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第3話

Author: 列星安陳
結衣はこれ以上見ていられず、ふらつく身体を支えながら、背を向けて歩き出した。

だが、その行く手を澪が塞いだ。

「もしかして......あなたが結衣さん?

やっぱり!すぐわかったわ。

だって――あなたの瞳、私とよく似てるから」

そのころ清志は車を取りに向かっており、背後の二人に気づいていなかった。

「私が悪かったの。

清志のことを忘れていた。

でも、私たちは小さいころから一緒に育ったの。

だから彼の心は今でも私にあるはず。

でなければ、あなたなんかと結婚するはずないでしょう?」

清志への信頼をすでに失いながらも、結衣は歯を食いしばり、自尊心だけは守ろうとした。

「私たちはもう二年間も夫婦なのよ。

今さら間に入るつもり?」

「先に想い合っていたのは、私と清志よ。

周りから見れば、第三者として間に入ってきたのはあなたの方じゃない?」

澪は意に介さず、さらに一歩一歩と迫ってくる。

結衣は嫌悪を隠さず、手を上げてそれ以上近づけまいとした。

「澪、どうした!」

振り返った清志の視線を受け、澪は鋭い悲鳴を上げて、どぼんと川に身を落とした。

「澪!」

清志は一瞬の迷いもなく、すぐさま川に飛び込んだ。

川の水は深くはない。

けれど、そのためらいのなさが、結衣の胸を氷のように冷やした。

「大丈夫だ、澪。

俺がここにいる」

びしょ濡れの澪は小鹿のように震えながら、清志の胸にしがみつく。

「清志......ごめんなさい。

私なんて、いてはいけない人間なのに、戻ってきた途端、結衣さんを怒らせてしまったわ。

ごめんなさい、結衣さん。

明日には出ていくから。

あなたたちを邪魔することはしないから......」

清志は事情も確かめず、結衣を鋭く睨んだ。

「いい加減にしろ」

その低く冷たい声に、思わず身が竦む。

「前にも言ったはずだ。

澪は妹同然だ。

彼女が嫌だからといって、川に突き落とすなんて――」

結衣は気丈に顔を上げた。

夫に他の女がいると悟っても、取り乱したことはなかった。

だが、根拠もなく責め立てられる屈辱は、堪えがたかった。

「私はそんなことする人間じゃない。

誰が嘘をついているか、本人が一番わかっているはずよ」

澪が清志の袖を掴む。

清志は目にあふれるほどの哀れみを込め、濡れていない上着をそっと彼女に掛けてやった。

「まずは病院へ連れて行く」

「清志......薬を」

何かを言おうとした結衣だったが、胸が締めつけられるように苦しく、呼吸が乱れる。

足元の空気すら奪われるようで、眉をひそめ必死に耐えた。

発作だった。

再び喘息がぶり返してきたのだ。

本来なら、前回の入院以来、清志は常に発作薬を持ち歩き、彼女を気遣っていたはずだった。

だが今は違った。

「心理学を学んでる人間ってのは、どうやって可哀想ぶれば一番同情を買えるか、研究するんだろ?」

吐き捨てるように言い残し、彼は澪を連れて去っていった。

結衣は地面に崩れ落ち、苦しげに喘ぐ。

夜空に鐘の音が響き、街中に花火が咲き乱れる。

だが大広場のスクリーンに映し出されたメッセージは、結衣への愛の言葉ではなかった――

「橋本澪、ようこそ帰ってきた」

それは結衣の心を、完全に打ち砕いた。
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