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第2話

Author: あむ
穂乃香は、悠真が寧々のためにここまでするとは思ってもみなかった。

彼女にアプローチするためなら、自分の妻を傷つけることさえためらわないなんて。

激痛の中で何かを言おうとした瞬間、穂乃香の視界は暗くなり、そのまま意識を失った。

次に目を覚ましたとき、後頭部に鋭い痛みが走った。

穂乃香は痛みに耐えながら、ゆっくりと目を開けた。

視界に映ったのは見慣れない天井で、ここがどこなのか、自分がどれほど眠っていたのかもすぐにはわからなかった。

「奥様、お目覚めですか」

冷ややかな声が聞こえた。

穂乃香が顔を向けると、寧々がベッドのそばに立っていた。

手には救急箱を提げている。

寧々はシンプルな白いTシャツにジーンズ姿で、高めのポニーテールを結んでいた。

化粧っ気のない顔には、若さ特有のみずみずしさがにじんでいる。

「今日から看護を担当する白石寧々です」

彼女の表情は落ち着いていたが、口調にはどこか距離を置くような冷たさがあった。

「この家に住み込むことになりましたが、久瀬さんのことは奥様のほうできちんと見ていてください。

もしまた一線を越えるようなことがあれば、私はすぐに出ていきます」

穂乃香の胸がずきりと痛んだ。

なんて皮肉なのだろう。

この女は自分の家に住み込んでおきながら、家の女主人である穂乃香に向かって「夫をきちんと見ていろ」と言うのだ。

「看護の方を替えて」

穂乃香の声はかすれていた。

だが寧々は聞こえなかったかのように、勝手に注射器を取り出した。

「抗生剤を打ちますね」

一度目は、血管に当たらなかった。

二度目は針先がずれ、手の甲がすぐに小さく腫れ上がった。

三度目には、ついに血がにじんだ。

「できないなら、ほかの人を呼んで」

痛みで、穂乃香の声は震えていた。

その言葉を聞いた途端、寧々の目が赤くなった。

「どういう意味ですか。

祖母の病気が重くなければ、私だってこんなところに来たくありませんでした」

悔しさをこらえるようにそう言うと、寧々は再び穂乃香の手を取ろうとした。

その拍子に、針先が肌を大きくかすめた。

白い手首に傷が走り、血が伝い落ちる。

痛みに耐えきれず、穂乃香は思わず彼女を押しのけた。

「もうやめて!触らないで!」

寧々はよろめいて後ずさりし、薬の載ったトレイをひっくり返した。

ガラス瓶が床に落ち、砕け散る。

その瞬間、部屋の扉が勢いよく開き、悠真が大股で入ってきた。

「何があった」

彼の視線が二人の間を行き来し、最後に床に座り込んだ寧々で止まった。

その顔色が、みるみる変わる。

「歓迎されていないようなので、私は出ていきます!」

寧々は目を赤くしたまま立ち上がり、部屋を飛び出そうとした。

悠真はすぐに彼女の腕をつかんだ。

「誰がそんなことを言った」

寧々はもがいて、彼の手を振り払った。

「奥様です!私は注射をしようとしただけなのに、突き飛ばされました。

少し不慣れなだけです。それは最初からわかっていたことですよね?」

悠真はすぐに穂乃香の赤く腫れた手の甲を見た。

その目には、たしかに一瞬だけ痛ましげな色がよぎった。

けれど寧々へ視線を戻したとき、それはあっけなく譲歩へと変わっていた。

「どうすれば残ってくれる?」

彼は声を低くして、なだめるように尋ねた。

寧々は顎を上げた。

「私は、あなたたちお金持ちのそういう見下した態度が一番嫌いなんです。

奥様に謝っていただきたいです」

「穂乃香」

悠真は穂乃香に向き直った。

その声には、逆らうことを許さない響きがあった。

「謝ってくれ」

穂乃香は信じられない思いで彼を見つめた。

「ここまで手を傷だらけにされたのに、私が謝るの?」

悠真の目が、すっと暗くなった。

「嫌なら、君の両親の会社のことを考えるんだな」

穂乃香の全身から血の気が引いた。

「彼女のために……私を脅すの?」

「穂乃香、ただ謝るだけだろう」

悠真は苛立たしげに眉をひそめた。

「謝ったところで、体がどうにかなるわけじゃない。

両親の会社が潰れていくのを、君は本当に黙って見ているつもりか?」

その瞬間、穂乃香の胸は無数の矢に射抜かれたようだった。

彼女は下唇を強く噛みしめた。血の味が口の中に広がる。

悠真の表情がますます冷たくなっていくのを見て、穂乃香はようやく悟った。

彼は本気なのだ。

穂乃香は震える体でどうにかベッドから起き上がり、屈辱に耐えながら、寧々に向かって深く頭を下げた。

「……申し訳ありませんでした」

寧々は眉を寄せた。

「お金持ちの方って、謝るときもそんなに小さな声なんですか?」

穂乃香の爪が、手のひらに深く食い込む。

彼女はもう一度腰を折り、今度は声を張った。

「申し訳ありませんでした。これで満足ですか」

寧々がしぶしぶうなずくのを見て、ようやく悠真の表情が和らいだ。

彼は壊れものでも扱うように寧々をなだめ、手当てを受けさせるために連れていった。

扉が閉まった瞬間、穂乃香はもう体を支えていられなくなった。

床に崩れ落ち、声もなく涙を流した。

やがて彼女は枕の下から、黄ばんだ一通のラブレターを取り出した。

震える手で火をつけた。

炎が九十六通目のラブレターをのみ込んでいくのを見ながら、穂乃香はこの手紙を書いていた十六歳の悠真を思い出した。

大学の桜並木の下で、まだ若かった悠真は耳まで赤くして彼女に手紙を押しつけ、こう言ったのだ。

「穂乃香、俺と付き合ってくれないかな。これから一生、大切にするから」

炎が燃え尽きようとしたそのとき。

部屋の扉が突然開いた。

「何を燃やしている?」

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