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第 96 話

Author: 水守恵蓮
last update publish date: 2026-02-02 09:33:13
彼の目線を追って、私もそちらに目を向ける。

「あ」

関空行きのジャンボ機が、滑走路に進入を開始していた。

私は、フェンスに向き直った。

穣と一緒に、無言になって、最終離陸態勢に入った機体を見守る。

ピタリと停まった飛行機から、ゴーッという音が聞こえる。エンジン出力全開。

飛行機が滑走路を走り出すと、穣が私の手をぎゅっと握った。

「Cleared for take off」

きっと無意識だろうけど、離陸前にコックピットが管制と交信する、嫌というほど聞き慣れた言葉を口にする。

『離陸に、支障なし』――。

地上のパイロットとして、空に飛び立つパイロットを激励しているようだ。

私は彼を視界の端に映して、応答の代わりに、ぎゅっと手を握り返した。

轟音のようなエンジン音が、キーンという甲高い音に変わる。

――離陸推力、TO1到達。

大きな大きなジャンボ機が、滑走路を走り出した。

私はゴクッと唾を飲み、一気に加速度を増す機体を注視する。

穣も、本日最後の自身の仕事を見届けるみたいに、飛行機を見つめていたけれど……。

『V1』

頭の中で、コックピット内のコールを再現する私の視界を、
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  • 地上のパイロットは同期の私に塩対応が過ぎる   第 96 話

    彼の目線を追って、私もそちらに目を向ける。「あ」関空行きのジャンボ機が、滑走路に進入を開始していた。 私は、フェンスに向き直った。 穣と一緒に、無言になって、最終離陸態勢に入った機体を見守る。ピタリと停まった飛行機から、ゴーッという音が聞こえる。エンジン出力全開。 飛行機が滑走路を走り出すと、穣が私の手をぎゅっと握った。「Cleared for take off」きっと無意識だろうけど、離陸前にコックピットが管制と交信する、嫌というほど聞き慣れた言葉を口にする。 『離陸に、支障なし』――。 地上のパイロットとして、空に飛び立つパイロットを激励しているようだ。私は彼を視界の端に映して、応答の代わりに、ぎゅっと手を握り返した。 轟音のようなエンジン音が、キーンという甲高い音に変わる。 ――離陸推力、TO1到達。 大きな大きなジャンボ機が、滑走路を走り出した。私はゴクッと唾を飲み、一気に加速度を増す機体を注視する。 穣も、本日最後の自身の仕事を見届けるみたいに、飛行機を見つめていたけれど……。『V1』頭の中で、コックピット内のコールを再現する私の視界を、背を屈めて阻んだ。「え?」離陸寸前の飛行機を目で追っていたはずが、眼鏡を額に持ち上げた彼の顔に占められる。「っ、んっ……?」唇に重なった、私のものではない感触と温もりに、大きく目を瞠った。『VR』滑走路から飛び立った飛行機の主翼が、彼でいっぱいの視界の端を掠める。 やがて、機体の尾翼も確認できなくなって――。どのくらいの間、そうしていたか。「一緒に、住む?」穣が唇を離し、私の瞳の奥まで見据えるような目をして、短く問いかけてきた。「……は」「同棲ってやつ」彼の言動は突拍子がなさすぎて、私はなにを言われたか、瞬時に理解できない。 瞬きを忘れ、大きく見開いた目を向けるだけの私に、「すでに半分以上そういう状態になってるし。改まって始める必要もないけど……ずっと一緒にいたい。考えておいて」穣はぶっきら棒に言って、スッと踵を返した。「え……?」思考回路は飽和状態で、思うように作動しない。 でも、騒ぐばかりの心臓が、確かな動力になる――。「穣っ」私は、さっさと先を行く彼の背中を追って、駆け出した。「私。私も……」穣と、一緒にいたい……! 数メートル先で

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    そのおかげで、涙が止まる。 私がひくっと喉を鳴らすと、穣は片手で自分の口を覆った。「……ごめん。独り言とは言え、紛らわしかったか。まあ、そもそも聞かせるつもりもなかったんだけど」大きな手に阻まれ、彼の声はくぐもってしまう。 私が食い入るように見ているせいか、きまり悪そうにツッと視線を横に流し……。「今のまま、ずっとこうして。でもそれは、藍里が一人前のディスパッチャーになるまでの、期間限定」「私が……ディスパッチャーになるまでの?」瞬きも忘れて、彼の言葉を反芻する私に、「ん」と相槌を打つ。「今は新米運航支援者でも、そのうち無線通信士や運航管理者の資格を取って、社内試験もクリアする。早ければ四年……五年後には、お前は一人前のディスパッチャーになる」穣が噛み砕いて説明してくれたのは、私の長年の夢。 今は確かな目標だ。「……うん」私は、頬に置かれた彼の手に自分の手を重ね、目を合わせた。「そのために、穣が指導してくれてて……」「そう。それで藍里がディスパッチャーとして独り立ちしたら、俺のアシスタントからも離れる。もちろん、ずっと同じシフトってわけにはいかない。昼夜真逆で、すれ違うこともあるだろ?」「あ……」言わんとするところを理解して、私は大きく目を見開いた。「お前が言った名コンビも、残念ながら、そう長い期間にはならない。……俺も、今が幸せすぎて。今のまま一緒にいたいって思ってるから、カッコ悪いけど、つい本音が出た」穣が、照れ臭そうな笑みを浮かべる。 それを目の前で見ていた私は、心臓を鷲掴みにされ――。「な、なんだ……よかった……」へなっと脱力して、膝が折れた。「え、おいっ」穣が反射神経よく私の腰に腕を回して、抱き止めてくれる。 私も、反射的に彼の胸に両手でしがみついて。「一緒にいたいの、私だけかって……そうだったら、どうしようって……」肩を動かして安堵の息を吐くと、すぐ額の先で、「まったく」と呆れた声が聞こえる。「予想の斜め上をいく勘違いで、泣かれても困る。少しは俺を信用して」穣が不機嫌を憚らない早口で、背を屈めて私を覗き込んでくる。「……水無瀬も言ってた。お前、俺の運命の女らしいから」「!」私は虚を衝かれて、ドキンと胸を跳ね上げ……。「うん。ごめんなさい。……ふふっ」照れ臭いのと、踊り出したいくらい嬉しい

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    穣は片手をスラックスのポケットに突っ込み、私の隣に並んだ。「気になるって、なにが?」もう片方の手でフェンスを掴み、滑走路に目を遣りながら訊ねてくる。 私は、ぎこちなく目を伏せた。「大したことじゃないから、気にしないで」「珍しくって言っただろ。お前が微妙に落ちてることくらい、俺にもわかる」はぐらかそうとした私に機嫌を損ねた様子で、眼鏡の向こうの目を鋭くする。「でも、俺に関係ないって言い張るなら、無理には聞かない」――私を気にして、心配してくれている。 恋人になったからこそ向けられる優しさは、やっぱりどこか不器用で……。 他の誰でもない、穣だから、私を堪らなくときめかせる。「じゃあ……聞いて」彼と同じように、フェンスの方に身体を向けて、俯いて切り出した。「私、今、すごく幸せ」「は?」「穣が指導してくれて、毎日一緒に仕事できて。恋人にしてもらえたら、穣、いつも一緒にいてくれるし」「……?」意味がわからないといった顔つきで見下ろす彼に、堰を切ったように捲し立てる。「まだ、付き合い始めたばかりだけど。これ以上を望んだりしたら、バチが当たりそうで怖いんだけど」穣は、ポカンとした顔をした。 だけど、思い詰めて言い募る私を、茶化すことも憚られるのか。「なにか、俺にしてほしいことがある?」困惑顔で質問を挟まれ、私は勢いよく首を横に振った。「穣はなにもしなくていい。私が、ずっとずっと穣の彼女でいたいだけ」彼に身体ごと向き直り、引き締まった腕に両手で掴まって訴えかけた。 忙しなく揺れる瞳を見つめているうちに感極まって、鼻の奥の方がツンとして――。「……おい」穣が、訝しげに眉根を寄せる。 レンズの向こうの端整な目元が、私の視界の中でぼやけた。「お願い。いつまでかな、なんて考えないで」最後は声が詰まり、自分が泣いていることに気付いた。 突然、下目蓋から涙を溢れさせて、ポロポロと頬に伝わせる私に、「ちょっ……藍里」穣がギョッとしたような声をあげた。 私をフェンスの角に押さえつけ、自分はそこに両腕を突っ張り、展望デッキにいる人たちの視線の、盾になってくれる。「待って。ええと……もしかして、今朝の俺の独り言?」混乱しながらも思い当たったようで、私を見下ろして訊ねた。 それには、一度こくりと頷いて応える。 わずかな間の後、頭

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    穣は、自分に注がれる視線を私に流すように、横目を向けて、「空に一番精通してるのは、管制官でもディスパッチャーでもなく、パイロットだから。操縦の判断は任せて、地上で待ってよう……って、コイツに言われた」「っ! ブホッ」あの時、熱くなって彼を諭した言葉を、前触れもなく持ち出され、私は思わず吹き出した。 水無瀬君が、「へえ」と目を瞠る。「『航空事故』だからこそ、パイロットに、フライトマニュアルに沿った操縦をさせないと……って。俺はあの時、頭ガチガチにして、久遠さんとバトった。許可した管制はあくまでも外部の人間だから、同じ社員の俺が、なんとか社内規定に従わせないとって。……八巻さんに、一人じゃなくて、みんなで分担しようって言われて、目が覚めた気分だった」私は口元をハンカチで押さえながら、静かにポツリと口にする穣の横顔を、涙目で見つめた。「人の手を借りるより、自分一人の方がペースが乱れない。確かに俺、ずっとそうやって仕事してた。……周りを、信用しようとしてなかったから」「……そっか」水無瀬君が、なにか訳知り顔で目を細める。 ようやく箸を持ち上げると、味噌汁で濡らした。「氷室もやっと、運命の女と巡り会えたかー」自分の言葉に納得したように、何度も首を縦に振る彼に、私は「えっ!?」と声をひっくり返らせた。「なっ……水無瀬」今度は、穣が「ゴホッ」と噎せ返るのを聞いて、「じょ……氷室君、大丈夫?」慌てて声をかけ、彼の背中を軽く叩く。 水無瀬君は、なにやらニヤニヤと私たちを眺めている。 穣は、私に「ああ」と頷いてから、コップの水をゴクゴクと呷り、「なんちゅう意味深な言い方するんだ、お前」向かい側の彼を、ギロッと睨む。 なかなかの眼力なのに、水無瀬君は怯む様子もない。「意味深に聞こえるのは、氷室が意識しすぎてるからだよ」むしろ強気に、ふふんとほくそ笑む。「俺が、なにを」「パイロットの間でも、滅茶苦茶キレるけど一匹狼の石頭って言われるお前が、八巻さんの言葉で改心した。お前の仕事人生を変えたに等しい出会い。運命だって、俺は思うよ?」いつもは爽やかな笑みに、そこはかとないブラックさを滲ませ……。「ね? 八巻さん」あろうことか、私に同意を求めてくる。「えっ!? ええと……」私は素っ頓狂な声をあげて、穣の判断を求め、チラッと視線を投げた。

  • 地上のパイロットは同期の私に塩対応が過ぎる   第 36 話

    視線も声も届いていると思うのに、氷室君は一度も振り返らずに、下膳台の方に歩いていった。 まるで、自分の身代わりみたいに、前の席に私の参考書を置き去りにして。休憩から戻った後、氷室君は相変わらず無表情で、淡々と仕事をこなしていた。 だけど、午後一時十五分発の、岡山行き101便のフライトプランを確認した『鬼機長』久遠さんから、オンラインブリーフィングで、搭載燃料量の修正の相談があり――。『飛行ルート付近で、積乱雲が発生する予報が出ている。着陸許可を待って、低空飛行や待機旋回が長引き、燃料消費量が増える可能性がある』実際にコックピットで操縦桿を握るパイロットの、『現場』の意見は貴重なもの

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  • 地上のパイロットは同期の私に塩対応が過ぎる   第 37 話

    「あ、ふっ……氷室、く」激しく舌を絡ませ、執拗に音を立てるキスに、呼吸もままならない。酸素不足で頭の中がボーッとして、脳神経が麻痺しそうになる。 縺れ合ったまま室内に移動して、ベッドに組み敷かれ、「あ……っ!」服の上から胸を鷲し掴みにされ、私は悲鳴じみた声をあげた。 いやがおうでも、背が撓ってしまう。氷室君は構うことなく、私のシャツのボタンを、もどかしそうな手つきで外した。 いつも、『優しく脱がしてやったりしない』と、甘さを見せない人が、私のキャミソールとブラジャーを一気に喉元までずり上げる。「氷室君っ」力任せに暴いた胸に顔を埋め、まるで屠るみたいに強引な愛撫を始める。「

    last updateLast Updated : 2026-03-22
  • 地上のパイロットは同期の私に塩対応が過ぎる   第 38 話

    顔を強張らせる彼を、正視できない。私は彼から目を逸らし、ササッと胸元の服を直した。 そして。「ごめんなさい。その……CAの同期から、噂になってたって聞いて」俯いて謝る私の頭上で、氷室君はハッと浅い息を吐いた。 上から降ってくる彼の影が薄くなり、ベッドがギシッと軋む音がする。彼が離れていくのを感じて、私はそっと顔を上げた。 氷室君は私に背を向け、ベッドの真ん中で胡坐を掻いている。 やや顔を伏せ、無言で前髪を掻き上げる背中を見つめて、私はゴクッと唾を飲んだ。「立花さんが結婚したのは、二年前。氷室君との関係が終わって、わりとすぐ、だよね。……もしかして氷室君、今でも……」懇親会

    last updateLast Updated : 2026-03-22
  • 地上のパイロットは同期の私に塩対応が過ぎる   第 34 話

    メニューが展示されたショーケースに、サッと視線を走らせただけで、すぐに中に入っていく。「な、なににするの?」私はメニューが決まらないまま、先を行く彼を追いかけた。「ざる蕎麦」氷室君は迷うことなく、麺類のカウンターに向かう。「え? この時間じゃ、お昼……だよね。小食じゃない?」「朝から疲れたから、食欲ない」そう言って、流れで後ろに並んだ私を肩越しに一瞥して、「ランチだろ? 俺に合わせる必要、ないけど?」訝しげに、眉をひそめる。「あ、ええと……暑いし、さっぱりしたものがいいかなって」取ってつけたような説明をして、私はトレーを手に取った。「…………」氷室君は、黙ってひょい

    last updateLast Updated : 2026-03-22
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