告白してきた職場の後輩が、クズではなく『クズ様』だったので困っています。

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last updateLast Updated : 2025-05-05
By:  山雨 鉄平Completed
Language: Japanese
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クズリンこと葛原凛太郎(くずはらりんたろう)は、IT企業に勤める冴えない優男。他部署に勤める先輩・阿賀川七海(あかがわななみ)密かに想いを寄せていたが、ある日盛大にフラれ、ショックで気絶してしまう。意識を取り戻した凛太郎は、人の姿を借りた最強の〇〇〇になっていた!? 自信を失いかけたすべての日本人に贈る、新時代の神話の物語。

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Chapter 1

第1話 氷の女王の憂鬱

――私は、この感覚を知っている気がする。

 自分の体が飲み込まれる。普通に考えれば、死ぬ。

 だけど、この感覚は何だろうか。

 私のこれまでの人生は終わるのか。

 これから始まるのは第二の人生か、それとも新しい神話だろうか――

♦ ♦ ♦

『れ…う

か…れ…りんたろう……』

いまひとつハッキリと聞こえない。自分の名前が呼ばれているのか。夢か現実か、区別がつかない。

『代われ、凛太郎。戦《いくさ》じゃ』

「…ハッ!」

 葛原凛太郎《くずはら りんたろう》は、目を覚まして布団から飛び起きた。女のように長くツヤのある髪の毛が、汗で顔にへばりついている。

(また、夢の中であの声が…。しょっちゅう聞いてる気もするし、久しぶりな気もする。誰の声なんだろ。どこか懐かしい感じがするんだけど…)

ふと、時計を見る。

「やっば、遅刻だ!」

凛太郎はシャワーも浴びずに、ハンガーにかけたワイシャツとスーツを羽織って駅に走っていった。

 東京都新宿。株式会社ギャラクティカ。もともと2~3人規模の小さなwebデザイン事務所だったが、創業者で現社長の久田松湧慈《くだまつ ゆうじ》の手腕により顧客に恵まれ、一代であっという間に成長。現在はデジタルコンテンツ制作全般とプロモーション、コンサルまで幅広く扱い、業界でもそろそろ中堅から大手の背中が見えてきそうな位置にある。いわゆる「気鋭のIT企業」というヤツだ。

 阿賀川七海《あかがわ ななみ》は新卒入社から5年目。現在は制作部デザイン課のチーフデザイナーである。非常に仕事が早く、何よりもルックスがいいため顧客がつきやすい。会社の内外に非常にファンが多い。

 今日も朝7時半から七海は手を爆速で動かしながらパソコン画面とにらめっこをし、顧客からの仕事を黙々とこなしている。なんとPCは二刀流。2台別々のPCを同時に操作し、自分の仕事もしつつ、部下の仕事への指示出しとチェックもおこなっている。今やギャラクティカにとってなくてはならない戦力といえるバリバリのキャリア・ウーマンだ(この言葉や概念自体が相当に古臭いものではあるが)。 

 「おはようございまーす…」

 汗をにじませ、照れ隠しの笑顔を浮かべながら、阿賀川七海と同じ職場に、入社3年目の葛原凛太郎が出社してきた。始業9時の2分前である。駅から走って、何とか滑り込みセーフで間に合ったらしい。

 「おはよ、クズリン!」

職場の面々が「また遅刻ギリギリか。しょうのないやつ」という思いのこもった笑顔を向ける。凛太郎は七海と違い、バリバリと仕事ができるタイプではないが、それなりに会社の中で可愛がられているようだ。多少、いやかなりオドオドしたところがあるし、顔も髪も背格好も中性的である。営業マンとして、お世辞にも頼もしさを感じられるとは言えないが、人当たりは良く好かれる|性質《タチ》であるらしい。

 凛太郎の挨拶は決して誰か一人にのみに向けられたものではない。当然、先に出社しているフロアの全員に対しての挨拶であるが、自然と凛太郎の目は、デザイン部のデスクが集中しているデスク島の一角、阿賀川七海の方に向く。ひょっとして今日こそ、七海がこちらを向いて、にっこり笑って「おはよう」と返してくれはしないだろうか。自然と顔が赤くなる。

 だが、現実は甘くなかった。七海は無言のまま、画面から顔も上げずにPC作業に没頭している。別に凛太郎に対してだけではなく、業務中はいつもこんな感じである。ほとんど常時“ゾーン”に入っているような仕事の鬼。それが株式会社ギャラクティカの美しき女エース、デザイン課チーフ・阿賀川七海なのだ。

 (今日も相変わらずクールだこと…さすがデザイン課の「氷の女王」)

凛太郎はさらに冷や汗をかく。

 (だけど…ちょっと変な感じだな。いつもより顔に影があるし、思いつめた感じがする。何かあったのかな?)

 凛太郎は人の様子の変化には敏感な方である(営業マンとしてギリギリ生き残れているのは、この特技のおかげかも知れない)。なおさら、入社当初から密かに思いを寄せている、自分の憧れの先輩である七海の雰囲気に暗い影があればすぐに分かる。人は、自分がアンテナを張って注意を向けているものに何かしらの変化があれば、それがたとえ細かな変化であっても実によく気がつくものだ。

 さて、七海の様子がどこかおかしいことには気づきながら、業務中に声をかけるタイミングは当然そうは見つからない。今日の凛太郎は午前中は外回りの予定はなく、メールや電話で来た問い合わせに目を通し、こちらから電話をかけて軽く説明をするなり、訪問のアポイントを取るなりといった電話営業をしていた。あっという間に時間は経ち、昼休みが来た。

 ギャラクティカのオフィスは新宿の中でも西新宿と呼ばれるエリアにある。凛太郎はほとんどいつも、行きつけのレストラン『カルメン』にて昼食をとる。新宿にある、本格的なジビエ(狩猟によって採れる肉。猪、鹿、熊などが代表的)料理と世界各国のおいしいワインが売りの店だが、決して敷居の高い店ではない。お昼は新宿のサラリーマン向けに格安のランチもやっている。凛太郎が最近ハマっているのはワニ肉の炒め物定食。ワニ肉はクセがなく淡白な味で、ジビエ初心者でも食べやすい。ちなみにポン酢がよく合う。

「なぁ、クズリン。女王様の噂聞いたか?」

『カルメン』にて、ワニ肉をひと口、口に運ぼうとした凛太郎に話しかけてきたのは、若生《わこう》|博光《ひろみつ》である。この若干胡散《うさん》臭い関西弁の男は凛太郎の2つ年上で、同じ営業部の先輩にあたる。茶髪で軽薄そうに見えるが、世話好きで面倒見の良い性格で、何かと後輩の凛太郎のことを気にかけてくれている。

「え、何ですか。阿賀川さん、どうかしたんですか」

「…彼女なあ。辞めるらしいで、会社」

凛太郎は箸からワニ肉をポロリと落とした。

「本っ当に分かりやすいやつやな。どうすんの。…このままコクるチャンス永遠に逃してええの?」

「なななな何のことでしょうか!???」

「トボけんでええって。だてに何年もお前の先輩やっとらんわ。てゆーか会社のみんなにもバレバレやねん!」

「えーー!!!」

凛太郎は恥ずかしさで顔が耳まで真っ赤になった。

 凛太郎が若生《わこう》から、七海が会社を辞めるかもしれないという話を聞いた日の翌週。たっぷり数日間さんざん迷った末、木曜の夜にようやく凛太郎は阿賀川七海にRINE《ライン》チャットでメッセージを送った。凛太郎はギャラクティカが小規模の会社で本当に良かったと心底思っている。社員の人数が少ないので、忘年会など社員一同で会したときにお互いの距離が近く、社内のアイドル的存在である七海とも自然に連絡先は交換できていた。また、七海はその美貌を鼻にかけるようなところは一切なく、仕事中以外では凛太郎を含め誰とでも分け隔てなくコミュニケーションをとる。そういうところも、会社内外でファンが多い理由である。

 以下がクズリンこと葛原凛太郎と、Nanamiこと阿賀川七海の、その木曜のよるのRINEのやり取りである。

【クズリン】

『阿賀川さん

折り入って相談したいことがあります。明日金曜の終業後、お食事ご一緒できませんか?』

(会社を辞めるという噂は本当かどうかを確かめたい、ってのも立派な相談だよな…)

 こういう時は既読になるまで気になってしょうがなく、既読になったら返事が来るまでがまた長いものである。体感にして約5時間後―実際にはものの30分くらいであろうが―やっと既読になる。さらに体感では永遠にも感じられる時間ののち、「ピコン」と通知音がなる。

(返事が来た!)

凛太郎は光の速さで携帯をつかむ。

【Nanami】

『ちょっと仕事がたまっているのですが、8時からならいいですよ(●'◡'●)』

(やった!意外とあっさりうまくいった。絵文字まで…)

こういう時の男子の心境のことを、「有頂天」という。

【クズリン】

『ありがとうございます‼では、8時にカルメンでいいですか?ご馳走させてください!』

(「カルメン」には夜は本格的なディナーコースのメニューがある)

【Nanami】

『気を使わなくていいですよ!では明日8時に。』

凛太郎はあまりの嬉しさに、神経が高ぶってなかなか寝付けなかった。この男の会社への遅刻癖は、当分治りそうにない。

 翌日の終業後。凛太郎は『カルメン』に先に席を取り、阿賀川七海の到着を待っていた。心臓が痛いほど緊張している自分が情けない。

夜8時ちょうど。店に入ってきた七海の姿に気づいて、凛太郎が手を振る。

「阿賀川さん、こっちです。」

「…葛原君。お疲れ様です。」

やはり、七海の顔には陰りがある(ように凛太郎には見える)。

「すみません、無理にお呼びだてしてしまって。お腹減っているかなと思って、料理は先に適当に頼んどきました。支払いは先に済ませてますので、気にしないで下さい。もちろん追加でも頼んでください!ボクが全部払いますから。」

「ありがとう。気を遣わせちゃってごめんね。正直、助かる。ちょっと余裕がなくて…

それで、相談ってなあに?」

凛太郎は、初球ど真ん中のストレートにうろたえ、腰が引け気味になる。

「えーとですね、その…

阿賀川さん、会社辞めるって噂を聞いたんですけど。本当なんですか。」

「…んー。誰に聞いたの?」

「…若生さんです。総務の小畔《こあぜ》さんから聞いたって」

「もう…ミキちゃん口が軽い。辞めるかもしれない、って話です。ちょっとだけ長く休む可能性が一番高いのかなぁ。」

「そうなんですね…。」

 凛太郎は内心ホッとしている。これからも、阿賀川七海と同じ会社で働ける可能性の方が高いのか。それにしても気になる。彼女に付きまとうこの暗い雰囲気は、ちょっと尋常ではない。

 デザイン部の『氷の女王』などと冗談半分に言われているが、それは雰囲気がクールというだけで、決して陰気な女というわけではない。仕事中は張り詰めた空気を出していることも多いが、コミュニケーション力には非常に長けており、だからこそ社の内外から信頼が篤いのである。

「あの…理由とかって、訊いてもいいですか。」

「理由か。あのね…」

七海はたっぷりと間を取ってから話し始める。

「――私ね。多分、癌なんだ。乳がん」

予想もしなかったヘビーな内容の答えに、凛太郎の脳みそはフリーズした。

(つづく)

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第1話 氷の女王の憂鬱
――私は、この感覚を知っている気がする。 自分の体が飲み込まれる。普通に考えれば、死ぬ。 だけど、この感覚は何だろうか。 私のこれまでの人生は終わるのか。 これから始まるのは第二の人生か、それとも新しい神話だろうか――♦ ♦ ♦『れ…うか…れ…りんたろう……』いまひとつハッキリと聞こえない。自分の名前が呼ばれているのか。夢か現実か、区別がつかない。『代われ、凛太郎。戦《いくさ》じゃ』「…ハッ!」 葛原凛太郎《くずはら りんたろう》は、目を覚まして布団から飛び起きた。女のように長くツヤのある髪の毛が、汗で顔にへばりついている。(また、夢の中であの声が…。しょっちゅう聞いてる気もするし、久しぶりな気もする。誰の声なんだろ。どこか懐かしい感じがするんだけど…)ふと、時計を見る。「やっば、遅刻だ!」凛太郎はシャワーも浴びずに、ハンガーにかけたワイシャツとスーツを羽織って駅に走っていった。♦ 東京都新宿。株式会社ギャラクティカ。もともと2~3人規模の小さなwebデザイン事務所だったが、創業者で現社長の久田松湧慈《くだまつ ゆうじ》の手腕により顧客に恵まれ、一代であっという間に成長。現在はデジタルコンテンツ制作全般とプロモーション、コンサルまで幅広く扱い、業界でもそろそろ中堅から大手の背中が見えてきそうな位置にある。いわゆる「気鋭のIT企業」というヤツだ。 阿賀川七海《あかがわ ななみ》は新卒入社から5年目。現在は制作部デザイン課のチーフデザイナーである。非常に仕事が早く、何よりもルックスがいいため顧客がつきやすい。会社の内外に非常にファンが多い。 今日も朝7時半から七海は手を爆速で動かしながらパソコン画面とにらめっこをし、顧客からの仕事を黙々とこなしている。なんとPCは二刀流。2台別々のPCを同時に操作し、自分の仕事もしつつ、部下の仕事への指示出しとチェックもおこなっている。今やギャラクティカにとってなくてはならない戦力といえるバリバリのキャリア・ウーマンだ(この言葉や概念自体が相当に古臭いものではあるが)。  「おはようございまーす…」 汗をにじませ、照れ隠しの笑顔を浮かべながら、阿賀川七海と同じ職場に、入社3年目の葛原凛太郎が出社してきた。始業9時の2分前である。駅から走って、何とか滑り込みセーフで間に合ったらしい。 「おはよ
last updateLast Updated : 2025-03-14
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第2話 クズ
「――私ね。多分、癌なんだ。乳がん」七海の口から予想外の答えを聞いて、凛太郎の脳みそは一瞬、活動を停止した。 入社早々、営業部の先輩である若生から、新入社員の歓迎会の時に「彼女、有名人やで」と阿賀川七海のことを知らされたが、その瞬間は凛太郎25年の人生で初めての”一目ぼれ”であった。阿賀川七海は確かに美人である。しかしそれ以上の『何か』を凛太郎は強く感じ、強力な引力に吸い寄せられるかのように惹かれていった。 だが同時に、あまりにも相手が高嶺の花過ぎるとも感じていた。かたや会社のアイドルでチーフデザイナー。仕事は抜群にできて人望も篤い。それと比べて自分は…営業成績は常に最下位争いばかり。不思議と社長を含むまわりの人に愛されているから社員を続けているだけで、普通ならいつクビにされてもおかしくないはずだ。人としての格差がありすぎるという理由で、凛太郎は七海に対して、自分の思いをうち開けることはしなかった。どれだけ苦しくても、このまま社内に大勢いる「阿賀川七海ファン」のうちの一人のままでいいと思っていた。 ところが今回、突然の七海の退社の噂を聞いて、七海と会えなくなるのは絶対に嫌だという思いが、この遠慮の気持ちを打ち破った。もし彼女が本当に会社を辞めるのなら、自分の思いを伝えよう。本来、なぜ営業マンを続けられているのかわからないほど奥手である凛太郎にとって、この決断をするだけでも実に膨大なエネルギーを使ったのである(少なくとも本人はそう感じていた)。 だが今、凛太郎は心底後悔していた。自分の惚れた腫れたという感情だけでしかモノを考えていなかった己れの浅はかさが、心底憎かった。決して体力に自信がある方ではないが、健康体である凛太郎にとって「癌」という言葉は新鮮ですらあった。それほど凛太郎の自分史において馴染みのない言葉であった。自分が思いを寄せている相手は、まったく予想外のものと、おそらくは大いなる深刻さをもって戦っていたのである。「……」凛太郎はなかなか言葉を発することができない。「ごめんね。リアクションに困っちゃうよね。…胸に…しこりがあってさ。今度、きちんと検査するんだけど、ほぼ間違いないでしょうっ、だって」「…そう…ですか…」「…乳頭にね。少しでも癌細胞があると、全摘出なんだって。全部取っちゃわなきゃいけないの。」「…」「私、しこりの場所が
last updateLast Updated : 2025-03-14
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第3話 不思議
「いただきます」七海はたしかに、自分が龍に食べられる『ガブリ』という音を聞いた気がした。「いやーーっ!!!」七海は恐怖で目をつぶって叫び声を上げた。――私は、この感覚を知っている気がする。 自分の体が飲み込まれる。普通に考えれば、死ぬ。 だけど、この感覚は何だろうか。 私の人生は終わるのか。 これから始まるのは第二の人生か、それとも新しい神話だろうか――「…あれ?」おそるおそる目を開ける。どうやら自分は食い殺されてはいないようだ。「なんじゃ、大げさじゃの」おそるおそる目を開けて前を見ると、たった今自分にかぶりついたはずの龍は、凛太郎の姿に戻っている。ただ相変わらず口元からは牙が突き出ており、眼は緑色だ。「安心せい。おぬしの肉体を傷つけてはおらん」七海が周りを見ると、レストラン「カルメン」の客たちが、先ほどの七海の叫び声を聞いて一斉にこちらを見ている。七海は恥ずかしさで顔を赤らめる。「どうかなさいましたか?」七海の叫び声を聞きつけて、ポニーテールの女子店員が心配して声をかけてきた。アルバイトの子だろうか、女子高生くらいの年齢に見える。「いえ、何でもないです…すみません!」七海はさらに真っ赤になって冷や汗をかく。「なにするの!どういうつもりよ!」「なかなかうまかったぞ。これでもう、おぬしの体は心配いらん。」「はあ…?」「触ってみい」「どこをよ?」「何を言うか。|乳《ちち》に決まっておろうが」「乳って…!」「いいから、触ってみよ」凛太郎が真剣な眼差しを向ける。七海はおそるおそる、右の乳頭近く、しこりがあった場所を触る。「あれ…消えてる?」「言うたじゃろ。心配いらんと」♦ 数日後、新宿総合病院。七海は緊張しながら、自分の担当医である|乘本洋幸《のりもと ひろゆき》と対面している。「不思議ですね…全く異常ありません」「…!」「ちょっと、触診失礼します。…やはり消えていますね。おかしいなあ…。前回触診したときは確かにしこりがあったのに。 念のため、1週間後、もう一度検査してみましょうか」「…はい…分かりました」病院からの帰り道、新宿の繁華街の屋外大画面には、国会中継が映し出されていた。与党人気の原動力ともいえる美人女性議員が、朗々と答弁をしているところだった。♦ ところ変わって、株式会社ギャラク
last updateLast Updated : 2025-04-16
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第4話 病室の子
新宿総合病院。七海が検査を受けた病院である。七海と、九頭龍の人格のままの凛太郎の二人は、ある入院患者の部屋にやって来た。表札には、「阿賀川 光」とある。『見せた方が早いから』と、七海は九頭龍凛太郎に対し説明をせずに病院に連れてきた。「…お姉ちゃん!」読んでいた本から顔を上げて精いっぱい元気そうな声を絞り出したのは、小学校3,4年生くらいの少年だった。入院生活が長いのだろう。痩せているうえに髪の色も淡く、|儚《はかな》げな雰囲気が漂っている。よほど本が好きと見えて、大人が読むような分厚い難しそうな本が何冊も病室のベッドの周囲に積みあがっている。好きなミュージシャンなのだろう、病室に貼ってある女性歌手のポスターと、図書館にしかないような専門書の束とのコントラストが奇妙な感覚を与える。よく見ると、ベッド横に設置された大きな箱型の装置から2メートルほどの管が出ていて、少年の体につながっている。一体、何の装置だろうか。「|光《ひかる》、また勉強してたのね。今日は会社の友達を連れてきたの。 …紹介するね。この子が弟の光。光、こちら会社の同僚の葛原さんよ。挨拶できる?」「こんにちは、阿賀川光です」光はニッコリと人懐こい笑顔で微笑む。「おう、葛原凛太郎じゃ。よろしくの」「葛原さんは、七海姉ちゃんの彼氏なの…?」「ち、チガウワヨ」「ま、そういうことにしとこうかの」七海と凛太郎の返答はほぼ同時だった。「よかった!… お姉ちゃん、働き過ぎでなかなか彼氏ができなかったんだよ。こんなに綺麗なのに」「こーら、あんまり大人をからかうんじゃないの」「からかってなんかないよ。僕のことなんか気にしないで、姉ちゃんは自分のために生きて欲しいって、何回も言ってるじゃないか」「光、その話はもう終わりって約束したでしょ。わたしの幸せはあなたが元気になることなの。お金は心配しなくて大丈夫。心臓のドナーもきっと見つかるわよ」七海は優しく諭すように言い聞かせるが、かなり感情が|昂《たかぶ》っているのがアリアリとわかる。心の底から、弟の幸せを願っているのだ。「…なるほどの」横で見ていた九頭龍凛太郎は一人で呟いた。少年の体と管でつながる大きな装置は、人工心臓の駆動装置らしい。と、突然、誰かの携帯のバイブ音が鳴りはじめた。 ヴーッ、ヴーッ…七海が携帯を取り出し、画面の表示を確認す
last updateLast Updated : 2025-04-18
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「とりあえず、しばらくぬしの部屋に厄介になるぞ」「…え?」 七海が九頭龍凛太郎から、思いもよらない宣告を受けた数日後。すでに今日のギャラクティカでのwebデザイン業務は終えて、自分のマンションに帰ってきている。「はぁ…気が重い」七海はため息をつきながら、パジャマ姿にタオルを首にかけ、いま上がった風呂からリビングに戻る。すると…「だから、それやめてって言ってるでしょーが!心臓に悪い!!」リビングには、九つの首で一斉に別々の本を読む凛太郎の姿があった。「頭が九つあるから九頭龍というのじゃ。何の不思議もなかろう。|学《がく》が9倍早く進む」「そんなの、葛原君の家でやってよ!」「おぬし、副業について詳しいのじゃろう?いろいろ商売に関する蔵書があると踏んだが、そのとおりで助かったわい。凛太郎はこの手の本にはとんと縁がないからの」九つの凛太郎の頭のうち、一つが、読んでいる本から視線を外すことなく答える。株の本を読んでいる頭もあれば、プログラミングについての本を読んでいる頭もある(一つの頭だけ、眼鏡をかけている)。パソコンで何かのサイトを読みこんでいる頭もある。「…とりあえず、儂とぬしの軍資金をつくらねばな」♦ 九頭龍凛太郎が|居候《いそうろう》のかたちで七海の部屋に(一方的に)転がり込んできた数週間後。七海はお金を引き出そうと、ギャラクティカからの帰りに銀行のATMに立ち寄った。(そろそろ今月分の入院費の準備しなきゃ… あ、そうだ。光がまた欲しい本があるって言ってたっけ。…あれ…? えっ。えーっ?)七海は自分の銀行口座を確認して唖然とした。預金残高が2千万円を超えている。帰宅した七海は、自宅のマンションのドアを勢いよく開けた。リビングで九頭龍凛太郎が作業をしている。「クズ君、口座に、口座に、お、お金、お金が… 何か知ってる?」凛太郎の体をしている九頭龍は、PCの画面を見ながらの作業を止めずに応える。ダボっとした無地の白Tシャツと色の薄いジーンズに裸足、というラフな恰好である。「あぁ、株で稼いだ分をとりあえず振り込んでおいたぞ。WeTubeの広告とメンバーシップで入ってくる分の振込先は、おぬしの口座に紐づけるかの。それだけで毎月50万くらい入ってくるはずじゃ」「すっご…!あ、ありがとう…」七海は喜びと驚きで口を手で覆う。「龍って、投資
last updateLast Updated : 2025-05-02
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last updateLast Updated : 2025-05-02
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第7話 凶日
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last updateLast Updated : 2025-05-02
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第8話 二撃目
白昼の凶弾が選挙演説会場を襲う、一か月ほど前。都内某所の江島めぐみ事務所―「…こちらの写真と報告書を見てください。全国の《《ケンゾク》》から送られてきたものです」江島めぐみ本人と、スリーピースのスーツ姿の秘書・|梅ケ谷《うめがたに》|知《さとる》が密談している。「ここ半年余りで3人の政治家や実業家が遠距離狙撃により暗殺されています。なぜか全く報道されていませんが」梅ケ谷が机に並べて見せた3種類のA4サイズの報告書には、それぞれ表紙に1枚ずつ写真がクリップで留められており、その全てに、頭部から血を流した死体の|生々《なまなま》しい姿が収められている。「裏社会では“死神”と呼ばれているスナイパーだそうです。年齢・性別一切不明。分かっているのは側頭部を正確に一度の射撃で打ち抜くという殺し方だけ…今までの失敗はゼロ、一度の射撃で命中率100%。もはや凄腕とかいうレベルではなく、|人間業《にんげんわざ》ではありません」「、ってことは…」「はい。間違いなく、我々と同じような《《力》》を持った者の犯行です」「うわ~ぉ」「なーにノンキな声を出してるんですか。殺された3人は、全員が海外資本の日本進出に邪魔になった人物です。今後、江島先生も狙ってくる可能性は非常に高いです。ましてや先生は、これから選挙演説で開けたところに立つ機会が多くなる。向こうにとっては絶好の|的《まと》ですよ」「そんなこと言われたってねぇ… また、あなたが助けてくれるんでしょ?梅ケ谷君」「まったくこの人は、どこまで緊張感がないんだ…」梅ケ谷は目をつぶって片手で顔の半分を覆った。「…いいですか、狙撃された3人は全員、一度の射撃で銃弾が側頭部に正確に命中したのち、貫通することなく脳内に|留《とど》まっているんです」「…どゆこと?」「まだ分かりませんか(この人ホントに日本を代表する国会議員か?)。十中八九間違いなく、銃弾の動きを思い通りに制御できる人物の仕業です」「どっひゃー」「だとすれば、|弾《たま》を|避《よ》けたり私が覆いかぶさって先生を守ったとしても、意味がない可能性が高いです。銃弾は先生の脳に刺さるまで止まらないんですから」「ちょっと待ってよ。私、確実に死んじゃうじゃない」「今のところ、銃弾が《《命中する瞬間に》》叩き落して、物理的に弾を他の物体にめり込ませて慣性をゼロに
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第9話 サービスしすぎ
パシイィイン!頭を低くしていた江島めぐみの横に突然瞬間移動のように現れた|優男《やさおとこ》は、空中で横向きになったまま、乾いた音を立ててライフルの弾丸を素手でキャッチした。素手と言ってもその手は人間のものではない。全体の形状こそ人間の手に近いが、爬虫類のような硬い|鱗《うろこ》に覆われ、先端には猛禽類のように大きく鋭い爪が付いている。(龍の手…?)江島めぐみは今目の前に突如現れた優男の、特徴的な右手を見て思った。「ひとつ貸しじゃなあ!|女子《おなご》先生よ」優男もとい凛太郎は、見た目と相反する老人のような口調で言うと、弾丸の勢いを殺そうとするかのように回転しながら一瞬めぐみの方を向いた。よく見ると瞳も爬虫類のように、縦長の瞳に緑色の虹彩をしており、口元からは牙がのぞいている。「さて、返品じゃ」優男は、銃弾を受け止めた勢いで腕が後方に持っていかれた反動を利用して、腕と体をグルンと回転させると、そのまますさまじい速度でその銃弾を、撃ったスナイパーの方向へ投げ返した(野球の内野手守備の、異次元レベルの動きだと思っていただきたい)。人間の力では決して不可能な速度で投げ返された銃弾は、ビシッ!という鈍い音をたてて、スナイパーのいる数百メートル離れた屋上の壁にめり込み、大きなヒビを入れた。「ありゃ、外したかの」九頭龍となった凛太郎は|掌《てのひら》を目の上にかざして言った。一方、ビルの上のスナイパーは思わずヘタンと尻もちをついてしまった。(ターゲットBか… 化け物め‼)スナイパーはできうる限りの早さでライフルをケースにしまうと、屋上から逃げていった。と、その光景をまた上空から大ガラスが見ている。「先生!おそらくもう大丈夫です。車の中に!」「う、うん…」選挙カー上にうずくまっていた江島めぐみの体を助け起こし、まだ人心地の付かない江島候補を車の中に押し込んだ梅ケ谷は転がっていた防弾ブリーフケースを拾うと、|安堵《あんど》のため息をついた。「…ふう。さすが三田村装備開発の最高級防弾仕様。ドイツ製と迷いましたが、こういうのは国産の特注品が断然安心ですね」だが、まだ安心するには早かった。「|知《さとる》君!大変…‼」たった今、命を救われたばかりの江島めぐみが、慌てた様子でカーウィンドウを下げて顔を覗かせると、金切り声をあげた。「?」梅ケ谷が不思
last updateLast Updated : 2025-05-02
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第10話 商談
「その少年は、私どもが責任をもって病院までエスコートいたします。我々のお車へどうぞ。完全防弾仕様です」一行は選挙カーではなく公用車に乗り変えた。梅ケ谷が運転し、助手席には江島めぐみ。後部座席には七海、凛太郎と、凛太郎の右手が胸部に刺さったままの光が乗っている。「改めまして、隣におります江島めぐみの公設秘書をしております梅ケ谷と申します。この度はお礼と、それからお詫びのしようもありません」「そんなに畏まるな。儂とおぬしの仲ではないか」九頭龍凛太郎が言うが、その右手は光の胸につき刺さったまま、光の心臓を直接つかんで絶えずマッサージしている。「ちょっと、知り合いだったの?」七海が慌て尋ねる。「腐れ縁というやつでな。そちらの江島センセとやらとは、はじめましてじゃの」「はい、その… なんとお礼をしたらいいか」助手席にいるめぐみが、わざわざ後部座席の凛太郎たちの方を向いて、ペコリと頭を下げる。「おい、光。聞いたか?お礼に何でも一つ望みをかなえてくれるそうじゃ」「ホント…?」「そこまでは言ってないでしょーが…」七海がツッコむ。「それじゃあ、命を助けた儂へのお礼で一つ、流れ弾を食らって死にかけたこの|童《わっぱ》への詫びでもう一つ、願いをきいてもらおうかの」「我々にできることなら、何なりと」(この様子だと、この阿賀川七海という女性は、《《九頭龍》》と知り合いのようだ)運転をしながら梅ケ谷が答える。「光、何がいい?やっぱり本かしら」七海が問いかける。「うーん、そうだなぁ… レミに会ってサインが欲しい」「レミって、あの病室に貼ってあるポスターの…よっぽどレミって歌手が好きなのね。そんなに曲がいいの?」「それもあるんだけど… レミは、僕とおんなじ施設の出身で、これから曲が売れたら施設に寄付していきたいんだって」「ほう。光は養子か」「あ、ゴメン。言ってなかったね」「まぁ、一つ目はこれで決まりじゃな。次は儂の番じゃ」九頭龍凛太郎は、少し間を置いて言った。「おぬしら二人、国の政治に深く関わっておるのじゃろ?…これからは儂が、この国の財布を握ろうと思うんじゃ」♦ ♦ ♦株式会社ギャラクティカ。 総務係兼受付嬢の|小畔《こあぜ》美樹子が、まじめに業務に取り組んでいるフリをしながら会社のPC画面でネットニュースをチェックしていると、「ル
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