侑子の動揺した様子を見て、ノラは落ち着いた声で言った。 「そんなに焦らずに、ちゃんと説明しますよ」 そう言って、ポケットからスマホを取り出し、数回スワイプした後、侑子に差し出した。 侑子は画面を覗き込む。 そこに映っていたのは、一人の美しい女性だった。 柔らかな笑顔はまるで春の日差しのように穏やかで、どこか人を安心させる雰囲気を持っていた。 彼女の目元には、優しさがにじんでいる。 「......これ......」 侑子の心臓が大きく跳ねる。 「彼女が、藤沢さんの元奥さん―松本若子です」 ノラの言葉に、侑子は呆然とスマホの画面を見つめた。 ―これが、あの人? 目の奥がじんわりと熱くなるのを感じる。 こんなに綺麗な人だったのか。 こんな女性なら、修が今でも忘れられないのも無理はない。 でも― ......だったら、どうして藤沢さんは、あの桜井雅子と関係を持ったの? 顔だけで比べたら、雅子が特別若子より美しいわけでもない。 ―それとも、外見じゃなくて、中身の問題? だとしたら、結局のところ、修が最後まで忘れられなかったのは、若子の中身だったということになる。 ―男って、結局そういうものなの? 手に入れている間はその価値に気づかず、失ってから初めて後悔する...... でも、侑子は修がそんな男だとは思いたくなかった。 じっと画面を見つめる彼女を、ノラが観察するように眺め、指でスマホの画面をスワイプした。 次の瞬間、新しい写真が表示された― しかし、今度の写真は若子の一人写真ではなかった。 そこに写っていたのは、修と若子のツーショット。 修は若子の腰に腕を回し、若子は彼の胸に寄り添っていた。 二人とも、本当に幸せそうに笑っている。 冷たいスマホの画面越しでも、二人の間に流れる強い愛情が伝わってきた。 ―まるで、運命のカップルみたい。 互いを見つめる瞳の奥には、確かな想いが輝いている。 「......見ましたか?」 ノラはスマホを手元に戻しながら言った。 「彼女こそが、藤沢さんの『妻』だった人です」 ノラの声には、どこか淡々とした響きがあった。 「でも、今ではこんなことになってしまって......彼の前妻は彼を憎み、その結果、彼はすべて
「......信じられない」 侑子は鏡の中の自分を、まるで別人を見るかのようにじっと見つめた。 比較して初めて気づく。 ―私と、松本さんがこんなにも似ているなんて...... 「......どうして......どうしてこんなことに?」 自分の顔を撫でる指が、小さく震える。 だが、次の瞬間、侑子の中で何かが弾けた。 彼女は鋭くノラを見つめる。 「......まさか、私が藤沢さんの前妻に似てるから、私を利用しようとしてるの?」 声が震えていた。 「全部、あんたの計画だったってこと?」 胸の奥に、強い不安が広がる。 「......あんた、いったい何者?」 ノラは表情を崩さず、微笑みながら言う。 「僕は、藤沢さんを助けたいだけです。そして、君のこともね。君に聞きます。君は、藤沢さんを愛していますか?」 ノラは穏やかな笑みを浮かべながらも、その瞳はどこか鋭かった。 「......っ!」 侑子は動揺する。 「わ、私......彼とは知り合ってまだ日が浅いし、そんなに会ったこともないし......」 「愛していますね?」 ノラは侑子の言葉を遮った。 まるで、すべてを見透かしているような目で。 「自分の気持ちから逃げなくていいんですよ。安心してください。僕は悪い人間じゃありません。ただ、もうこれ以上、藤沢さんが傷つく姿を見たくないだけです」 彼の声が、わずかに低くなる。 「君も見たでしょう?彼がどれほど死にたがっていたか。あれはすべて、松本さんと彼女の今の夫のせいです」 ノラの表情が一変する。 ―鋭い視線。張り詰めた空気。 「......あんた、分かってるんでしょ?」 侑子は睨むように言った。 「それなら、どうしてあんたが助けなかったの?」 侑子は鋭く問い詰める。 「なぜ私にやらせたの?ちゃんと説明してくれなきゃ、信じることなんてできない」 「僕が助けても、無駄だからです。 僕が何度助けても、彼はまた前妻の元へ行く。彼女のために死のうとして、また傷つきますから」 ノラは悲しげな表情を浮かべながら立ち上がった。 「なぜ彼が僕と縁を切ったか、君は分かりますか? それは、僕が彼を止めようとしたからです。何度も、何度も。でも彼は聞かなかった」
侑子が黙ったままでいると、ノラはゆっくりと背筋を伸ばし、コートの襟元を軽く整えた。 彼は焦ることもなく、表情にも特に変化はなかった。怒ることもせず、ただ穏やかに微笑んで言った。 「そうですか。なら、無理には引き止めませんよ。安心してください、もう君を煩わせることはありません。 山田さん、ゆっくり休んでください」 そう言い残し、ノラは踵を返して部屋を出ようとする。 だが、ちょうど扉に手をかけたところで、侑子の声が響いた。 「......待って」 ノラは足を止めた。 「......」 振り向かずに、静かに待つ。 「......あなたの名前は?」 ノラの眉がわずかに動く。 そして、ゆっくりと振り返りながら言った。 「......みっくんとでも呼んでください」 「......みっくん?」 侑子は戸惑う。 どこか奇妙な響きの名前だった。 「それ、本名?」 「山田さん、まだ何か?」 ノラはさらりと話を逸らした。 侑子は緊張し、手のひらに汗が滲んでいるのを感じながら、ゆっくりと言葉を紡いだ。 「......私に、藤沢さんを助ける方法はある?」 ノラの目がわずかに細められる。 「つまり、僕の提案を受けるということですか?」 侑子は俯きながら、小さな声で答えた。 「......自分でも、よく分からない。でも......彼に何かあったら嫌なの。彼には、生きていてほしい」 侑子の胸の奥が、どうしようもなく痛む。 修の言葉が、あのときの彼の目が、頭から離れなかった。 たとえどんなに冷たく拒絶されても― 彼に会いたい。 心が、どうしても言うことを聞かない。 抑えきれない痛みが、胸を締めつける。 それに、彼女は本当に修のことが心配だった。 病院で彼を見たとき、彼が生きる気力を失っているのが、痛いほど伝わってきた。 もしあのとき、彼女が行かなかったら―彼は本当に飛び降りていたかもしれない。 ノラは病床のそばに立ち、静かに尋ねた。 「......本当に決めたんですか?」 侑子はわずかに息を詰まらせ、それでもしっかりと答えた。 「もし、私が『はい』って答えたら......本当に彼を救えるの?」 ―もう、彼に何かあっても耐えられない。 だから、
雅子は病院を後にした。 家に帰ると、部屋にこもり、ずっと泣き続けた。 ―修が追いかけてきてくれるはず。 そう信じて、ずっと待っていた。 でも― 修は、来なかった。 コンコンコン― 突然、ノックの音が響く。 雅子の心が一瞬、高鳴る。 ―やっぱり、修よね? 彼は本当は私を捨てきれないんだ。 慌てて涙を拭い、髪を整え、期待に胸を膨らませながら扉を開けた。 だが― 「......なんで、あんたなの?」 扉の前に立っていたのは、ノラだった。 雅子の表情が、一瞬で冷たくなる。 ノラは何も言わず、ズカズカと部屋に入り、後ろ手にバタンと扉を閉めた。 「そんなところで泣いて何になる?」 彼は淡々と言う。 「彼には、どうせ見えないから」 雅子は唇を噛み、拳を握りしめる。 「......あんた、私を助けるって言ったわよね?でも、結局修は私を捨てたじゃない!」 ノラは薄く笑い、ゆっくりと雅子を見た。 「......助けなかったとでも? 君の心臓を見つけたのは、誰だったかな? それから、常遠の株―あれを手に入れたのは?」 雅子の表情がわずかに強張る。 今、常遠グループを実質的に支配しているのは、ノラだ。 もちろん、直接名義を出しているわけではない。 彼は影に潜み、第三者を通してすべてを操っている。 その事実を知りながらも、雅子は納得がいかなかった。 その様子を見て、ノラはゆっくりと歩み寄ると、雅子の顔を片手で掴んだ。 「金もある。命もある。心臓だって手に入れた。それでも、彼を諦められない?」 「諦められるわけないでしょう!」 雅子は必死に叫ぶ。 「悔しいよ、もうすぐ結婚するはずだったのよ!?なのに、あの女のせいで修は私を捨てた......!」 雅子の胸の中に渦巻くのは、怒りと執着と、どうしようもない悔しさ。 「......なのに、今度は別の女まで現れたわ」 彼女の瞳に、強い憎悪が浮かぶ。 「山田侑子......どこから湧いて出たのよ!?修は、どうして......!」 突然、雅子は気づいた。 ノラの薄く笑う表情―そこに隠された意味を。 「......もしかして、あんたの仕業?」 雅子の顔色が変わる。 「全部、あんたの計画
あっという間に、若子のお腹は九ヶ月目を迎えていた。 海外に来てからの数ヶ月、若子は空いた時間を見つけては勉強に励んでいた。 そして、時々気分転換に外へ出かけることもあった。 どこへ行くにも、西也は常に彼女のそばにいた。 彼の治療は、基本的に週に一度。 最初のうちは、若子も一緒に付き添っていたが、お腹が大きくなるにつれて動くのが難しくなり、最近では屋敷で待つことが増えていた。 三ヶ月以上の治療を経て、西也の記憶は少しずつ戻りつつあった。 彼は両親や妹のことを思い出した。 しかし、未だに思い出せないことも多かった。 たとえば―彼が若子とどうやって出会ったのか。 そして、若子自身も藤沢家とは長い間連絡を取っていなかった。 二ヶ月前、光莉との関係は完全に途切れた。 ―若子がかつて、誘拐された事件の真相を、光莉が知ってしまったから。 最後に光莉から電話があったのは、ちょうど二ヶ月前だった。 「......お母さん、おばあさんに何かあったんですか?」 光莉からの電話が鳴るたびに、若子の心臓は跳ね上がった。 ―もしかして、おばあさんに何かあった? だが、受話器の向こうで光莉は淡々と言った。 「安心して。おばあさんは何もないわ」 「......ならよかったです」 若子は小さく安堵の息を吐く。 しかし、次の瞬間、光莉の口から信じられない言葉が飛び出した。 「若子―もう、私たちはこれ以上連絡を取らないほうがいいわ」 「......え?」 若子の心臓が、ぎゅっと縮こまる。 「どういうことですか?」 「あんたが誘拐されたとき、修は命をかけてあんたを助けに行ったのよ」 光莉の声は冷たかった。 「それなのに、あんたは彼ではなく、西也を選んだ」 「......っ!」 「あんたが私の息子をどう扱おうと、それはあんたの自由よ。でも、そんなあんたとは、もうこれ以上関わるつもりはない」 若子は、しばらく沈黙した。 そして、苦しげに口を開く。 「......ごめんなさい」 「謝る必要はないわ」 光莉の声は冷静だった。 「私に対しても、修に対しても、謝る必要はない。ただ、もう終わったことよ。 若子、あのとき、どれだけ悩んで選んだのかは分かってる。だから、責めるつ
―ドォン!! 突然、空に雷鳴が轟いた。 その音に、修はハッと目を覚ます。 頭を巡らせるようにして窓の外を見ると、狂ったような暴風が吹き荒れ、雨が滝のように降り注いでいた。 風がカーテンを巻き上げ、大粒の雨が部屋の中まで吹き込んでくる。 激しい雷雨と風―それらが、一気に修の眠気を吹き飛ばした。 彼はベッドから起き上がり、窓の前へ向かうと、勢いよくそれを閉める。 しかし、ガラス越しに外の荒れ狂う景色を見た瞬間、なぜか胸が締めつけられた。 ―なぜ、こんなにも痛い? 突然、何の前触れもなく、胸の奥が苦しくなる。 修は無意識に心臓のあたりを押さえた。 まるで、何かが起こっているかのような、嫌な感覚。 しかし、目の前にはただの雷雨が広がっているだけだった。 ―リンリンリン......! 静寂を破るように、スマホの着信音が鳴り響く。 修はベッドへ戻り、スマホを手に取って通話ボタンを押した。 「......もしもし」 次の瞬間、電話の向こうから伝えられた言葉に、彼の表情が一変した。 通話を切ると、迷いなく服を着替え、傘も持たずに嵐の中へ飛び出した。 ...... 修が車を飛ばし、病院に到着した頃には、侑子の緊急処置は終わっていた。 医師は彼女を病室へ運びながら、修に説明する。 「どうして俺に連絡を?」 修は疑問を口にした。 「藤沢さんが以前、山田さんをこの病院に運ばれたときに、ご自身の連絡先を残していました。それ以外の連絡先が見つからなかったので、仕方なくあなたにお電話しました」 医師の言葉を聞き、修は小さくため息をついた。 前回、病院で別れて以来、修と侑子は一度も連絡を取っていなかった。 まさか、こんな形で再び関わることになるとは― 侑子は以前、「家族とはもう連絡を取っていない」と話していた。 だからこそ、病院からの電話を受けたとき、修は迷わずここへ来た。 「先生、彼女の容体は?」 修は医師に尋ねる。 「患者さんには心臓移植が必要です。すでに移植リストに登録しました」 「......心臓移植?」 修は思わず眉をひそめる。 ―心臓移植。 それは、彼にとって決して他人事ではない話だった。 雅子も、以前心臓移植を受けた。 適合する心臓が
「山田さん、そんなに焦らなくていい。時間はまだあるんだから」 修は静かに言った。 「医者の指示をちゃんと守れば、これから医学がもっと進歩するかもしれない。人工心臓が普及する可能性だってある......だから、そんなに悲観するな」 その言葉に、侑子の心は少しだけ軽くなった。 「......藤沢さん、本当にごめんなさい。こんな夜遅くに、わざわざ来させて......迷惑かけちゃったね」 「......気にするな」 外では、激しい雨が降り続いていた。 修は窓の外を見つめ、ふっとため息をつく。 「......山田さんは、テレパシーって信じるか?」 「......テレパシー?」 侑子は首をかしげた。 「どうして急にそんな話を?誰かと心が通じ合ってるって思うことでもあったの?」 修はポケットから財布を取り出し、一枚の写真を引き抜く。 映っていたのは、若子の姿だった。 「......さっき、急に前妻のことを思い出した。胸が締めつけられるように苦しくなって......腹のあたりまで痛んだ」 侑子はベッドのヘッドボードにもたれながら、彼の背中をじっと見つめる。 「......それって、ただ単に彼女を思いすぎてるから、そんな気がするだけじゃない?」 修は小さく息を吐く。 「......かもしれないな」 そう言いながら、写真をそっと財布に戻す。 侑子の目が、寂しげに揺れた。 修はそんな彼女を一瞥し、静かに言った。 「もう休め」 「......じゃあ、藤沢さんは?」 「お前が寝たら帰るよ。だから、先に休め」 修はソファに腰を下ろし、胸のあたりを押さえた。 ―痛い。 まるで心臓をえぐり取られるような感覚だった。 衝動的に、修は立ち上がった。 そのまま病室のドアを開け、駆け出す。 「......えっ?」 侑子が呼び止める間もなく、彼の姿は消えていた。 ―藤沢さん、さっきは「お前が寝たら帰る」って言ってたのに。 なのに、どうして......今すぐに? ...... ドンドンドンドン―! 夜の静寂を破る激しいノックの音に、光莉は目を覚ました。 「......んんっ?」 寝ぼけたまま体を起こし、心臓がドキドキと早鐘を打つ。 一体、こんな夜中に誰が―
出産室には、女性の悲痛な叫び声が響き渡っていた。 「深呼吸して!もうすぐ赤ちゃんが出てくるわ、頑張って!」 「っ......はぁ、はぁっ......!」 若子は息も絶え絶えになりながら、全身を襲う激痛に耐えていた。 肋骨が砕けるような痛み、全身が引き裂かれるような感覚― 彼女は目をぎゅっと閉じ、蒼白な顔を汗まみれに歪める。 「若子......!」 西也は彼女のそばを離れなかった。 この瞬間、彼女を一人になんてさせられるはずがない。 若子は必死に西也の手を握りしめる。 その力は凄まじく、指が軋むほどだったが―それでも、西也は決して振りほどかなかった。 これくらいの痛みなんて、若子が今味わっている苦しみに比べたら、大したことじゃない。 「っ......あああああっ!!」 若子の叫びが、部屋中に響く。 医者たちは懸命に声をかけながら、出産を促す。 しかし、赤ちゃんの頭が引っかかってしまい、器具を使わなければならなかった。 若子は目の前が真っ白になるほどの激痛に襲われた。 もう、意識が飛びそうだ。 「若子!もう少しだ、頑張れ!」 西也が必死に声をかける。 だが、若子はかすむ視界の中で彼を見つめ、ぼんやりと呟いた。 「......修、どこにいるの......?」 その名前を聞いた瞬間、西也の表情が凍りついた。 ―修。 彼は何も言えず、ただ若子を見つめるしかなかった。 彼女がもう一度、痛みに耐えきれず叫ぶまでは― 「若子、大丈夫だ、俺がいる!」 どんなに彼女が誰の名前を呼ぼうと、今はそれでいい。 すべては、赤ちゃんが無事に生まれてからだ。 彼女がこんなにも苦しんでいるのに、責めるなんてできるはずがない。 責めるべきは、修。 彼の存在が、未だに若子の心を離さないことが許せなかった。 「修......痛い......助けて......」 若子は泣きながら、その名を呼び続ける。 西也は苦しげに目を閉じ、震える彼女の手にそっと口づける。 「若子......よく頑張った」 ―もしできるなら、この痛みをすべて俺が引き受けたい。 お前の心にいるのが俺じゃなくても。 藤沢、お前なんかに、若子の涙を流す資格があるのか? 若子が命がけで子どもを
若子はその場を追いかけたくてたまらなかった。けれど、足はまるで鉛を詰められたように重くて、動くことができなかった。 ―ダメだ。私はもう、修を追いかけちゃいけない。 彼との関係は、もう終わったんだから。 彼には山田さんがいる。もう自分とは終わっている。だったら、いっそ嫌われて、憎まれたままでもいい。 その方が、きっと彼のためになる。 そんな思いで立ち尽くしていた若子の背後から、ふわりと誰かが彼女を抱きしめた。 「若子......信じてくれてありがとう。俺を信じてくれて、本当に......ありがとう」 西也の声だった。 最終的に、若子は彼の言葉を選んだ。それだけで彼の中に、確かな勝利の実感が湧いてきた。 その口元には、ふっと得意げな笑みが浮かんでいた。 ―藤沢、お前は俺に勝てない。 俺は若子を傷つけたりしなかった。ずっと彼女のそばにいて、支えてきたんだ。暗闇の中で手を差し伸べてきたのは、この俺だ。 それに比べて、お前はずっと彼女を泣かせてきたじゃないか。 だが― 若子はその腕を、ギュッと掴んで無理やりほどいた。 「西也......本当に......本当にボディーガードを連れて、銃まで持って修のところに行ったの?本当に......傷つけるつもりだったの?正直に話して」 さっき、修にあんなふうに言ったのも、完全に信じてなかったわけじゃない。 もう修を信じるか信じないかは、正直どうでもよくなっていた。彼には侑子がいて、子どもまでいる。今さら自分が何を言ったところで、どうにもならない。 西也の呼吸が乱れた。肩がわずかに震え、若子の肩を強く掴む。 「若子、俺のこと信じてないのか?......まさか、あいつの方を信じてるのか?」 さっきまで自分を選んでくれたと思っていたのに、まるで手のひらを返されたような気がして、胸の奥がずきりと痛んだ。 「西也......お願いだから、本当のことを言って。本当に銃を持って行ったの?」 二人のうち、どちらかが嘘をついている。でも、どっちなのか、若子にはもうわからなかった。考えれば考えるほど、混乱するだけだった。 「......銃は、持って行った。けど、それは俺のボディーガードが持ってたやつで、護身用なんだ。アメリカじゃ銃の携帯は普通だし、もし危険な目に遭った
若子はしばらく黙って考え込んだ。そして、ゆっくり顔を上げて修を見つめた。 「でも......あのとき、あなたは本気で西也が死ねばいいって思ってた。私に、西也の心臓を桜井さんにあげるようにって、同意を求めたよね」 西也の口元がぐいっと吊り上がる。得意げな笑みを浮かべて、ほっと息をついた。 ―若子は俺のことを信じてくれたんだ。 藤沢修、お前なんかに勝ち目あると思った? 前には桜井雅子、今度は山田侑子。お前がこれまでやってきたこと、どれを取っても正当化できないし、言い逃れもできない。 その一方で、俺は若子にとっての理想の男だ。お前が俺に勝てる要素、どこにある? 若子の言葉は、修の胸を鋭く突き刺した。 「若子......それは......昔のことだ。もう何年も前の話だよ。それと今は別だ。あれはあれ、これはこれなんだ」 「でも、あなたは確かにそうした。確かに―あのとき、あなたは西也に死んでほしいと思ってた。これは事実でしょ?」 修は口をつぐむ。否定できるはずもなかった。あの頃、西也のことを心の底から憎んでいた。そして、雅子が心臓移植を必要としていたタイミングで、西也が倒れた。 これは「チャンス」だと思ってしまった。雅子を助けるには、西也の心臓を......その考えが頭をよぎったことを、否定なんてできない。 ―自分の中の醜い部分。もし誰もがそれを晒されたら、きっと誰も「人間らしく」なんて言えなくなる。 「若子......あれは、あのときの話だ。彼の命が消えかけてたから、俺は......ああ言った。けど、俺は手を下してない。殺してもないし、傷つけてもない。常識的に、そうするのが正しいと思っただけなんだ」 「常識、ね......」 若子はその言葉を聞いて、吐き気がしそうになった。 「修......あなたにとって、西也の治療を諦めることが『常識』なの? だったらもう、これ以上言わなくていいよ。きっと、あなたの心のどこかが後ろめたかったんでしょ?だから西也があなたの元を訪ねてきたとき、勝手に『殺しに来た』って思ったんじゃない?」 「......」 修はふらりと数歩、後ろに下がった。 何もかもが空っぽになったようだった。胸の中から、心臓ごと引き抜かれたかのように。 若子からの言葉。何度も、何度も突き刺さっ
若子のその言葉は、どちらにも肩入れしない「中立」なものだった。 誰が正しいのか、彼女にはわからなかった。だって、その場にいなかったから。修の言い分も、西也の言い分も、どちらも聞いてみれば筋が通っているように思える。 ただ、どちらも誤解していただけだったら―そう願わずにはいられなかった。 西也は修のことを誤解していて、修も西也の護衛が武器を持っていたことで、逆に西也を疑った。ふたりの関係はもともと悪くて、敵意に満ちていた。だから、極端な判断をしてしまったとしても不思議じゃない。 「こいつは本当にやったんだ。侑子まで捕まえて、あと少しで殺されるところだったんだぞ」 修の声には怒りと悔しさが滲んでいた。 だけど、若子の中でその言葉は、ただの「誤解」に聞こえてしまった。 彼女にとっては、現場にいなかった以上、どちらかを一方的に信じることはできなかった。 それでも―自分の命をかけてくれた修の言葉を、疑ってしまっている自分に、彼はきっと傷ついている。 離婚してしまった今、彼女はもう修の味方ではない。 かつてなら、迷わず彼を信じていたはずなのに。 「濡れ衣だ!」西也が激しく声を上げた。「若子、こいつの言うこと信じるな!こいつは嘘をついてる!それに、もし俺が本当に殺すつもりだったら、こいつなんて今こうして立ってられないだろ?あの時、屋敷に彼は一人だった。俺が殺そうと思えば、簡単にできた。でも、やらなかった!」 「それは、お前が油断してたからだ。俺が隙を見て銃を奪い返して、逆転したから助かっただけだ。あのままじゃ、俺も侑子も、確実に殺されてた。お前が死体を処理してしまえば、誰にもバレなかったはずだ」 「お前、よくもそんなでたらめ言いやがって!」 西也は怒りを抑えきれず、若子に向き直った。「若子、お願いだ、信じてくれ。俺がどんな人間か、お前ならわかってるだろ?こいつこそ、俺を殺そうとした張本人だ!」 「お前、忘れたのか?前に俺が事故に遭った時、こいつも含めて全員が、お前に俺の臓器を提供しろって迫ったんだぞ?こいつなんて、俺に早く死ねって言ってたようなもんじゃないか!」 西也は、思い出という武器で切り込んできた。 彼の言葉は、若子の心に鋭く突き刺さる。 あの時―病院で、全員が彼女に迫っていた。西也の命を見捨てて、誰か
修の声は驚くほど冷静だった。西也のように感情をむき出しにすることもなく、彼の言葉には一分の隙もなかった。 どこか、堂々として見えた。 その落ち着いた姿を見て、若子はふと、疲れを覚えた。 修と西也の喧嘩なんて、これが初めてじゃない。もう何度もあった。前なんて、レストランで暴れて警察沙汰になったことすらある。 どちらの肩を持とうと、結局ふたりの間の確執は終わらない。今回の乱闘だって、どうせこれが最後にはならない。 「修、西也、あなたたちもう大人でしょ?自分の行動には自分で責任持ちなよ」 若子の声には、明らかに苛立ちが混じっていた。 「また喧嘩して、これで何回目?私はもう知らない。どっちが先に手を出したとか、正直もうどうでもいい。やりたきゃ好きに殴り合えば?先に殴った方が、もう一発食らう。それでチャラにしなよ。私はあなたたちの母親じゃないの。毎回毎回、警察に駆けつけて後始末して......そんなの、もうごめんだから!」 西也は口を開けかけたが、若子の鋭い一言でぐっと黙り込んだ。 なにか言いたそうな顔をしていたけれど、その勢いはすっかり削がれてしまった。 彼の視線は自然と修に向き、そこに溜まった怒りの矛先をぶつけるように、じろりとにらみつけた。 ―でも、今回、若子は西也をかばわなかった。 修はそれを見逃さなかった。彼にとっては、これが逃せないチャンスだった。 「若子」 修が一歩前に出て、静かに言った。 「なんで俺の話は聞かない?どうして俺が西也を殴ったのか、その理由を考えてくれたことある?」 「藤沢、また話を捏造するつもりか?」 西也がすかさず口を挟んだ。 「捏造?お前、ビビってるのか?若子に話されるのが、そんなに怖いか?」 修は口元だけで笑って、続けた。 「お前、若子には言わないつもりだったんだろ?......あの夜、お前がどんな風に俺の家に乗り込んできたか。銃を持った連中を引き連れて、俺のこめかみに銃口突きつけたよな」 「な―」 若子が目を見開いた。 「西也......それ、本当なの?」 西也は眉をひそめて、必死に否定する。 「若子、違う!誤解だ、そんなことするわけない。確かに何人か連れて行ったけど、それは俺のボディーガードだよ。あくまで護衛で、武力を使うつもりなんてなか
修にとって、若子が西也を責める姿を見るのは、これが初めてだった。 彼は腕を組みながら二人を見つめ、目の奥に一瞬だけ安堵の色を浮かべた。 ―もしこれが昔だったら、若子は絶対に真っ先に西也をかばってた。 でも、今は違う。彼女は西也を守らなかった。 それだけで、少しだけ救われた気がした。 だけど同時に、不安の方が大きかった。 若子が西也をかばわなかったのは、ヴィンセントの存在があったからだ。 11年も一緒に過ごしてきた自分との関係すら壊して、西也をかばった若子が―たった数日で、ヴィンセントのために西也すら突き放すようになった。 それが、何より恐ろしかった。 ヴィンセントはまるで強引に入り込んでくる侵略者のように、既存の人間関係を簡単に壊してしまう。 「若子、お前......俺のこと、責めてるのか?」 西也の声は震え、目を見開いて彼女を見た。 「責めてるかって?ええ、そうよ。責めてるわ」 若子は疲れた表情で言った。ほんとは、こんなこと言いたくなかった。 でも、どうしても感情を抑えきれなかった。 物事がここまでぐちゃぐちゃになって、それでも「全部お前のためだ」なんて顔して、どんどん余計なことをして、混乱ばかりで、結局一番迷惑を被るのは若子だった。 「若子、あのときはお前が危ないって思って......電話で問い詰めるわけにはいかないだろ?もしそばに誰かいたらって思ったら......だから俺は、こっそり探しに行っただけで......俺だって、お前が心配だったんだ。理解してくれよ......それに、お前が夜に出かけたとき、俺には行き先がわからなかった。考えられるのは藤沢だけだった。そして実際、お前は彼に会ってた。お前の失踪は直接彼のせいじゃないかもしれないけど、彼と会ってなければ、そんなことにはならなかったんだ!」 「あなたが心配してくれてたのはわかってる。でも、自分のミスを正当化しないでよ!」 若子の声が一段と強くなった。 「西也......あなたといると、ほんと疲れる」 「......っ」 その一言が、西也の胸に深く突き刺さった。 「ミス」とか「疲れる」なんて―若子の口から、そんな言葉が自分に向けて出てくるなんて、思ってもいなかった。 彼は信じられないような表情で、ただ彼女を見つめるしか
若子の眉がピクリと動く。 「......彼が殴ったの?」 彼女はゆっくりと修に視線を向けた。 「またやったのね?」 「また」―その一言が、なんとも言えない絶妙な皮肉だった。 正直、ふたりの喧嘩なんて何度目か分からない。もう若子自身も慣れてしまっていた。修が西也を殴って顔を腫らしたとしても、正直、そんなに驚きはなかった。 修は、黙って若子の目を見つめ返す。彼女が自分を責めるつもりだと、わかっていた。 「......ああ、殴ったよ。でも、理由がある」 「理由?」 と、割り込むように西也が口を開いた。 「若子、俺はただ......お前が心配だったんだ。電話はもらってたけど、どうしても不安で......それで、こいつが何かしたんじゃないかって疑って、会いに行った。そしたら、いきなり殴られたんだ」 彼は言葉巧みに語る―が、もちろん真相は違う。 武装した連中を引き連れて、銃を突きつけながら修の家に押し入ったのは、まぎれもなく西也の方だった。 だが、それを言うはずもない。 たとえ修が暴露したところで、「証拠は?」としらを切れば済む話だ。 修は黙ってその顔を見ていた。黒を白と言いくるめるその口ぶりに、内心では呆れていた。 若子は黙ってそのやり取りを聞いていたが、眉間に深いしわを刻みながら、口を開いた。 「......西也。私、電話で『無事だから』ってちゃんと言ったわよね?どうして修のところに行ったの?」 西也の胸に、ひやりと冷たいものが走った。 ......若子、どうしたんだ? これはおかしい。こんなの、彼女らしくない。 本来なら、修に殴られたと聞いて真っ先に怒るはずだ。 「なんでそんなことするのよ!」って修に怒鳴って、もしかしたらビンタの一つも飛ばしてたかもしれない。 なのに―どうして、こんなにも冷静に俺を問い詰める? 修もまた、想定外の反応に言葉を失っていた。 まさか、若子の第一声がそれだなんて、思ってもみなかったのだ。 若子はじっと西也を見つめながら、続けた。 「電話で、ちゃんと伝えたよね?一週間後には帰るって。はっきりそう言ったはずなのに、口では『わかった』って言っておいて、その足で修に連絡して、修まで私が何かあったって思い込んで......それでふたりしてヴィンセン
「若子......もし、もし俺が言いたいことが―」 「若子!」 そのとき、西也が風のように走ってきた。まるで矢のような勢いで。 「若子、大丈夫か!?怪我は!?無事か!?」 修はぐっと息を飲み込み、握りしめた拳に力が入った。 また―またか。なぜこいつは、どこにでも現れるんだ。まるで悪夢のように。 「私は平気よ、心配しないで」 若子はそう言うと、ふたりの男を順番に見つめた。 「ちょうどよかった。ふたりとも揃ったところで、はっきり言っておくわ。ヴィンセントさんは、私の命の恩人よ。だから、どちらも彼を傷つけることは絶対に許さない。もし彼に何かしたら、私は......絶対に許さない」 その声には、これまでにないほどの強さが宿っていた。 ふたりの男は、一瞬言葉を失った。 今までは、何をしても若子は怒らなかった。なのに、いま彼女は、明確に「NO」を突きつけてきた。それも、他の男のために― 修と西也がいがみ合っている間に、彼女の心には、冴島千景という新たな存在が入り込んでいた。 こんなこと―あり得るのか? だが、西也はすぐに切り替えた。彼は、こういうとき、反射的に「正解」を選べる男だ。 「わかった、若子。俺はもう絶対に彼を傷つけたりしない。彼がお前の命を救ってくれたなら、それは俺の恩人でもある。だってお前は、俺の妻であり、俺の子の母親なんだから」 その言葉を聞いて、若子の視線が修の方へと移る。 修は静かに息を吐いて言った。 「......もし俺が彼を殺したかったなら、あの手術は成功してなかったさ。そこは信じてくれ」 ふたりの男が、揃って約束を口にする。 その場に、不思議な静寂が流れた。 若子は修と西也の顔を順に見つめた。 ......昨夜のあの怒りが、ふと胸に蘇る。 このふたりには、本当に怒り狂いそうだった。彼らが無理やりに踏み込んできて、ヴィンセントに銃を向けたあの瞬間を思い出すだけで、胸がギュッと締めつけられる。 あのときは―文句のひとつやふたつじゃ済まさないって、本気で思った。 手術が終わったら、きっちり叱り飛ばしてやろうと。 ......でも。 今こうして、目の前にいるふたりの男は、どちらも申し訳なさそうに頭を垂れていた。 昨夜のことが嘘のように、静かに彼女の前で
若子は、ついにうんざりしたようにため息をついた。 修は視線を落とし、どこか寂しげに呟く。 「......わかった。じゃあ、言ってみて。お前の言葉、ちゃんと聞くよ」 あいつがまともな男だとは思えない。でも、若子がそこまで言うなら―せめて聞いてみたくなった。 「彼は......一週間だけ一緒にいてほしいって言ったの。ただ、ご飯を作ったり、掃除をしたり......それだけ。それ以上のことは何もなかったの。彼は私に何もしてない。傷つけたりなんて、絶対に......ただ、すごく寂しかっただけ。誰かに、そばにいてほしかったんだと思う」 若子はゆっくりとガラスの向こう―病室の冴島千景に目を向けて、静かに続けた。 「彼、昔......妹さんがいたの。でも、その子を亡くしてしまって......だから私を、妹のように見てた。それだけ。あなたが考えてるようなことじゃないの」 その言葉を聞いた修は、ようやく少し肩の力を抜いた。 ―少なくとも、若子が傷つけられたわけじゃない。それだけで、少しだけ安心できた。 「......じゃあ、あいつが目を覚ましたら?お前はどうするつもりなんだ」 「当然、看病するわ。命を救ってくれた人だもん。絶対に回復させてあげたい。どんな形であれ、私は......彼に恩を返したい」 その言葉に、修の胸にチクリとした痛みが走る。 「彼をそんなに心配して......じゃあ俺はどうなんだよ、若子」 思わず、彼女の腕を掴む。 「この前、お前が誘拐されたとき、俺だって命懸けで助けに行った。死にかけたんだ。それなのに、お前は遠藤を選んだ。あの時、俺がどんな思いで―!」 「......あなたが私に、その選択の余地を与えたの?」 若子の声が鋭く割り込む。 「確かに、私は西也を選んだ。でもそれは、選ばなければ誰も助からなかったから。あの時、どっちかを選べって言われたの。選ばなきゃ、ふたりとも死ぬって言われたのよ。 私は、何度も言ったよ。どっちを選んでも苦しかったって。本当は、私が死ねればよかった。でもそれは許されなかった。だから、あなたを傷つけたこと......謝りたかった。だから、あなたを探して、何度も会おうとした。 だけど、あなた......絶対に会おうとしなかったじゃない。私がどれだけ探しても、避け続けた。
若子は慌てて自分の体を見下ろした。 服は―ちゃんと着ていた。乱れもなく、整っている。修の方も、ちゃんと服を着ていた。 「......昨日の夜、私に......何かあった?」 「倒れたからさ、ここで休ませたんだ。すごくぐっすり眠ってたよ」 修は、彼女が不安がらないように、穏やかに説明した。 若子は自分の服を見つめた。どこもおかしくない。きちんとしてる。 「この服......着替えさせたの、あなた?」 修の表情が一瞬止まる。昨夜、自分がしてしまいかけたことが脳裏に浮かび、胸がきしんだ。あの時のことを思い出すだけで、後悔と罪悪感に押しつぶされそうになる。 彼は若子の目をまっすぐに見られず、少し目をそらして答えた。 「......女の看護師に頼んだ」 若子はほっと息をついた。 やっぱり昨夜感じたあの感覚―誰かがキスしてきたような、全身が包まれたような、あれは......夢だったのかもしれない。 「......昨日の夜、ずっと一緒にいたの?」 「うん。お前の様子が心配だったから、ここにいた」 修の返事は短く、でもどこか優しかった。 若子は少し不思議そうな顔をした。何か聞こうとした瞬間、ふと思い出す。 「―そうだ、ヴィンセントさん!彼は無事なの?!」 「......一命は取り留めた。今はICUにいる」 その言葉を聞いた瞬間、若子は深く息を吐き、すぐにベッドから降りようとシーツをめくった。 「会いに行く。今すぐ」 彼女が部屋を出ようとすると、修もすぐに追いかけてきて、手を伸ばす。 「若子!」 彼女の腕を掴んだ。 振り向いた若子が問う。 「......なに?」 「今の状態じゃ、会えるわけない」 「外から見るだけでもいいの」 そのまま修の手を振りほどき、若子は病室を出ていった。 ICUに着いた若子は、硝子越しに千景の姿を見つけた。 彼はベッドに横たわり、身体中に医療機器が繋がれていた。心電図のモニターが、規則正しく音を立てている。 若子はそっと硝子に手を当て、ため息を漏らした。 「......ごめんね。私のせいで、こんなひどいケガをさせちゃって。ちゃんと治ってね......まだ、1万ドル返してないんだから......」 その呟きに反応したのか、後ろから修の声