しかし、その考えは優和も予想していたらしい。
「安心しろ、俺は少年趣味なんてないし、第一、未成年に手を出す程飢えてない」 「そう、ですか……」 ──そこは安心、したけど……つまりは恋愛対象として全く見られてないって事でもあるわけで……。 勇人自身も今はまだ優和に対して明確な感情は芽生えていないが、歯芽にもかけられていないのは、何となく遣る瀬なくなる。 しかし、それを置いても二人で一つのベッドで眠るのは、急速に距離を縮めすぎにも思う。 「──あの、緊張して寝つけなくなるかとも思うんですけど……」 「慣れろ。美人は三日で飽きるとも言うだろ。見慣れれば大した事はない」 優和はさらっと言うが、そんなに簡単な話ではない。 「同じ寝室はともかく、せめて僕には別に布団を敷いて……」 「寝室が手狭になるから断る」 「や、この部屋十分広いじゃないですか……」 「俺はこの広さが当たり前になってるから、布団なんて敷いたらむさ苦しくてかなわん」 ──駄目だ。説得しようにも優和さんが頑固すぎる。僕には慣れろって言うくせに、こっちの意見に対しては譲る気配が皆無だ。 もはや諦めるしかないのか。肩を落とす勇人に、優和が話題を変えてきた。 「──それで?相変わらず俺の事が金色に見えてるのか?」 魂の色を言っているのだろう。 「はい、うるさいくらい金色です。遮光カーテンで簀巻きにしても透けて見えそうです」 「簀巻きってお前……」 どうやら、意図せずして意趣返しになったらしい。 だが、そこで溜飲を下げた勇人に、優和は黙ってやられてはいなかった。 「まあいい。お前、金色がうるさくても寝ろよ?これから毎晩同じベッドで寝るんだからな」 「う……」 ──さすがはドSスパダリ、僕より遥かにうわてだ。 ドSが復活した。 「一応聞くが、寝つけば魂の色も見えなくなるよな?」 「それは意識がない状態なので、視力も働きませんし……」 「ならいい。──お前が眠った頃に俺も寝る」 突然の譲歩だ。ありがたい話かもしれないが、それはそれで心配になる。 「そしたら、優和さんが寝不足になりませんか?」 「どうせ晩酌してから寝るのがルーティンだ。それに俺の睡眠時間は基本的に短いんだよ」 ショートスリーパーというものだろうか? 「健康寿命が短くなりませんか?」 「まだ二十代半ばに向かって言うことじゃないぞ」 「睡眠はちゃんと取って下さい。今は若さでどうにでもなるとしても、後々になって作業効率下がりますし、自覚なしに疲労が溜まります」 勇人としては優和が気がかりになったのだが、優和はそれを感じ取ったのだろうか? いかにも、お前は俺の母親かと言いたげである。 それでも、その言葉を口にしないのは、勇人の気遣いを彼なりに尊重しているのだろう。 「……まあ、運命の人とやらとは末永く生きたいもんだろうしな」 言いぶりからして、まだ半信半疑のようではあるが、頭ごなしに否定してこないのは、あの夜優和も金色に光るのを見たからだと勇人は理解する。 それがなければ、優和は遠く雲の上の人として終わっていた。 そんな身分違いの、しかも大人と軽口を叩けているのだから、それだけ互いが金色に輝いた事は衝撃的だったと思える。 「──まあ、そう言う俺も見たまま全てを信じきれてるわけでもないが、事実起きた事は夢幻だったとも思わない。今後どうなるかは分からんが、お前にボディガードを務めさせるにあたって、契約書を作成しておいた。リビングに移動して確認とサインをしてもらう」 「契約書ですか?──はい、分かりました」 ──そうだよ、これは仕事でもあるんだよな。 それならば、相手はクライアントという事になる。意地やわがままを通してはいけない。ただでさえ、優和は勇人をプライベートな空間に迎え入れてくれたのだ。今はそこに感謝すべきだろう。 色々と考えさせられはしたが、気持ちを切り替えて優和とリビングに向かう。案の定リビングも広い。 「書類を出すから座ってろ」 「はい」 促されて腰をおろしたソファーは、ちょうどいい弾力と背もたれの角度で、もし疲れていたら寝落ちしているところだった。 ──こういう家具って、どこで買ってるんだろ?もしかして海外から取り寄せてるとか?それともオーダーメイドとか? 少なくとも、勇人が行けるような店には置いていない代物だ。 ここまで来ると、お金ってある所にはあるんだなとしか思いようがない。 それはともかく、たとえ今、ソファーの座り心地は大変良くても、この家や新生活に馴染めるかは未知数だ。 そこには多少なりとも不安や緊張感がつきまとう。何と言っても二人きりで始まる生活だ。 あの夜に見た魂の色を疑いはしないし、優和からの提案は嬉しかった事も事実にせよ、いざ行動に移してみれば不思議な関係の始まりには現実感が押し寄せてきて、生々しい感覚に溺れそうな自分もいる。 ──しっかりしないと。これは、僕の意思でもあるんだから。 自分を叱咤して意気込みを新たにする。そこに、書類とペットボトルの炭酸水を二本持って優和が戻ってきた。 「飲みながらでいい。今後について大事な取り決めだから、よく読んで納得した上でサインしろよ」 「はい、そうします」 数枚の書類には細かい文字がぎっしり並んでいる。勇人は契約書類の甲とか乙とかを読み分けるのが苦手なのだが、優和が勇人をどう思って作成したのか、高校生でも分かりやすいように書いてくれてある。 それを助かると感じながら読み進めていると、今度は優和からの優遇が度を越しているという事に気づかされた。 思わず二度見した事に優和は敏く反応してきた。 「何か不利な条件があったか?」 「いえ、そうではなく……これ、雇用主が生活費の全てを負担するものとするって……」 同居というより、こうなると冗談抜きで完全に優和は勇人の保護者になってしまう。そんな対等性のない同居で、優和にメリットはあるのだろうか。 「俺から提案した同居だ。ましてお前は仕事をしているとはいえ、まだ未成年だろ。大人から守られていられる時期は限られてるんだ、それを無駄にするもんじゃない」 「でも……」 「──他に納得のいかない記述はあるか?」 「いえ、それはありませんけど」 「なら、ここはお前が受け入れろ。俺とお前では社会的な立場が違う」 ──確かに、優和さんは立派な社会人で、僕は未成年の高校生なんだけど……。 そこまで甘やかされていいものか迷う。 しかし、優和からは譲ろうという気配が微塵も感じられない。 ──未成年への責任感なのかな。 寝室を見た時といい、自分はまだ子ども扱いをされていると改めて痛感する。 彼の責任感の強さは美点なのだろう。しかしそれで同居の主目的が果たせなくなっては、ただ可愛がってもらっただけになる。 ──いや、ネガティブに考えてばかりじゃ駄目だ。優和さんは僕を懐に入れてくれたんだから。 そう、優和から勇人への拒絶や否定がない事も確かなのだから、ここは出逢いから前進しているのだと信じて、ありがたいと思うしかない。 始まりの今は、まだ。 「……分かりました。読んだのでサインしますね」 「ああ」 優和が勇人を未成年だ大人から守られるべきだと考えるのは、すなわち勇人を相棒と言いはしても、運命の人としてはまだ認識していない事に他ならない。 それは正直なところ、恋愛対象ではなく養育対象なのだ。またも胸のあたりに切なさが込み上げる。 ──でも、そこで胸が痛んでも、今は仕方ない。全てはこれから始まるんだ、僕は僕で優和さんに認めてもらえるように頑張るしかない。 勇人は決意を胸に秘めて、契約書にサインした。優和に手渡して確認してもらう。 「よし、これで契約完了だ。──改めてよろしく」 「こちらこそ、よろしくお願いします」 右手を差し出され、握手を交わす。 「喉乾いたろ、飲めよ」 「はい、頂きます」 口にした炭酸水は、からい程の刺激で口内を満たした。弾ける感覚は、飲み込んだ後になって確かに乾いていた喉を潤した。しかし、その考えは優和も予想していたらしい。「安心しろ、俺は少年趣味なんてないし、第一、未成年に手を出す程飢えてない」「そう、ですか……」 ──そこは安心、したけど……つまりは恋愛対象として全く見られてないって事でもあるわけで……。 勇人自身も今はまだ優和に対して明確な感情は芽生えていないが、歯芽にもかけられていないのは、何となく遣る瀬なくなる。 しかし、それを置いても二人で一つのベッドで眠るのは、急速に距離を縮めすぎにも思う。「──あの、緊張して寝つけなくなるかとも思うんですけど……」「慣れろ。美人は三日で飽きるとも言うだろ。見慣れれば大した事はない」 優和はさらっと言うが、そんなに簡単な話ではない。「同じ寝室はともかく、せめて僕には別に布団を敷いて……」「寝室が手狭になるから断る」「や、この部屋十分広いじゃないですか……」「俺はこの広さが当たり前になってるから、布団なんて敷いたらむさ苦しくてかなわん」 ──駄目だ。説得しようにも優和さんが頑固すぎる。僕には慣れろって言うくせに、こっちの意見に対しては譲る気配が皆無だ。 もはや諦めるしかないのか。肩を落とす勇人に、優和が話題を変えてきた。「──それで?相変わらず俺の事が金色に見えてるのか?」 魂の色を言っているのだろう。「はい、うるさいくらい金色です。遮光カーテンで簀巻きにしても透けて見えそうです」「簀巻きってお前……」 どうやら、意図せずして意趣返しになったらしい。 だが、そこで溜飲を下げた勇人に、優和は黙ってやられてはいなかった。「まあいい。お前、金色がうるさくても寝ろよ?これから毎晩同じベッドで寝るんだからな」「う……」 ──さすがはドSスパダリ、僕より遥かにうわてだ。 ドSが復活した。「一応聞くが、寝つけば魂の色も見えなくなるよな?」「それは意識がない状態なので、視力も働きませんし……」「ならいい。──お前が眠った頃に俺も寝る」 突然の譲歩だ。ありがたい話かもしれないが、それはそれで心配になる。「そしたら、優和さんが寝不足になりませんか?」「どうせ晩酌してから寝るのがルーティンだ。それに俺の睡眠時間は基本的に短いんだよ」 ショートスリーパーというものだろうか?「健康寿命が短くなりませんか?」「まだ二十代半ばに向かって言うことじゃないぞ」
* * * 引っ越しの準備は進んで、勇人が優和の家に行く日が来た。 この日は幸い優和の仕事が休みで、荷物は引っ越し業者が運ぶが勇人の事は優和が車で連れて行ってくれるという。 それにしても、勇人には一流企業の御曹司が住まう家というのが想像もつかない。 ──ご両親と同居してるとしたら、まず挨拶して、それから……。 慌ただしい中だが、心も忙しない。 ──家を出る日は、もっとずっと先の話だと思ってた。いつか異能者として一人前になって、大人になって誰かと出逢って結婚して……そんな未来の話で。 そう考えているうちにも、引っ越し業者がてきぱきと荷物をトラックに積んでゆく。 優和が迎えに訪れたのは、それが一段落ついたところだった。「優和さん、おはようございます」「おはよう、本当はもっと早めに来たかったんだが、朝イチで目を通さないといけない書類を渡された。待たせたろ」「いえ、心の準備をする時間が持てました」「……かなり緊張してるな」「それは、よそのお宅で暮らす事になりますし……僕は優和さんの家族構成も知らないですから」「なるほど。そう言えば話してなかったな。──家族構成については、俺の家族と無理に親しくなろうとしなくていい。マンションで一人暮らししてる身だしな」 ──え?て事は優和さんと二人きりで生活する? 余計に緊張してきた。 その勇人の狼狽を見て取った優和が、からかいがちに笑う。「良かったな、邪魔者なしで二人の絆を深められるぞ?運命かどうかも、その分早くに分かるだろ」「え、その……絆って……」「おい、初対面の時と態度が違いすぎるぞ。あんなに必死に縋りついてきたくせに」「それは、必死でしたけど!今と状況が違うと言うか、あの」 ──この人実はドSスパダリとかなんじゃ……。 思わず疑惑を抱いてしまう。優和は余裕の笑みだ。「──さて、ひとしきり遊んだ事だし行くか。お前の父親にも挨拶しておきたかったが、仕事で出てるんだろ?」「あ、はい。よろしくお伝えして欲しいと言ってました」「分かった。──ほら、乗れよ」「はい」 言われた通り助手席に座り、シートベルトを着ける。優和はそれを確認してから走り出した。 下手なフレグランスで車内を誤魔化さないし、加速は緩やかで、スピードもそんなに出さない運転は乗っていて勇人の心に落ち着きをもたらす。
* * * 寿司屋の個室と言えば、和室に座布団に正座だとばかり思っていたが、予想に反してテーブルと椅子のある洋室だった。 窓からは手入れされた庭木が美しく見える。 店にメニュー表はなく、どうやら当日の仕入れに合わせて職人が握るらしい。 ──この人、外食では毎回昨日や今日みたいなお店で食べてるのかな。エンゲル係数が庶民の僕には見当もつかない。「──おい、苦手な魚はあるか?」 控えめに個室の様子を見ていると、不意に訊かれた。「いえ、魚は何でも好きです」 ──こういうお店で出される魚は、回転寿司で注文する魚とは全然違うんだろうけど。多分美味しいだろうし……問題は緊張で味が分からないかもしれない事だよ。「好き嫌いがないのは良い事だ。──そんなガチガチに固まるな、美味いものは美味いって楽しまないと、店も出し甲斐がないしお前も面白くないだろ。デートなんだから楽しめ」「……デート……って……」「運命の二人が個室で食事するのを、デートだと思ってなかったか?」「いえ、あの、……素敵なお店で嬉しいです。その、デート……とか初めてですし」 思わず顔を赤らめながら言うと、優和が直球を投げてきた。「ん?もしかしてお前、初恋もまだなのか?」「……はい……」 こんな異能を持って生まれれば、魂の色を見て躊躇する。しかも親からは金色の魂について聞かされていたのだ。勇人なりに思うことも憧れもあったのだから、気楽に誰かを好きにもなれない。 優和もそれを察したらしい。「……まあ、せっかくの思春期に、仕事のせいでろくな魂も見られてなかっただろうしな。学校でも魂の色がちらついてたろ」「そうなんです、仕事は母から引き継いだものなので、やっぱり大切なんですけど」 ──不思議だ。踏み込んだ事言われてるのに、答えにくいと思わない。優和さんに対してネガティブな感情も湧いてこないし。 それはきっと、優和が遠慮なしに言っていても、心には思いやりがあるからだと感じる。 ──優和さんが大人で視野が広いから?いや、大人でも視野が狭くて身勝手な人は嫌って程見てきた。 考えていると、綺麗な寿司が運ばれてきた。まるで海の宝石みたいに艶々していて、どれも美味しそうだ。「すごい、こんな綺麗なお寿司初めて見ました」 思わず感嘆すると、優和の表情が満足そうにやわらいだ。「よし、そういう素
* * * 優和からスマホにメッセージが届いたのは、翌日の昼休みだった。 内容は至って簡潔で「お前、部活動はしてるか?」の一言のみ。脈絡も何もあったものではない。 取り急ぎ勇人が「仕事があるので部活には入ってません」と返事を返すと、すぐに「なら、放課後迎えに行くから校門で待ってろ」と来た。 今日は幸いと言うべきか、放課後に仕事は入っていない。しかし優和は一流企業の跡取りなのだから仕事が忙しいはずだ。 ──大丈夫なのかな。 友達から始めようと約束はした。だけど、高校生と社会人の生活は全く違う。優和のような立場の人ならば、尚さらだ。 ──友達からって、お互いの休日に会うものだと思ってたけど。 優和が積極的に自分を知ろうとしてくれているのだとしたら、それは嬉しいものの、そこに無理をされるのは本意ではない。 ──「お仕事は大丈夫ですか?」 そう送ると、即レスで「二人で会うとしたら、仕事の都合で今週は今日しかない」と返された。 ──やっぱり忙しいんだ。 普通では考えられないような事を言ったのは勇人本人なだけに、にもかかわらず、それと向き合おうとしてくれる優和に対しては嬉しいとも思う。 その反面、負担をかける事は申し訳ない。 それに、レストランへ連れて行ってもらった時の車──あの車で学校に来られたら悪目立ち不可避だ。 ──「お会いするなら、休日では駄目なんですか?」 とりあえずそう送ってみる。 すると、「土日は朝から接待で時間が取れない。悪いが休憩時間が終わるから、とにかく放課後待ってろ。あと、お前の親御さんにも挨拶しておきたいから、その旨伝えておいてくれ」と返事を寄越されてしまい、そうなるともう抵抗も出来なくなった。 ──あの黒塗りの車じゃありませんように。 もう、そう祈るしかない。 おかげで、午後の授業は集中するどころではなく、気持ちが落ち着かなかった。 会ってもらえるのは嬉しいような、学校で騒ぎになるのは避けたいような、だけど優和は「運命の人」に関心を持ってくれたんだと実感出来て、やはり嬉しくもあり──なのに、二人きりで会うのは緊張して心臓がきゅっとする。 我ながら不可思議な感覚だ。 優和の魂が金色だったから意識してしまうのだろうか。 ──「運命の人」って、こんなに心を掻き乱すものなのかな。 穏やかに仲睦まじく寄り添っ
「──送って下さってありがとうございました」「ああ、今夜はもう風呂に入って寝ろよ。本来なら親御さんに息子の帰りを遅くした事も詫びたいし挨拶くらいはするべきだろうが、時間が遅いからな。相手がパジャマとかに着替えてたら却って気まずいし気を遣わせるから、謝罪と挨拶は後日改めてする」「はい」 仕事の疲労感と、優和と話した緊張から解放された勇人は、空腹が満たされた事もあり、──金色の魂との出逢いさえなければ、ベッドですぐに寝つけただろう。 心が昂揚している。ゆっくり湯船に浸かって落ち着かせなければ、とても寝つけそうにない。「──ただいま。父さん、まだ起きてたの?」 リビングに行くと、ソファに座って読書をしている父親がこちらに顔を向けた。「勇人が未成年なのに仕事をしていて、お父さんが先に寝るわけがないだろ?お疲れ様」「うん、ありがとう」「それにしても帰りが遅かったけど、何かあったのか?」「うん、……ちょっとしたハプニングが起きて。でも、五体満足だよ」「地震があったけど怪我もないみたいで安心したよ」「それは、会場で会った人が庇ってくれたから……」 あの抱擁を思い出すと、今さらになって頬に熱が集まってくる。 それを気取られまいと、勇人は「ホットミルクでも作ろうかな」と、キッチンに向かった。 ──勘違いしたらいけない。優和さんが受けとめてくれたのは、今夜の出来事への、僕の話への、疑問と興味からだ。 ミルクパンに牛乳をそそいで、コンロに乗せる。見つめていると、やがて熱を帯びてくつくつと音が聞こえてくる。「勇人、風呂は追い炊きしておいたから、それを飲んだら入りなさい」「うん、分かった」 日常を装って返事をしながらも、怒涛の一夜が脳裡を駆け巡っている。 ──優和さん、か。友達なんて、相手は大人の人なのに、上手くいくのかな。もしかして、運命の人だなんて言ったから、いつか恋愛的な関係とか求められたら……。 そう思うと、煩悶や不安も生まれる。 ──僕、初恋さえ知らないんだけど。それがいきなり運命の人と。いや、考えたじゃないか。運命の人が結婚や恋愛には捕らわれない存在かもって。 出来上がったホットミルクをマグカップに移す。和三盆糖を加えて、良くかき混ぜてからそっと口に運ぶ。コクのあるまろやかな甘さと味わいに息をついた。 ──とにかく、明日も平日で学
彼の舌打ちが聞こえる。腕が解かれる。体温が離れる。息も出来ない抱擁は、痛みの余韻を残して終わる。 勇人は恐怖を味わったからか、緊張が解けたせいか、膝ががくがくと笑うのを止められない。立っていられなくて、床に膝をついた。「おい、どこか痛いのか?!」「いえ、どこも……貴方が守ってくれたじゃないですか……だから……貴方こそ、怪我したんじゃないんですか……」「……頭は打たずに済んだ。背中は単なる打ち身で済むだろ、骨に異常は感じない」「……そうですか……ありがとうございます……」 ──良かった、出逢って早々に永劫の別れとかじゃなくて良かった、けど。……痛い思いさせた。僕が子どもだから、守らなきゃいけなくて。本当に怖いのは、この人の本性がどうとかじゃない、自分の弱さだ。我が身を守る力もなかった。「……ごめんなさい……」「……謝んな、ガキが。俺は当然の事しかしてねえ」「……ありがとうございます……」「それはもう聞いた。繰り返すな。分かったか?」「はい……」「よし、なら場所を変えて改めて説明しろ。ここはまだ危ないからな。……あー……久しぶりに言葉が荒くなった、怖かったろ。怯えさせようって気はなかったが、つい感情的になって悪かった」「いえ、守ってもらったので……」 ありがとうございますと言いそうになり、唇を噛む。──繰り返したらいけない。 ──もしかすると運命の人だからとか、まだ子どもだからとかで、守られるだけなんて、繰り返したらいけないんだよ。「……場所、出来れば他の人に聞かれない所がいいです」「分かった。建物の壁にヒビも入ってないんだ、多分道路は大丈夫だろうし、車を呼ぶから休んでな」「……はい」 彼がスマホを出して手短に話し、「じゃあ外に出るぞ」と勇人に声をかける。「分かりました」 言葉に従ってついて行くと、建物から出た時には既に高級そうな車が控えていた。 車体が大きいし長い。しかもお決まりの黒だ。「どうした?早く乗れ」「あ、……はい」 彼が先に後部座席の奥に座り、勇人にも乗るように言ってくる。 恐る恐る乗り込むと、明らかに普通の車ではない。シートの柔らかい高級感だけでなく、車内で飲み物を飲めるように小型の冷蔵庫まで備わっている。 ──この車、一台で田舎の家族向け中古マンション買えそうな感じだな……。 勇人はそう予測した