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4:隣国ヴァルトハイト

last update Last Updated: 2025-06-01 15:26:47

 クライネルト侯爵家を後にしてから数日、アリアはひたすら東を目指して歩き続けていた。

 馬車に乗るだけのお金の余裕はない。節約のためにずっと歩いていった。

 隣国まではきちんと街道が通っている。治安もそう悪くない。けれどアリアにとっては初めての長旅。支えてくれる従者もおらず、心細さや疲労に何度もくじけそうになった。しかし、マーサが持たせてくれた路銀と、彼女の温かい言葉を思い出すたび、アリアは自分を奮い立たせた。

(ヴァルハイトへ行けば、何かが変わるかもしれない……ううん、変えるのよ。絶対に)

 そしてついに、アリアは隣国ヴァルハイトの国境を越えた。

 母国とは明らかに異なる、活気に満ちた空気が彼女を迎える。街道沿いの町々では、風変わりな機械や、自動で動く人形のようなものが当たり前のように人々の生活に溶け込んでおり、アリアの目は自然と輝きを増した。魔導技術がこれほどまでに日常に浸透している国を見るのは初めてだった。

 さらに数日後、アリアはヴァルハイトの首都、エルツハイムに到着した。

 石畳の道を行き交う人々は皆、生き生きとした表情をしており、街のあちこちから聞こえてくるのは、新しい発明や魔導具に関する議論の声。馬車に混じって、蒸気機関で動く乗り物や、見たこともない仕掛けの運搬装置が動いている。その光景は、これまでのアリアの世界観を根底から覆すものだった。

(すごい……なんて活気に満ちた街なの!)

 マーサから預かった紹介状に記された住所を頼りに、アリアは「木漏れ日亭」という名の宿屋にたどり着いた。こぢんまりとしているが、手入れの行き届いた清潔な宿で、窓からは明るい光が差し込んでいる。

「ごめんくださいまし」

 おそるおそる声をかけると、奥から恰幅の良い、人の好さそうな女主人が顔を出した。

「はいはい、どちら様ですかな? あら、可愛らしいお客さんだね」

「あの、私、アリア・フォン・クライネルトと申します。マーサという方からの紹介状を……」

 アリアが紹介状を差し出すと、女主人は「まあ!」と声を上げ、ぱっと顔を輝かせた。

「マーサ叔母様から! ああ、あなたがアリア様ね! よく来たねえ、遠いところ大変だったでしょう。ささ、中へお入り」

 女主人はエルマと名乗り、マーサの遠縁にあたる人物だった。彼女はアリアを温かく迎え入れ、旅の疲れを気遣ってすぐに部屋へと案内してくれた。

 簡素だが清潔な部屋とエルマの飾らない優しさに、アリアは久しぶりに心からの安堵を覚える。こわばっていた心が解きほぐされていくようだった。

「マーサ叔母様からは、あなたが大変なご苦労をされたと聞いているよ。ここではゆっくり羽を伸ばすといい。何か困ったことがあったらいつでも私に言ってくださいね」

 エルマの言葉にアリアは再び涙が込み上げてくるのを感じる。けれど今度は悲しみの涙ではなかった。

「ありがとうございます、エルマ様……」

「嫌ですねぇ、エルマと呼んでくださいな。アリア様は貴族様で、マーサ叔母様の大切な人なんだから」

「では私もアリアと呼んでください。家からは勘当された身です。今の私はただのアリアですから」

 数日間かけてアリアは木漏れ日亭で旅の疲れを癒した。その間にエルマから街のことを教えてもらう。

 その中でとても気になる話があった。

 エルツハイムでは年に一度、大規模な技術博覧会が開催され、国内外から多くの発明家や技術者が集まるのだという。

「技術博覧会はそりゃあもう大きな催しでね。ヴァルハイトはもちろん、外国からも自慢の魔導具が持ち込まれるのさ。有名どころの貴族家から新進気鋭の技術者まで、一堂に会するんだ。新しい技術のスカウトも盛んで、博覧会でスポンサーを得た若い技術者が後々有名になるなんてのも、よくある話なんだよ」

 話を聞けば聞くほど、アリアにとってまさに夢のような催しである。

 博覧会はまもなく開始されるという。アリアは当日を心待ちにした。

 そして博覧会の初日。アリアは少しの緊張と大きな期待を胸に、会場へと足を運んだ。

 広大な会場には所狭しと様々なブースが立ち並び、目新しい魔導具や発明品が展示されている。自動でパンを焼く機械、天候を予測する装置、声に反応して光るランプ――そのどれもが知的好奇心を刺激してきて、時間を忘れて会場を見て回った。

(素晴らしいわ……こんなにも自由な発想で、魔導技術が活かされているなんて!)

 実家では「はしたない」と蔑まれた自分の知識や興味が、ここでは称賛され、更なる発展を求められている。その事実に、アリアの胸は高鳴った。

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