「西也、大丈夫よ」 若子は焦る気持ちを抑えながら、そっと彼の背中をさすった。 「どこにも行かないから。私はずっとあなたのそばにいる。約束したでしょう?」 彼女は一度口にした約束を破ったことがない。これからも、それは変わらない。 西也の息が、徐々に落ち着きを取り戻していく。 そして、力強く彼女を抱きしめた。 「俺たち三人は、ずっと一緒だよな?」 若子は、逃げられないと悟りながらも、小さく頷いた。 「ええ......ずっと一緒」 医者から言われていた。 ―治療を終えたばかりの西也は、絶対に刺激を受けてはいけない。 特に治療から四十八時間は、感情の波を抑えることが最優先。 ―どうしてこんな時に修が来るの? 西也の状況を知っていて、わざと刺激しに来たの? 若子が動揺しているうちに、修はゆっくりと歩を進める。 まっすぐに―彼女の前へと。 息が詰まりそうなほどの重苦しい空気。 若子は涙に滲む視界の中で、彼を見上げた。 胸が痛む。 ずっと会えなかった彼が、今、目の前にいる。 だけど―どうして、このタイミングで? どうして......? 修は、拳を強く握りしめた。 憤りに満ちた目が、彼らを見つめる。 西也の腕の中、すやすやと眠る小さな赤ちゃん。 修は目をそらすことができなかった。 西也が、その小さな体をしっかりと抱いている。 ―パパ。 さっき聞こえた、その言葉が耳に突き刺さる。 若子と西也には、子どもがいる。 計算すればすぐにわかる。 彼らが離婚して、そう時間が経たないうちにできた子どもだ。 ―そういうことか。 修の頭の中で、何かが弾けた。 離婚してすぐに、こいつと関係を持ったってことか? あれだけ「何もない」なんて言っておきながら? 友達だなんて、笑わせる。 これが「ただの友達」だとでも? 子どもまでいるのに? アメリカで、家族三人。 幸せそうに暮らしていたんだな。 なのに、俺は― どれだけ苦しんできたと思ってる? あんなに愛していたのに、何も知らずに、一人で地獄に落ちていたのは俺だけか? ―バカみたいだ。 若子は、修の表情を見て、胸が締めつけられる。 彼の瞳に浮かぶのは、怒り? 悲しみ?
―この人、修とどういう関係? なぜ、こんなにも親しげなの? 若子は、目の前の光景に息を呑んだ。 修の腕が、侑子の腰に回されている。 そして、静かに口を開いた。 「まさか、こんなところで前妻に会うとはな。しかも、彼女の旦那と......彼らの子どもまで」 ―彼らの子ども? 若子の心に、鋭い痛みが走る。 修は......自分の子どもを拒絶したのに。 そのくせ、こうやって「彼らの子ども」だと言い放つなんて― 西也は、腕の中の子どもをしっかりと抱きしめながら、皮肉気に言った。 「確かに驚いたな。俺たち家族で食事に来ただけなのに、まさかお前らまでいるとは」 そして、修の隣にいる侑子をちらりと見て、ゆっくりと問いかける。 「で―その女性とどういう関係?」 修は一瞬だけ、目を細めた。 それから、何事もなかったかのように微笑む。 「俺の彼女だ」 侑子の心臓が、大きく跳ねた。 修が嘘をついているのは分かっている。演技だと理解している。でも、そんな言葉を聞かされたら、どうしても心が揺れてしまう。彼女は感じた。自分と修の距離がまた少し縮まったのだと。それがどれほど貴重なことか……一方、若子はその言葉を聞いた瞬間、まるで鋭い刃で心を刺されたような衝撃を受けていた。 ―修に、恋人がいる? それは、いつから? まさか、数ヶ月前に光莉が言っていた「誰か」が、この女だったの? あの時は、ただの噂だと思っていたのに― 若子は、侑子をまじまじと見つめる。 華奢で、どこか儚げな雰囲気を持つ女。 その姿が、ふと、かつての雅子と重なった。 ―そういうことね。 修の好みは、昔から変わらない。 西也は冷ややかに笑った。 「へえ、恋人ね。いいことじゃないか。みんな、それぞれの人生を歩んでいるわけだ」 そして、ふと目を細め、探るように言葉を続ける。 「それで―お前たちは、アメリカに何しに来た?」 その瞬間、侑子は修の腕が強張るのを感じた。 彼の指先が、腰に食い込むほどの力を込める。 冷静を装っているが、内心は怒りに震えているのだろう。 彼は限界だった。 その怒りを見せることすら、自分に許していないのだ。 侑子は、そっと修の胸に寄り添い、背中に手を回した。 「
若子は、わざと「二ヶ月」という言葉を強調した。 まるで、何かを皮肉るように。 ―二ヶ月。 あの時、修は出張と言いながら、実際には雅子と過ごしていた。 その事実を知ったのは、ずっと後になってからだった。 彼に怒りを覚えるたびに、過去の傷が鮮明に蘇る。 彼が彼女を裏切った瞬間、彼女を傷つけた出来事の一つひとつが― 「そうだな」 修は、冷ややかに微笑みながら言った。 「せっかくの旅行だ。俺は侑子とここで一ヶ月ほど過ごすつもりだ」 そして、若子の瞳をしっかりと捉えながら、続けた。 「どれだけ時間が経っても、俺たちはずっと一緒にいる。一生、離れない」 ―反撃だ。 修は、若子の皮肉に対して、同じように皮肉で返した。 彼女が過去を引きずるなら、彼もまた、その過去を突きつける。 あの時、彼は命を懸けて彼女を助けた。 しかし、若子は彼を捨て、西也を選んだ。 その瞬間、修にとっての「償い」は終わったのだ。 彼は、すべてを終わらせた。 もう、何も残っていないはずだった。 侑子は、修の言葉に驚きながらも、心のどこかで嬉しさを感じていた。 ―本当に、ずっと一緒にいてくれるの? 彼が本気かどうかはわからない。 だけど、一ヶ月―それだけの時間を、彼と過ごせるのなら、それでよかった。 西也が口元に皮肉な笑みを浮かべる。 「藤沢さん、ここのレストラン、予約が取りにくいんだけど、席は確保してあるのか?」 修は淡々と答えた。 「いいや。だから、侑子と別の店に行くつもりだ」 西也は、わずかに眉を上げ、わざとらしく笑う。 「だったら、一緒にどうだ?俺と若子の席は四人掛けだし、久しぶりに昔話でもしようじゃないか」 ―挑発。 修は目を細めた。 「記憶が戻ったのか?」 西也は、余裕の笑みを崩さずに言った。 「順調に治療が進んでね。少しずつ思い出してきたよ。特に、藤沢さんの『偉業』をな」 修は、口元をわずかに歪める。 「へえ......それはよかったな。俺も、お前の『功績』はしっかり覚えてるよ」 その言葉に、西也の唇に浮かんでいた笑みが、一瞬で凍りついた。修があのことを口にしないか、心配になった。 けれど、もし修がここで何かを言ったところで、何になる? たと
若子と修の席は、まっすぐ向かい合う形だった。 目を上げれば、互いの顔が見える。 しかし、侑子の背が若子側に向いているため、若子の視線は修にしか届かない。 そして―修もまた、ふと顔を上げ、彼女を見た。 心臓が跳ねる。 若子はすぐに視線をそらし、ナイフとフォークを動かし、無理やり食べ物を口に運んだ。 本当なら、美味しいはずの料理。 でも―喉を通るたびに、苦さが広がる。 なぜ? なぜ、こんなことになったの? あの人― あの、山田侑子という女性。 彼女は、修の「恋人」。 あんなに愛していると言っていたのに。 修は、結局、別の女と付き合っている。 若子は、怒るべきではなかった。 だって、彼女は西也と結婚したのだから。 でも― 彼女は「愛しているから」西也と結婚したわけではない。 一方で、修は? あの女と「恋愛」をしているのだろう。 ―もう、男なんて信じない。 若子は自分にそう言い聞かせる。 どんなに甘い言葉を並べたところで、彼らの愛は、いつか必ず変質する。 修を責めるつもりはない。 彼は、自由だ。 だが、胸の奥が痛む。 嫉妬なんて、するべきじゃないのに。 感情が、思うように抑えられない。 ―私たちは、そんなに縁がなかったの? 彼女は、そっと顔を上げた。 修の指が、優しく侑子の前髪を撫でている。 その仕草は、とても丁寧で、愛おしそうで― 若子の視線に気づいたのか、西也が小さくため息をついた。 「若子......別の席にしないか?」 「大丈夫」若子は無理に笑みを浮かべた。「席を変えなくてもいいよ。食べ終わってからでいい 。言葉は軽やかだったが、心は真逆だった。 痛い。 苦しい。 でも、平然を装うしかなかった。 西也の前で、余計な感情を見せるわけにはいかない。 それに、修とはもう終わった関係だ。 彼が誰とどんな関係になろうが、自分には関係のないこと。 そう―関係ないはずだった。苦しみは、ただ未練があることの証にすぎない。修はもう吹っ切れたように見えた。 でも、頭の中ではあの日の記憶が蘇る。 ―彼を、選ばなかったあの日。 選べなかった。 どちらを選んでも、後悔することがわかっていた。
―これは、かつて修と若子が愛した曲。 なのに今、その曲さえも別の女に捧げるというのか。 ......いいわ、本当に素晴らしい。 修、あんたって人は、どこまでも残酷ね。 桜井雅子に一曲。 山田侑子にも一曲。 誰にでも曲を与えられるのね。 お互い、もう忘れると決めたはずなのに。 なのに、まるで戦っているみたいに、互いに譲らず、互いに傷つけ合って。 けれど、最後に苦しむのは自分自身― 「綺麗な別れ」なんて、どこにもない。 骨の髄まで愛してしまったら、残るのは、生きるか死ぬかの痛みだけ。 テーブルを挟んだ向こうで、西也は若子の張り詰めた感情を感じ取っていた。 どれだけ平静を装っても、その震える想いは伝わってくる。 どんなに冷静を装っても、彼女の心が揺れていることを、西也は見逃さなかった。 もし本当に修に未練がないのなら、こんなに必死に感情を抑えようとはしない。 気にしているからこそ、感情が乱れるのだ。 ―曲が終わる。 若子の膝の上で握りしめた手は、小刻みに震えていた。 そのとき、修が立ち上がる。 彼は何事もなかったかのように席を離れ、洗面所へ向かって歩き出した。 その姿を、若子の視線が追う。 ―無意識に。 それを察した西也は、ふと目を細めた。 「若子、ちょっと赤ちゃんを抱いててくれる?」 「え?うん、もちろん」 西也は立ち上がり、慎重に赤ちゃんを若子の腕に預ける。 「すぐ戻るよ」 そう言って、彼もまた洗面所の方へ向かった。 修は洗面所の鏡の前に立つと、蛇口をひねり、勢いよく冷たい水を顔に浴びせた。 ......少しでも、冷静になれるように。 だが、まったく足りなかった。 あと少しで崩れそうだった。 あと一歩で、理性を失いそうだった。 水滴が頬を伝う。 鏡の中の自分は、今にも壊れそうな目をしていた。 そのとき― 「バタンッ」 扉が乱暴に閉じられた音に、修は振り返る。 そこに立っていたのは、西也だった。 修の眉間がピクリと動く。 西也は特に気にする素振りもなく、ゆっくりと手を洗いながら、鏡越しに自分の髪を整えた。 そして、ふと何気ない調子で言う。 「彼女と旅行か、随分楽しそうじゃないか」 修の拳が静かに握
「お前、自分の本性を若子の前でどこまで隠し通せると思ってる?」 修の低い声が静かに響く。 「時間が経てば、いずれ彼女の前で素顔をさらすことになる。その時になったら―」 「素顔をさらす?」 西也は修の言葉を遮るように口を挟んだ。 「藤沢さんは本当に甘いね」 彼は薄く笑いながら続ける。 「俺と若子は夫婦だよ?もし俺が『ろくな奴』じゃなかったとして、それがどうした?彼女にとって大切なのは、俺が彼女に優しくすることだけだ」 西也の瞳に、強い自信が宿る。 「俺は世界中を裏切ったとしても、彼女だけは裏切らない」 その言葉が突き刺さる。 「お前とは違うんだぞ」 修の表情が強張る。 「お前は世界を裏切らなかった。でも―彼女を裏切った。そんなお前に、誰かを警告する資格があるのか?」修は何も言えなかった。それこそが、彼の唯一の「敗北」だから。 もしかしたら、若子にとっては、西也がどんな人間であろうと関係ないのかもしれない。 あるいは―最初から彼の本質を知っていて、それでも気にしていないのかもしれない。 修が沈黙したのを見て、西也は自分が優位に立ったことを確信した。一歩前に出て、ゆっくりと言う。「だから、お前があの件の真実を若子に伝えたところで無駄なんだ。彼女はお前の言葉を信じない。たとえ信じたとしても、俺には彼女に許してもらう方法がある。俺たちには子供がいる。彼女が、子供の父親を簡単に切り捨てられるとでも?」 「......真実?」 修の眉が微かに動く。 西也の目に、一瞬だけ疑念の光がよぎる。 「......お前、俺が何のことを言ってるかわかってるよな?」 「まさか、あのことか?」 修は静かに目を細めた。 「レストランで、お前が『俺に突き飛ばされた』と嘘をついたこと......そのことか?」 修は冷静な口調で言った。 「確かに、あの時、若子はお前を許したな。正直、驚いたよ。お前がそれほど彼女にとって大事な存在だったとはな」 西也の疑念はますます深まった。 ―こいつは本当に何も覚えていないのか? あの「事件」の日、若子は修を選ばなかった。 いや、それどころか―修を死なせようとした。 あの時、修は深く傷を負い、電話で助けを呼ぼうとした。 だ
―やっとわかった。 若子が西也を選んだ理由が。 彼女の中には、西也の子どもがいる。 だからこそ、彼女は子どもの父親を守る道を選んだ。 最初から、彼女の心は彼と共にあった。 繋がっていたのは二人の心で、自分はただの傍観者に過ぎなかったのだ。 それなのに、自分だけが愚かにも恋い焦がれ、命まで投げ出そうとしていた。 でも― 若子の心は、とうの昔に別の男のものだった。 彼女の身体も、心も、すべて最初から。 自分なんかじゃなかった。 修は、渾身の力を振り絞って、薄く笑ってみせる。 「俺は確かに死ななかった」 ゆっくりと、静かに言った。 「むしろ元気に生きてる......お前には残念だったかな?」 そして、挑発的に付け加える。 「どうだ、賭けをしないか?どっちが先に死ぬか―俺は絶対に、お前より先には死なない」 西也は片方の口角を持ち上げ、薄く笑った。 「賭ける必要なんてないさ」 「......ほう?」 「俺は絶対に長生きするよ」 西也の瞳が鋭く光る。 「若子と一緒に、白髪になるまで過ごす。俺たちの子どもの成長を見守り、孫を抱く。それが俺の未来だ」 修は、静かに一歩踏み出した。 二人の距離が縮まり、空気は張り詰める。 「......それなら、こっちも言っておこう」 修の声は低く、冷たい。 「若子はお前にくれてやる。俺はもういらない。俺には新しい女がいる。前に若子が選んだのがお前だったのは事実だし、それでお前は誇らしげだったよな? でもな、俺もあの選択には感謝してるんだ。おかげで、すべてがはっきりしたし、俺が本当に大切にすべき女に出会えたからな」 そう言うと、修は踵を返した。 西也の目が細くなる。 ―本当に? そんなはずがない。 修がこんなにあっさりと手放せるとは思えない。 この男には、もっと深く、もっと長く苦しんでほしい。 西也はゆっくりと振り返り、背中に向かって言い放つ。 「お前って本当に哀れな男だな。いつも虚勢を張るだけだ。 俺と若子の息子が大きくなったら、教えてやるさ―かつて彼の母親が、どれだけ卑劣で無能な男を愛していたのかってな」 次の瞬間― 修の拳が、迷いなく振り抜かれた。 西也の顔面に、強烈な一撃が叩き込まれる
若子は必死に感情を抑え込んだ。 「......あなたたちは、そんなふうに知り合ったのですね?」 「ええ」侑子はこくりと頷く。「そうです。あの日以来、私と修は何度も会うようになって......自然と一緒にいる時間が増えていきました」 その言葉に、若子の心が締め付けられる。 まるで胸の奥が引き裂かれるような痛みだった。 ―修があのとき傷ついていた。 その彼を救ったのが、目の前の女性だった。 ならば、二人がこうして結ばれるのも当然の流れだったのかもしれない。 侑子が修の命の恩人だということは、素直に感謝すべきことだった。 もし彼女がいなければ、修は本当に死んでいたかもしれないのだから。 あの時、自分が見た血の跡。修の姿が消えていたこと。 必死に探したけれど、どこにも見つからなかったこと― 彼は、救われていたのだ。 「......あなたと修の関係は、今どうなっているのですか?」 本当は聞いてはいけないとわかっていた。 それでも、若子はどうしても口にしてしまった。 侑子は、修の苦しむ姿を思い出した。 彼がどれほど追い詰められていたかを知っていた。 だからこそ、彼の尊厳を守るために、毅然とした態度をとった。 背筋を伸ばし、堂々と答える。 「私たちは恋人同士です......それ以外に何があるっていうんですか?」 若子の膝の上に置かれた手が、ぎゅっと服の裾を握りしめる。 「......つまり、あなたたちはすでに関係を持ったということですか?」 思わず、直接的な言葉が口をついて出た。 頭に血が上り、どうしてこんなことを聞いてしまったのか、自分でもわからなかった。 侑子の心臓が大きく跳ねる。 しかし、目の前の女性が修を顧みず、別の男性と幸せそうに暮らしていることを思い出すと、怒りが込み上げてくる。 修はあんなにも若子を想っていたのに。 彼女のために命まで投げ出そうとしたのに― それなのに、若子は修を捨て、別の男と家庭を築き、子供までいる。 そんな彼女に、修の痛みをわかる資格なんてあるのだろうか? そう思うと、侑子の胸の奥に湧き上がったのは、奇妙な対抗心だった。 「ええ、もちろんです」 侑子は、はっきりと言い切った。 「私たちは同じ屋根の下で暮らしていま
「正直......ね」 修はその言葉に、自嘲するような笑みを浮かべた。 「俺は、お前が思ってるほど正直じゃない。昔......妻に嘘をついたことがある。別の女と会うために、『出張だ』なんて言って......それでも、まだ俺は『いい男』か?」 侑子は、かぶりを振った。 「修......それでも、私は信じてる。きっと事情があったんだよ。男には男の都合があるもん」 「侑子、お前......俺を美化しすぎてる。事情なんて関係ない。ただのクズだったんだ、俺は」 「違う。私にとって、修はいつだって『正しい人』なの。たとえ浮気しても、別の女のところに行っても、それはきっと理由がある。私は、どんなときでもあんたを許す。だって私は、あんたの物語のヒロインになりたいから。 ......どんなに卑怯でも、どんなに残酷でも、私は修を肯定する。修が望むなら、私は『都合のいい女』でいられる」 ―男が他の女と関係を持つのは、よくある話。 修ほどの男ならなおさら。金もあって、見た目もよくて、若い。女が群がってくるのは当然。 だからきっと、悪いのはあの女だ。 修が離婚したのは、あの女のせい。彼女がちゃんとしていなかったから。忠実に、女らしくしていなかったから。 いや、それどころか、彼女は最初から不誠実だった。遠藤とくっついて、子どもまで作っておいて、また修を誘惑するなんて― 最低。 そんな女に、修を取られてたまるか。 ふざけないでよ。 そんな節操のない女が、修に相応しいわけないでしょ。 あの女、汚れてる。 男に非なんかない。悪いのは、いつだって女。 男が女を傷つける?それも当然。なのに戻ってきてやるなら、それは女に「恩赦」を与えるようなもんよ。 なのに、拒むなんて......バカじゃないの? 修には、侑子の様子がどこかおかしく見えた。 こんな支離滅裂なことを口にするなんて―正直、理性を失ってるとしか思えなかった。 ......そんなこと、本気で思ってるのか? 彼女は本当に俺のことを「愛してる」からこうなってるのか? それとも、ただ感情に呑まれてるだけなのか。 修は手を伸ばして、侑子の額にそっと触れた。 熱はなかった。体温は平常通り。 たぶん― それだけ、彼女は傷ついて、絶望して、心が限
「ごめん......全部俺が悪かった。こんなふうに泣かせて、本当に......」 修はそう言って、侑子を見つめた。けれど、侑子は首を横に振る。 「病院なんて、もういいの。行きたくないの......今は......ただ、修にそばにいてほしいだけ。 修......お願い......私を抱きしめて。ずっと待ってたの、修が帰ってくるのを......毎日毎日......でも、来なくて......ずっと怖かった......」 ぽろぽろと涙をこぼしながら、侑子は息も絶え絶えに言葉を紡ぐ。 修は胸が締め付けられる思いで、そっと彼女を引き寄せた。そしてベッドに横たわり、彼女の頭を胸元に抱き寄せた。 「ごめんな、侑子......」 その声には深い後悔がにじんでいた。 彼の体からは、強いアルコールの匂いがした。かなり酒を飲んでいたらしい。 「ねえ、修......さっき心臓が痛くて、薬を飲もうとしたんだけど......飲みたくなくて、もう......このまま死んじゃってもいいかなって......そう思っちゃったの......」 「そんなこと、二度と言うな......!」 修はすぐに言葉を返した。 「そんなふうに思うなんて......それは俺の心を抉るようなもんだ。絶対に生きてほしい。お前の手術のために、ちゃんと適合する心臓を探してみせるから。そしたら、健康になれる」 「......修」 侑子はまた涙をこぼしながら、彼を見つめた。 「私も、生きたいよ......ちゃんと。だから......薬、飲んだの。死んだら、修が悲しむから。迷惑かけたくないから......私は、修を愛してるから。だから......負担にはなりたくないの。 修......安心して。私は、ずっと修の味方だから。何があっても、私の中で一番大事なのは、いつだって修だよ......」 修は深く息を吐いた。 「......侑子、俺はお前にどうしたらいい? たとえば......もし、俺が一生、お前を愛せなかったら?」 「それでもいいの」 侑子は微笑みながら言った。 「私が愛してる。それだけで十分だよ。いらないって言っても、私は愛を少しずつ分けるから。修が苦しいとき、そばにいてあげるだけでいい。それが私の幸せなの」 「私、修のこと、大好き....
―だめだ、絶対に死んじゃいけない。 震える手で薬をかき集めた侑子は、床に落ちた錠剤をそのまま手に取り、汚れなんて気にもせず、口の中に放り込んだ。ごくん、と無理やり飲み下す。 少しずつ、薬が効いてきた。 呼吸が落ち着き、心臓の痛みも引いていく。ベッドに戻った彼女は、天井をぼんやりと見つめながら呟いた。 「私は、絶対に死なない......何があっても生きてやる。修......私は、生きてあんたを手に入れるの。あの女なんかに渡してたまるもんか。 夫もいて、子どももいるのに、まだ修を誘惑するなんて......あの女、ほんとに最低。 修を危険に晒して、さらにまた奪おうとするなんて、どこまで浅ましいのよ。 どうせ母親も同じような女だったんでしょ。ろくでもない母親に育てられて、男と乱れて......下品でだらしない血を引いてるんだわ」 そのとき― 廊下から声が聞こえた。 「藤沢様、お帰りなさいませ」 侑子の目がパッと見開かれた。足音が、こちらへ近づいてくる。 彼女はすぐに反応した。肩紐をぐいと引きちぎるように外し、白く滑らかな肩と谷間を露わにする。 乱れた服のままベッドに横たわり、まるで酷く傷ついた花のように、儚く、美しく、哀しさを帯びた姿を演出する。 修が部屋に入ってきたとき、目に飛び込んできたのは、床一面に転がった薬、そしてベッドに横たわる侑子の姿だった。 「......!」 修の顔が一気に青ざめた。 彼はすぐにベッドへ駆け寄り、侑子を力強く抱きしめる。必死に肩を揺らしながら、名前を呼びかけた。 「侑子!おい、しっかりしてくれ! 侑子っ!」 その目には、深い不安と焦りが浮かんでいた。今すぐ病院に運ばなければ、と口を開きかけたそのとき― 侑子がゆっくりと目を開けた。 「修......やっと、帰ってきてくれたのね。待ってたのよ、どれだけ待ったか......」 彼女のその姿は、まるで何年も帰ってこなかった恋人を待ち続けた人のようだった。 「......ああ、帰ってきたよ、侑子。ごめん、どうしたんだ?具合、悪いのか?」 修の視線が薬へと移った。これはまさか― 「薬、ちゃんと飲んだか?」 「うん......飲んだよ。でも、手が滑って、薬を落としちゃって......全部撒いちゃった
夜の闇が別荘を包み込み、部屋の中には重く沈んだ空気が漂っていた。 侑子はベッドの上で身体を丸め、震えていた。涙は糸の切れた真珠のように頬をつたって流れ、すすり泣きの声が部屋の隅々まで響きわたる。空気さえも、彼女の悲しみに染まっていくかのようだった。 その顔は、かつての輝きを完全に失っていた。まるで枯れかけた花のように、白く、弱々しく、力を失っている。赤く腫れた目元は、血に染まった宝石のように痛々しく、深い怒りと絶望を滲ませていた。 乱れた黒髪が頬の両側にかかり、生気をなくした滝のように見えた。 「なんで......修、なんでまだ帰ってこないの......? 私が代わりでもいい......せめて、少しでも優しくしてくれたら......それだけでよかったのに...... 松本さんに会って、それで戻ってこなくなったの......?まさか......彼女と......?」 心の奥で燃え上がる怒りが、侑子の顔を歪ませる。 裏切られた痛み。置いていかれた悲しみ。それらが一気に押し寄せてきて、彼女の心を粉々に打ち砕いていく。 胸に湧き上がる憎しみは、もうどうしようもなかった。 「なんで......なんで彼女なのよ......あの女、もう別の男と結婚して、子どもまで産んでるのに! 修......そんな女のどこがいいの!?あんな体、汚れてるだけじゃない!」 彼女の痛みと怒りは、やがて真っ黒な闇となり、侑子をその中心へと引きずり込んでいく。 部屋の中の空気はまるで墓場のように重く、息をすることさえ苦しくなる。 「なんでよ......どうして私を選ばなかったの......なんで私が、あんたみたいな男を、好きになっちゃったのよ」 愛してる男の心に、浮かんでいるのはただ一人―松本若子。 その名を思い浮かべるたび、胸が引き裂かれるように痛んだ。 今の彼女の目には、修は裏切り者でしかなく、彼女の心を何度も何度も殺す「加害者」だった。 そして、若子は......下劣で、汚らわしくて、恥を知らない女。 そんな思いに囚われて、彼女の心はもう、まともでいられなかった。 過去にも何度か恋はしてきた。彼氏だっていた。 けれど、どれもこんなふうに心をかき乱されるような恋じゃなかった。 ―今までの恋なんて、全部偽物だったんだ
若子はその場を追いかけたくてたまらなかった。けれど、足はまるで鉛を詰められたように重くて、動くことができなかった。 ―ダメだ。私はもう、修を追いかけちゃいけない。 彼との関係は、もう終わったんだから。 彼には山田さんがいる。もう自分とは終わっている。だったら、いっそ嫌われて、憎まれたままでもいい。 その方が、きっと彼のためになる。 そんな思いで立ち尽くしていた若子の背後から、ふわりと誰かが彼女を抱きしめた。 「若子......信じてくれてありがとう。俺を信じてくれて、本当に......ありがとう」 西也の声だった。 最終的に、若子は彼の言葉を選んだ。それだけで彼の中に、確かな勝利の実感が湧いてきた。 その口元には、ふっと得意げな笑みが浮かんでいた。 ―藤沢、お前は俺に勝てない。 俺は若子を傷つけたりしなかった。ずっと彼女のそばにいて、支えてきたんだ。暗闇の中で手を差し伸べてきたのは、この俺だ。 それに比べて、お前はずっと彼女を泣かせてきたじゃないか。 だが― 若子はその腕を、ギュッと掴んで無理やりほどいた。 「西也......本当に......本当にボディーガードを連れて、銃まで持って修のところに行ったの?本当に......傷つけるつもりだったの?正直に話して」 さっき、修にあんなふうに言ったのも、完全に信じてなかったわけじゃない。 もう修を信じるか信じないかは、正直どうでもよくなっていた。彼には侑子がいて、子どもまでいる。今さら自分が何を言ったところで、どうにもならない。 西也の呼吸が乱れた。肩がわずかに震え、若子の肩を強く掴む。 「若子、俺のこと信じてないのか?......まさか、あいつの方を信じてるのか?」 さっきまで自分を選んでくれたと思っていたのに、まるで手のひらを返されたような気がして、胸の奥がずきりと痛んだ。 「西也......お願いだから、本当のことを言って。本当に銃を持って行ったの?」 二人のうち、どちらかが嘘をついている。でも、どっちなのか、若子にはもうわからなかった。考えれば考えるほど、混乱するだけだった。 「......銃は、持って行った。けど、それは俺のボディーガードが持ってたやつで、護身用なんだ。アメリカじゃ銃の携帯は普通だし、もし危険な目に遭った
若子はしばらく黙って考え込んだ。そして、ゆっくり顔を上げて修を見つめた。 「でも......あのとき、あなたは本気で西也が死ねばいいって思ってた。私に、西也の心臓を桜井さんにあげるようにって、同意を求めたよね」 西也の口元がぐいっと吊り上がる。得意げな笑みを浮かべて、ほっと息をついた。 ―若子は俺のことを信じてくれたんだ。 藤沢修、お前なんかに勝ち目あると思った? 前には桜井雅子、今度は山田侑子。お前がこれまでやってきたこと、どれを取っても正当化できないし、言い逃れもできない。 その一方で、俺は若子にとっての理想の男だ。お前が俺に勝てる要素、どこにある? 若子の言葉は、修の胸を鋭く突き刺した。 「若子......それは......昔のことだ。もう何年も前の話だよ。それと今は別だ。あれはあれ、これはこれなんだ」 「でも、あなたは確かにそうした。確かに―あのとき、あなたは西也に死んでほしいと思ってた。これは事実でしょ?」 修は口をつぐむ。否定できるはずもなかった。あの頃、西也のことを心の底から憎んでいた。そして、雅子が心臓移植を必要としていたタイミングで、西也が倒れた。 これは「チャンス」だと思ってしまった。雅子を助けるには、西也の心臓を......その考えが頭をよぎったことを、否定なんてできない。 ―自分の中の醜い部分。もし誰もがそれを晒されたら、きっと誰も「人間らしく」なんて言えなくなる。 「若子......あれは、あのときの話だ。彼の命が消えかけてたから、俺は......ああ言った。けど、俺は手を下してない。殺してもないし、傷つけてもない。常識的に、そうするのが正しいと思っただけなんだ」 「常識、ね......」 若子はその言葉を聞いて、吐き気がしそうになった。 「修......あなたにとって、西也の治療を諦めることが『常識』なの? だったらもう、これ以上言わなくていいよ。きっと、あなたの心のどこかが後ろめたかったんでしょ?だから西也があなたの元を訪ねてきたとき、勝手に『殺しに来た』って思ったんじゃない?」 「......」 修はふらりと数歩、後ろに下がった。 何もかもが空っぽになったようだった。胸の中から、心臓ごと引き抜かれたかのように。 若子からの言葉。何度も、何度も突き刺さっ
若子のその言葉は、どちらにも肩入れしない「中立」なものだった。 誰が正しいのか、彼女にはわからなかった。だって、その場にいなかったから。修の言い分も、西也の言い分も、どちらも聞いてみれば筋が通っているように思える。 ただ、どちらも誤解していただけだったら―そう願わずにはいられなかった。 西也は修のことを誤解していて、修も西也の護衛が武器を持っていたことで、逆に西也を疑った。ふたりの関係はもともと悪くて、敵意に満ちていた。だから、極端な判断をしてしまったとしても不思議じゃない。 「こいつは本当にやったんだ。侑子まで捕まえて、あと少しで殺されるところだったんだぞ」 修の声には怒りと悔しさが滲んでいた。 だけど、若子の中でその言葉は、ただの「誤解」に聞こえてしまった。 彼女にとっては、現場にいなかった以上、どちらかを一方的に信じることはできなかった。 それでも―自分の命をかけてくれた修の言葉を、疑ってしまっている自分に、彼はきっと傷ついている。 離婚してしまった今、彼女はもう修の味方ではない。 かつてなら、迷わず彼を信じていたはずなのに。 「濡れ衣だ!」西也が激しく声を上げた。「若子、こいつの言うこと信じるな!こいつは嘘をついてる!それに、もし俺が本当に殺すつもりだったら、こいつなんて今こうして立ってられないだろ?あの時、屋敷に彼は一人だった。俺が殺そうと思えば、簡単にできた。でも、やらなかった!」 「それは、お前が油断してたからだ。俺が隙を見て銃を奪い返して、逆転したから助かっただけだ。あのままじゃ、俺も侑子も、確実に殺されてた。お前が死体を処理してしまえば、誰にもバレなかったはずだ」 「お前、よくもそんなでたらめ言いやがって!」 西也は怒りを抑えきれず、若子に向き直った。「若子、お願いだ、信じてくれ。俺がどんな人間か、お前ならわかってるだろ?こいつこそ、俺を殺そうとした張本人だ!」 「お前、忘れたのか?前に俺が事故に遭った時、こいつも含めて全員が、お前に俺の臓器を提供しろって迫ったんだぞ?こいつなんて、俺に早く死ねって言ってたようなもんじゃないか!」 西也は、思い出という武器で切り込んできた。 彼の言葉は、若子の心に鋭く突き刺さる。 あの時―病院で、全員が彼女に迫っていた。西也の命を見捨てて、誰か
修の声は驚くほど冷静だった。西也のように感情をむき出しにすることもなく、彼の言葉には一分の隙もなかった。 どこか、堂々として見えた。 その落ち着いた姿を見て、若子はふと、疲れを覚えた。 修と西也の喧嘩なんて、これが初めてじゃない。もう何度もあった。前なんて、レストランで暴れて警察沙汰になったことすらある。 どちらの肩を持とうと、結局ふたりの間の確執は終わらない。今回の乱闘だって、どうせこれが最後にはならない。 「修、西也、あなたたちもう大人でしょ?自分の行動には自分で責任持ちなよ」 若子の声には、明らかに苛立ちが混じっていた。 「また喧嘩して、これで何回目?私はもう知らない。どっちが先に手を出したとか、正直もうどうでもいい。やりたきゃ好きに殴り合えば?先に殴った方が、もう一発食らう。それでチャラにしなよ。私はあなたたちの母親じゃないの。毎回毎回、警察に駆けつけて後始末して......そんなの、もうごめんだから!」 西也は口を開けかけたが、若子の鋭い一言でぐっと黙り込んだ。 なにか言いたそうな顔をしていたけれど、その勢いはすっかり削がれてしまった。 彼の視線は自然と修に向き、そこに溜まった怒りの矛先をぶつけるように、じろりとにらみつけた。 ―でも、今回、若子は西也をかばわなかった。 修はそれを見逃さなかった。彼にとっては、これが逃せないチャンスだった。 「若子」 修が一歩前に出て、静かに言った。 「なんで俺の話は聞かない?どうして俺が西也を殴ったのか、その理由を考えてくれたことある?」 「藤沢、また話を捏造するつもりか?」 西也がすかさず口を挟んだ。 「捏造?お前、ビビってるのか?若子に話されるのが、そんなに怖いか?」 修は口元だけで笑って、続けた。 「お前、若子には言わないつもりだったんだろ?......あの夜、お前がどんな風に俺の家に乗り込んできたか。銃を持った連中を引き連れて、俺のこめかみに銃口突きつけたよな」 「な―」 若子が目を見開いた。 「西也......それ、本当なの?」 西也は眉をひそめて、必死に否定する。 「若子、違う!誤解だ、そんなことするわけない。確かに何人か連れて行ったけど、それは俺のボディーガードだよ。あくまで護衛で、武力を使うつもりなんてなか
修にとって、若子が西也を責める姿を見るのは、これが初めてだった。 彼は腕を組みながら二人を見つめ、目の奥に一瞬だけ安堵の色を浮かべた。 ―もしこれが昔だったら、若子は絶対に真っ先に西也をかばってた。 でも、今は違う。彼女は西也を守らなかった。 それだけで、少しだけ救われた気がした。 だけど同時に、不安の方が大きかった。 若子が西也をかばわなかったのは、ヴィンセントの存在があったからだ。 11年も一緒に過ごしてきた自分との関係すら壊して、西也をかばった若子が―たった数日で、ヴィンセントのために西也すら突き放すようになった。 それが、何より恐ろしかった。 ヴィンセントはまるで強引に入り込んでくる侵略者のように、既存の人間関係を簡単に壊してしまう。 「若子、お前......俺のこと、責めてるのか?」 西也の声は震え、目を見開いて彼女を見た。 「責めてるかって?ええ、そうよ。責めてるわ」 若子は疲れた表情で言った。ほんとは、こんなこと言いたくなかった。 でも、どうしても感情を抑えきれなかった。 物事がここまでぐちゃぐちゃになって、それでも「全部お前のためだ」なんて顔して、どんどん余計なことをして、混乱ばかりで、結局一番迷惑を被るのは若子だった。 「若子、あのときはお前が危ないって思って......電話で問い詰めるわけにはいかないだろ?もしそばに誰かいたらって思ったら......だから俺は、こっそり探しに行っただけで......俺だって、お前が心配だったんだ。理解してくれよ......それに、お前が夜に出かけたとき、俺には行き先がわからなかった。考えられるのは藤沢だけだった。そして実際、お前は彼に会ってた。お前の失踪は直接彼のせいじゃないかもしれないけど、彼と会ってなければ、そんなことにはならなかったんだ!」 「あなたが心配してくれてたのはわかってる。でも、自分のミスを正当化しないでよ!」 若子の声が一段と強くなった。 「西也......あなたといると、ほんと疲れる」 「......っ」 その一言が、西也の胸に深く突き刺さった。 「ミス」とか「疲れる」なんて―若子の口から、そんな言葉が自分に向けて出てくるなんて、思ってもいなかった。 彼は信じられないような表情で、ただ彼女を見つめるしか