒になることは絶対にない!」 真奈は床に倒れ込んだが、すぐに立ち上がり、唇に残忍な笑みを浮か
彼女は苦笑を浮かべ、涙が目尻に溜まったが、どうしても零そうとはしなかった。 「紗奈、まだ何を期待してるの。彼の心には最初からあなたなんていないのよ」 その時、不意にスマートフォンが震えた。 紗奈が手に取ると、真奈からのメッセージだった。 【お姉ちゃん、やっと分かったでしょ。隼翔の心には最初からあなたなんていなかったんだよね? 私がその気になれば、彼はいつだってあんたを捨てる】 紗奈は画面の文字を見つめ、唇を噛みしめた。胸の奥に鋭い痛みが走る。 真奈の言葉は間違っていない。隼翔の心に自分の居場所は、最初からなかった。 「真奈……あなたの勝ちだわ、私は負けを認める」紗奈は心の中で呟いた。大きく息を吸い、スマートフォンをバッグにしまうと、席を立った。 レストランを出ると、外はもうすっかり暗くなっていた。 紗奈は目的もなく歩き続け、頭の中には隼翔との思い出が次々と浮かんでくる。 その時、背後から急ブレーキの甲高い音が響いた。 紗奈は反射的に振り返ろうとしたが、もう遅かった。 一台のワゴン車が制御を失い、彼女に突っ込んできた。 ドンッ! 次の瞬間、猛烈な痛みに襲われ、紗奈の体は宙に投げ出された。 世界は一瞬で真っ暗になった。 紗奈は自分が混沌の中に放り込まれたように感じ、意識はぼんやりとしている。 目を開けようと必死になったが、全身に力が入らなかった。「ここはどこ……?私、どうなったの……?」 その時、ぼんやりとした視界に見覚えのある顔が浮かんだ。 「直人……」紗奈は心の中でかすかに呼びかけた。 手を伸ばそうとしたが、一切動くことができない。 そして再び意識は闇に沈んでいった。 一方その頃、直人は眉をひそめていた。A市で紗奈の様子を見てくれていた友人から電話が入ったのだ。 「大変だよ!紗奈ちゃんが事故に遭った!」 「酒酔い運転のワゴン車に轢かれて、今病院で手術中だ!」 直人の頭に「ガンッ」と重い衝撃が走り、思考が真っ白になる。 「すぐ戻る」そう言うと電話を切り、すぐに手元の仕事を片付け、最短のフライトを予約し、A市に向かった。 その間、紗奈は救急搬送され、医師たちがすぐさま救命処置を始めていた。
数日後、紗奈の誕生日がやってきた。 紗奈は目を開け、天井を見つめながらも心の中はどこか虚しく感じていた。 その時、インターホンが鳴った。 紗奈は胸が高鳴り、慌てて起き上がりドアを開けると、そこには宅配便の配達員が立っていた。 「お荷物です」配達員がひとつの豪華なギフトボックスを差し出す。 紗奈はボックスを受け取り、落胆しつつも礼儀正しくお礼を言った。 部屋に戻りボックスを開けると、中には精巧なネックレスと一枚のカードが入っていた。 【紗奈、誕生日おめでとう!一緒にいられなくてごめん。でも俺の心はいつも君と一緒だ。――直人】 紗奈はカードを見つめ、口元に小さな笑みを浮かべながらネックレスを首にかけた。 昼頃、紗奈の携帯に隼翔から電話がかかってきた。 「紗奈、誕生日おめでとう!」電話越しに明るい声が響く。 「今夜、一緒に食事しよう。俺がご馳走するよ」 紗奈は少し迷ったが、最近の隼翔の気遣いや優しさを思い出し、最終的にうなずいた。 「……うん」 「じゃあ夜7時、いつもの場所で会おう」隼翔が言う。 「分かった、必ず行く」電話を切った紗奈の心は、なぜか落ち着かないままだった。 夜6時半、紗奈は約束のレストランに到着した。 彼女は淡い紫色のワンピースに身を包み、首元には直人からのネックレスをつけ、上品でどこか魅惑的な雰囲気を漂わせていた。 隼翔はすでに店で待っており、ビシッとしたスーツ姿で紗奈を見つけると笑顔で手を振った。 「紗奈、こっちだ」 紗奈は歩み寄り、隼翔の向かいに腰を下ろす。 「今日、本当に綺麗だな」 「ありがとう」紗奈は微笑んだ。 料理を注文してからの時間、どこかぎこちない沈黙が落ちる。 そんな空気を破ったのは隼翔だった。 「実は今日、君に伝えたいことがあって呼んだんだ」 紗奈は少し緊張しながら見つめ返す。 「……聞かせて」 「俺がこれまで君を傷つけたこと、分かってる。今さら許される資格がないのも分かってる」 隼翔の声には誠実さがこもっていた。 「それでも伝えたい。俺は君を愛してる。ずっと、ずっと愛してきた」 紗奈の心は複雑に揺れ動いた。 その時、隼翔の携帯が突然鳴り響く。
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