うどん屋を出れば昼時のオフィス街らしく、秋晴れの大通りはとても賑やかだった。指宿は大通りに背を向け、路地裏のもっと奥へと歩き出す。
一体どこに行くんだろうと、美亜が尋ねようとしたその時、急に周囲の音が消えて暗闇に包まれた。
「えっ、な……なになに」
怯える美亜に、指宿は眼鏡を外しながら振り返って、こう言った。
「
「はぁ?何を言って……えっ?えぇぇっーーー!?」
中二病かと疑う指宿の発言を聞いた美亜は、間抜けな声す。そして、すぐに目を丸くした。
信じられないことに指宿の頭に、ピンとした獣の耳が生えていたのだ。
「か、か……課長、み、み、み、耳が増えてます!」
「ああ、やっぱりお前、見えるんだな」
ケモ耳をピコピコ揺らしながら、指宿は表情を変えることなく、ふむと頷いた。まるで部下の報告を聞くように。
でもそれだけ。特にコメントを残すことはせず、くるりと美亜に背を向けて暗闇を歩き出した。
置いていかれたらたまったもんではない美亜は、慌てて後を追う。
振り返ってもくれない指宿は一歩一歩、足を動かす度にその姿が変わっていく。
尻尾がにょきにょき生えて、スーツは平安貴族のような服装に。ゆらめく4つの尻尾にじゃれるかのように、青白い小さな炎が暗闇を照らす。
「あの……課長」
「今、ハロウィンワードを口に出したら置いていくぞ」
「そ、それだけは勘弁してくださいっ」
真顔で忠告を受けた美亜は、ひぃんと半泣きになりながら指宿の尻尾をつかむ。
「おい、どこ触ってるんだ」
「だ、だって課長が置いていくって言うからじゃないですかっ」
死んでも離すもんかと、ぎゅーっと握る手に力を入れたら、指宿はこれ以上無いほどしかめっ面をした。
しかし離せとは言わず、ただただ黙々と暗闇の中を歩き続ける。青白い小さな灯火だけを頼りに。
指宿の尻尾を命綱にしてしばらく歩けば、時代劇に出てきそうな庵が、ぽっかりと闇の中から浮き出すように現れた。
辺りは、満開の花畑。ただし全部菊の花で、縁起が悪い。微かに漂う香りが実家の仏間を思い出す。
本能的に近づきたくないがそこが目的地のようで、指宿の足は迷わず庵に向かう。尻尾が動けば美亜だって付いていくしかない。
近くで見る菊畑は、お墓参りでよく見る品種の他に、結婚式で見かけるポンポン菊もあって、ちょっとホッとする。
そんな冠婚葬祭が混ざった花畑の中央にある庵の扉を、指宿は我が家のようにガラリと開けた。
「ババアいるか」
「おらん」
被せ気味に返事をしたのは、上り框で足をぶらぶらさせている美少女だった。指宿同様に平安貴族みたいな衣装を身に付けている。
美少女の口元を隠す扇も、ひな祭りのお雛様が持っているそれで、美亜の中で更にハロウィン感が増すが、今は指宿がこの美少女に向かってババアと言ったことのほうが問題だ。
だって美少女は、見たところ十代前半。彼女がババアなら自分は何だ?化石かコラ。このイケメン課長、見た目とは裏腹にロリコンのようだ。
大企業の若きエースがロリコンだなんて、社長が知ったら泣くだろう。そして女性社員の欠勤が相次ぎ、会社は大混乱だ。
そんな余計な心配をしていたら、いつの間にか指宿は美少女の前に立っていた。
「嘘を吐くな。いるじゃないか」
不機嫌な顔で腕を組んで見下ろす指宿に、美少女は扇をスルスル閉じる。そしてそれをビシッと指宿に向けた。
「だまらっしゃい。ババアなどここにはおりゃせん!」
「ほざけ。いい歳した婆さんが若作りして恥ずかしくないのか?」
「はんっ。おなごは幾つになっても、若く見られたいものじゃ。な、そこの
「え……わ、私?」
童と言われた美亜は思わず自分を指差した。
22歳にもなって子供扱いされるとは思わなかったし、そもそも童なんて、祖母の鞠子ですら言わない死語だ。
それを違和感無く紡いだこの美少女は、一体幾つなんだろう。いや、そんなことよりここに何の用があるというのだ。
美亜は頭の中に浮かんだ様々な疑問を口にする代わりに、指宿をチラリと見る。
「お前のことだ。とりあえず頷いてババアに媚び売っとけ」
言っている意味がてんでわからないが、思うがまま口を開くほど美亜は子供じゃない。一先ず笑って「どうも」とお辞儀をする。
そうすれば美少女は、美亜に向けて美しい笑みを向け、肩に流れた黒髪を背に流して自己紹介を始めた。
「わらわの名は
最終的にふんっとドヤ顔を決めたババア……ではなく美少女は、要は縁結びの神様らしい。
「知ってるか?」と指宿に問われた美亜は、笑顔で首を横に振った。美少女の顔がちょっと引きつった。
「ま、まあ良い。わらわは、童には甘い故、咎めることはせぬ。じゃが、今日からわらわの名をしかと覚えよ。良いな、童」
「はい」
深く考えずに頷いた美亜を見て、菊理媛神は「童は素直で良い」と笑う。
その艶やかな笑みがあまりにキラキラしているから、美亜はもう童と呼ばれることなんて、どうでもいいとすら思ってしまう。
「で、早速だがババア、こいつの悪縁を切ってくれ」
「くどいぞ、狐。わらわはババアではない。くくり姫と呼べ。姫でも可」
「うるせぇ、ババア」
「はんっ。その口の利き方、いい加減改めよ。さもなければ、世界中の悪女と縁を結ぶぞ」
「やれるもんならやってみろ」
欠片も怯えていない指宿の口調に、菊理媛神──もとい、くくり姫は眉間に皺を刻むが、それ以上の文句は言わない。
きっとこのやり取りは、今に始まったことではないのだろう。くくり姫はため息一つで気持ちを切り替えると、美亜に視線を戻した。
美しい姫にじっと見つめられ、美亜はとても居心地が悪い。背中がぞわぞわする。この眼力は只者じゃない。
さすが神様だ。そっか、今自分は神様に会ってるんだ。そんなふうに美亜が自分の置かれた状況を受け入れようとしていたら、くくり姫が目を丸くしながら口を開いた。
「こりゃまぁ、珍しい。童は
「きがん?」
「俺ら、人ならざるものが見える特殊な目の持ち主ってことだ」
こてんと首を横に倒した美亜に、すかさず指宿が補足する。
すぐさま美亜の顔は青ざめ、激しく首を横に振った。
「違います。私、そんなんじゃないですっ。普通です。そんなもの見えません!」
「俺らが見えてるだろ?」
「わらわ達が見えてるじゃろ?」
強く否定した美亜に、食い気味に指宿とくくり姫が問いかける。しかし美亜は、違う違うと言い張る。
だって二十歳過ぎればただの人って言葉通り、今は見えちゃいけないのだ。そんな能力は捨てたはずだ。
間違いなく気合と根性で見えないようにしたはずだ。なのに……なのに……はっきりと言葉に出されるなんて。
「そんなの嫌だぁ」
この世の終わりのような声と共に、床に崩れ落ちた美亜を、指宿とくくり姫は不思議そうに見つめた。
うどん屋を出れば昼時のオフィス街らしく、秋晴れの大通りはとても賑やかだった。指宿は大通りに背を向け、路地裏のもっと奥へと歩き出す。 一体どこに行くんだろうと、美亜が尋ねようとしたその時、急に周囲の音が消えて暗闇に包まれた。「えっ、な……なになに」 怯える美亜に、指宿は眼鏡を外しながら振り返って、こう言った。「神路を敷いた」「はぁ?何を言って……えっ?えぇぇっーーー!?」 中二病かと疑う指宿の発言を聞いた美亜は、間抜けな声す。そして、すぐに目を丸くした。 信じられないことに指宿の頭に、ピンとした獣の耳が生えていたのだ。「か、か……課長、み、み、み、耳が増えてます!」「ああ、やっぱりお前、見えるんだな」 ケモ耳をピコピコ揺らしながら、指宿は表情を変えることなく、ふむと頷いた。まるで部下の報告を聞くように。 でもそれだけ。特にコメントを残すことはせず、くるりと美亜に背を向けて暗闇を歩き出した。 置いていかれたらたまったもんではない美亜は、慌てて後を追う。 振り返ってもくれない指宿は一歩一歩、足を動かす度にその姿が変わっていく。 尻尾がにょきにょき生えて、スーツは平安貴族のような服装に。ゆらめく4つの尻尾にじゃれるかのように、青白い小さな炎が暗闇を照らす。「あの……課長」「今、ハロウィンワードを口に出したら置いていくぞ」「そ、それだけは勘弁してくださいっ」 真顔で忠告を受けた美亜は、ひぃんと半泣きになりながら指宿の尻尾をつかむ。「おい、どこ触ってるんだ」「だ、だって課長が置いていくって言うからじゃないですかっ」 死んでも離すもんかと、ぎゅーっと握る手に力を入れたら、指宿はこれ以上無いほどしかめっ面をした。 しかし離せとは言わず、ただただ黙々と暗闇の中を歩き続ける。青白い小さな灯火だけを頼りに。 指宿の尻尾を命綱にしてしばらく歩けば、時代劇に出てきそうな庵が、ぽっかりと闇の中から浮き出すように現れた。 辺りは、満開の花畑。ただし全部菊の花で、縁起が悪い。微かに漂う香りが実家の仏間を思い出す。 本能的に近づきたくないがそこが目的地のようで、指宿の足は迷わず庵に向かう。尻尾が動けば美亜だって付いていくしかない。 近くで見る菊畑は、お墓参りでよく見る品種の他に、結婚式で見かけるポンポン菊もあって、ちょっとホッとする
向かい合わせに座っているので、指宿の不機嫌さが露骨に伝わる。気まずい沈黙に苦痛を感じ始めたころ、二人が注文したうどんが並べられた。「い、いただきます」「ああ」 きちんと手を合わせてから、猫舌の美亜はハフハフしながら食べる。店構えは残念だが、味は満点だ。 一方、指宿は味噌煮込みうどんの麺は硬いはずなのに、難儀することなく食べている。真っ白なシャツには汁一つ飛ばしていない。 しかも取り皿に麺を移す指宿の箸使いは、とても綺麗だ。「ん?こっちの方が良かったのか?」 つい指宿の手元を見入っていたら、そんなことを訊かれてしまった。さっきまでムッとしていたのに。 急な指宿の態度の変化に、美亜はポカンとしながらも首を横に振る。その後は、意識して食べることに専念した。 指宿が箸をおいて遅れること数分、美亜もうどんを汁まで飲み干した。「ごちそうさまでした」「ああ……さっそくだが」 そう切り出した指宿だが、一旦言葉を止めてポットを手に取り、二人分のお茶を湯呑に足す。「お、恐れ入ります」「いや、ついでだ。で、先に言っておくが俺は仕事の話をしにきたんじゃない」「え……じゃ、じゃあ」「至極プライベートな話だ」 それすなわち、先週金曜日のコスプレの件だろう。 察した美亜は「誰にも言いません」と、先手を打とうとしたが、そうじゃなかった。「お前、あの男と縁を切りたいか?」「……は?」 まったく予測していなかった質問に、美亜は間抜けな声を出してしまった。 てっきりコスプレを口止めされると思っていた美亜に、指宿は言葉を重ねる。「あの男はお前にとって悪縁だ。しかも無駄に固く結びついているから自力で解くのは無理だ。このままじゃ、一生付きまとわれるぞ」「……一生って……そんな……」 あんぐりと口を開ける美亜だが、ここで気になることがあった。「……課長、あの時のこと全部見てたんですか?」「たまたま視界に入っただけだ」「来るべきハロウィンに向けての練習中にですか?」「何言ってんだ、お前?」 どうやら指宿はコスプレのことはしらばっくれるらしい。なら自分もと、美亜はとぼけることにする。「ちょっと仰っている意味がわかりません。それにもうあの人とは別れてます」「お前なぁ男と女の関係が終わったからといって、縁が切れるなんて思うなよ。金づるとしての縁は切
顔の熱が完全に冷めてから、美亜は自分の席に戻る。香苗と綾乃は時間差で、戻ってくるだろう。その辺りの連携は取れている。 昼休憩まであと5分。パールカンパニーは福利厚生が充実していて各階に休憩スペースがあり、最上階はワンフロア全てが社員のためのカフェスペースになっている。 しかも昼食時には無料のデザートまで用意される。ただし数には限りがあり、雇用形態に関係なく早い者勝ちのルールだ。 暗黙の了解として、本来なら正社員に譲るべきなのだが、美亜は遠慮はしない。 だって用意されているデザートは駄菓子だけではなく、自社ブランドの高級菓子”花珠シリーズ”と、コンビニコラボで大ヒットした真珠大福もある。淡く輝くそれを何としても食べたいのだ。 美亜は机の上を片付けながら、綾乃たちが戻ってくるのをソワソワしながら待つ。時刻は11時57分。どうか内線が鳴らないでと祈ったその時、甘い香りとともに頭上から声が降ってきた。「星野君、ちょっといいかな」 空気を読まずそう言ったのは、コスプレ課長……もとい、指宿亮史だった。「は、はい。なんでしょう」 チャイムと同時に駆け出したい美亜は舌打ちしたい気分だが、立場上嫌とは言えない。引きつった笑顔を浮かべて指宿に続きを促す。「お昼前に悪いが、先ほどミーティングでちょっといい案がでなくてね。申し訳ないんだが、派遣の皆さんにも意見を聞きてみようと思ったんだ」「……はぁ」 こりゃあ、話が長くなるなと美亜はうんざりする。何も今じゃなくていいじゃんと、心の中でぼやいていたら、綾乃と香苗がトイレから戻ってきた。「あ、課長お疲れ様です」「お……お疲れ様ーす」「ああ、お疲れ」 二人はぎこちなく指宿に挨拶をして席に着いたが、動揺を隠せないでいる。 無理もない。営業企画課に席を置いて半年近く経つが、これまで美亜を始め、派遣社員は一度も指宿から声を掛けられたことはない。これは、かなりの事件である。 しかし好奇心はあっても、面倒事に巻き込まれたくないと思うのは当然の発想で、二人はこちらを見ようとはせず、ただただ仕事をするフリをしてチャイムが鳴るのを待っている。「で、話は戻すが今度の商品のターゲットが──ああ、昼か」 再び指宿が口を開いたと同時に、昼休憩を告げるチャイムがフロアに響き渡る。 すぐさまざわざわし始める社員達を一瞥した指宿は
長いミーティングの後、主任と呼ばれている男性社員から指示された仕事は、見慣れた商品名と数字の打ち込みと、ボツになった企画の数々を一つのデータにまとめることだった。 誰でもできる単純で簡単な仕事だが、美亜はニコッと笑って引き受ける。 このご時世、お茶くみなんかはないけれど、雑用全般は派遣社員の仕事。電話を取り次いだ挙句「あーもー忙しいんだから、後にして!」と言われ、頭をペコペコ下げながら相手先に謝るのも派遣の役割。 美亜はアルバイトの経験があまりなく、派遣で働くのも初めてだった。事前に兄の俊郎から、働く際の心構えを教えてもらったが、パールカンパニーで働き出してから葛藤したり悩んだりしたことは数知れない。 他の職場がどうなのかわからないが、パールカンパニーは正社員と派遣社員との線引きがとても細かく、美亜はやりたいのにできないジレンマと、一線を引く正社員たちの態度に少々病んだ。 兄に愚痴り、諭され、足を引きずるようにして出社すること一年。何となく自分の立ち位置がわかってきた。 その後、商品企画部に移動して綾乃と香苗と出会って、今は派遣社員としての働き方を少しは覚えたつもりだ。要領も、ちょっとだけ良くなった。 割り切った気持ちで淡々と仕事をこなしていた美亜は、パソコン画面に表示されている時計に目を向ける。お昼休憩の10分前だった。 やる気に満ち溢れていた初期の頃は、終わり次第報告に行って「次の仕事をくださーい」と言って迷惑な顔をされた。 その度に傷付く自分がいたけれど、今は完了報告は昼一にして、トイレで時間を潰そうとそっと席を立つ。 遅れて香苗が席を立つのが見えた。おそらく自分と同じ考えなのだろう。「──ねえ星野さん、来週の金曜日って暇?」 女子トイレに入った途端、追いついた香苗から問い掛けられ、美亜は満面の笑みで頷く。「暇、暇、超ぉー暇です!」「おっけ。じゃあ、合コン大丈夫だよね?」「ええっ!?私が、ですか?お誘いしてくれてるんですか??」 これまで人数合わせですら合コンに誘われなかった美亜は、あからさまにオロオロする。 しかし、嬉しさはダダ漏れしていたので、香苗に変な誤解を与えることはなかった。「そうよ、星野さんと一緒に合コンに行きたいの」 慈愛に満ちた言葉に、美亜は香苗の腰に抱きつく。「ありがとうございます……好きです」
美亜が派遣社員として働いている職場──パールカンパニーは、創業100年を超える駄菓子メーカーである。 看板商品は【真珠餅】。光沢のある真っ白な小粒の餅は12個入りで税抜50円。全国のスーパーやコンビニに陳列され、遠足のおやつに最適なロングセラー商品だ。 もちろんパールカンパニーは、その他の商品も扱っている。 粉末ジュースやゼリーといった駄菓子はもちろんのこと、贈答用の高級菓子。最近ではコンビニとコラボした、季節のフルーツ大福シリーズも大ヒット。 一貫して甘い物だけを追求し続け、景気不景気関係なく年々ゆっくりと成長をし続けるこの会社は、安心安定の大企業。 市内の交通拠点であり、オフィスビルやデパートが聳える最も活気あふれるエリアに自社ビルを構えている。 美亜は、そこの6階にある商品企画部に席を置いている。* 10人以上の正社員がフロアの大きなテーブルに集まり真剣な表情でミーティングをするのは、月曜日の朝一の決まり事。 しかし派遣社員である美亜は、そこに呼ばれることはない。ただただ黙ってデータ入力をすることだけを求められている。 商品企画部とはその名の通り、自社商品をどうやって世の中に流通させるかを考える部署のこと。 具体的にはマーケティングをして、商品コンセプトの抽出して、企画提案まで一手に引き受ける花形部署。美亜の言葉を借りるならキラキラした人達が集う場所なのだ。 といっても、ここに在籍する人全てがキラキラできるわけじゃない。 カッコよくフライパンで炒める前に下ごしらえが必要になるように、地味で面倒な作業をする人達だっている。それが派遣社員の役割だ。営業企画部には、美亜を含めて3人の派遣社員がいる。「ねえ、今日のミーティングちょっと長くない?」 パチパチとキーボードを叩く美亜の隣で、同じようにデータ入力をしている派遣社員の長坂綾乃が呟く。美亜は手を止めることなく、こくこくと頷いた。 長坂綾乃こと綾乃は、美亜より2つ年上の24歳。お嬢様学校で有名な地元大学を卒業した後、パールカンパニーの派遣社員として働いている。 代々続く老舗料亭の一人娘である綾乃は、すでに結婚相手が決まっている。だから、のんびりとした暮らしをしてもいいはずなのに、一度くらいOLをしてみたいという理由でここにいる。美亜からすれば、羨ましい境遇
──5日後。給料日。 仕事帰りの美亜は、コンビニでビールを買って自宅アパートに向かっている。 時刻は21時過ぎ。残業で疲れ切った美亜が歩く道は住宅街というのもあり、まだ寝るのには早い時間なのに静まり返っている。 肩に通勤カバンをかけ、手にはエコバッグ。お待ちかねの金ラベルのビールを買えたというのに、美亜の足取りはトボトボだ。 一ケ月頑張った自分を労り、来月の給料日まで頑張るために、もっとテンションを上げるべきなのに。「……なんか違う。でも、これが現実なんだよね」 新幹線を降りて名古屋駅に降りた時、この街は眩しいほどにキラキラしていた。 高層ビルが聳え立ち、足元には都会の象徴である地下鉄が走っている。道を行き交う人たちはスーツ率が高くて、トラクターなんて一台も走っていない。 おばあちゃん、ありがとう。私、ここで頑張って生きていくね。そして誰よりも輝くキラキラ女子になるから!そう決意した美亜だったが、いきなり就職先で躓いた。 地元では黙っていればそこそこ可愛いと言われた美亜は、都会なら仕事なんて幾らでもあるし、希望する仕事に就けると高をくくっていた。 しかし元は引きこもり。加えて気持ちが空回りしたせいで、面接は目も当てられない有様だった。ことごとく不採用になったのは言うまでもない。 不採用通知を受け取るたびに、美亜は己の不甲斐なさに半分闇落ちした。布団をかぶってテレビばかり見続ける美亜を見るに見かねた兄が、派遣社員という道を進めてくれて田舎に戻らずにすんでいる。 そんな残念なスタートダッシュを切ったけれど、今の職場には満足している。派遣仲間からのアドバイスでお化粧だって上手になったし、カラーリングした髪は都会色のセミロングで、ド田舎で暮らしていたあの頃より格段にあか抜けた。 でもやっぱり何かが違う。まかり間違っても、給料日に一人寂しくコンビニでビールを買う生活を夢見ていたわけじゃない。 美亜は手に持っているマイバックに視線を落として、溜息を吐く。「……新しい出会いとかないかなぁー」 などと呟いたのが間違いだったのだろう。背後から、聞き覚えのある声がした。「おう、美亜。久しぶり、元気してたか?」 声の主は元彼である山崎圭司だった。彼は美亜にとって初めての恋人であり、黒歴史でもある。 元彼こと山崎圭司は、美