母親との死別を経て、両親が伝えようとした愛情の言葉を思わない日はない。
──母さんの懸命さを見て育ってきた。あれ程まで真摯に異能と向き合えた母さんは、僕に道しるべを作ってくれた。父さんだって、僕が幸せになる事を願って応援してくれてる。僕は母さんみたいに心を強くして、いつか誰に対しても自分を曲げずに……それでいて優しくあれるようになってみせる。 まだ未成年の少年にしては意思が明確だが、あるいはまだ少年だからこそ、掲げる理想を明確に持てているのかもしれない。 勇人は、照明も眩しく、磨かれた床や手入れされた壁と天井にまで眩しさが移っている会場での、白々しいような歓談を傍観しながら、飾り時計に目をやった。午後八時半。 躾の厳しい家なら、門限になっている子どももいるであろう時間だ。 ──それにしても……飲み物がシャンパンか日本酒っていうパーティーなのに、終わるまで監視をしてろって……僕まだ高校生なのに、そこは大人の都合優先なのか……完全に労基無視だよなあ。 我欲にまみれた大人達を長時間監視していなければならないのは、正直に言って疲弊する。 弱音は吐かないと決めている。しかし勇人の年齢的な立場を無視した依頼には、正直なところ良い気はしない。 「──やあ、会場内の様子はどうかな?」 「会長、お疲れ様です。──異常はありません」 呑気に声をかけてきたのは、今宵のパーティーを主催している大企業の会長だった。かしこまって安全を伝えると、会長は満足そうにして垂れた目を細める。 「飲まず食わず、立ったままで疲れるだろう、給仕にオレンジジュースでも出させよう」 「お気遣いありがとうございます」 つまり、それまでは働きづめだったという事だ。普通の男子高校生なら空腹でお腹を鳴らしている。 給仕からジュースのグラスを渡され、ようやく喉を潤せた時、不意に入り口付近から黄色い声が上がった。 「──見て、機織さんがいらしたわ」 咄嗟にそちらへ視線を向ける。たったの一言で、会場にいる若い女性の多くが一斉に魂をピンク色へと変化させた。 彼女達の急な変わりようは、まるで春一番が吹いたみたいだ。魂の色なら様々に見てきたと自認する勇人でも、圧倒される程に色めき立っている。 ──機織って、名前は僕でも聞いた事ある。確か幅広い価格帯のジュエリーを出して、それが成功して一流企業になったんだっけ。 この仕事を始めてから、国内外の大手企業に関する話題には敏感に耳を傾けてきている。いつどこから依頼が来てもいいように、備えは万端でなければならない。 「機織さん、今夜はもうお見えにならないかと残念に思っていたところです。嬉しいわ」 さっそく女性達が群がり始める。こういう群れは時として危険になる。勇人は注意して「機織さん」を見つめ──絶句した。 ──え、何だこれ、魂の色が……おかしいだろ、ありえないだろ。 目に見える男性は、二十代半ばだろうか。清潔感のある風貌で、大変整った容姿の美しい青年だった……が、問題はそこではない。 細やかな彫刻のモデルも出来そうな美貌には、勇人も思わず一瞬だけ見とれてしまったが、それでも勇人の目を釘付けにした点は違うところにある。 ──何で……どういう事なんだよ? 「会議が長引いて遅くなりました」 薄い唇が開き、落ち着きのある低めの声が発せられる。若い女性は少なめのパーティーなはずだが、既に五人か六人がグラスを持ったまま彼を囲んで離すまいとしている。 機織──ジュエリー会社の御曹司、機織優和の立ち姿は意識の高い雑誌記事の写真みたいに見事で、シャープに仕立てられたシングルのスーツを着こなす体には、程よく筋肉がついていて無駄なところが全くないのが服の上からでも分かる。 女性はそのスタイルや顔の良さと、高いステータスに魅了されるのだろうが、勇人からすれば自分の目がおかしくなったと思いたい。 ──男の人で……魂の色が金色に輝いてる……? そう、母親の言葉が確かならば、金色に輝く魂は勇人にとって「運命の人」なのだから、大問題が起きている。 しかも、彼は立派な大人の年齢でもある。何もかもが勇人とは違いすぎる。それでも魂は金色にしか見えない。 ──確かに金色なんだけど……見間違いのはずはないって思うんだけど……何か、お嬢様みたいな女の人達に囲まれても平然としてるし……よりによって、何でこんな雲の上の人が金色なんだろう……。 そう思う勇人が半ば呆然と男性を見つめていると、彼を囲む女性のうち一人が甘えるように口を開いた。 「機織さん、今度私と二人でお会い出来ません?」 「会食でしたら先日したでしょう?」 果敢に誘いをかけてきた女性への、彼の言い方は冷たいくらいにそっけない。女性が拗ねた顔になる。 「お食事だけの席だったのですもの、はしたないですけれど物足りなくて。あの後、ワインバーにお連れしたくて予約してましたのに」 「それは存じ上げませんでしたが、若い女性を夜遅くまで外出させていては、ご家族に心配させてしまいますよ。それに、あいにく車の運転がありましたから」 「でしたら、私は機織さんの運転で帰りたかったです。なぜタクシーを呼んだのかしら」 「パーキングまで距離があったんですよ。ヒールの女性を歩かせるには申し訳なくて、致し方なく」 「もう……何を言っても響かないんですね」 不満そうに溜め息をついた女性に、今度は他の女性達が口火を切った。 「──あなた、機織さんとお食事してきておきながら、厚かましくありません?」 「そうですよ、私なんて二人きりになった事すらないんですから」 「図々しいわ、家柄が恵まれていた事に感謝すべきでしょう?」 いかにも険悪な雰囲気のやり取りだ。女の人の口撃は容赦なく怖いんだなと、勇人はすくみあがる。 「何ですって?」 言われた女性は目尻を吊り上げて鼻白んだが、そこで彼がそつなく物柔らかな仲裁に入った。 「──皆様、私ごときを巡っての言い合いはやめましょう。争いの火種になることは、美しい方々の心を荒らすと思うと悲しくなりますしね」 ごとき、などとは微塵も自認していないのが明白な尊大さだ。一体この人は、いつの時代と国の貴族だと思うくらい、悠然とした態度は偉そうに見える。 「すみません、機織さん。私達ったら勝手に熱くなってしまって」 「申し訳ないわ、みっともない姿を見せて恥ずかしいです」 「私も、図々しくお誘いして……先日は、お忙しい機織さんがわざわざお時間を作って下さったのに、不満を言うのはお門違いでした……」 たったの一言で、女性達は一気にしおらしくなる。 ──あの人のあしらい方が上手いのか、それとも言葉は悪いけど……女の人を都合よく調教する事に慣れているのかな。 調教だなんて穏やかならぬ表現ではある。しかし彼は、勇人がそう感じてしまうくらいに涼しい顔をしていて、全く怯まないのだから多分かなり場数を踏んでいる。 ──母さん、どうしてこんな人が金色に輝いてるんだろうね……。 亡き母親に向かってぼやいても、現実に存在する姿や時間の流れは何も変わらない。 ──だけど、これが金色の魂か……性別や人となりはともかく、魂がこんなに綺麗にきらきらして見えたのは初めてだ。濁りも見えないし、磨き上げた純金でもここまで輝かないと思う。 あまりの見事な輝きに、仕事を忘れて見入ってしまう。すると、まじまじと見つめていたせいか、彼が勇人の眼差しに気づいた。 ばち、と視線が噛み合う。澄んだ黒目がちの瞳に見られて、勇人は焦って目を逸らした。 ──やばい、ずっと見てたから不快にさせたかも。僕は個人として呼ばれた身でもないのに、パーティー客に嫌な思いさせるなんて後で絶対叱られる。 仕事人としては失格だと言われても、反論の余地がないミスだ。 ──もう見たらいけない。いけないんだけど……でも彼が運命の人だったら、ここで逃げると出逢えた運命はどうなるんだろう? 勇人の身分は一般家庭の男子高校生でしかない。 そして彼は一流企業の御曹司、身分差も年の差も、普通に考えると大きくて遥か遠い。 それもそうだ、高校生から見れば立派なスーツを着こなす社会人なんて、ものすごく大人に見えてしまう。 ──どう見ても同性だし、なのに金色なのは変だけど、でも運命の人って……もしかしたら、結婚とか恋愛とかに捕らわれないような、人間としての特別な存在なのかも。それなら、彼とはここで離れたらいけない気がする。 「機織さん、今度私の家で茶会を致しますの。よろしければご招待させて下さらないかしら」 付け下げの上品な和服姿で一歩近づいた女性が誘いを仕掛ける。それだけで空気がぴりっとひりつく。 「すみません、今は任された仕事に休日も専念していますので」 「……そうなのですね……」 取り付く島もない。 こう言われてしまうと、他の女性達も無理に誘えなくなる。 「代わりに今宵のパーティーでは、皆さん会話を楽しみませんか」 「機織さんが私達の話し相手になって下さるのですか?」 「気の利いた返事は出来兼ねる無作法者でよろしければ」 「そんな、ご謙遜を……」 優和は洗練された所作でグラスを片手に持ち、女性達からの秋波を上手く受け流している。いかにも大人びていて上流階級の人っぽくて、勇人には近寄りがたいし挨拶すら思いつかない。 ──どうしよう、今僕は仕事中で……でも……。 思い悩んでいると、飾り時計がボーンと鳴り響いた。時間の数だけ鳴って、静まり返る。 「──失礼、お開きの時間になってしまったようです」 ──え、これでパーティーは終わり? 「君、今夜は良く働いてくれたね。まだ未成年だろう、帰りの車を出すから乗って行きなさい」 垂れた目の会長がどこからか現れ、勇人の肩をぽんと叩いて労う。 「あ、ありがとうございます……ですが……」 ──もう仕事中じゃないなら、あの人に話しかけたい……! 「──会長、本日はお招き下さりありがとうございました」 「おお、機織君も気をつけて帰りなさい」 彼は会長に丁寧なお辞儀をしてみせ、会場から出ていこうとする。 「──あのっ、すみません!待って下さい!」 焦りと戸惑いと、思い悩んでいたものが、彼の背中を見て弾けてしまい、勇人は思わず声をかけてしまった。 「……君、何か私に用件でも?」 怪訝そうに見られたが、ここまできて引き下がれない。 ──ええと、確か父さんが言ってた、初めて触れ合った時に母さんの事が金色に見えたって……! 「すみません、あの、少しだけ待って下さい……!」 勇人が引き留めようと彼の腕に触れた瞬間──胡乱な面持ちで勇人を睥睨していた彼の表情が、驚愕に変わった。 ──とにかく何か伝われ!運命なら起きろ奇跡!母さんの遺伝子にも八百万の神にも頼むから! 勇人は必死である。脳はパンクして混乱している。 「こら君、私の招待客に不躾な事をするものではないよ」 会長に窘められても、縋るように彼を見あげるしか出来ない。 「やだ、何この子」 「機織さんにいきなり手を出すなんて、どこの家の子なのよ?」 彼に背を向けられた女性達が憤慨している様子で、ピンク色の魂に赤黒い染みを広がらせているのが見えても、ここで諦めたら単なる失敗にしかならない。何も得られず失意だけで水泡に帰す。 何とか頑張って踏み留まろうと努めていると、彼がやんわりと救いの言葉を発してくれた。 「──会長、大丈夫です。君、まだパーティーに参加するような歳には見えないが……呼ばれて来たのか?」 「えっ?──あ、はい!呼ばれました!」 ──監視役として呼ばれました!お客さんになれる程偉くないです! 「聞きたいことがある。ここはまだ人目につくから場所を変えよう。──会長、申し訳ございませんが話が出来る部屋をお貸し願えませんか?」 「機織君?この子は呼ばれたと言っても……」 「どうか、お願い申し上げます」 彼が深々と頭を下げる。先ほどまでとの落差がものすごくて、ただ必死だった勇人の情報処理能力ではついて行けない。 「……まあ、頼んだ事はやり遂げてもらった事だ。良いだろう、少し狭いが八階の突き当たりの部屋を使うといい」 「ありがとうございます。──君、一緒に来なさい」 「あ、え?──は、はい……!」 こうして、勇人は彼に促されるまま、会場から連れ出された。 ドナドナの如く。* * * 翌朝、平日と同じ時間に目を覚ました勇人は、隣で眠る優和の寝顔を間近に見る事となり、彫刻みたいな美貌の威力と、それが近すぎる威力で飛び起きそうになった。 ──堪えろ、駄目だ、優和さんを起こさないように静かに抜け出すんだ。 どくどくと激しく脈打つ心臓を押さえながら、寝起きでも何とか理性をフル稼働させる。 物音を立てないように、刺激しないようにとベッドから出て立ち上がり、忍び足で振り返りながら寝室を出た。 ──任務達成。 はあ、と長く息をつく。よくこんなに出せる程の空気が肺にあったものだ。 ──ええと、洗顔、歯磨き、着替え、それから朝食作り! 美人は三日で飽きるとか嘘だと思い出しながら、手早く支度してキッチンへ向かった。 献立なら決めてあるし、難しい料理でもないので、手際よく用意出来た。 ──ご飯はタイマーにしておいたから美味しい状態で出せる。それにしても、高そうな炊飯器なのに新品みたいに傷がなかった……。 ともかく優和の起床を待っていると、いつの間に身支度を整えたのか、きっちりした姿で優和が現れた。「勇人、おはよう。早いんだな、日曜だろ?」「おはようございます。優和さんこそ、日曜なのにお仕事があるでしょう。──あの、朝ご飯、出来てますよ」 彼の反応が気になるし、緊張して言いにくかったものの、かろうじて普通に言えた。 テーブルに着いた優和に、ほんのりと湯気を立てる朝食を差し出す。「朝早く起きて、大変だったろ。──梅茶漬けと、何かの味噌汁か?」「とろろ昆布のお味噌汁です。朝はお味噌汁が良いんですよ、代謝も免疫力も上がりますし、脳の働きも良くなるのでお仕事も効率よく始められます。とろろ昆布なのは、優和さんがお酒を呑むので……昆布は体内の水の巡りを良くしますから、血流を良くするお味噌汁との相性も良いですし、それに、野菜の青臭さとかが苦手な人には特にお勧めです。旨みがあるので」「……その説明、女子力高すぎないか?」 優和が驚いているのか呆れているのか分からない面持ちになっている。確かに、一般的な男子高校生が披露する蘊蓄ではないかもしれない。 だけど、これにはれっきとした理由がある。「あの、これは父が母を亡くした後、しばらくお酒が増えていたからなんですよ?やっぱり息子としては心配になるじゃないですか?」「それで酒呑みの体に
* * * もしかしたら、一瞬だけ寝てしまったかもしれない。そんな空白の時間から、夕食の支度だと身を起こす。 幸い、時刻は支度にちょうどいい。 キッチンでエプロンを着け、手を洗って料理を始めた。 まず、細かく刻んだネギは水に晒して余計な辛味を取っておく。代わりに大根おろしは大根の下の方を使う。 あとは花かつおで旨みと風味を足した。わさびは好みに合わせて使ってもらえばいい。 蕎麦は乾麺なので茹で時間が長いが、茹で蕎麦よりも弾力があり喉越しも良い。茹で時間をきっちり守って、流水で洗う。 それらを丁寧に盛り付けて、テーブルに並べた。 ──さて、優和さんを呼びに行かないと。 あらかじめ教わっていた部屋に行き、そこで思わず立ちすくむ。 ──何だろう、ドアをノックするだけなのに、どきどきする。 優和が部屋で何をしているか、ドア越しでは何も分からない。もし仕事に集中していたら邪魔にならないか?これが躊躇わせる。 かと言って、もたもたしていたら用意した蕎麦が不味くなる。せっかく家で食べる食事なのだから、美味しく食べて欲しい。 思いきって軽く三回ノックすると、ドアの向こうから優和の声が返ってきた。「勇人か?」「はい。──優和さん、今大丈夫ですか?夕飯の支度が出来ましたけど……」「ああ、今行く。企画書には目を通したところだ」 どうやら仕事を邪魔せずに済んだようだ。勇人はほっと胸を撫でおろして優和を待った。「待たせたな。──それにしても、家で飯なんて一人暮らしを始めてから一度でもあったか、記憶にない」「でしたら、今日は記念日ですね」「記念日、な。まあ勇人と二人になる記念日としても残せるといいな」「う……残してみせますからね」 口ごもりながら反駁すると、優和がいたずらめいた笑みで応えた。「楽しみだ」 ──どこまで本気なのか分からないんだよなあ。 それも、いつかは読めるようになるのだろうか? そこまで親しくなる未来──まだ思い描けないが、未来はいつだって未知数だ。 冷やし蕎麦を並べたテーブルに二人で着いて、勇人が簡単に説明した。「薬味には、ネギと大根おろしと花かつおを用意しました。つゆが市販品なので、優和さんの口に合うか分かりませんが……」「いや、市販品でも気にはしない。美味くなるようにリニューアルが繰り返されてるしな。薬味はどこ
「──あの、簡単なものなら作れるので、朝食だけでも僕に用意させてもらえますか?」 「朝はコーヒー以外口にしないが……」 「それじゃ健康に良くないです。一日の始まりには体に優しい食事が必要です。せめて、これくらいはさせて下さい」 「……勇人がそう言うなら、断る程の理由もないから構わないが。ただし、疲れてる時は絶対に無理するなよ?」 「分かってます」 頷いてもらえて、少しほっとする。 ──晩酌するなら、朝は体をリセット出来るもので始めないと。 勇人は気を取り直して、父親と暮らしていた頃の経験から献立を考え始めた。 簡単に作れて、口にしてもらいたい物なら、いくつか思い当たる。 ──これで優和さんが喜ぶかは分からないけど。 心は知らないが、肝臓になら喜ばれるはずだ。 「そうしたら、必要な物の買い出しですね。あ、今夜の夕飯は僕に作らせて下さい。作りたい物があるので」 「いやに意欲的だな。──近くにショッピングモールがある。そこで間に合うか?」 ──モールで良かった、庶民に甘くないタイプのデパートじゃない。 「はい、大抵は揃います」 「なら、俺が車を出す」 「ありがたいです」 その買い出しも、契約書の通りなら優和が財布を出す事になるのが気にかかるものの、いつまでもくよくよしていては、当の優和が不快になってしまう事なら予想出来る。 ──ここは割り切ろう。 勇人はそう考える事にした。 そして買い出しに出る前に冷蔵庫を確認すると、見事に並べられたビールと簡単なツマミしかなかった。 ──食事を一緒にしたのは二回だけだけど、もの慣れた雰囲気だったし……多分食事は外食がほとんどなんだろうな。いや、それでもこれはあんまり。 「……何で所狭しと瓶ビールが並んでるんですか……」 「ビールは缶より瓶の方が美味いだろ」 「美味しさの問題じゃありません、冷蔵庫の中身の問題です」 「言っておくが、食事では好き嫌いなんてしてないからな?野菜も全く美味く感じないが、出されれば残さない」 「その分自宅で不摂生ならマイナスです」 「風呂上がりの冷えたビールは譲らないぞ」 「……晩酌の他にも呑んでるって事ですね?」 「ビールは酒じゃない、炭酸麦茶だ」 「酒呑みの言い分は聞いてたらキリがありません
しかし、その考えは優和も予想していたらしい。「安心しろ、俺は少年趣味なんてないし、第一、未成年に手を出す程飢えてない」「そう、ですか……」 ──そこは安心、したけど……つまりは恋愛対象として全く見られてないって事でもあるわけで……。 勇人自身も今はまだ優和に対して明確な感情は芽生えていないが、歯芽にもかけられていないのは、何となく遣る瀬なくなる。 しかし、それを置いても二人で一つのベッドで眠るのは、急速に距離を縮めすぎにも思う。「──あの、緊張して寝つけなくなるかとも思うんですけど……」「慣れろ。美人は三日で飽きるとも言うだろ。見慣れれば大した事はない」 優和はさらっと言うが、そんなに簡単な話ではない。「同じ寝室はともかく、せめて僕には別に布団を敷いて……」「寝室が手狭になるから断る」「や、この部屋十分広いじゃないですか……」「俺はこの広さが当たり前になってるから、布団なんて敷いたらむさ苦しくてかなわん」 ──駄目だ。説得しようにも優和さんが頑固すぎる。僕には慣れろって言うくせに、こっちの意見に対しては譲る気配が皆無だ。 もはや諦めるしかないのか。肩を落とす勇人に、優和が話題を変えてきた。「──それで?相変わらず俺の事が金色に見えてるのか?」 魂の色を言っているのだろう。「はい、うるさいくらい金色です。遮光カーテンで簀巻きにしても透けて見えそうです」「簀巻きってお前……」 どうやら、意図せずして意趣返しになったらしい。 だが、そこで溜飲を下げた勇人に、優和は黙ってやられてはいなかった。「まあいい。お前、金色がうるさくても寝ろよ?これから毎晩同じベッドで寝るんだからな」「う……」 ──さすがはドSスパダリ、僕より遥かにうわてだ。 ドSが復活した。「一応聞くが、寝つけば魂の色も見えなくなるよな?」「それは意識がない状態なので、視力も働きませんし……」「ならいい。──お前が眠った頃に俺も寝る」 突然の譲歩だ。ありがたい話かもしれないが、それはそれで心配になる。「そしたら、優和さんが寝不足になりませんか?」「どうせ晩酌してから寝るのがルーティンだ。それに俺の睡眠時間は基本的に短いんだよ」 ショートスリーパーというものだろうか?「健康寿命が短くなりませんか?」「まだ二十代半ばに向かって言うことじゃないぞ」
* * * 引っ越しの準備は進んで、勇人が優和の家に行く日が来た。 この日は幸い優和の仕事が休みで、荷物は引っ越し業者が運ぶが勇人の事は優和が車で連れて行ってくれるという。 それにしても、勇人には一流企業の御曹司が住まう家というのが想像もつかない。 ──ご両親と同居してるとしたら、まず挨拶して、それから……。 慌ただしい中だが、心も忙しない。 ──家を出る日は、もっとずっと先の話だと思ってた。いつか異能者として一人前になって、大人になって誰かと出逢って結婚して……そんな未来の話で。 そう考えているうちにも、引っ越し業者がてきぱきと荷物をトラックに積んでゆく。 優和が迎えに訪れたのは、それが一段落ついたところだった。「優和さん、おはようございます」「おはよう、本当はもっと早めに来たかったんだが、朝イチで目を通さないといけない書類を渡された。待たせたろ」「いえ、心の準備をする時間が持てました」「……かなり緊張してるな」「それは、よそのお宅で暮らす事になりますし……僕は優和さんの家族構成も知らないですから」「なるほど。そう言えば話してなかったな。──家族構成については、俺の家族と無理に親しくなろうとしなくていい。マンションで一人暮らししてる身だしな」 ──え?て事は優和さんと二人きりで生活する? 余計に緊張してきた。 その勇人の狼狽を見て取った優和が、からかいがちに笑う。「良かったな、邪魔者なしで二人の絆を深められるぞ?運命かどうかも、その分早くに分かるだろ」「え、その……絆って……」「おい、初対面の時と態度が違いすぎるぞ。あんなに必死に縋りついてきたくせに」「それは、必死でしたけど!今と状況が違うと言うか、あの」 ──この人実はドSスパダリとかなんじゃ……。 思わず疑惑を抱いてしまう。優和は余裕の笑みだ。「──さて、ひとしきり遊んだ事だし行くか。お前の父親にも挨拶しておきたかったが、仕事で出てるんだろ?」「あ、はい。よろしくお伝えして欲しいと言ってました」「分かった。──ほら、乗れよ」「はい」 言われた通り助手席に座り、シートベルトを着ける。優和はそれを確認してから走り出した。 下手なフレグランスで車内を誤魔化さないし、加速は緩やかで、スピードもそんなに出さない運転は乗っていて勇人の心に落ち着きをもたらす。
* * * 寿司屋の個室と言えば、和室に座布団に正座だとばかり思っていたが、予想に反してテーブルと椅子のある洋室だった。 窓からは手入れされた庭木が美しく見える。 店にメニュー表はなく、どうやら当日の仕入れに合わせて職人が握るらしい。 ──この人、外食では毎回昨日や今日みたいなお店で食べてるのかな。エンゲル係数が庶民の僕には見当もつかない。「──おい、苦手な魚はあるか?」 控えめに個室の様子を見ていると、不意に訊かれた。「いえ、魚は何でも好きです」 ──こういうお店で出される魚は、回転寿司で注文する魚とは全然違うんだろうけど。多分美味しいだろうし……問題は緊張で味が分からないかもしれない事だよ。「好き嫌いがないのは良い事だ。──そんなガチガチに固まるな、美味いものは美味いって楽しまないと、店も出し甲斐がないしお前も面白くないだろ。デートなんだから楽しめ」「……デート……って……」「運命の二人が個室で食事するのを、デートだと思ってなかったか?」「いえ、あの、……素敵なお店で嬉しいです。その、デート……とか初めてですし」 思わず顔を赤らめながら言うと、優和が直球を投げてきた。「ん?もしかしてお前、初恋もまだなのか?」「……はい……」 こんな異能を持って生まれれば、魂の色を見て躊躇する。しかも親からは金色の魂について聞かされていたのだ。勇人なりに思うことも憧れもあったのだから、気楽に誰かを好きにもなれない。 優和もそれを察したらしい。「……まあ、せっかくの思春期に、仕事のせいでろくな魂も見られてなかっただろうしな。学校でも魂の色がちらついてたろ」「そうなんです、仕事は母から引き継いだものなので、やっぱり大切なんですけど」 ──不思議だ。踏み込んだ事言われてるのに、答えにくいと思わない。優和さんに対してネガティブな感情も湧いてこないし。 それはきっと、優和が遠慮なしに言っていても、心には思いやりがあるからだと感じる。 ──優和さんが大人で視野が広いから?いや、大人でも視野が狭くて身勝手な人は嫌って程見てきた。 考えていると、綺麗な寿司が運ばれてきた。まるで海の宝石みたいに艶々していて、どれも美味しそうだ。「すごい、こんな綺麗なお寿司初めて見ました」 思わず感嘆すると、優和の表情が満足そうにやわらいだ。「よし、そういう素