アリアは侯爵令嬢でありながら、地味な容姿と魔導具制作という令嬢らしからぬ趣味のせいで周囲から蔑まれていた。 家族からも虐げられて不遇な日々を送っている。 婚約者の王子からも嫌われて、とうとう婚約破棄を突きつけられた。 「お前のような地味でつまらない女は、俺の隣にはふさわしくない!」 実家から勘当されたアリアは、身一つで隣国へと旅立つ。 隣国は高度に発達した魔導技術の国。 そこでアリアの運命を変える出会いが待っていた。
View Moreきらびやかなシャンデリアが煌めき、優雅な音楽が流れる王宮の夜会。色とりどりのドレスを纏った令嬢たちが、将来有望な貴公子たちと談笑に花を咲かせている。
しかし、その華やかな輪から少し離れた壁際に、ひっそりと佇む一人の少女がいた。アリア・フォン・クライネルト侯爵令嬢。
彼女は高位貴族の娘でありながら、派手さのない濃紺のドレスに身を包みんでいた。豊かな栗色の髪も控えめにまとめているだけで、まるで夜会の背景に溶け込んでいるかのよう。 周囲の華やかな令嬢たちとは対照的に、彼女に声をかける者は誰もいない。向けられるのは好奇と嘲りを含んだ視線ばかり。(また、陰口を叩かれているわね……地味だとか、侯爵家の出来損ないだとか)
アリアは小さくため息をついた。そんな陰口にはもう慣れっこだった。彼女の趣味は令嬢らしい刺繍でもなく、詩作でもなく、ましてや流行のダンスでもない。
古い書物を読み解き、屋敷の隅の物置同然の部屋で、がらくたにしか見えない金属片や歯車をいじくり回す「魔導具の研究と製作」。そんなものは淑女の嗜みではないと実の両親や兄弟からも疎まれて、社交界では奇異の目で見られていた。不意に会場の音楽が止み、ざわめきが静まった。中央に立つのはこの国の第一王子であり、アリアの婚約者であるエドワードだった。金色の髪を輝かせ、自信に満ちた笑みを浮かべた彼は、朗々と声を張り上げた。
「皆、静粛に! 本日は、我が人生における大きな決断を報告させてもらう!」
視線が一斉にエドワード王子に集まる。アリアもまた、胸騒ぎを覚えながら彼を見つめた。エドワードはアリアを一瞥すると、挑戦的な笑みを浮かべ、隣に寄り添う愛らしい令嬢の肩を抱いた。清楚な白のドレスを纏い、勝ち誇ったような笑みを浮かべているのは男爵令嬢のメアリー・ド・ロシュフォールだった。
「俺は、アリア・フォン・クライネルトとの婚約を破棄し、新たに、ここにいるメアリー・フォン・ロシュフォール嬢を婚約者として迎えることを宣言する!」
一瞬の静寂の後、会場は大きな驚きの声とそしてすぐにヒソヒソとした噂話に包まれる。エドワードはアリアに向き直り、冷酷な声で言い放った。
「アリア、君のような地味で取り柄のない女は、次期国王の妃にふさわしくない。俺の隣には、美しく聡明で、愛らしくも華やかなメアリー嬢こそが相応しい! 私は真実の愛を見つけたのだ!」
メアリーはアリアを見下ろし、唇の端を歪めて嘲笑を浮かべた。周囲の貴族たちも同情するどころか、面白がるような、あるいは侮蔑するような視線をアリアに突き刺してくる。
(ああ、やっぱり……)
アリアは込み上げてくる屈辱と悲しみを必死に押し殺し、ただ黙ってその言葉を受け止めた。抵抗する気力も意味もないことを知っていたからだ。彼女にとってこの婚約は政略的なものでしかなく、エドワード王子から愛情を注がれたことなど一度もなかったのだから。
そう、政略だ。だからこの結婚は双方の家――王家と侯爵家――が深く関わっている。本来であれば王子といえど一人の決断でどうこうできるものではない。 けれどアリアは知っていた。エドワード王子のわがままとも言える主張が通るであろうことを。「……承知、いたしました。王子殿下のお幸せを、心よりお祈り申し上げます」
かろうじてそれだけを絞り出す。深々と一礼すると、アリアは逃げるように夜会の会場を後にした。背後でエドワードとメアリーを祝福する声と、自分への嘲笑が聞こえてくるような気がした。
その瞬間、くすんでいた羅針盤の表面に刻まれた古代の紋様が、淡い青白い光を放ち始めた。そして球体内部で眠っていた歯車が、かすかな音を立ててゆっくりと回転を始める。中央に据えられた水晶の針が微かに震えながら、北でも南でもないある一点を指し示した。 工房全体が神秘的な青い光と静謐な雰囲気に包まれる。「これは……!」 フリードは息を呑んだ。長年ただのガラクタだと思われていた古代の遺物が、今、目の前で再び命を吹き返したのだ。それは彼がこれまで目にしたどんな魔導具よりも美しく、そして力強い輝きを放っていた。「まだ完全ではありませんが、基本的な機能は回復したはずです。星々の配置と同期するには、もう少し調整が必要ですが……」 アリアは額の汗を拭いながら、安堵と達成感に満ちた表情で言った。 フリードは言葉を失っていた。アリアの才能は彼の想像を遥かに超えていた。「……素晴らしい。アリア嬢、君は本当に素晴らしい才能を持っている」 ようやく絞り出した言葉には、心からの称賛と隠しきれない興奮が込められていた。 アリアはフリードからの真っ直ぐな称賛の言葉に、頬を染めた。 実家では決して得られなかった、自分の努力と才能が認められたという確かな実感。それはアリアの心に温かい灯をともし、小さな自信の芽を育てていくようだった。(私でも……お役に立てたんだわ) フリードは光り輝く羅針盤と誇らしげなアリアの顔を交互に見つめながら、確信した。彼女がいれば、ヴァルハイトの魔導技術は新たな時代を迎えるだろう。そして自分自身もまた、彼女と共にいることで何か新しいものを見つけられるかもしれない、と。「アリア嬢、この羅針盤の完全な修復と解析を正式に依頼したい。それだけではない。私の収集している他の古代魔導具についても、君の力を借りたい。もちろん、それに見合うだけの待遇は約束する」 フリードの瞳にはアリアへの絶対的な信頼と、未来への期待が宿っていた。 アリアは彼の力強い言葉に、
フリード公爵から託された「星詠みの羅針盤」。アリアは、その複雑怪奇な古代魔導具を前に、寝食も忘れるほど没頭した。 工房に籠もり、膨大な資料を読み漁り、羅針盤の微細な部品の一つ一つを拡大鏡で観察し、スケッチを繰り返す。彼女の頭の中は古代の術式、魔力の流れ、そして失われた技術への探求心で満たされていた。(この紋様は、古代エルダリア文明で使われていた魔力制御の記述に似ている……でも、一部が欠損しているわ。もしかすると、これは単なる装飾ではなく、術式そのものなのかもしれない) 幼い頃から培ってきた知識と天性の閃きを頼りに、羅針盤の謎を一つずつ解き明かしていく。 それはまるでパズルのピースを一つ一つ嵌めていくような、根気と集中力を要する作業だった。時には夜が白むまで作業に没頭し、気づけば工房の長椅子で気絶するように眠っていることもしばしばだった。 そんなアリアの様子をフリード公爵は静かに見守っていた。彼は時折工房を訪れ、アリアが作業に集中しているのを邪魔しないよう遠巻きにその姿を眺めていた。食事もろくに摂らずやつれていくアリアを案じて、侍女に命じて栄養のある食事や温かい飲み物を工房に届けさせた。「アリア嬢、少しは休息を取ったらどうだ。君が倒れてしまっては元も子もない」 ある日、フリードは声をかけた。アリアは羅針盤から顔を上げ、少し申し訳なさそうに微笑んだ。「申し訳ございません、公爵様。つい夢中になってしまって……でも、もう少しで、何かわかりそうなんです」 その瞳は疲れてはいたが、熱意に満ちて爛々と輝いていた。フリードは彼女の純粋な探究心と魔導具に対する真摯な愛情に、改めて感嘆の念を抱いた。 そして同時に。そのひたむきさに惹かれ始めている自分を感じた。(これほどまでに純粋に一つのことに打ち込める人間がいるとは……彼女は、私が今まで出会ったどの技術者とも違う) フリードとて魔導大国ヴァルハイトの公爵である。優秀な技術者は数多く見てきた。 けれどフリードはアリアがただ優秀なだけでなく、どこか脆く守ってや
それはアリアにとってあまりにも突然で、そして信じられないような申し出だった。虐げられ、誰にも認められなかった自分の知識と技術が、この国の高名な公爵に求められている。 喜びよりも先に、大きな戸惑いと不安がアリアの胸を占めた。「私に、そのような大役が務まるでしょうか……」「務まるかどうかは、やってみなければわかるまい。だが、私は君に賭けてみたいと思った。君の目だ。先ほどの集積装置を見ていた時の君の目は、真に魔導技術を愛し、その深淵を覗き込もうとする者の目をしていた」 フリード公爵の言葉はアリアの心の奥深くに眠っていた情熱を揺り動かした。魔導具に触れていたい。その謎を解き明かしたい。そして、もし自分の力が誰かの役に立つのなら――。(こんな機会は、もう二度とないかもしれない……) アリアは顔を上げ、決意を込めた眼差しでフリード公爵を見つめ返した。「……もし、公爵様がそれでもよろしければ……私のような者でよろしければ、喜んでお力添えさせて頂きたく存じます」 その答えを聞くと、フリード公爵は満足そうに頷いた。「良い返事だ。では、早速だが君に仕事場を用意しよう」 フリード公爵に案内されたのは、公爵邸の別棟にある広々とした工房だった。そこには、様々な種類の工具や素材、精密な測定機器などが完璧に揃えられており、隣接する部屋は膨大な資料や文献を収めた図書室になっていた。それは、アリアが夢にまで見たような環境だった。「ここを自由に使ってくれて構わない。必要なものがあれば遠慮なく申し出るといい。君の成果に期待している」 アリアはまるで子供のように目を輝かせ、工房の中を見回した。壁にかかった工具の一つ一つ、棚に並べられた素材の一つ一つが、彼女にとっては宝物のように見える。(本当に、私がここを使っていいの……?)「まずは、これを見てほしい」 フリード公爵が従者に命じて運ばせてきたのは、黒いビロードの布に包まれた、バスケッ
「私はフリード・フォン・ヴァルハイト。もう一度聞こう。君は何者だ?」 フリード・フォン・ヴァルハイトと名乗った男性――ヴァルハイト公国の若き公爵その人であった――の問いに、アリアは答える言葉を持たない。名前であればもう答えた。それなのにこれ以上、何を聞こうというのか。 彼の纏う威厳と射るような青い瞳に見据えられ、アリアは身を縮こませそうになるのを必死でこらえた。(こ、公爵様……? どうしてこのような場所に……) アリアとて貴族の生まれである。隣国の公爵の名は知っていた。アリアが混乱していると、フリード公爵は先ほどの彼女の言葉を反芻するように小さく頷き、再び口を開いた。「アリア・フォン・クライネルト、か。君の見解は、あの小型魔力集積装置の開発者すら気づいていない核心を突いている。少し質問を変えようか。その知識、どこで得た?」 その声は静かだったが、有無を言わせぬ響きがあった。 アリアは一瞬ためらった。実家で虐げられてきた趣味のことなど、高貴な公爵に話して良いものだろうか。しかし、彼の真摯な眼差しは、アリアに嘘をつくことを許さないように思えた。「……古い文献を、個人的に……読んでおりました。古代の魔導技術に関するものが、好きで……」「ほう、古代魔導技術ときたか。それはまた、随分と難解な分野に興味があるのだな」 フリードは面白そうに口元を微かに緩めた。その表情に、アリアは少しだけ緊張が和らぐのを感じた。「差し支えなければ、もう少し君の話を聞かせてもらえないだろうか。場所を移そう。ここでの立ち話もなんだ」 公爵の言葉にアリアは戸惑った。一介の、それも今は宿無しに近い自分のような者が、公爵様と話をするなど許されるのだろうか。「で、ですが、私は……」「案ずるな。君のその知識に純粋な興味があるだけだ。それに、君のような才能が埋もれているのなら、それはヴァルハイトにとって損失だ」 そう言うと、フリード公爵はアリアに有無を言わせず、博覧会の会場を後にするよう促した。 会場の外れに停められていた、いかにも高価そうな馬車に案内される。丁寧なエスコートで乗車して、アリアは自分が置かれている状況がまるで夢のように感じられた。 馬車は静かに走り出し、やがて壮麗な公爵邸の門をくぐった。手入れの行き届いた広大な庭園と、宮殿かと見紛うほどの美しい建物に、アリアは息
いくつかのブースを巡った後、アリアはある一つの展示物の前で足を止めた。「小型魔力集積装置」と名付けられたその機械は、周囲の微弱な魔力を集めて動力に変換するという画期的なものだったが、どうにも効率が悪く、実用には程遠いようだった。開発者らしき若い男性が、首を捻りながら説明をしている。 アリアはしばらくその装置を熱心に観察していたが、ふと、その構造の非効率な点と、改善案が頭に浮かんだ。それは、彼女が古い文献で読んだ、古代文明の魔力循環システムの応用だった。(……この魔力経路、逆向きにした方が抵抗が少ないはず。それに、集積コイルの巻き方も、もっとこう……あ、でもそうすると安定性が……いいえ、それなら補助安定装置に微細な魔晶石を組み込めば……) アリアは夢中になるあまり、つい心の声が小さな呟きとなって口から漏れてしまっていた。周りに人がいることも忘れ、ただ目の前の装置とその改善点に意識を集中させていた。「――ほう、面白いことを言うな、お嬢さん」 不意に低く落ち着いた、しかしどこか威厳を感じさせる声がアリアのすぐ後ろから聞こえた。 はっと我に返ったアリアが慌てて振り返ると、そこには一人の長身の男性が立っていた。 年の頃は二十代後半だろうか。黒曜石のような艶やかな黒髪を短く整え、怜悧な光を宿す切れ長の青い瞳は、射るようにアリアを見つめている。仕立ての良い、しかし華美ではない上質な衣服を身に纏い、その立ち姿からは育ちの良さと、人を寄せ付けないような威圧感が漂っていた。 アリアは、その男性が誰であるかを知る由もなかったが、その圧倒的な存在感に息を呑んだ。 男性はアリアの呟きを聞いていたようで、興味深そうに眉を片方だけ上げ、再び口を開いた。「君は、あの集積装置のどこに問題があり、どうすれば改善できると思う?」 その言葉に、アリアは自分が無意識のうちに博覧会の展示品に対して批評めいたことを口走ってしまったことに気づいた。恥ずかしさと罪悪感で顔が赤くなる。「も、申し訳ございません! で、出過ぎたことを……!」 深々と頭を下げるアリアに、男性は静かに言葉を続けた。「いや、構わない。続けてくれ。君の考えを聞かせてほしい」 その声には有無を言わせぬ力があった。 アリアは戸惑いながらも、先ほど頭に浮かんだ改善案を、おそるおそる、しかし的確に説明し始める。それは
クライネルト侯爵家を後にしてから数日、アリアはひたすら東を目指して歩き続けていた。 馬車に乗るだけのお金の余裕はない。節約のためにずっと歩いていった。 隣国まではきちんと街道が通っている。治安もそう悪くない。けれどアリアにとっては初めての長旅。支えてくれる従者もおらず、心細さや疲労に何度もくじけそうになった。しかし、マーサが持たせてくれた路銀と、彼女の温かい言葉を思い出すたび、アリアは自分を奮い立たせた。(ヴァルハイトへ行けば、何かが変わるかもしれない……ううん、変えるのよ。絶対に) そしてついに、アリアは隣国ヴァルハイトの国境を越えた。 母国とは明らかに異なる、活気に満ちた空気が彼女を迎える。街道沿いの町々では、風変わりな機械や、自動で動く人形のようなものが当たり前のように人々の生活に溶け込んでおり、アリアの目は自然と輝きを増した。魔導技術がこれほどまでに日常に浸透している国を見るのは初めてだった。 さらに数日後、アリアはヴァルハイトの首都、エルツハイムに到着した。 石畳の道を行き交う人々は皆、生き生きとした表情をしており、街のあちこちから聞こえてくるのは、新しい発明や魔導具に関する議論の声。馬車に混じって、蒸気機関で動く乗り物や、見たこともない仕掛けの運搬装置が動いている。その光景は、これまでのアリアの世界観を根底から覆すものだった。(すごい……なんて活気に満ちた街なの!) マーサから預かった紹介状に記された住所を頼りに、アリアは「木漏れ日亭」という名の宿屋にたどり着いた。こぢんまりとしているが、手入れの行き届いた清潔な宿で、窓からは明るい光が差し込んでいる。「ごめんくださいまし」 おそるおそる声をかけると、奥から恰幅の良い、人の好さそうな女主人が顔を出した。「はいはい、どちら様ですかな? あら、可愛らしいお客さんだね」「あの、私、アリア・フォン・クライネルトと申します。マーサという方からの紹介状を……」 アリアが紹介状を差し出すと、女主人は「まあ!」と声を上げ、ぱっと顔を輝かせた。「マーサ叔母様から! ああ、あなたがアリア様ね! よく来たねえ、遠いところ大変だったでしょう。ささ、中へお入り」 女主人はエルマと名乗り、マーサの遠縁にあたる人物だった。彼女はアリアを温かく迎え入れ、旅の疲れを気遣ってすぐに部屋へと案内してくれた。
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