LOGINレンくんは確認するように、何度も頷きながら箸を進めている。一口ごとに、彼の中に「生気」が注入されていくのが目に見えて分かった。
青白かった頬に赤みが差し、瞳に光が戻ってくる。それはただの食事というより、もっと切実な儀式のようだった。「肉、甘いよね!? タレは甘辛だけど、それだけじゃなくてさ。生姜焼きなんてありふれた料理だと思ってたのに、どうしてこんなに美味しいんだろ。ポテサラも味噌汁も、一見普通じゃん。でも食べてみると激ウマ。派手さはないのに、懐かしい味のバージョンアップ版って感じで」
ハルくんが肉を頬張りながらニコニコしている。
「まさに『ご飯が進む味』! 俺、パン党だったんだけどやっぱりご飯もいいな。日本人で良かったと思える味! あ~~~美味しい。この甘辛タレとショウガのピリッとした味、サイコー!」
「黙って食え。紬の料理が美味いのは、俺が誰よりも知っている」
レンくんがぎろりと相手を睨んだ。ハルくんは全くこたえずにニコニコと笑顔を続けている。
そして、最後に残ったセナさん。彼は疑わしげに豚肉を持ち上げ、じろりと観察した。
「……随分と脂っこそうですね。アイドルの食事管理としては0点です」
憎まれ口を叩きながら、小さく一口、口に含んだ。
もぐもぐと咀嚼するあごの動きが、不意に止まる。眼鏡の奥の瞳が、わずかに見開かれた。
「……」
無言のまま、二口目。三口目。白米を口に運ぶ手が、止まらない。完璧な姿勢とテーブルマナーを崩さないまま、しかしそのスピードはハルくんに負けていなかった。
沈黙の食卓に、咀嚼音と箸が器に当たる音だけが響く。ものの数分で3人の皿はきれいに空になった。
◇ コト、と箸を置く音が重なる。セナさんは懐から取り出した高級ハンカチで口元を拭い、小さく息を吐いた。「……悔しいですが」
彼は眼鏡の位置を直し、まっすぐに私を見た。その目にはもう、先ほどまでの「害虫を見るような冷たさ」はない。
レンくんは私を大事にしてくれる。 そりゃあわがままで、リクエストが多くて、昨日も充電と称して寝かせてくれなかったけど。 まだまだ不安定なところがあって、支えてあげないといけないけど。 それでも彼の気持ちは伝わってくる。 だから私も応えたかった。「私に何ができるかなぁ……」 夕食の料理をしながら、私はぼんやりと考えた。 なお、今日のメニューはブリのショウガ煮である。てりやきベースのタレにショウガをたっぷり入れて、ピリリとした味わい。 ショウガは体を温める効果がある。体を酷使するみんなにはいい食材だ。 ここしばらくハンバーグやらの重いメニューが続いたので、ここらで胃をリセットしなければ。 それはともかく、私はレンくんに何をしてあげられるだろうか。 料理は仕事だから、ノーカウント。 他には何だろう。 男性付き合いをほとんどしてこなかったせいで、何をすればいいのかちっとも分からない。 あと、実は。 彼の重い愛は嫌じゃない。嫌じゃないけど、一方的なのがちょっと悔しい。 以前レンくんに、愛用の香水をもらった。お互いの香りを交換するという条件で。 私は彼の香水。彼は私が当時使っていた、安物の柔軟剤の香り。 でも今はメンバー全員で同居しているので、ちょっとお高い柔軟剤になってしまった。特にセナさんが余計な香りを嫌うから、無臭のやつがメインになっている。 レンくんは最初文句を言っていたものの、ハルくんが「いいじゃん。紬ちゃんのいる家に毎日帰ってくるんだから、匂いがなくても平気でしょ」と丸め込まれて納得していた。ちょっとチョロかった。 なので彼の香水――『CielBlue(シエル・ブルー)』は、使いかけでふたをされたまま私の部屋に置かれている。 一方的なプレゼントになっている。「私も何か贈り物をしようかな……」 独占欲むき出しなのはあなただけじゃないんだよ、と教えてやりたい。 私だってあなたが好きで、
「ハルが結婚とか言うから。……紬がどっかに行っちゃいそうで、怖い」「…………」「顔見せてくれるだけでいい。……充電させて」 震える声に、私の長年の「ファン心」と無駄にある「母性」が刺激されてしまった。こんな声を出されて無視できるわけがない。「……はぁ」 私は大きくため息をつき、ベッドから降りた。重たいソファをズズズと退かし、バリケードを解体してドアを開ける。 そこには、自分の枕を抱えたレンくんが立っていた。「どうぞ」 私が招き入れると、彼は無言で部屋に入ってベッドに腰掛けた。そして隣に座った私に、くたりともたれかかってきた。「……ん」 押し倒されるのかと身構えたが、違う。彼は私の膝に頭を乗せる。私の腰に腕を回して、大きく深呼吸をしただけだった。「紬の匂いがする」 別に夜這いをしに来たわけではないらしい。ただ私に体を預けて、体温を確認するように目を閉じた。「俺、お前がいないと本当にダメみたいだ」 その言葉は愛の告白というよりは、生存本能に近い切実さを持っている。 私が彼のさらさらとした髪をそっと撫でると、彼は心地よさそうに吐息を漏らし、数分もしないうちに安らかな寝息を立て始めた。 安らかな横顔は彫刻のように整っているようで、どこか幼さを感じさせる。彼が安心しきっているのが分かった。「レンくん?」 返事はない。完全に寝落ちている。 結局、私は重たいトップアイドルの頭を膝に乗せたまま、朝まで身動きが取れなくなった。◇ 翌朝。すっかり充電完了してスッキリした顔のレンくんが、私の部屋から出ていった。ちょうど廊下を通りかかったセナさんと鉢合わせる。「…………」 セナさんは私の部屋
23時。気を取り直して眠ろうとした、その時。 ピッ。ウィィィン。 電子音がしてスマートロックが解除された。今度はピッキングではない。正規の手順で解錠された音だ。「紬さん、起きていますか」 現れたのは、シルクのバスローブを優雅に着こなした葛城セナさんだった。片手にはタブレットを持っている。「明日のスケジュールの共有です。朝食の時間に変更があります」「……セナさん。ノックしてください。あと、なんで開くんですか」 私がジト目で睨むと、彼は「愚問ですね」と言わんばかりに薄く笑った。「僕の家ですから。全室のマスターキー(電子制御)を持っています」「プライバシーという言葉をご存知ですか!?」「管理官の体調管理も僕の仕事です。……部屋の湿度が低いですね。加湿器を入れなさい。喉がやられますよ」 彼は業務連絡と小言だけを淡々と伝え、「おやすみなさい」と去っていった。私は枕に顔を埋めて叫んだ。「ここには……人権もプライバシーもない……!!」◇ 猛獣のピッキング技術と魔王の管理者権限。通常の鍵が役に立たないと悟った私は、最終手段に出ることにした。「よいしょ……っ、うーっ!」 私は部屋にある重たい一人掛けソファを引きずり、ドアの前に移動させた。さらにその上にキャリーケースを積み上げる。即席バリケードの完成だ。物理的にドアが開かないようにしてしまえば、どんな鍵も無意味だ。「これで……やっと眠れる」 私はやっと安心してベッドに沈んだ。◇ 午前1時(25時)。寝静まった深夜、ドアノブが静かに慎重に回される音で目が覚めた。 ガチャ。……ガチャガチャ。ピッ、ウィィィン(電子ロック解除音)。ガンッ。 ドアが数
ペントハウスで国宝級イケメン3人と暮らす、夢のような――いや、戦場のような生活にも少し慣れてきた頃。 私には広くて豪華な客室が与えられている。 ふかふかのダブルサイズベッド、広々としたウォークインクローゼット、専用のバスルーム付き。 至れり尽くせりの環境だが、私は毎晩、深刻な顔でドアノブを見つめるのが日課になっていた。 夜、寝る前。「……鍵、かけたよね?」 ガチャリ。金属音を確認し、さらにチェーンロックをかける。 ここは男3人と女1人のシェアハウスだ。しかも相手は距離感のバグったアイドルたち。私はただのスタッフで、いわば寮母さんみたいな立場である。仕事が終わればただの一個人だ。 レンくんとは……もしかしたら、恋人未満くらいの関係と言えるかもしれないけれど。いややっぱり言えないかもしれない。 とにかくプライベートという聖域は、何としても死守しなければならないのだ。「よし。これで誰も入れない」 明日も早くから朝食を作らねばならない。 私は安心してベッドに潜り込んだ。◇ 22時。うとうとし始めた頃、ドアノブがガチャガチャと回る音がした。当然、鍵がかかっているから開かない。(ふふん、残念でした。もう営業時間外ですよ) 私が勝ち誇った気分で布団をかぶり直した時。カチャカチャという何かが擦れる音がして、コトン。解錠される音が響いた。「え?」 私の思考が追いつく前にドアが開く。オレンジ色の頭が入ってきた。「おーい紬ちゃん、高級アイスあるけど食う?」「なんで開くんですか!?」 私は飛び起きて叫んだ。ハルくんは悪びれもなく、片手にアイス、片手に細いヘアピンを持っている。「え? 鍵かかってたから、リビングにあったヘアピンでちょいちょいってやったら開いた。俺、手先器用だからさ」「器用の使い方が間違ってます! 不法侵入です!」「固いこと言うなってー。
「んん~ッ!!」 テーブルをバンバンと叩く。「やばい! 下手な店よりよっぽど旨い。肉汁で溺れる! ご飯が進みすぎて怖い!」 猛獣のような食欲で、ガーリックライスと共にハンバーグをお腹に収めていく。「……これは確かに、抗いがたい暴力的な味ですね」 セナさんも、「ジャンクフードは敵」と言いたげな顔をしつつ、ナイフとフォークが止まらないようだった。 あらかた食べ終えて満腹になったハルくんが、うっとりとした目で私を見上げた。「あー幸せ……。胃袋掴まれるってこういうことかぁ」 彼は頬杖をつき、とろけるような笑顔を向けた。「ねえ紬ちゃん、俺のお嫁さんになってよ」「……はい?」 あまりに唐突な言葉に私がきょとんとしていると、ハルくんは悪びれもせずに続けた。「毎日こういうの食わせてくれるなら、俺、浮気しない自信あるよ? 一生大事にする」 軽いノリだ。いつもの冗談だろう。けれどキラキラした瞳の奥は、妙に据わっているように見えた。 ガタンッ!! 乾いた音が響いた。レンくんが勢いよく椅子を蹴って立ち上がっていた。「……てめぇ」 レンくんがハルくんのTシャツ(食事前にようやく着た)の胸ぐらを掴み上げる。「冗談でも殺すぞ」 アイスブルーの瞳孔が開いている。本気で殺気立っていた。 ハルくんはケラケラと笑い、両手を挙げて降参のポーズをする。「冗談だよ、怖いなー。……ま、レンくんがボサっとしてたら、本当に奪っちゃうけどね?」「……ッ!」 一触即発。ハルくん特有の食えない笑顔は単なる挑発なのか、それとも本音が混じっているのか。「やめなさい、2人とも」 セナさんが冷静に仲裁に入り、その場はどうにか収まった。◇
「ぶべっ!?」「……近い。離れろ、オレンジ頭」 リビングの入り口に、不機嫌オーラを纏ったレンくんが立っていた。寝起きなのか髪は少し跳ねているが、その瞳は零度以下に冷え切っている。「朝から暑苦しいんだよ。服を着ろ」「痛ってぇ……。レンくん嫉妬? 俺と紬ちゃんのナイスコンビネーションが羨ましい?」「殺すぞ」 レンくんの口調は冗談に聞こえない。殺気がこもっている。◇ その時のこと。『グゥゥゥゥゥ~~~~ッ!!』 地響きのような音がハルくんのお腹から鳴り響いた。「あー、腹減った! ボス倒したらエネルギー切れた!」 ハルくんが大の字になって床に転がる。「ジャンクなのが食いたい。ピザ、コーラ、油! カロリーの塊をよこせ!」「……君は本当に欲望に忠実ですね」 書斎から出てきたセナさんが、散らかったお菓子の袋を見て眉をひそめた。「少しは野菜も摂取しなさい。肌が荒れますよ」「うるせー! 今日はオフだ。俺はジャンクフードの海で溺れたいんだ!」 駄々っ子のように手足をバタつかせる、オレンジ色の猛獣。私は苦笑してエプロンの紐を締め直した。「ピザの出前は時間がかかりますよ。どうせなら、特製ハンバーグにしませんか? とびきりジャンクで、栄養もあるやつ」 ハルくんがガバッと起き上がった。「乗った。チーズ入れて! 致死量くらい入れて!」◇ 30分後になると、キッチンからは、食欲を刺激する暴力的な香りが漂っていた。 私は合い挽き肉を粘りが出るまでこねる。その中心にこれでもかというほどチーズを詰め込んだ。 フライパンで表面をカリッと焼き固めて、肉汁を閉じ込める。そこへ赤ワイン、ケチャップ、中濃ソースを合わせた特製デミグラスソースを投入し、蓋をしてじっくりと煮込む。