LOGIN大広間に一歩足を踏み入れた瞬間、セラは目も眩むような光と熱気に包まれた。
天井で煌めく無数のシャンデリアが複雑に光を反射している、色鮮やかなドレスを纏った淑女たち、胸元に勲章を誇らしげに輝かせた紳士たち。立ち込める甘い香水の香りと、楽しげな歓談の輪、そして奏でられる美しい音楽。
まだ昼すぎのはずだが、窓には分厚い布が美しい曲線を描いていくつもかけられていて、室内はいくつもの灯りがまるで競い合うように、そこかしこを照らしている。
セラは、明暗の強さに、くらっとした。
これが、王宮の舞踏会——。
セラは、国王夫妻と同じ壇上に導かれ、大勢の紳士淑女が見つめる中で、第一王子の婚約者として紹介された。次々に訪れる、立派な服装の人々。見たこともない人々が、次々と祝福の言葉を口にする。
笑顔のもの。
湿った冷気を含んだ風が、容赦なく頬を撫でていく。 セラはレオンのうしろにくっつくようにして馬に跨がり、彼の広い背に庇われるようにしてジェイドのもとへ向かっていた。先導するのは、ジェイドとともに戻るはずだった補佐官だ。戻ってきた部隊は、そのまま取って返すように、ジェイドのいる場所へと馬を走らせている。 要塞を出てしばらく進むと、足元は急激にぬかるみ、馬の足取りを重くさせた。 あたりの風景は、殺風景だった。ぽつりぽつりと枯れかけた木が不気味に生えているが、どれも葉はすくなく、幹も枝も焦げたようにくろずんでいる。 荒れた地に吹き付ける風が、土を舞い上げている。 さらに奥へ進むと、ぬかるんだ岩場の陰に、小さく固まって待機している騎馬の一群が見えた。部隊から残されたものたちだった。 レオンがそこへ馬を近づけ、騎乗したまま大きな声で聞いた。「殿下は?」 問いかけられた兵は、辛そうに顔を歪め、岩場のむこうを指差した。「あの瘴気のうずの中心です。瘴気がこくなって、もはやお姿を確認することはかないません」 兵の指し示す先に、黒くうごめく塊があった。 いいや、塊ではない。 あまりに濃い瘴気が、はっきりと黒く形をつくりあげ、うねるように形をかえながら、渦をまいている。 見渡す限りの荒れた岩地の中に、ぽっかりと、禍々しく不自然な塊がある。 地表を覆い尽くしている、異様な黒い霧——まるで巨大な暗雲が地表をおおっているかのような、禍々しい光景だった。うずを巻いている。とぐろをまく蛇のように、ゆっくりとうごめいていた。 ねっとりと重い嫌な空気が、ここにもある。
その日は、強い風が吹いていて、妙にそわそわとする日だった。 いつものように作業部屋で包帯を巻き、負傷兵の手当てを手伝いながら、セラは何度も窓の外へ視線を向けていた。どんよりと重い雲が垂れ込めている。吹き付ける風が、がたがたと窓を激しくたたくたびに、びくりとさせられる。 陽が傾き始めた頃、要塞の城門が開く音が響いた。いつもより早い帰還だ。胸を撫でおろし、ジェイドを出迎えようと部屋を出たセラだったが、回廊を駆けてくる足音の異様な乱れに、足が止まった。 現れたのは、ジェイドの補佐官を務める男だった。全身泥と煤に汚れ、その顔色は青い。「セラ様……」 息を切らし、崩れ落ちるように膝をついた補佐官の姿に、となりにいたリタが息をのむ。セラはおそろしい気持ちを握りつぶすように手をぎゅっとやり、補佐官の言葉を待った。「殿下は……ジェイド殿下は、敵の襲撃にあい……お戻りにはなれません」 頭上から冷水を浴びせられたような衝撃が、セラを襲った。視界が一瞬歪む。 うしろに控えていたレオンが、低い声で問う。「被害状況はどうなっている? ジェイド以外の者はどうした」「他の者は……見張りのために残した一部をのぞき、全員、要塞まで撤退しています」「ジェイドに何かあったんですね」 セラがそう問うと、補佐官は青い顔のまま答える。 視察の途中、突如として伏兵が現れたという。それ自体の数は多くなく、撃退できるはずのものだった。しかし、敵がジェイド率いる部隊めがけて投げ込んできたのは、尋常ではない数の魔道具だった。
山を越え、武骨な要塞に身を寄せてからというもの、セラの新たな日常は目まぐるしい忙しさに覆われていた。 白亜宮での日々も目まぐるしく忙しかったと感じていたが、あれは、今思うと穏やかで静かな日々だった。それも、遠い昔のことのように思える。この前線の要塞では、とにかく何をするにも人手が圧倒的に不足していた。セラも、侍女のリタも、護衛のレオンも、休む間もなく朝から晩までなにかしらのために動き回っていた。「セラ様、次の包帯が洗い上がりました」「ありがとうございます、リタ。こちらに置いてください」 石造りの作業部屋で、セラたちは積み上げられた布の山に向き合っていた。血や泥を洗い落とし、煮沸消毒された大量の包帯を、端からきっちりと固く巻き直していく。地味だが現場では欠かせない作業のひとつだった。 最前線で負傷した兵士たちがここまで担ぎ込まれてくると、要塞内で迅速に応急手当が施される。傷が浅い者はそのまま戦線へ戻り、自力で歩くことも叶わないような重傷者は、さらに後方へと送り返される。 作業部屋のすぐ外を、緊迫した声とともに担架が通り過ぎていく。セラは巻き途中の包帯を強く握り締めながら、ただ無事を祈るように一時目を閉じた。 ジェイドは、毎日朝早くから要塞の外へと出ている。 最前線へ赴いて剣を振るっているわけではないと聞かされていたが、それでもセラは、彼が無事に城門をくぐって戻ってくるまで、一日中心配で胸が押し潰されそうだった。 ジェイドの側についていけたら……。 そうは思うが、迅速な騎馬による移動を中心とする部隊に、乗馬を覚えたばかりのセラが同行できるはずもなかった。要塞に残り、自分の与えられた仕事をこなしながら帰りを待つ——それが、今のセラにできる唯一のことだった。 
「セラ……、本気で言ってる?」 夜のしずけさに包まれた要塞の一室で、ジェイドは自分の耳を疑った。情けないことに、思わず声がうわずってしまう。「はい。夜本に書いてあった、手や口を使って愛を与える方法を、最後まで実践してみたいです」「……⁉」 返ってきたのは、少しの淀みもない、あまりにまっすぐな答えだった。 椅子に座る自分の前に、ひざをついて見上げてくるセラ。 ジェイドは思わず目を泳がせ、どう答えるべきか分からずに動揺した。身の危険を感じるような戦況でも、複雑な政治の駆け引きの最中でも、これほど狼狽したことは一度もない。おそらく自分の人生の中で、今この瞬間が最も緊張している。 今……セラは何と言った……? 手と口で……最後まで……? 脳裏に瞬時に浮かんだ光景に、ジェイドの頭の芯がカッと熱くなった。それと連動するように、ズボンの下で男としての本能が一気に跳ね起きる。熱く硬く膨らんでいくのを止められない。 足元から自分を見上げてくるセラの瞳は、大真面目だった。だがよく見ると、どこか楽しそうにこちらの反応を窺っているようでもある。 王都の白亜宮を出発して以来、セラとまともに触れ合う機会は全くなかった。完璧な準備を済ませて出立したとは到底言い難い。あわただしく駆り立てられるようにして、出発した。そんな状況の中、毎日夜遅くまで、部隊の調整やあらゆる報告書の確認に追われ、セラとゆっくり時間を過ごす余裕はなかった。 正直に言えば、ようやくこの要塞に辿り着き、自分の部屋でセラが甲斐甲斐しく身体を拭いてくれるときも、やわらかな
山道を越えた先で、隊列は二つに分かれた。 カイルとは途中の分岐点で別れることになり、彼は右の道へ、セラとジェイドは左の道へと進んだ。それぞれの防衛拠点を固めるため、本拠地が異なるのだという。 短い間だったが、軽口を叩き合ったカイルの背中が見えなくなるのは、少し寂しかった。セラはお別れにカイルにいくつかのキャンディを押しつけて渡した。 カイルが同じ年だと聞いて、すごいなあと、しみじみ思う。 同じ年の人が、責任ある立場で軍を率いるというのは、どんな重圧だろうか。 日暮れ時、ようやく辿り着いた目的地は、武骨な要塞だった。 切り立った崖のへりにそびえ立つ巨大な石造りの建築物は、外敵の侵入を一切拒絶するかのような威圧感を放っている。要塞へと続く唯一の道は恐ろしいほど細く、馬が一頭通るのが精一杯だった。長い隊列が一列になって慎重にその細道を辿り、ようやく要塞の分厚い城門をくぐり抜けた。 城内へ入ると、セラはすぐに奥の部屋へと通された。 要塞の中は冷たい空気に満ちていたが、部屋の中は暖かい。暖炉でパチパチとはじける炎が、温かな光を部屋中に投げかけていた。 要塞には人があふれており、部屋の数にも限りがあるようだった。そのため、セラにあてがわれた部屋はジェイドと同室だった。 だが、ジェイドは、なかなか部屋に来ない。拠点に着いたばかりで、彼がなさねばならない仕事は山のようにあるのかもしれない。 水が貴重な要塞ではお風呂を使うことはできなかったが、侍女のリタが暖炉で湯を沸かし、丁寧にセラの身体を拭いてくれた。乗馬と山登りで泥と汗にまみれていた身体がすっかりさっぱりとし、セラはゆったりとした部屋着に着替えて、じっとジェイドの帰りを待った。 夜がすっかり更けた頃、ようやく部屋の扉が開いた。
木漏れ日が揺れる木の下へ、歩み寄ってくる対照的な二人の男。 銀糸のながれるように美しい髪をもつジェイドと、艶やかなハリのある黒曜石の髪をもつカイル。ふたりの王子だ。王宮で二人を見かけるときは、常に豪奢な刺繍が施された礼服や、身分を示す絢爛な装飾品を身にまとっていた。しかし今の二人は、過酷な山道を進むのにふさわしい、飾り気のない地味な色の、いかにも実用的な騎士服に身を包んでいる。 セラが立ち上がって迎えると、ジェイドが微笑む。「セラ、足が痛くなっていないかい?」 そう言ったジェイドの表情は、心配そうだった。「足の裏が痛いですが、まだまだ頑張れます」 レオンとリタと、訓練していたおかげで、旅にふさわしいごつめのブーツは足になじんでいて、靴擦れもしていない。すこし座って休んだおかげで息も整い、足の震えも幾分か収まっている。 それでも心配そうにセラの顔を見つめるジェイドと、その横で腕を組み、不機嫌そうな顔で明後日の方向を向いているカイル。二人の似つかない様子を交互に見比べながら、セラはふとあることに思い当たった。「おふたりは、そうやって落ち着いた恰好をされると、どちらも国王陛下に似た部分が際立ちますね」 思わず口から出た言葉に、ジェイドが意外そうに眉を上げ、面白そうな顔をした。「へえ、どこが似ているんだい?」「そうですね……」 セラは改めて二人の顔立ちをじっくりと観察した。「ジェイドは、口元が陛下によく似ておいでです。笑ったときの形の作り方や、何かを考えていらっしゃるときの唇の結び方など、そっくりです」「ふむ…&hell