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第6話

Author: 銜枝
詩織はどのようにして本家を後にしたのか、覚えていなかった。

頭の中では、先程の言葉が何度も何度も繰り返されていた。

五年前、雅也は彼女にプロポーズした時、子供を産めるかどうかなど気にしない、彼女に良い家柄があるかどうかなど気にしない、ただ彼女の優しさと温厚さを気にしていると言った。

彼女は世界で最も優しい扱いを受ける価値があると。

五年後の今日、彼は村瀬家の大奥様が彼女を虐待するのを傍観し、これは全てお前が悪いのだと言った。

誰が彼女に、無鉄砲に彼と結婚するように言ったのか?

女の目から一筋の涙がこぼれ落ちた。

彼女は自分の世界に浸っていて、背後から黒ずくめの男がつけてきていることに全く気が付かなかった。

次の瞬間、大きな袋が頭からすっぽりと被せられた。

詩織はすぐに意識を失った。

再び目を開けた時、彼女は荒れ狂う波の音と、男が怒りっぽく電話をしている声を聞いた。

「雅也、お前の女たちは俺の手の中だ。死なせたくなかったら、20億円の現金を持って埠頭に来い!

詩織はその時初めて、自分と結月が甲板に縛り付けられていることに気づいた。

結月は怯えて泣き叫び、男に命乞いをした。

詩織も彼を宥めた。「落ち着いてください……」

男は冷笑した。「お前が余計なことをしなければ、雅也はとっくに死んでいただろう。そうなれば、奴が村瀬家を継ぐこともなかった!

今日はお前にも、絶望を味わわせてやる!」

そう言い終えると、雅也が現金を持って急いで駆けつけ、低い声で言った。「陸、二人を解放しろ!」

陸は鼻で笑った。「兄貴、人に物を頼む時は、頼む態度ってものがあるだろう。金は?」

黒い革のトランクが一つ押し出された。

陸は前に出て確認し、問題がないことを確認すると、意味ありげな笑みを浮かべた。

「兄貴、気が変わった。

今までずっとお前が俺を叩きのめしてきたからな。潮時だ、そろそろ俺に仕返しさせてもらう番だ。

この女二人の中から一人だけ連れて行くことができる。もう一人は……死ぬ!」

それを聞いて、詩織は自嘲気味に顔を背けた。

彼女は心の中で、答えを既に出していた。雅也が選ぶのは結月だけだ。彼はすでに何度も彼女を見捨ててきた。今回も、それと大差ない。

詩織は目を閉じ、運命の裁きを待った。

しかし、雅也は冷笑した。「二人とも連れて行く。幾ら金が必要なんだ、言ってみろ!」

詩織は呆気に取られた。

結月も泣き止み、怒りで顔を真っ青にしている。

彼女は嗚咽をこらえながら言った。「雅也、私のことは放っておいて。詩織さんがあなたの奥さんなんだから。あなたが幸せなら、私はあなたのために死んでも構わない!」

言い終えるや否や、彼女は頭を壁に打ち付けようとした。

その瞬間、陸は激怒した。結月の髪を掴み、壁に叩きつける。

雅也は結月を守ろうと飛び出し、二人はそのまま揉み合いになった。

「危ない!」

その時、詩織は鋭い視線で陸が背中に隠しているナイフに気が付いた。それは今にも雅也の腹部に突き刺さろうとしていた。

危機一髪の状況で。

詩織の体は脳よりも早く反応し、まっすぐ飛び出して行って、力一杯雅也を突き飛ばした。

陸は奇襲に失敗し、体が結月の方向にふらつき、手にしていたナイフが彼女の腹に突き刺さった。

「きゃあ!」

結月は血の海に倒れ、もう今にも息絶えそうだった。

雅也は目を血走らせ、陸を蹴り飛ばして振り返り、詩織を睨みつけながら、歯を食いしばって言葉を絞り出した。

「詩織、お前、わざとだろ!

「結月が傷つくと分かっていながら、他人を利用してまで殺そうとしたんだな! 本当に人を見る目がなかった!

お前がこんなに悪辣だと知っていたら、俺は結月を選んでいたのに!」

詩織は全身が凍りつくように硬直し、信じられない思いで胸がいっぱいになった。

「私はただ、あなたを助けたかっただけなのに……」

雅也の呼吸はさらに荒くなり、その瞳には信頼など微塵もなく、残るのはただ濃密な嫌悪だけだった。

「助けたかったのか、それとも他人を利用して殺したかったのか――自分自身が一番よく分かっているだろう!」

そう吐き捨てると、雅也は慎重に結月を抱き上げ、振り返らずに立ち去った。

詩織は彼の背中を見つめ、ゆっくりと隅に身を寄せ、麻痺したように目を閉じた。

突然、スマホが震え出した。

画面に映る真っ赤な数字が、彼女の命があと一日しか残されていないことを告げていた。

詩織はふと、すべてから解放されたような心地になった。

明日が来れば、世界に詩織はもう存在しない――ついに解放されるのだ。

彼女は海の上で一晩中漂流し、翌朝、ようやく救助された。

彼女は疲れ切った体を引きずって家へ帰ると、遺書を書き、自分の名義になっている財産を全て、幼い頃に住んでいた孤児院へ寄付した。

そして、詩織は病院へ電話をかけた。

自分の遺体を寄贈する意思を伝える。唯一の条件は、病院がそれを受け入れてくれることだった。

すべてを終えた後、彼女はベッドに横たわり、静かに目を閉じた。

疲れ果てた体を、ただ休ませたかった。

その瞬間、黒ずくめのボディーガード数名が押し入り、無理やり彼女を病院へ連れて行った。

雅也が慌てて駆け寄る。「詩織、結月の怪我は重篤だ。医者の話では、彼女は血液凝固障害を抱えていて、救えるのはお前の骨髄だけだ」

詩織は耳を疑った。

「でも、私は死んでしまうわ!」

彼女の命はあと一日しかない。最後のその一日さえ、彼女は持つことができないのだろうか?

雅也は我慢の限界に達した。「もういい加減にしろ!

お前が俺の命を助けてくれたことは分かってる。でもな、俺はもうお前と結婚したじゃないか。それで十分だろ?何年も村瀬家で上流階級の暮らしをしてきたんだ、体がそんなに悪いはずがないだろう!」

彼は深呼吸をし、拒否を許さない口調で言った。

「分かったな、詩織。結月はお前のせいで、こんなことになったんだ。わがままを言うな。後で、ちゃんと埋め合わせしてやるから」

そう言い終えると、詩織は手術室へ運ばれて行った。

しかし、ドアが閉まると同時に、先程までベッドに横たわっていたはずの結月が、何事もなかったかのようにベッドから降りてきた。

彼女の顔には陰険な笑みが浮かんでいた。「まさかと思ったでしょう?私には血液凝固障害なんてないのよ。あなたの病歴報告書は、もう見ました。

詩織さん、どうせ死ぬ運命にあるなら、いっそ気持ちよく死んだらどうかしら?

さあ、手を動かして。彼女をカラカラに吸い上げて頂戴!」

医者や看護師は逆らうことができず、麻酔さえ打つことを許されず、小指ほどの太さの針が彼女の脊髄に突き刺された。

激しい痛みが一瞬にして全身を襲った。

「ああ――!」

詩織は悲痛な叫び声を上げ、本能的に体が震えた。

傍にいた結月は口角を上げた。

「詩織さん、安心して死んでちょうだい。あなたのことは、私が永遠に忘れないわ」

意識が少しずつ薄れていく中、詩織は痛みに耐えながらエビのように身を縮こまらせ、手術室の天井を見つめ、静かに涙を流した。

彼女は、自分の死を想像したことがあった。静かで、安らかで、痛みも少なく。

たとえ別れを告げることになっても、体裁よく去りたいと思っていた。

しかし今――

手術台に横たわり、血が体から吸い上げられていく感覚とともに、命が少しずつ削られていくのを感じていた。

詩織は目を閉じ、走馬灯のようにこれまでの人生が駆け巡る中、目尻から一筋の涙が零れ落ちた。

雅也、今度こそ本当にさようなら。

さようなら、二度と会うことはないでしょう。

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