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選ばれなかった指輪

選ばれなかった指輪

By:  悪女ヨCompleted
Language: Japanese
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私は同じ男と、七度結婚した。 そして彼も同じ女のために、七度、私と離婚した。 彼が「自由の身」となって初恋と休暇を過ごすため、彼女が噂にさらされないように守るため。 初めて離婚した時、私は手首を切って彼を引き留めようとした。 救急車のサイレンが鳴り響く。 だが彼は一度も病院に来てくれることはなかった。 二度目は、私は自分の価値を犠牲にして彼の秘書になった。 ただ、もう一度だけ彼の横顔が見たかったから。 私のヒステリーも、譲歩も、妥協も――彼にとっては、いつもの「一時的な別れ」の儀式でしかなかった。 彼は予定通りに私の元へ戻り、予定通りにまた去っていった。 だから六度目には、もう泣き叫ぶこともなく、黙って荷物をまとめた。 二人で過ごした部屋から、静かに出て行った。 そして今回は七回目。彼の初恋がまた帰国すると聞いて、自ら離婚届を彼の前に差し出した。 彼はいつものように、「一ヶ月後にまた籍を入れ直そう」と微笑んだ。 けれど、彼は知らなかった。 ――今度こそ、私が本当に去るのだということを。

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Chapter 1

第1話

私は同じ男と、七度結婚した。

そして彼も同じ女のために、七度、私と離婚した。

彼が「自由の身」となって初恋と休暇を過ごすため、彼女が噂にさらされないように守るため。

初めて離婚した時、私は手首を切って彼を引き留めようとした。

救急車のサイレンが鳴り響く。

だが彼は一度も病院に来てくれることはなかった。

二度目は、私は自分の価値を犠牲にして彼の秘書になった。

ただ、もう一度だけ彼の横顔が見たかったから。

私のヒステリーも、譲歩も、妥協も――彼にとっては、いつもの「一時的な別れ」の儀式でしかなかった。

彼は予定通りに私の元へ戻り、予定通りにまた去っていった。

だから六度目には、もう泣き叫ぶこともなく、黙って荷物をまとめた。

二人で過ごした部屋から、静かに出て行った。

そして今回は七回目。

今度こそ、私が本当に去るのだ。

「白石雪歌(しらいし せつか)が帰国した。私たち……離婚しましょう」

そう告げて、私――夏目千昭(なつめ ちあき)はサイン済みの離婚届を夫・入江羽空(いりえ はく)の前に静かに置いた。

彼の表情が一瞬で凍りついたが、すぐに我に返り、慣れた手つきで署名をした。

私から離婚届を差し出すのは、これが初めてだった。

それでも彼は、これまで六回と同じように、聞き慣れた口調で私に約束した。

「一ヶ月もすれば、雪歌も帰る。そうしたら……また籍を入れ直そう」

昔の私なら、そんな言葉では満たされなかった。

誓約書を書かせたり、無理に約束させたりしたかもしれない。

でも今回は、心がまったく動かなかった。返事する気すら起きなかった。

「千昭……聞いてるのか?」

羽空は眉をひそめ、私の沈黙に苛立っている。

私はただ、軽くうなずいた。

「うん」

そう答えると、私は淡々と服を畳み、スーツケースに詰め続けた。

羽空が「また籍を入れ直そう」と言えば、必ず約束は果たす。

彼は業界でも誠実で知られている。そこは疑いようがなかった。

たまたま私たちの関係は、最初から夫婦というより、契約更新を繰り返す、ビジネスパートナーに近かったから。

決められた期日が来たら、形式的に「婚姻届」と「離婚届」という「契約書」にサインするだけ。

一年に二回。

これまで、私は十四枚の「契約書」に名前を書いてきた。

結婚式の日、彼は言った。

「結婚している間は、絶対に不倫はしない」

確かに彼は約束を守った。

……離婚した後に、誰と付き合おうと、それは彼の自由だった。

ただその代償に、私はみんなに知れ渡ってしまった。

――羽空の気持ち一つで呼び出され、用済みになれば捨てられる女として。

でも、今日の私があまりにも冷静だったせいか、羽空は落ち着かない様子だった。

今までの離婚の際、私は泣き叫び、喚き、時にはリストカットまでして彼を追い詰めた。

……あの記憶が、彼の頭から消えることはないのだろう。

だからこそ、今回の私のてきぱきとした態度が、彼の神経を逆なでしているようだった。

「じゃあ、今回は俺が家から出て行こうか……」

「パシン!」と大きな音を立ててスーツケースを閉めた。

その音が、彼の言葉を遮った。

「親友の家に泊まる約束、もうしてあるから」

すると羽空は何かを思い出したように、先ほどよりも表情を曇らせた。

「まさか……また駆け引きのつもりで、秘書のふりをして会社に来るんじゃないだろうな?

お前、もっと自分の人生を持てないのか。男がいなきゃ、生きていけないのか?」

その言葉の真意、すぐに理解した。

彼はただ、私が会社に行って、雪歌と彼の「仲睦まじい時間」を邪魔するのを嫌がっているだけ。

雪歌が久しぶりに帰国した。

羽空はいつものように、彼女を秘書として自分のそばに置き、一日たりとも離したくないのだろう。

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第1話
私は同じ男と、七度結婚した。そして彼も同じ女のために、七度、私と離婚した。彼が「自由の身」となって初恋と休暇を過ごすため、彼女が噂にさらされないように守るため。初めて離婚した時、私は手首を切って彼を引き留めようとした。救急車のサイレンが鳴り響く。だが彼は一度も病院に来てくれることはなかった。二度目は、私は自分の価値を犠牲にして彼の秘書になった。ただ、もう一度だけ彼の横顔が見たかったから。私のヒステリーも、譲歩も、妥協も――彼にとっては、いつもの「一時的な別れ」の儀式でしかなかった。彼は予定通りに私の元へ戻り、予定通りにまた去っていった。だから六度目には、もう泣き叫ぶこともなく、黙って荷物をまとめた。二人で過ごした部屋から、静かに出て行った。そして今回は七回目。今度こそ、私が本当に去るのだ。「白石雪歌(しらいし せつか)が帰国した。私たち……離婚しましょう」そう告げて、私――夏目千昭(なつめ ちあき)はサイン済みの離婚届を夫・入江羽空(いりえ はく)の前に静かに置いた。彼の表情が一瞬で凍りついたが、すぐに我に返り、慣れた手つきで署名をした。私から離婚届を差し出すのは、これが初めてだった。それでも彼は、これまで六回と同じように、聞き慣れた口調で私に約束した。「一ヶ月もすれば、雪歌も帰る。そうしたら……また籍を入れ直そう」昔の私なら、そんな言葉では満たされなかった。誓約書を書かせたり、無理に約束させたりしたかもしれない。でも今回は、心がまったく動かなかった。返事する気すら起きなかった。「千昭……聞いてるのか?」羽空は眉をひそめ、私の沈黙に苛立っている。私はただ、軽くうなずいた。「うん」そう答えると、私は淡々と服を畳み、スーツケースに詰め続けた。羽空が「また籍を入れ直そう」と言えば、必ず約束は果たす。彼は業界でも誠実で知られている。そこは疑いようがなかった。たまたま私たちの関係は、最初から夫婦というより、契約更新を繰り返す、ビジネスパートナーに近かったから。決められた期日が来たら、形式的に「婚姻届」と「離婚届」という「契約書」にサインするだけ。一年に二回。これまで、私は十四枚の「契約書」に名前を書いてきた。結婚式の日、彼は言った。「結婚
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第2話
二度目の離婚後、私は羽空の秘書採用試験に受かった。彼の好みに合わせたラテを手に、胸を高鳴らせて会長室のドアを開けた瞬間――そこで見たのは、彼の膝の上で雪歌と絡み合う姿だった。頭が真っ白になった。気がつくと、私は雪歌に掴みかかっていた。次の瞬間、羽空の一撃で地面に叩きつけられた。「あっ……!」私は床に倒れ込んだ。ドアの外には、見物の社員たち。まだ私を「会長の奥様」だと思っているから、雪歌を見る目は皆、軽蔑に歪んでいた。彼女の評判を気にしたのだろう。羽空は、泣いて否定する私を無視し、私のバッグを奪うと中身を床にぶちまけた。役所からもらったの離婚届受理証明書が、地面に散らばった。たった一枚の紙が、私と羽空の今の関係を、誰の目にも明らかにした。あの日以来、羽空は私と離婚するたびに、SNSでそれを公表するようになった。誰もが知っている――入江羽空が愛しているのは白石雪歌だけ。私こそが、しがみついて離れない女だと。……でも、今回は違う。彼の心配は無用だった。私は少しも躊躇せず、スーツケースの取っ手を握った。「ご心配なく。もう……お二人の邪魔はしないから」羽空は訝しげな表情で私を見つめていたが、私が一歩、ドアの外へ踏み出した瞬間、慌てたように声をあげた。「来月の十三日……再婚の日だ。忘れるな」私は思わずぼんやりとした。――なんて偶然なんだろう。私の海外に行くフライトも、同じ来月の十三日に決まっていたのだ。……雪歌が帰国してから、羽空が私を気にかけることは一度もなかった。私も、もはや彼を追いかけない。離婚後に彼の行動を探り、現れそうな場所で待ち伏せする……あの狂気じみた日々は終わった。親友の唐沢万純(からさわ ますみ)と、寿喜鍋を囲み、タピオカを啜り、焼鳥をつまみにハイボールを傾ける……そんな、楽しい日々を送っていた。気づけば、出国まであと二十日。その日、万純と待ち合わせたレストランで。料理を待っていると、偶然、羽空と雪歌が腕を組んで入ってきた。羽空が雪歌の腰を抱き、二人は楽しげに笑い合う。誰の目にも「お似合いのカップル」に見えるだろう。「……千昭?」彼の視線が、真っ先に私を捉えた。雪歌は甘えるように羽空の首に腕を回し、微笑んだ。
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第3話
雪歌が何度も彼の名前を呼び、声にはもう明らかな苛立ちがにじんでいた。ようやく羽空は、しぶしぶといった様子で私から視線を離した。……あのレストランでの出来事が、出国前の最後の関わりになると思っていた。けれど。まさか、羽空の秘書を正式に辞めたその夜に、彼からビデオ通話がかかってくるとは。信じられない気持ちで、思わず拒否しそうになった指をぐっと抑え、代わりに音声通話に切り替えた。受話器から、彼の不機嫌そうな声が響く。「なんで音声だけなんだ?」私は適当に答えた。「化粧してないから。ビデオはちょっと……」言ってすぐ後悔した。まるで「好きな男の前ではきれいでいたい」って言っているみたいじゃないか。案の定、羽空はふっと笑った。機嫌が良くなったような、軽い調子で言う。「もう長年連れ添った夫婦だろ。お前のどんな姿を見たことがないっていうんだ?」その冗談めいた口ぶりに、胸の奥がざらりと嫌な感触になった。私は冷たい声で返した。「用事はあるの?」私のよそよそしい態度を敏感に感じ取ったのか、彼は姿勢を正し、真面目な声に変わった。「人事から聞いたぞ。お前、辞めたんだって?」「うん」短く答えるだけ。それ以上の説明は必要ない。一瞬、沈黙が流れた。羽空は軽い調子で続けたが、どう聞いても無理に話題を探しているようにしか聞こえなかった。「まあ、いいんじゃないか。せっかくの会長夫人なのに、わざわざ秘書になるとか。苦労を買って出るようなものだ。それにしても、お前の勤務ぶりもすごかったな。会社でお前を見かけることなんて、月に一度あるかないか。でもちゃんと給料は払ってたんだ。会社中にお前がコネ入社だってバレちゃってさ、俺が縁故で人を採用してるって言われてるよ」私はうんざりして、彼の話を遮った。「白石のところに行かなくていいの?」羽空は思わず口ごもった。「別に、彼女と俺は何の関係もないんだ、ずっとそのそばに付き添う必要がないだろう」そう言うと、彼は黙り込んだ。その理由に、自分でも気づいたのだろう。――私も、もう「元妻」に過ぎないのだ。羽空の声が、少しだけ弱々しくなった。「……離婚のことは、悪かったと思ってる。でも、あの時離れなきゃ、雪歌が噂されるのが嫌でさ」私は小さくうな
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第4話
さらに噂によれば、あの二人の喧嘩の原因は、どうやら私にあるらしい。それを聞いても、私はただ無関心に笑うだけだった。今の私は、もうかつてのように、愛のためだけにバカなことばかりする私じゃない。一日中SNSを更新し、羽空や雪歌についての投稿を監視して、二人の関係に少しでもひびが入った瞬間に飛び出し、「彼を本当に愛しているのは私だ」と訴えるような女なんか、とっくにいなかった。熱愛中のカップルは、喧嘩をしてもすぐに仲直りするでしょ。私がその原因の一つになったところで、何の意味がある?私はただ、彼らの「遊び」の一部でしかないんだから。でも、それ以来、羽空からの電話は日に日に増えていった。残念ながら、私は直接切るか、さまざまな理由をつけて会うことを断り続けた。出国前日のこと。彼がコンサートに誘ってきた。「チケットもう取ってある。今夜会場で会おう。な?今日は俺たちの結婚記念日だろ?もう断らないよな?」彼がこれほどまでに頭を下げて、私に懇願したことは一度もなかった。これまでは、いつも彼が気まぐれに言葉を紡ぎ、ささやかな一歩を踏み出すだけで、私はその歓心を買おうと、残る九十九歩を一目散に駆け抜けていた。けれど最後には、たった一歩でさえも――雪歌のためなら、羽空はそれを引っ込めてしまうのだと気づいたのだ。しかし、私は本当に何と言えばいいのかわからなかった。だって、今日は結婚記念日なんかじゃない。私たちが四度目に「再婚」した日なんだ。離婚と再婚を何度も繰り返す中で、それでも彼に関するすべてを、私は一つ残らず心に刻み続けてきた。結局、私は彼の誘いを受け入れた。だって、あの歌手のコンサートをどうしても見に行きたかったから。でもその夜、私は会場の入口で待てど暮らせど、羽空の姿は最後まで現れなかった。届いたのは、彼からの一通のボイスメッセージだけ。コンサートの喧騒と、雪歌の笑い声が混じる中、彼の申し訳なさそうな声が聞こえた。「ごめん、千昭。雪歌が急に体調を崩して……今、病院に連れて行ってる。 記念日なんて、これからいくらでも一緒に過ごせる。明日、雪歌が帰ったら、お前のしたいこと、何でも付き合うから。な?」そのとき、会場の中から音楽が流れ出した。柔らかい歌声が夜空に溶けていく。――「あな
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第5話
「さよなら、元夫さん」そう言い残して、私はきっぱりと電話を切り、電源を切った。飛行機のエンジン音が轟き始め、胸の奥にようやく「終わった」という静かな解放感が広がる。――その頃。羽空は万純の家にいる。通話が切れたスマホを握りしめ、茫然と立ち尽くしている。かすれた声で、ようやく絞り出すように問うた。「……千昭は、どこへ行った?」万純は腕を組み、冷笑を浮かべた。「今さら聞くの?もう、行っちゃったわよ」「……行っちゃった?どういう意味だ?どこへ行ったんだ!」万純は肩をすくめ、わざとらしく笑った。「ふふ、私が教えると思う?」羽空の表情から一瞬で血の気が引いた。「唐沢、遊んでる暇はない」「あら、入江会長がそんなに焦るなんて珍しいわ」万純は白い目を向けると、くるりと背を向けてドアを開けた。「出て行って、あなたを歓迎する理由なんてないから」羽空は動かず、顔に影が差す。「今日、俺たちは再婚する約束だった。千昭がこのように消えるはずがない」「再婚?」万純は大げさに口元を押さえ、笑い声を漏らした。「入江会長、婚姻届受理証明書をなんだと思ってるの?スーパーのポイントカード?七回集めたら、何かと交換できるとでも?」羽空の瞳が鋭く収縮した。まるで心の奥の、誰にも触れられたくない場所を抉られるようだった。だがすぐに感情を押し殺し、冷たい声で言い放つ。「……千昭の居場所を早く言え!」「千昭はもうあなたの番号をブロックしたのよ。まだ分からないの?」万純は顎を軽く上げ、嘲笑った。「入江、千昭はもう戻ってこない」羽空の我慢は、ついに限界を超えた。彼は苛立ちを爆発させ、ソファの肘掛けを激しく叩きつけた。「千昭がそんなふうに消えるわけがない!俺たちのことに、お前が口を出す権利はない!」「私が権利がないって?まさかあなたがあるっていうこと?」万純は嗤うように笑い、引き出しから一束の書類を取り出して、彼の前に放り投げた。「なら、これを見なさいよ。あなたが千昭を邪魔する権利があるのかどうか?」羽空はうつむき、紙の内容を見た瞬間、息を呑んだ。それは――私の退職証明書、銀行口座の解約証明書、そして……行き先だけが丁寧に塗りつぶされた片道航空券。「……これで分かった?」
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第6話
羽空の声はかすれ、瞳は真っ赤に染まっていた。その瞬間、彼はようやく悟った。今度こそ、本当に自分の妻に捨てられたのだと。……羽空はまるで操り人形のように家へ戻った。ドアを開けた途端、懐かしい香りが鼻をくすぐった。――豚汁だ。千昭が得意だった、あの優しい味わいだ。羽空の心臓が激しく鼓動した。目の奥に一瞬、希望の光が灯る。「……千昭?戻ってきたのか?」彼はほとんど転がるようにキッチンへ駆け込んだ。期待に輝いた瞳が、そこでぴたりと止まった。笑みも、ゆっくりと消えていった。そこにいたのは千昭ではなかった。雪歌が白いシルクのネグリジェ姿で、ゆっくりとアクをお玉で軽くすくい取っている。彼女は羽空を見るなり、柔らかな笑みを浮かべた。「羽空、おかえりなさい」その一言で、胸の奥の期待が一瞬にして崩れ去った。羽空の表情は、冷たく閉ざされた。「もう海外に帰ったはずだろう?」彼は確かに、自ら雪歌を空港まで送ったはずだった。「やっぱり……」雪歌はお玉を置き、羽空に歩み寄った。華奢な指先が、彼の胸元にそっと触れた。「羽空が恋しくて……離れられなかったの。もう二度と、行かないわ」彼女は顔を上げ、その瞳に欲の光を宿した。「ねえ、結婚しましょう」羽空は一瞬、何かの冗談を聞いたかのように笑い、乱暴に彼女を突き放した。「……結婚?お前は自分を何様だと思ってる?」雪歌の顔が強張った。「どういう意味?」「俺の意味は――」羽空の声は氷のように冷たかった。「俺が再婚する相手は夏目千昭であって、お前じゃない」「あり得ない!」雪歌が叫んだ。「羽空、私のために何度も夏目を捨てたでしょう!今さら何を気取ってるの!」羽空の瞳に一瞬、狼狽の色が走った。そして、それはすぐにより深い冷たさへと変わり果てた。「俺が離婚したのは、お前の評判を守るためだ。愛していたわけじゃない。お前が何年も俺たちの間に入り込まなければ、千昭は去らなかった!」雪歌の顔が真っ白になり、次の瞬間、羞恥心と怒りで真っ赤に染まった。「嘘よ!それだけなら、どうして毎回ちゃんと彼女と再婚したの!?」羽空は言葉に詰まり、目の奥にかすかな虚ろいが走った。「……俺は、彼女に約束したからだ」――そうだ。
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第7話
「今すぐ出て行け」羽空は冷たく言い放つと、ポケットからスマホを取り出し、素早くボディーガードの番号を押した。「すぐに来い。白石を彼女がいるべき場所に戻せ」雪歌の顔色が一瞬で青ざめた。「やめて!羽空!私、そんなにあなたを愛してる……」だが返ってきたのは、玄関のドアが開く冷たい音だけ。黒いスーツのボディーガードが二人、無言で彼女の両腕を掴んだ。羽空はその場に立ち尽くし、床に散らばった陶器の破片とこぼれた豚汁を見つめた。そして、ゆっくりと膝をついた。味噌の香りが、静まり返った空気にただよう……もう二度と戻らない、あの人の温もりのように。……飛行機が異国の滑走路に着陸した瞬間、私は窓の外の景色がぼやけて見えた。見知らぬ風景に、胸が締め付けられる。到着ロビーを出ると、少し背を丸めた父親の姿があった。かつてビジネス界で名を馳せた父親は、今では白髪が目立ち、私を見るなり、目尻を赤くした。昔、夏目グループが海外へ移るとき、私は羽空のために国内に残り、父親の反対を押し切って結婚した。親子の縁が危うくなるほどだった。あれから六年、初めて家族と再会した。「父さん……」声が震えた。涙が溢れながら父親の胸に飛び込んでいた。「本当にごめんなさい……あんな男のために家族を捨てるなんて……」父親は力強く私を抱きしめ、過去のわがままを責める気もない。「家に帰って来られて何よりだ」その一言で、張り詰めていた心が解けた。――私の本当の「居場所」は、両親のそばにあるんだ。私は涙で目を潤ませ、ようやくわかった。以前の私は目がくらんで、初恋のために七度も私と離婚した羽空との家を、自分の居場所だと勘違いしていたのだ車の中で、父親が静かに言った。「入江グループの株を17%、買い取った」私は首を横に振った。「私のための復讐は必要ないよ。私自身のことは、自分で解決したいの」「復讐じゃない」父親は真剣な目で私を見た。「これは、君が戻ってきて夏目グループを継ぐことへの、プレゼントだ」……三年後。「会長、第三四半期の決算報告です。純利益は前年同期比65%増です」秘書が丁寧にファイルを差し出す。私はオーダーメイドのスーツをまとい、高層オフィスから金融街を見下ろす。三年
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第8話
羽空はスクリーンに映る私の姿を凝視していた。外国の商務省高官と握手を交わす映像に、喉が激しく動いた。「財務部に伝えろ……銀行への担保株の利息を、さらに2ポイント上げろ」……ガルフストリームG650が成層圏を突き抜けるころ、私はホテルのラウンジで、特別な宅配便の受領書にサインしていた。荷物を開けると、コピーの七枚の婚姻届受理証明書と七枚の離婚届受理証明書が現れた。照明の下、それらは皮肉な輝きを放っていた。中には万純からのメモが挟まっていた。【あの男、これを全部集めたら千昭が戻ってくると信じてるみたい】私は静かにベルを押し、やってきたウェイターに微笑んだ。「これ、シュレッダーにかけておいてください」……羽空が私を見つけたのは、政略結婚の相手――一条グループの一条幻延介(いちじょう げんのすけ)とカフェでデートしていたときだ。N国のガラス張りのカフェで。幻延介の指先が、ゆっくりとカップの縁をなぞる。この三年、ビジネス界で「狼」と呼ばれるこの男が、こんな穏やかな表情を見せるのは私の前だけだ。「君と出会って、もう三年四ヶ月」彼はそう言い、スーツの内ポケットから青いベルベットの小箱を取り出した。「もう、日数計算はやめたい」箱が開いた瞬間、ガラス越しの陽光が一斉にそのエメラルドカットのメインストーンへ集まった。12カラットの稀少なピンクダイヤは、二十数個の最高級ホワイトダイヤに囲まれ、星の輪のようだった。「先月、S国銀行の金庫から取り寄せた」彼は、時計をはめた私の手首をそっと持ち上げた。「思ってたより、ずっと君に似合う」無数の契約書にサインしてきたその手が、今は緊張でかすかに震えている。幻延介の声は、珍しくためらいがちだった。「薬指が嫌なら、ネックレスにしてもいい」私は笑って首を横に振り、指輪をそのまま薬指を差し出した。――その瞬間、鋭い破裂音が室内を切り裂いた。強化ガラスが砕け、無数の破片が陽光を反射する。その中を、羽空が獣のように突進してきた。そのハンドメイドの革靴が砕けたガラスを踏み、耳をつんざく音を立てる。「千昭!」血走った目で、彼は私と幻延介のつないだ手を睨みつけた。「お前は俺の妻だ!今ここで何をしてる!二重結婚か!」幻延介は私と羽空の
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第9話
羽空はスマホを取り出し、一つの動画を再生した。画面には、雪歌がやつれた姿で精神科病院の窓辺に立っている。薬の副作用で顔はむくみ、別人のように変わっていた。彼女は無表情で、ぼんやりと窓の外を見つめている。「あの女を売春させ、精神科病院にも入れたんだ」羽空は必死に訴える。「お前があいつを憎んでるから、俺は報復したんだ……!」「私が去った理由が、彼女だと思ってるの?」私はふっと笑った。「それなら教えてあげるわ。私は、もうどうでもよくなったの。彼女も、あなたも」その瞬間、幻延介が静かに私の手を包んだ。二人の指が優しく絡み合う。羽空の視線が、その繋がった手に釘付けになった。火傷したように、体が微かに震える。「来月、私たちは結婚する」私は穏やかに告げた。「その時は、ぜひご出席ください」その言葉に、常に冷静な幻延介が一瞬で笑みを浮かべ、少年のように嬉しかった。しかし、羽空の唇が小刻みに震え始める。次の瞬間、彼はいきなり私の腕に縋りついた。「ダメだ……千昭、ダメだ……そいつと結婚なんてしないで!一生俺を愛すると誓ったじゃないか……お願いだ、俺を捨てないで!」私は彼を見つめ、静かに言った。「七年前、あなたが初めて白石のために私と離婚した時、私も同じようにあなたに縋った。手首を切ってまで引き止めた。血で床が染まっても、あなたは一度も振り返りもせずに彼女のもとへ出て行った。救急車を呼んだのは――あなたじゃなく、家政婦だった。その後、一ヶ月入院したけど、あなたは一度も見舞いに来てくれなかった」幻延介がそっと私の肩を抱く。その時初めて、自分の体がまだ震えていることに気づいた。「もう大丈夫だ、千昭」幻延介の声は低く優しい。「過去は終わった。さあ、行こう」羽空が崩れ落ちるように膝をつき、周囲の視線も気にせず私の足に縋りついた。「行かないで!お前がいなきゃ、生きていけない……!この三年、ずっとお前を探し続けた!世界中を探したんだ!」私は彼の乱れた髪を見下ろした。かつて私を夢中にさせたその顔は、今は涙と絶望で歪んでいる。しかし、不思議なほど心は静かだった。底なしの湖のように……「入江さん」幻延介の声が冷たく響く。「もう一度、俺の婚約者に触れたら、明日
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第10話
アハマ諸島のピンクサンドビーチ。三百個のクリスタルランプが、夜の海を幻想的に照らし出していた。ヴェラ・ウォン最新作のウェディングドレスをまとう私の鏡に映る顔は、三年前よりずっと穏やかで、輝いていた。「夏目さん……」スタイリストが小声でささやく。「外に……男性の方が……」万純が即座に遮った。「千昭はお会いできませんとお伝えして」私はヴェールを整える手を止めた。「……入江が、まだ?」「昨夜からずっと、ビーチの入口で跪いたままよ」万純は軽蔑そうに言った。「千昭に会うまでは立たないって。警備員が三度も追い出そうとしたけど」窓越しに外を見ると、暴雨に打たれた男は全身ずぶ濡れで、高価なスラックスは粗い砂で擦り切れ、膝から血がにじんでいた。ボディーガードの差し出された傘を振り払い、まるでこの雨で罪を洗い流そうとするかのように。そこへ、幻延介がドアを開けて入ってきた。手にするタブレットに映っているのは、入江グループの株価が暴落するリアルタイムデータだ。――ちょうど半時間前、一条グループが入江グループの最後の7%株式の買収を完了したばかりだった。「結婚式の生中継をあいつに見せようか」彼は私の肩に顎を乗せ、教会内部のライブ映像を映し出した。彼の声音は穏やかで、まるで今日のメニューについて話すかのように。「わざと、あの年君たちが結婚した教会を選んだんだ」私は笑って、彼の手を軽く叩いた。「子供みたい」「千昭!」暴雨の中から、空気を引き裂くような叫び声が響く。「出て来い!俺に会え!」羽空はいつの間にか警備員たちを突破していた。豪雨の中、彼は海水に濡れたビロードの小箱を掲げる。中には、緑がかった翡翠の指輪――私たちが初めて結婚した日、彼が露店で適当に買ったペアリング。「……俺、胃がんの末期だ。医者があと三ヶ月って……」彼の声は震えていた。「頼む……最後に一度だけ……会ってくれ……」幻延介が突然私の手を強く握った。この「狼」が、目尻を赤くして震えている。私がまだ羽空に心を動かされるのではないかと心配してる。でも、もうそんなことはない。私はそっと幻延介の手を握り返し、スタッフに向かってうなずいた。「式を始めましょう」オルガンの音が響いた瞬間、砂浜か
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