Mag-log in陸side
一週間後――――――。
再び美月からの着信が入ったが、この前とは違い、俺は強気な姿勢を崩さずに電話に出た。
「はい、遠藤です」
「期限の一週間になりましたが、回答がなかったためご連絡させていただきました」
その言葉に俺はほくそ笑んでいた。美月の会社は、遠藤製薬の受注がなければ事業として成り立たない。いくら美月が強気に出たって会社が潰れたらおしまいだ。取引委員会も単なる脅しで、実行なんかできないとタカをくくっていた。
「誓約書なら捨てた。あんな一方的な内容、検討する価値もない」
「……そうですか。それでしたらこちらも次の段階に進めさせて頂きます」
美月は、俺の予想に反して一切動揺している素振りを見せずに淡々としている。その声が、逆に俺の苛立ちを煽った。
「次の段階だと?何をするつもりだ?また脅し文句でも考えるのか?」
「いえ、今までの恩義を果たすまでです。あなたのところにも、他から話が回ってくるのではないでしょうか?それでは失礼します」
ツーツーツーツー。
美月side「十二月三週目の土曜日は空いていますか?」世羅からそんなメッセージが来たのは、退職の電話をした十日後の事だった。仕事を辞めて準備段階の今、予定はいつも空いている。すぐに返事をして、土曜日に駅で待ち合わせることになった。そして、約束の日――――――街全体がクリスマスムード一色で、ツリーやキラキラとしたオブジェ、イルミネーションの装飾など、賑やかな光が通りを照らしていて、街の華やぎが私の高揚感をさらに煽る。午前十一時半、新幹線の改札口で到着を待っていると、ロング丈のトレンチコートに上品なマフラーを巻いて、キャリーバッグをひく世羅の姿が見えた。世羅は、少し辺りを見渡してから私に気がつくと、小さく微笑んで頭を少し下げた。「柳さん、今日はありがとうございます」「いえ、こちらこそ。お付き合いいただきありがとうございます」『お付き合いいただき』という言葉に、交際という意味ではないと分かっているのに、胸が敏感に反応している自分がいる。そんな様子を世羅には気づかれずに済んだようで、彼は慣れた様子で歩いていく。「先にチェックインだけしてもよろしいでしょうか?」世羅が進んだ先は、初めて
美月side「お忙しいところ、折り返しありがとうございます」「いえ、久しぶりですね。お元気でしたか?」世羅の気遣いを感じさせる穏やかな声が、耳に優しく響く。「はい、おかげさまで――――実は、今日、父の会社を退職したんです。これからは独立して自分でやっていこうと思いまして」「それはすごい。大きな決断をされたのですね。健闘を祈っています。ということは、もしかして、この電話も使えなくなるのですか?」「え……?いえ、個人も会社も同じ番号でやっていたので大丈夫です」「良かった。それなら私から連絡した時も繋がるんですね」この場だけの社交辞令かもしれない。それでも、『私から連絡した時』という言葉に期待を持たずにはいられなかった。「はい、大丈夫です。連絡いただけるのを楽しみに待っています。柳さんはお変わりないですか?」「ええ、私は今も大阪で、研究漬けの毎日です。そうだ、年末に名古屋に行くことになりそうなんです。どこか都合がつく日があったら会いませんか?」「はい、是非。是非
美月sideオフィスを出て、夕陽に照らされた光景を背に私は胸に手を当てて大きく深呼吸をした。そして、そのまま世羅に電話を掛けた。世羅と連絡を取るのは、あの大阪で会って以来、初めてだった。今日は、私にとって人生の大きな転機となる日だ。その報告をどうしても彼にしたかった。プルルルル、プルルルルル―――――何回か着信音が鳴ったが、通話には切り替わらない。(やっぱり忙しいし、番号を知っていても、話をできるとは限らないよね……)諦めて電話を切ったが、繋がった時に話すことを何度も考えていたので、その言葉を口にすることがないと分かるとなんだか急に胸が切なくなった。(次に会った時の約束も、もしかしたら社交辞令かもしれない)そんな不安さえ湧いてきて、世羅のことになると心が人一倍ふわふわとしてしまう。家に着いて自分の部屋に入り、鞄をテーブルに置くと、スマホの画面が明るくなっているのが目に入った。(もしかして電話?折り返しをくれたの!?)慌てて取り出してスマホを表示すると、世羅
美月side「分かった。ここまで会社が成長できたのも美月のおかげだ。美月の好きなようにしなさい」「ありがとうございます―――――」父は、私の決断を全面的に肯定してくれた。その深い理解と信頼に私は感極まり深々と頭を下げて感謝を伝えた。こうして私は、三か月の引継ぎを経て大学を卒業してからお世話になった父の会社を退職した。退職前に、最後の重要な仕事として、各企業の契約書の内容を弁護士にリーガルチェックしてもらい、内容に不利な点がないか、妥当性があるかなどを徹底的に見てもらった。そして、電子保存に切り替えるという名目で、変更点を記載した紙と一緒に全取引先と再締結を結んだ。これで、異常な下請けいじめや不履行な契約をされるリスクは減るはずだ。会社の法的防御は、私がいた時以上に強固になった。―――――三年前、陸との突然の婚約が決まり地獄の生活に耐える中で世羅との出逢いが私を大きく変えた。現状を受け入れずに戦うことで事態を好転させ、そして婚約破棄や涼真との関係も清算した。会社も安定した収支を上げられるようになり、外部からの攻撃を受けにくい体制にも改善をした。もうこの会社は、私の弱点ではなくなり、誇れる自慢の場所となった。
美月side私がメールを送った相手は、他でもない父だった。終業後、私は会社の応接室で父と向かい合っていた。「お時間を取らせてすみません」「いや、構わないよ。それで話というのはなんだ」父は私の真剣な顔を見て、既にただ事ではないと察しているようだった。私は深く呼吸し、胸に秘めていた決意を告げた。「はい、この会社を辞めようと思います。退職させてください」「辞める……? 一体どうしたんだ?」驚いて言葉に詰まっている父を見て、私は小さく息を吐いてから何度も頭の中でシミュレーションしていた言葉を口にした。「私は、今までお父さんの会社が遠藤製薬に依存していることに強い危機感を感じていました。遠藤製薬ありきの会社から脱却したかった。だけど、従業員の多くはそのように感じていません。主要取引先との契約条件が改善されて、みんなこの関係の維持を望んでいる」「それが不満だから辞めたい、ということか?」「いいえ。遠藤製薬とこの関係が続けば会社の財務もかなり改善されて余裕が出るし、会社だって安泰だと思う。陸が後継者になることが決定していないうちから、焦ったりリスクを取るのは杞憂
美月side涼真には未来を見ると言ったが、実際は何をしたら本当に前に進めるか分からずにいた。(社員の反対を押し切って話しを進めるのは、陸のような独裁者で横暴なのかもしれない)そんな思いが邪魔をして、私の行動を躊躇させている。しかし、このまま立ち止まることは、私にとって『自由を捨てること』と同義だった。「もっと具体的に、ちゃんと形にして周りが納得してもらえる状態になるまでは、提案や周りを巻き込むことはやめて一人で進めていこう」終業後や休日、誰にも相談することなく、私は黙々と殻に閉じこもるように調べ事や見積りなどを取り次の一手を模索した。周りに理解されなくても、孤独でも、私は現状のままでいるのは嫌だった。誰かに社運や自分の人生を握られている状態にはなりたくなかった。表面上は恵まれていると思ったり、第三者からそのように見えるかもしれないが、実際に会社や自分の意思で動けないようなら、それは恵まれているのではなく、魅せ方だけをよくしているだけで実際には縛られているのと変わらない。いくら鳥籠の広さが大きく、餌が豪華になろうと、籠の中にいることに変わりがないのなら、私はその籠自体から飛び出したかった。今、その籠に安心感を覚え、安らげる人がいるのなら彼らはそのままでもいい。私は、籠の中で羽をばたつかせるだけでなく、いつか外に出て羽を伸ばしたかった。本当の自由を手に入れたかった