LOGIN王太子に転生した男子高校生・レオポルトは、判断疲れの末に悪役令嬢ユリアナとの婚約を破棄する。 これで全て解決した――はずだった。 だが、なぜか心は晴れず、王都で彼女の姿を見た瞬間、前世の記憶と「推し」だった事実を思い出してしまう。 後悔に突き動かされ、彼は最大級の謝罪として“土下座”を選ぶが、この世界にその意味は存在しなかった。 一方、土下座の意味を知るヒロインが騒ぎ立てたことで、転生者であることが露呈し、事態は思わぬ方向へ。 誤解と文化差が連鎖する中、王太子は本当に守りたいものを選び直すことになる。
View More俺は、人生で初めて土下座をした。
(最短で信頼を取り戻すなら、これしかないと思った)
形式も、言葉も、全部捨てる。
”誠意《せいい》だけを見せる”ーーそのはずだった。 そして、その謝罪は思うようには進まなかった。 過去、別の人物への謝罪時、他の手段は上手くいかなかったからだ。 言葉で謝っただけだと、何か裏があるのではないかと疑われ、贈り物を送ったら、印象操作だと思われてしまった。 だからこそあの日は、土下座しか手段が残されていないと思っていた。 そして行った。(段取りも、時間も、言葉も)
現実は上手くいかなかった。「いや、違うな。完璧だった”つもり”なだけだ」
だからこそ、だろう。
とある”成功例”を、俺は知っていた。 だがそれは、物語の中の話だった。 それをあの日、痛感《つうかん》することになった。 時間を空ければ、その分だけ疑いは強くなる。 なら、間を置かずに動くべきだ。 ーーそう判断した。 馬車がとある屋敷の前で停まった。 俺はゆっくりと馬車から降りて、玄関へと向かっていく。 従者はいない。 ペトリコールの匂いが鼻に入ってくる。 雨が降らなければいいが。 扉の前に着いたら、扉を叩いて開くのを待った。「どちら様でしょうか」
この家の使用人が出てきた。
俺の顔を見ても、見当がついていない様子だった。 使用人は扉を開けた瞬間、わずかに後ずさりして問いかけてきた。「レオポルドだ」
「え?」
突然言ったからか、気づいていないようだった。
「シュナイエ王国、王太子だ」
”王太子”と言った瞬間、扉の向こうは空気が変化する。
使用人が息を飲んでいるようだった。「お、王太子殿下……大変失礼いたしました」
使用人の謝罪の後に一瞬だけ静寂《せいじゃく》が訪れる。
そして、使用人は驚きながら俺を見ていた。「ほ、本日は、その?」
静寂が破れたのは、使用人の緊張しながらの問いかけだった。
「ユリアナ嬢に会わせてほしい」
彼女は公爵令嬢《こうしゃくれいじょう》で、この屋敷に住んでいる。
俺の目的は彼女だった。(ここで言う。理由も全部)
そう決めていたはずなのに。
喉が、ひどく乾いている。 言葉を思い浮かべるたびに、何かが引っかかる。 ーー言えば、終わる。 何が? 分からない。 だが、言ってはいけない気がした。「分かりました、中へ」
俺は使用人に案内されて、客間へ。
「王太子がお越しになられたって!?」
「紅茶をすぐに用意しなさい!」
侍女がバタバタと慌てている。
すぐにカップに淹れられた紅茶が出される。 湯気が立っていて、香りが鼻に入ってくる。 だが飲んでいる余裕はない。 椅子に座りながらユリアナ嬢がやってくるのを待っていた。(ここで失敗するわけにはいかない)
時計の針が動く音だけが耳に入ってくる。
後は俺の深呼吸の音だけ。(完璧にしないとな)
タイミングを間違えたら失敗する。
(俺は”正しいこと”をしに来た)
「お待たせしましたわ」
しばらくして、やってきたのは、ユリアナ・フォン・ルイッツホーフ嬢。
前に見たときと変わらない姿をしている。 ドレスを着ていて麗しい。 ユリアナ嬢は一瞬だけこちらを見て、すぐに視線を逸らした。「……そのままで結構です」
距離を詰めようとした瞬間、彼女はわずかに後ろへ下がる。
「近づかないでくださいませ」
拒絶だった。
分かっていたはずなのに、その一歩がやけに遠い。 手を伸ばせば届く距離のはずなのに。 その一歩が、どうしても埋まらない。「ユリアナ嬢」
彼女は、すぐには口を開かなかった。
一度、呼吸を整えるように間を置く。「……お話は、伺います」
そう言ったものの、視線は合わせないままだった。
「殿下、本日はどういった……」
俺は彼女の言葉を言い終わらないうちに、床に両手と膝をつけて、頭も床につくくらい身体を折る。
礼服がしわになるが問題ない。 彼女の顔が見えなくなるが仕方が無い。「どうも、すみませんでした!」
俺はユリアナ嬢に謝罪を行った。
額を床につけながら。 その瞬間、客間は静寂が襲いかかった。「え?」
ユリアナ嬢のドレスの裾《すそ》が僅《わず》かに揺れる音が聞こえるだけ。
「あの、今、何を?」
表情は見えないものの、使用人は驚いているようだった。
ユリアナ嬢も一歩遅れて驚いていた。(早すぎたか?)
こういうのは先手必勝だと思ったが。
「殿下?」
「突然、どうしたんですの?」
俺の様子を見ているのだろうか、ユリアナ嬢も使用人も疑問を口にしていた。
「何故そんな事を?」
やがてユリアナ嬢は口を開いた。
困惑が混じったような感じで。「貴方の礼服も床も汚れますわ」
「…………」
俺はこの状態のままでいた。
誠意を伝えるために。「それにここは、王宮ではありませんわ」
分かっている。
だからこそだ。「その姿勢は、どういう意味ですか?」
俺が行っている姿勢に疑問を持っているようだ。
だがさっきの言葉を含めて、ユリアナ嬢は察した。「謝罪、ですか?」
「……そうだ」
合っている。
だから俺は肯定の返事をする。「理由を、お聞きしても?」
ユリアナ嬢は落ち着きながらも訊いてきた。
訊きたいのは当然だろう。 ユリアナ嬢はいつも通りだった。 背筋を伸ばし、視線も逸らさない。 ーー完璧だ。 だからこそ、分かってしまう。 カップを持つ指先だけが、わずかに震えていた。(やめろ)
言葉が喉元まで出かかる。
(それを言ったら)
震えが、止まらなくなる気がした。
(言えない。言葉にした瞬間、全部崩れる)
だが俺は言えなかった。
言葉を探したけれども、見つからなくて失敗する。「俺の未熟さだ」
そして出てきたのは、抽象的な言葉だった。
だがこれ以上、言葉が出てこない。 しばらく静寂の時間が流れる。 長時間のように俺は感じられた。「殿下、顔をお上げください」
俺は彼女にそう言われて、ユリアナ嬢の表情を見る。
「わたくしは、殿下が何をされたのかを知りません」
無表情で目を逸られ、返事までに間があった。
俺は何も言えず、ただユリアナ嬢の言葉を聞いていた。「それは、”わたくしのため”ではありませんよね?」
突き刺さるような鋭い言葉。
ユリアナ嬢は視線を一瞬だけ、床に向ける。「理由の分からない謝罪は、受け取れません」
感情を持たずに淡々と俺に伝えた。
その場では、何も変わらなかった。「殿下のは”謝罪”ではなく、ただの自己満足です」
ユリアナ嬢はそう俺に伝える。
「そのような形で謝罪されても、困ります」
冷たい目は俺を拒絶していた。
「帰りなさい」
ため息を吐きながら、ただユリアナ嬢はそう言った。
「…………」
俺は何も言えない。
謝罪だからこそ、何も言えなかったからだ。「もう一度謝罪に来るのであれば、はっきりとわたくしに理由をお伝えください」
ユリアナ嬢はそう言って、俺の前から離れていく。
俺は立ち上がり、彼女の様子を見ていた。 背筋は完璧に伸びていたが、指先が何となく震えているようだった。 でも、そのまま追いかけることもなく、立ち尽くしていただけ。 離れていくユリアナ嬢は、少し立ち止まるといったためらいはありながらも、振り返ることはなかった。「紅茶、少々冷めてしまいましたが、飲まれますか?」
使用人はカップを見たまま答える。
「いや、いい」
俺は紅茶を飲むこと無く、屋敷を立ち去ることにした。
馬車に戻るまでの間、額には床の冷たさが残っていた。 外では雨が降り始めている。 そしてユリアナ嬢が言っていた通り、礼服は汚れていた。 謝罪は失敗した。 あの時と同じだ。 庭園で、紅茶を飲んでいた日もーー。 あの時も、気づいていたはずだ。 震えていたことに。 それでも、俺は。 見ないふりをした。(段取りは決めていたはずなのに)
どうして俺がこんな事をしてもなお、理由を言えなかったのか。
何故、あの謝罪は失敗したのか。 少し前に起きた出来事からだった。 それでも俺は、すぐには理由を言えなかった。 言葉にするには、もう一度ーー現実に向き合わなければならない。(そうか、やり方が足りなかったのか)
俺は分かった気になっていた。
ーー今にしてみれば、逃げだったのかもしれない。
前世の推し《・・》を、現実で傷つけた俺は最低だ。(間違っているとは、思わなかった)
俺は、彼女が好きだった。
だから、壊した。 一番、取り返しの付かない形で。ユリアナ嬢からの返信が届いた次の日。 封筒を間違えた上、宰相《さいしょう》に怒られたので、疲れを感じながら熟睡した。 本当、よく眠れたよ。 という事で、執務室にてクレア嬢の講習会三日目が行われていた。「お二人、本日もご一緒ですね」 侍女のレーナが紅茶のカップを置きながら、そう呟《つぶや》いていた。「講習をしないといけませんから」 はっきりとクレア嬢はそう言い放った。「見学してもよろしいでしょうか?」「君も見るのか?」 レーナがそう問いかけているが、俺達は転生前の知識もあるんだが。 その部分に関しては、大丈夫なのか?「はい、気になりまして」 微笑《ほほえ》みながら、そう話していた。「昨日は誤って、殿下の封筒を外務院《がいむいん》に届けてしまいましたし」 そうだったよな。 彼女に渡していたから、昨日の騒動《そうどう》になったんだっけ。「良いんだ。外交文章用の封筒に入れたからな」 俺が悪いからな。 宛名《あてな》で内務局《ないむきょく》に届けるように判断してくれって、分かるわけないから。「それもありますので」 だから聞きたいんだな。「少々専門的なお話もしますが、よろしいでしょうか?」「問題ありません。質問もしないので、邪魔《じゃま》はしないかと」 クレア嬢はそう訊いていたが、レーナは同意していた。「分かりました」 頷《うなづ》いて、レーナは部屋の端で傍観《ぼうかん》したのだった。「さて、昨日や一昨日の続きといきましょうか」 メモや本を持ちながら、彼女はこの講習会を始めていった。「お願いする」 机には書き取り用の紙が。手にはペンを持つ。 これって、高校生だった時を思い出すな。 まあ、王太子しても俺付きの教師から教えてもらっていたので、同じなんだが。 そう思っていると、クレア嬢は長った
「講習会《こうしゅうかい》ですが、明日でよろしいでしょうか?」 ユリアナ嬢からの返信を受け取った後、クレア嬢からはそう言われた。「そうだな」 夕方遅くになっているから、クレア嬢も疲れているはず。 また拒絶したら、俺を巻き込んで転生されそうだ。 俺自身も疲れているから、明日で良いな。うん。 そう思って、机の上の書類などを片付けていく。「殿下、デメルジス宰相閣下《さいしょうかっか》がお呼びです」 するとガスペリからそんな伝言が。 宰相から呼ばれるって、何かしたのだろうか。 いや心当たりがあるとすれば、アレ《・・》なんだが。「どういった理由だ?」 ガスペリに問いかける。「それは、今日送った封筒についてのものだと」 返ってきた返事は、やはりそうだった。 流石に呼び出されるよな。 とはいえ、事務ミスの確認だろう。「分かった。下がっていい」 俺は頷《うなづ》いて、彼を出ていかせる。「では、殿下。本日は失礼します」「ああ。明日……頼むな」 クレア嬢も同時に俺の執務室を後にしていた。 苦笑いしながら、彼女を見送った。 そして俺は執務室を出ていって、宰相の執務室へ。「失礼します。レオポルドです」「どうぞ」 執務室には宰相が椅子に座って、仕事をしていた。「座りなさい」 宰相は応接用のソファに座らせる。 机の上には空のカップとポットが。 彼はゆっくりとポットから紅茶を入れて、差し出した。「飲め。喉が渇いていると、人は余計な言葉を使う」 そう言われて、俺は身構《みがまえ》てしまった。 デメルジス宰相は、重要な話をする時に紅茶を用意するから。 俺は恐る恐る飲んでいく。 味は分からなかった。ただ温かさだけが、喉《のど》を通った。 飲み干すくらいには、熱く
【書記官 ジュゼッペ視点】「外務卿《がいむきょう》、お呼びでしょうか」 この日の昼下がり、私は外務院《がいむいん》に呼び出された。 どうしたのだろうか。「モンペリエ王宮書記官《おうきゅうしょきかん》、突然ですまない。実は、外交文書《がいこうぶんしょ》がルイッツホーフ公爵家宛《こうしゃくけあて》に送られてね」 ルイッツホーフ家。 我が王国でも有力な公爵家。 その令嬢《れいじょう》であるユリアナは、先日まで王太子《おうたいし》であるレオポルド殿下《でんか》の婚約者《こんやくしゃ》だった。「何か問題があったのでしょうか」 王家から出された国内の公爵《こうしゃく》や侯爵《こうしゃく》宛の外交文書は、外務院を通して出される。 それ自体は問題ない。「ああ。その外交文書は、レオポルド殿下《でんか》から公爵令嬢《こうしゃくれいじょう》のユリアナ嬢|個人《・・》へ届けられていてね」 婚約破棄した関係であるが、何故個人宛に外交文章が。 確かに何か問題が起きている可能性がある。「先程、ルイッツホーフ家使用人のサルチャク・ウール氏より、外交文書から私信《ししん》への取り下げを要請してきた。回答は公爵家の規則《きそく》に則《のっと》って明朝《みょうちょう》までにすると」 外交文書を私信にしてほしい? どういうことなんだ。「封筒は外交文書用だったし、王家の正式な印も押されていた。だから、そのまま送ったんだが」 もしかして間違えたのだろうか。 実物を見ていないので分からないが。「侍女のレーナ・ニコシアが、封筒と印から判断して届けたらしい」 変に質問しないよな。 完璧に形が決まっているなら、信じるだろう。「殿下に状況を確認して、こちらに伝えてほしい」「分かりました」 面倒《めんどう》なことになったな。 だがやらないと。(形式だけが先に走る。それが一番、厄介《やっかい》だ) とりあえず王宮
「おはようございます、殿下《でんか》」 次の日、クレア嬢は朝に俺の執務室へやってきた。 メモ帳を手に持ちながら。「クレア嬢、おはよう」「さて、昨日の続きをしましょう」 講習会の続きだな。「ああ」「殿下。次の行動は”訪問”ではありません」 クレア嬢が最初に言い放ったのは、俺が考えていたものとは違った事であった。「だが謝罪は直接ーー」「禁止です。”許しを取りに行く動き”に見えます」 俺の言葉を遮《さえぎ》る形で否定した。「じゃあ、どうする」「文書《ぶんしょ》です。短く、事実だけ。許しを請わない」「……文書、俺が?」 確かに王太子として、個人的な文書は何度も書いているが。 ユリアナ嬢に謝罪文を書くのか。「王太子だからこそ、です」 クレア嬢ははっきりと言い放った。 俺は机の中にある引き出しから便箋を取り出して、書いていくことに。「まずは殿下が思う感じで書いてください」 そう言われて、俺が思う感じの謝罪文を書いていく。 少しして書き上がった。『ユリアナ嬢へ、君のためだったという婚約破棄の理由は間違いでした。土下座してお詫びします。婚約者という関係に必ず戻します。ですので許してください』 それをクレア嬢に見せる。 するとじっくりと読んだ後、赤いインクに漬《つ》けたペンで添削を行っていく。「まず、ここ。”許してください”。禁止です」 バツ印が上書きされるように書かれた。「次、ここ。”君のため”。NGワードです」 バツ印。「次、ここ。”土下座”。外交事故です」 バツ。「次、ここ。”必ず戻します”。脅迫《きょうはく》に聞こえま