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第73話

Author: 音夢
美咲のこの家は、都心の一等地に建っている。

古い集合住宅で、築年数は十数年に及ぶが、依然として高額の価値がある。さらに、美咲が数年前にリフォームを施したばかりなので、室内はまるで新築のように清潔で整っている。

そう言えば、この家はかつて拓也が美咲の内装工事を手伝ってくれた場所でもあった。

当時、美咲はまだ十八歳になったばかりで、子どもの頃に母がかけてくれた保険が満期を迎え、その資金で家のリフォームを行ったのだ。

その時、清芽はこの行為を「もったいない」と言って文句をつけた。内装など価値が下がるものだし、リフォームしたところで誰も住まないのだから、と。

しかし、美咲は頑として譲らなかった。何しろ、あの家は母を偲ぶための場所だったのだから。

今となっては、美咲は心の底から幸運だったと思う。あの時リフォームしておいたおかげで、拓也との新居を出たいと思った時に、身を寄せられる場所があったのだから。

最近は何かと忙しく、半月以上も掃除に来ていなかったため、家のあちこちには埃が積もっていた。

守は腕まくりをして言った。

「俺が片付けるから、シャワーでも浴びてきなよ。後でご飯にしよう」

守の料理は確かに美味しいが、美咲は首を振った。

「ううん、大丈夫。後で家事代行に頼むから。守はもう帰って休んで」

救急医は、忙しくて大変な仕事だ。せっかくの休日を、自分のために使わせるわけにはいかない。

しかし、守は譲らなかった。

「いいんだよ。忘れたのか、昔、孤児院にいた頃、君が体調を崩すといつも俺が看病してただろ」

守の言う通りだった。

美咲が孤児院に来た最初の年から、中島家に引き取られるまで、ずっと守が面倒を見て、守ってくれていたのだ。

「そうね」美咲は微笑んだ。

「そういえば、孤児院の前の院長、あの人、女の子に手を出すことがよくあったじゃない。あの日、私がお風呂に入っていたら覗かれて、守に話したら、殴りに行ってくれたよね。

本当に怖かった。孤児院を追い出されて、行くところがなくなるんじゃないかって、すごく心配だったの」

孤児院での経験は、美咲にとって辛く苦しい記憶だ。

だが、その中にもいくばくかの光があった。その光は、守たち兄妹と清芽が与えてくれたものだった。

守は男の子だったため、自然と背負うものも多かった。だからこそ、美咲は彼の保護に、心の底
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