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第103話

Author: かおる
清子の目が一瞬で赤く染まり、涙が今にも零れ落ちそうに揺れていた。

そのとき、怜のあどけなくも不思議そうな声が響いた。

「このおばさん、どうしてそんなに泣いてばかりなの?

僕が会う度に泣いてるよ。

僕と翔太お兄ちゃんがけんかして怪我したって泣かなかったのに、大人なのに泣くなんて、ほんとに恥ずかしいよ」

清子の顔は引きつり、泣くこともやめることもできず、固まってしまう。

その場の幼稚園の先生も、さすがに見て見ぬふりができず、慌てて話題を収めた。

「あ、あの......とにかく、まずは子どもたちのことを話し合いましょう」

星が先生に向き直る。

「今回、怜くんが手を出してしまったことについては、翔太に謝ります。

怜くんの父親が戻ってきたら、ご両親に対しても改めて謝罪いたします」

「今後同じことを繰り返さないと約束しますし、治療費や賠償に関しても、すべてこちらで負担します」

「ご迷惑をおかけして、本当に申し訳ありません」

この園に通うのは裕福な家庭の子どもばかりだ。

治療費や賠償金など、誰にとっても大した問題ではない。

大事なのは、親と子どもの姿勢だった。

怜はすでに謝罪を済ませ、星の態度も誠意に満ちていた。

普通なら、これ以上事を荒立てる理由はないはずだった。

だが、問題はややこしいところにあった。

星は翔太の母である同時に、怜の保護者でもある――その立場が、この場を複雑にしていた。

先生は額の汗を拭いながら、雅臣に視線を送った。

「神谷様......怜くんも謝りましたし、保護者の方からも誠意あるお言葉をいただきました。

この件について......他にご要望はございますか?」

翔太は悔しそうに父に訴える。

「嫌だ!

謝られても許さない!

怜は今日だけじゃない、いつも僕をこっそりいじめているんだ!」

雅臣も、翔太の口から何度も「怜にいじめられている」と聞かされていた。

冷ややかで鋭い視線が、怜に突き刺さる。

あまりの威圧感に、怜はびくりと肩を震わせ、思わず星の胸元へ身を寄せた。

星は彼を庇うように抱き寄せ、その視線を遮る。

その仕草に、雅臣の目はさらに冷たさを増した。

「星......自分の息子が目の前にいるのに、他人の子をかばうのか?」

星はちらりと雅臣と清子を見やり、静かに言い放った。

「翔太には、あなた
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