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第7話

Author: あむ
「穂乃香!」

背後から突然、悠真の声がした。

振り返ると、彼が車から降りてくるのが見えた。

悠真は駆け寄るなり、穂乃香を強く抱きしめた。その声には、珍しく焦りがにじんでいる。

「菅原のところから逃げ出したなら、どうしてすぐ連絡しなかった。

家にも帰らずに……俺がどれだけ探したと思っているんだ」

穂乃香は彼の腕の中で、かすかに寧々の香水の匂いを感じた。

「今さら、私が生きているかどうかなんて気になるの?」

「気にならないわけがないだろう」

悠真は腕に力を込めた。

「寧々を送り届けて、すぐに君を捜しに来た」

穂乃香は笑いたかった。

けれど、笑えなかった。

彼女は濡れきった手紙を持ち上げた。

「これ、覚えてる?十八歳のときに埋めたタイムカプセル」

悠真は眉をひそめた。

「タイムカプセル?そんなもの、埋めたことがあったか?」

彼は空を見上げた。

「もういい。先に帰ろう。

こんなに風が強い。また体調を崩したら、寧々に面倒を見てもらうことになる」

その瞬間、穂乃香は笑った。

笑っているうちに、涙がこぼれた。

そうか。

彼女が忘れられずにいたものを、彼はもう忘れてしまったのだ。

昔の私――聞こえている?

彼は、とっくに忘れていたのよ。

それからの日々、穂乃香は家で傷を癒やしながら、寧々の悠真への態度が少しずつやわらいでいくのを見ていた。

悠真が贈る宝石やバッグを、寧々は素直に受け取るようになった。

彼が夜遅く帰ると、リビングで待っているようになった。

時には、寧々がこっそり悠真の手を握っているところさえ、穂乃香は目にした。

一週間後、三人はあるパーティーに出席した。

悠真は仕事の挨拶回りに行く前、穂乃香に言った。

「寧々を見ていてくれ」

周囲の令嬢たちが、ひそひそと囁き合う。

「見た?本妻に愛人の世話をさせるなんて。久瀬さん、あの子を甘やかしすぎじゃない?」

「それどころじゃないわよ。泥棒猫のほうが本妻より高そうなものを身につけているんだもの。よほど大事にされているのね」

「でも、久瀬さんって前は奥様をすごく愛していたんじゃなかった?」

「前はね。今はもっと好きな人ができたってことでしょ。

人の心なんて、一瞬で変わるものよ」

穂乃香はそれらの言葉を、ただ黙って聞いていた。

やがて寧々は退屈になったのか、苛立ったように穂乃香へ言った。

「少し一人で見て回ります。奥様はついてこなくて大丈夫です。迷惑はかけませんから」

穂乃香が返事をするより早く、寧々はシャンパンを手に、人混みの中へ消えていった。

だが十分も経たないうちに、少し離れた場所から聞き慣れた悲鳴が上がった。

穂乃香が駆けつけると、放蕩息子のような男が、寧々の手首を強くつかんでいた。

「何を気取っているんだ。この京北市で、俺が触れられない女なんていない」

「最低……触らないで!」

寧々は目を赤くして抵抗していた。

「たしかに私は貧しいです。でも、私にも尊厳はあります。

こんなふうに辱められて黙っているつもりはありません!」

穂乃香が前へ出ようとした、そのとき。

寧々は小さなバッグから、細工の施されたナイフを取り出した。

銀色の光が一閃する。

次の瞬間、その男の顔に血がにじんだ。

男は激昂し、寧々を殴ろうと手を振り上げた。

だがその直前、黒い影が飛び込んできた。

悠真の拳が、男の顔を容赦なく殴りつけた。

穂乃香はその場に立ち尽くした。

悠真はまるで怒り狂った獅子のように、何度も何度も拳を振り下ろす。

相手の顔が血まみれになるまで。

「く、久瀬さん……」

男は血まみれの顔で命乞いをした。

「うちとは、まだ取引があるはずです……!」

「今なくなった」

悠真は冷たく言い放つ。

そして周囲を見渡した。

「覚えておけ。これから先、寧々に手を出す者は、久瀬グループ全体を敵に回すと思え。

こいつが、その見せしめだ」

場が静まり返る中、悠真は半死半生になった男を外へ引きずり出させた。

彼が振り返った瞬間、穂乃香は思わず半歩後ずさった。

「穂乃香!」

悠真の目には、まだ暴力的な怒りの色が残っていた。

「寧々を見ていてくれと頼んだだろう!」

穂乃香は口を開きかけた。

けれど、何も言えなかった。

シャンデリアの光があまりにも眩しくて、目の奥が痛んだ。

彼女は、悠真が寧々を壊れもののように腕の中へかばい、連れていくのを見ていた。

そのとき、ふと結婚した年のことを思い出した。

誰かがうっかり穂乃香のドレスに赤ワインをこぼしたことがあった。

そのときも悠真は、その場で顔色を変えた。

あの頃の彼は、こう言っていた。

「俺の妻に、誰も手を出すな」

そして今、彼は言った。

「俺の寧々に、誰も手を出すな」

彼女たちの言うとおりだった。

人の心は、本当に一瞬で変わってしまう。

パーティーが終わり、三人は同じ車で帰路についた。

車内に重たい沈黙が落ちる。

それを破ったのは、耳障りな携帯の着信音だった。

「えっ?わかりました、すぐ行きます!」

寧々は電話を切った瞬間、涙をぼろぼろとこぼした。

「久瀬さん……先に病院へ連れていってもらえませんか。

祖母が……祖母が危篤なんです……」

悠真は何も言わず、勢いよくハンドルを切って車の向きを変えた。

タイヤが路面をこする鋭い音が響く。

その弾みで、穂乃香の額は車窓に強く打ちつけられた。

それでも悠真は、彼女に視線のひとつも向けなかった。

助手席で泣きじゃくる寧々をなだめることだけに気を取られていた。

「大丈夫だ」

悠真は片手でハンドルを握り、もう一方の手で寧々の震える指を強く握った。

「俺がいる」

病院の廊下へ駆け込んだとき、ちょうど医師が手術室から出てきた。

「肝不全を起こしています。

移植をすれば、しばらく延命できる可能性はあります。

ただ、個人的にはあまりお勧めできません。

ご高齢でもありますし、そもそも今は肝臓の提供者を見つけるのも難しい状況です」

「やってください!絶対に手術してください!」

寧々は突然、医師の白衣にすがりついた。

指先が、布地に食い込むほどだった。

「お金ならいくらでも用意します!」

悠真はすでにスマホを取り出していた。

「すぐにドナーを探させる」

電話をかける彼の背中は、まっすぐで揺るぎなかった。

かつて穂乃香の父が突然心筋梗塞で倒れたときも、彼はこうして迷いなく、市内で一番の専門医たちを集めてくれた。

ただ、今その迷いのなさは、別の誰かに向けられている。

まもなく、秘書から折り返しの電話が入った。

穂乃香はすぐそばに立っていたため、悠真の眉が険しく寄るのをはっきりと見た。

「誰だ?」

電話の向こうで秘書は言いよどんだ。

だが最後には、その声がはっきりと聞こえた。

「……奥様です。適合率は、完全に一致しています」

寧々が勢いよく振り返り、穂乃香を見た。

その頬にはまだ涙が残っていたが、彼女はすでに穂乃香のもとへ駆け寄り、両手をつかんでいた。

「奥様、お願いします……」

彼女の指は冷たく、じっとりとした汗で湿っていた。

穂乃香は反射的に手を引こうとした。

けれど、その手を悠真が強く押さえ込んだ。

「穂乃香、ほんの一部でいい」

彼の声はとても静かで、なだめるように優しかった。

「死ぬわけじゃないんだ」

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