FAZER LOGIN結婚して五年。久瀬悠真(くぜ はるま)は、ひとりの女子大生に心を奪われた。 貧しい家庭に育ちながらも、彼女はどこまでも凛としていた。 彼女は悠真が差し出したブラックカードにも目もくれず、「誰かに飼われるような生き方はしません」と言い放った。 その瞬間、悠真は彼女に囚われた。 彼は世間の目も顧みず、その女子大生に猛アタックを始めた。 だが、家で待つ妻のことは忘れていた。 かつて九十九通ものラブレターを捧げ、ようやく振り向かせた最愛の妻――青柳穂乃香(あおやぎ ほのか)のことを。 穂乃香は泣き叫ぶことも、責め立てることもしなかった。 ただ、悠真が彼女を傷つけるたびに、かつて彼から贈られたラブレターを一通ずつ燃やした。 九十九通すべてが灰になったとき、穂乃香は二度と悠真のもとへは戻らない。 一通目を燃やしたのは、結婚記念日の夜だった。 悠真は穂乃香との約束を破り、女子大生が働くカフェへ向かった。 閉店までただ席に座り、女子大生の仕事が終わるのを待つためだけに。 三十六通目を燃やしたのは、穂乃香が四十度の熱を出した夜だった。 土砂降りの高速道路で彼女を置き去りにした悠真は、雷を怖がる女子大生のもとへ急いだ。 七十二通目を燃やしたのは、リビングから二人の結婚写真が消えた日だった。 悠真は女子大生を喜ばせるため、思い出の写真を外し、代わりに彼女が何気なく描いた落書きを飾った。
Ver maisあの日、寧々は朦朧とした様子で悠真に点滴の針を刺していた。何度も失敗したせいで、彼の手の甲は青紫に腫れ上がっていた。前の人生で、自分はどうしたんだっけ。確か、失敗ばかりの彼女を、少し可愛いとさえ思ってしまったのだ。寧々が泣きながら謝ってきても、気にすることはないと笑い、ゆっくりやればいいと慰めたはずだ。その日の選択が、彼は彼女という渦に呑み込まれた。過ちを重ね、二度と引き返せなくなった。けれど今度は違う。悠真は目の前で謝る寧々を冷ややかに見据え、厳しい声で言った。「責任者を呼んでくれ」その後、病院は寧々にいくらかの補償金を渡し、彼女を解雇した。それきり、寧々は悠真の世界から完全に消えた。点滴を終えたあと、見慣れた人影が彼のもとへ歩いてきた。その人は、彼に手を差し伸べた。「悠真、帰りましょう」悠真は顔を上げた。愛情に満ちた目で微笑む穂乃香を見て、彼もまた笑った。そして彼女の手を握り、立ち上がった。「ああ、帰ろう」二人は固く手をつないだまま、遠くの光の中へ歩いていった。やがて、その姿は見えなくなった。そして現実の世界で、血だまりの中に倒れていた悠真の呼吸も、ゆっくりと止まっていった。悲鳴も、救急車のサイレンも、警笛の音も、しだいに遠ざかっていく。そして最後には、何も聞こえなくなった。……悠真が事故で亡くなったという知らせが穂乃香の耳に届いたとき、彼女の手にあったバラの花束が、音を立てて床へ落ちた。鮮やかな赤い花びらが床一面に散り、その色がゆっくりと彼女の目を染めていく。「どうして……」電話の向こうの穂乃香の父の声も重かった。「加害者はすでに捕まった。白石寧々だ」真実を知り、悠真に捨てられたあと、寧々には悠真が残したマンションと二億円があった。それさえあれば、祖母と二人、残りの人生を食べるに困ることはなかったはずだった。けれどその後、悠真は彼女へ二度目の報復をした。彼女に与えていた特権を、すべて取り上げたのだ。ちょうどその頃、祖母は寧々と悠真が不倫関係だったことを知った。彼女は怒りと衝撃のあまり、その場で息を引き取った。祖母は、寧々にとって唯一の心の支えだった。その祖母を失い、寧々の世界は完全に崩れ落ちた。寧々はそのすべて
電話の向こうの悠真の呼吸が、しだいに荒くなっていく。その声には、痛みが滲み始めていた。けれど穂乃香は、すべて聞こえないふりをした。「あなたはいつも、この関係が壊れた理由を私に聞きたがる。でも、答えを目の前に差し出しても、あなたには見えなかった。結局、根本にあるのは、あなたが私のことを大切にしていなかったということよ」だから悠真は、彼女の気持ちも顧みず、平然と裏切った。寧々が彼女の尊厳を踏みにじるのを許し、本来なら受けずに済んだはずの傷を、何度も彼女に負わせた。「だから、私たちがどうして離婚したのか、もうわかったでしょう?悠真。私たちはもう離婚したの。これ以上、関わるべきじゃない」そう言って、穂乃香は電話を切ろうとした。だがその前に、電話の向こうから慌てたような懇願が聞こえた。「待ってくれ……穂乃香、頼む。そんなふうに言わないでくれ。一度だけ会おう。お願いだ」穂乃香の記憶の中で、悠真がここまで卑屈になったことはほとんどなかった。数少ない例外も、彼女をなだめ、離婚を思いとどまらせようとしたときくらいだ。「会わないわ」穂乃香は静かに言った。「どちらかが死なない限り、私たちはもう二度と会わないほうがいい」通話はそこで切れた。真っ暗になった画面を見つめながら、悠真は胸の奥から激しい痛みが広がっていくのを感じた。その痛みは毒を含んだ蔦のように全身へ絡みつき、彼を縛りつけた。身動きもできないまま、ただ苦しみの中へ沈んでいくしかなかった。悠真は足を動かそうとした。けれど次の瞬間、視界が真っ暗になり、体が重く床へ倒れ込んだ。「悠真!」「旦那様!」「誰か、早く!」その電話のあと、悠真は急に大きく体調を崩した。日に日に痩せ細り、どれだけ薬を飲ませても、どれほど滋養のあるものを口にさせても、少しもよくならなかった。誰もが、彼は重い病にかかったのではないかと囁いた。けれど悠真だけはわかっていた。これは病ではない。心が壊れたのだ。穂乃香にあの言葉を告げられるまでは、彼はまだ、二人にはやり直せる可能性があると信じていた。だが今、いったい何が残っているというのか。悠真はスマホに保存された、穂乃香との写真を見つめた。そしてついに、こらえきれず声を上げて泣いた
それでも、穂乃香の父は胸を打たれていた。以前の穂乃香のよそよそしさや冷たさに比べれば、これだけでも大きな前進だった。一方、海外にいる穂乃香は、父から届いたメッセージを見つめたまま、長いあいだ動けずにいた。プレゼントへの礼と、それをとても気に入ったという言葉。その短い文章を読んでいるうちに、複雑な感情が少しずつ彼女をのみ込んでいった。本当は、ずっと前から父のことを許していた。あのときの父は、完全に被害者だった。それでも当時の穂乃香は、母の立場に立つことしかできなかった。父が母を裏切ったのだと思い込み、決然と父との関係を断った。けれど、自分も失敗した結婚を経験し、さまざまな人や出来事を見てきた今なら、父の苦しみも少しずつ理解できる。ただ、一度できてしまった傷は簡単には消えない。穂乃香にも、過去の埋め合わせをしたい気持ちはあった。けれど何から始めればいいのか、わからなかった。だから、少しずつでいい。執事が言っていたように、少なくとも、あとで後悔しないように生きたい。そのとき、手の中のスマホが震えた。穂乃香ははっと我に返った。画面に表示された発信者名は「父」だった。何度も迷った末、彼女は電話に出た。「穂乃香。プレゼントをありがとう。お父さん、とても嬉しかったよ」父は、穂乃香からなかなか返信が来ないのを、彼女がまだメッセージを見ていないのだと思ったらしい。それでも、娘を怒らせたのではないかと不安になり、思わず電話をかけてきたのだ。父がそこまで自分の気持ちを気にしているとは思わず、穂乃香は鼻の奥がつんと熱くなった。深く息を吸ってから、静かに言った。「気に入ってくれたなら、よかったわ。これからは、もっといろいろ贈るわ」その一言が、父と娘の間にあったわだかまりを開く鍵になったかのようだった。二人の会話は、少しずつ増えていった。ところがそのとき、電話の向こうから、切羽詰まった聞き覚えのある声がした。「お義父さん、お願いします。穂乃香と一度だけ会わせてください。俺はもう、自分が間違っていたとわかっています……」「止まれ、この馬鹿者!何をするつもりだ!」しばらく混乱した音が続いたあと、穂乃香は父の口から事情を聞いた。穂乃香の父と自分の祖父に相次いで叱責され、
久瀬家で、悠真は穂乃香の父が自分に対して何をしようとしているのか、まだ知らなかった。彼の頭の中にあるのは、ただ一つ。穂乃香を見つけることだけだった。彼は穂乃香の父へ、さまざまな謝罪の品や補償の品を送り続けた。かつて香澄の墓を傷つけたことを思い出し、墓石を修繕させようとまでした。けれど、そのすべては手つかずのまま突き返された。それでも悠真は気にしなかった。ただ、さらに贈り物を送り続けた。同時に、海外へ人を向かわせ、穂乃香の行方を探らせた。だが送り込んだ者たちは、ことごとく追い返された。それどころか、海外へ出ることさえできなくなった。「何だって?」自分の部下がまた出国を止められたと聞いた瞬間、悠真はとうとう座っていられなくなった。穂乃香の父にギャラリーから追い出されたあと、彼はふと気づいたのだ。穂乃香の父が帰国したということは、穂乃香がそれを黙認したからではないか。もし許していないのなら、穂乃香はとっくに何か動いているはずだ。つまり、穂乃香は海外にいる。そういえば、一つだけまだ探していない場所があった。彼女が絶対に戻らないと思い込んでいた、青柳家だ。最初、悠真はまだ確信を持てなかった。だが送り込んだ人間が何度も追い返されるうちに、彼はついに確信した。穂乃香は青柳家にいる。そう思った瞬間、悠真はすぐに外へ向かった。ついでに秘書へ、航空券を手配するよう命じた。けれど、彼が遠くへ行く前に、背後から鋭い声が飛んだ。「待て」悠真が振り返ると、階段の上に悠真の祖父が立っていた。「穂乃香さんを探しに海外へ行くつもりなら、やめておけ」「じいちゃん!」悠真の胸が締めつけられる。彼は数歩、祖父のほうへ戻った。「どうしてだよ」一年前、悠真の祖父は体調を崩し、療養のため一時的に海外へ行っていた。まさかその一年のあいだに、自分の孫がここまで大きな問題を起こすとは思ってもいなかった。最初の頃、祖父も悠真を諭した。だが寧々に夢中になっていた悠真は、まったく聞く耳を持たなかった。そして今、穂乃香が去ってからようやく振り返った。けれど、もう遅かった。悠真の祖父は杖をつき、悠真を見据えた。「なぜだと思う」悠真は拳を握りしめた。「今回のことは、俺