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第160話

Author: かおる
星にここまで醜態をさらさせられたと思うと、綾子は今にも頬を張り飛ばしてやりたい気持ちでいっぱいだった。

だが大勢の視線が注がれる中、それを実行することはできない。

さすがに修羅場をくぐってきた女、綾子は何度も深呼吸をして怒りを押し殺した。

今日のことが外に漏れれば、自分の名声は地に堕ちる。

――すべては星、この家庭を乱す女のせいだ!

彼女は声を整え、冷たく言った。

「星、翔太は今日の大会のためにずっと準備してきたのよ。

あなたが付き添いに選ばれなかったからといって、翔太の演奏を台無しにする必要はないでしょう?」

「それに、あなたには家柄もなければ学歴もない。

おまけに披露できるような特技もない。

そんなあなたに翔太と並んで舞台に立たせるわけにはいかないじゃない」

この言葉は会場に大きな波紋を呼んだ。

彼女は遠慮なく、星の素性を暴き立てたのだ。

上流社会では釣り合いを重んじる。

家柄が劣るなら、せめて学歴が高くなければ陰口を叩かれる。

最低でも、スターやモデルといった肩書きくらいは持っていなければならない。

一方で、この世界には階層を分ける蔑視の連鎖がある。

良い家に嫁げば嫁いだで見下し合い、学歴が高ければ高いなりに競い合い、スターやモデルはまた別の目で蔑まれる。

――そのどれにも属さない星は、言わば蔑視の底辺。

誰にでも好き勝手に踏みつけられる存在なのだ。

「なんだ、結局は見かけ倒しの女か」

「どうやって神谷家に嫁いだんだ?」

「そういえば、神谷雅臣は授かり婚だったって噂があったな」

「じゃあこの女、手管で転がし込んだんじゃないのか?」

見物人たちの目には、そんな想像が広がっていく。

だが、星の顔は静かだった。

「綾子さん、冗談はよしてください。

翔太の大会を壊そうとしてるのは私じゃない。

小林さんですよ。

コーヒーをわざと私のドレスにかけて、出場できなくしたのは彼女」

「彼女が私のドレスを汚したのだから、弁償して当然ですよね。

それに、私に学歴も才芸もないなんて、誰が言ったんですか?」

この態度に、綾子は逆上しかけた。

だが周囲の目がある以上、感情を爆発させるわけにもいかない。

彼女は奥歯を噛みしめ、無理に声を抑えて言った。

「ドレス代弁償させれば済む話でしょう?

どうしてわざわざ彼女の着てい
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