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第4話

Author: 銜枝
雅也は電話を終えて戻ってきた。

結月はすぐに手を離し、波が打ち寄せてきた瞬間に、詩織を引っ張って一緒に海へ落ちた。

海水は彼女たちを飲み込んだ。

ぼんやりとした意識の中で、詩織はいつも冷静沈着な雅也の顔に、初めて狼狽の色が現れたのを見た。

だが、それは彼女のためではなかった。

彼女は笑った。笑えば笑うほど、涙がしょっぱい海水と混ざって鼻の中に流れ込んできた。

巨大な衝撃で内臓がひどく痛み、本能的に身を縮こまらせた。

詩織の意識は薄れていった。

どれくらいの時間が経ったのだろうか。

誰かが彼女を抱き上げたような気がした。

彼女がやっとの思いで目を開けると、ボディーガードが彼女を助け上げたのだと分かった。

そして彼女の夫は、今、別の女を囲んで、あれこれと世話を焼いている。

詩織はしばらくぼう然としていた。

ふと、以前骨髄を抜き続けた日々を思い出した。雅也もあのように献身的に彼女の世話を焼いてくれた。

深い愛情さえも偽ることができるんだ。

彼女が気持ちを整理する間もなく、数人のボディーガードがやってきて、有無を言わさず彼女にダイビングスーツを着せ、雅也と結月の前に縛り付けた。

結月は彼の腕の中で、泣きじゃくっていた。

「雅也、私どこで詩織さんを怒らせたのか分からないの。さっき急に、私が愛人だって言い出して、殺そうとするんだもん。

こんな誤解を招くなら、あの時、海外で死んだ方がマシだったわ……」

雅也はひどく心を痛めた。

「そんなことを言うな!」

彼は強引にキスで結月の口を塞いだ。

キスが終わると。

男は詩織を見下ろし、失望の色を滲ませた声で言った。

「詩織、何度も言っているだろう。結月は村瀬家の客で、お前は俺の妻だ!

どうして何度も彼女に嫌がらせをするんだ?」

詩織の心臓は針で刺されたように痛んだ。

「私はあなたの目に、そんな風に映っているの?」

雅也は一瞬戸惑い、少し揺れた。

その時、結月が悲しそうに立ち去ろうとした。「雅也、私はもう二人の生活を邪魔しないわ」

雅也の表情はたちまち冷たくなった。

彼は詩織を二度と見ようとはせず、結月を抱き上げると、後ろのボディーガードに指示した。

「やれ」

ボディーガードは命令を受けた。

詩織は再び海へ引きずり込まれ、今回は巨大なサメよけの檻の中に閉じ込められた。

「奥様、これは雅也様からの罰です」

「ガシャン——」

鉄の扉が閉まった瞬間、暗闇が詩織を覆い、彼女の呼吸はほとんど止まった。

目の前では数十匹のサメが狂ったように檻に体当たりし、真っ赤な口を開けて彼女を飲み込もうとしているかのようだった。

詩織は全身が震え出した。彼女は閉所恐怖症なのだ。

幼い頃、両親を亡くした後、彼女は叔母の家に住んでいた時期があり、居候の身だったため、よく兄や姉にいじめられた。

頭を水槽に押し込まれたり、トイレに一日中閉じ込められたりするのは日常茶飯事だった。

彼女は水が怖く、暗闇も怖い。

これらのことを、雅也は全て知っている。

彼はかつて心を痛めて言った。「怖がるな。酷い奴らはもういない。これからは俺がついてるから、お前を辛い目に遭わせたりしないからね」

しかし今。

彼女自らが明かした傷跡が、彼が彼女を傷つける武器に変わったのだ。

詩織は隅に身を寄せ、体を震わせた。

女の目から涙がこぼれ落ち、それが涙なのか海水なのかも分からなかった。

雅也、これがあなたが望んだ結果なのね。あなたは満足したでしょう。

ゆっくりと、詩織は目を閉じ、呼吸はますます弱くなっていった。

夜が明けようとする頃、周囲の漁船がこれに気づいた。

人々が彼女を発見した時、酸素はちょうど尽きていた。

詩織は昏睡状態に陥った。

詩織は長い夢を見た。

彼女はあの真夏の夜、叔母に家を追い出され、全身が汚れて小さな乞食のようだった自分に、幼い雅也が肉まんを差し出してくれた光景を見た。彼はまるで天から舞い降りた神のようだった。

彼女は彼のそばへ行くと誓った。

その後、彼女は念願叶って彼の妻となり、彼が最も困難な日々を過ごしていた時、彼のそばで彼を守り続けた。

孤独な二つの心は寄り添い、辛い夜を一つ一つ乗り越えていった。

あの時は、とても幸せだった。

しかし、場面は変わり、雅也は冷たい眼差しで、結月の手を握り、彼女を愛したことなど一度もないと言った。

彼女は泣き叫んだが、どうやっても彼を掴むことができなかった。

心臓が引き裂かれるような痛み。

詩織は勢いよく目を開けた。手で顔を触ると、顔は冷たい涙で濡れていた。

その時、結月がドアを開けた。

「あら、起きたの?」

彼女の首筋にはキス跡がいくつもあり、詩織は顔を背けた。心はすでに麻痺していた。

「どう、気が済んだ?気が済まないなら、あなたに見せつけるチャンスはいくらでもあるわ。あなたの体がどこまで耐えられるか、だけど」

結月は得意げに口角を上げた。

詩織は彼女と争う気がなかった。彼女が何を言っても、沈黙を守った。

その時。

署名済みの離婚届が目に飛び込んできた。

「サインして。

こんな役立たずのあんたが、いつまで経っても片付けられないから、私が用意しておいたのよ」

詩織は離婚届に目を落とした。確かに、男側の欄には雅也の名前がサインされていた。

彼は待ちきれないのだろう。

でも、そんなに急がなくてもいいのに。

彼女の命はあと三日しか残されていない。三日後には、彼女と雅也の結婚も無効になるのだから。

しかし、彼が望むのなら。

彼の望みを叶えてあげよう。

詩織は自嘲気味に笑い、そこに自分の名前をサインした。

「それでこそ賢いわ。早くお金を持って出て行きなさい」

結月は離婚届を手に取ると、丁寧にインクが乾くまで息を吹きかけ、満足そうに去っていった。

詩織はベッドに横たわり、ゆっくりと目を閉じた。

静かに流れる涙が、枕を濡らした。

何日も雅也は家に帰ってこなかった。

詩織は広大な別荘で、自分が長年使ってきたものを整理し始めた。

彼女は名家に嫁いだ。全ては雅也が用意したものだった。

本当に彼女のものと言えるのは、小さなキーホルダーだけだった。

それは十歳の時、雅也がさりげなく彼女にくれたものだった。

「あげるよ。幸運を呼ぶって」

彼女はそれを宝物のように大切にし、心の奥に隠してきた。だが、何年も経った今、それはすでに錆びだらけだった。

まるで彼女の心のように、傷だらけだった。

詩織は窓を開け、大切にしてきたキーホルダーを、薬指の指輪と一緒に投げ捨てた。

もういらない。

「また拗ねてるのか?」

いつの間にか、雅也が彼女の後ろに立っていた。眉をひそめている。「前回の罰は、まだ足りないのか?」

詩織の心臓は強く締め付けられた。

もうたくさんだ。

彼女は命まで失いかけているのに、どうしてまだ懲りないのだろうか?

雅也は眉をひそめ、彼女の様子を見て、心の中に言いようのない不快感を覚えた。

彼は有無を言わさず彼女の手を引いた。「行くぞ」

「どこへ?」

「実家へ帰って、祖父母に会うんだ」
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