LOGIN忠は冷ややかな目で星を見つめ、正論めいた口調で言った。「星。俺だって母さんの子どもだ。お前が持ってる原株は、本来なら俺の取り分もある。けど、兄妹なんだから、お前がそれを独り占めしても、俺らは兄としては目をつぶってきた。ただ――お前は、男に迷わされて会社の利益まで損ねた。母さんが何年もかけて築いてきたものまで台無しにした。何だかんだ言っても、俺らは身内だ。だから一度だけ、選ぶ機会をやる。原株と仁志――どっちを取る?」いつの間にか、忠の手には鋭いナイフが握られていた。窓から差し込む陽光を受け、白い刃がきらりと冷たく光る。忠は口元をゆっくり吊り上げ、悪意を隠さない笑みを浮かべた。星は低い声で言う。「忠……何をする気?」忠は笑った。「お前に人殺しをさせるのは、さすがに酷だって分かってる。でもさ、雲井グループの商業機密を盗んだ凶犯を、数回刺すくらいならできるだろ?星。原株を選ぶなら、このナイフで――こいつを何度か刺して、誠意ってやつを見せろ」星が手を下せば、彼女と仁志の間に、もう未来はない。仮に原株を一時的に守れても、背後で支えてくれる仁志がいなければ、手元の持ち分はいずれ食い尽くされる。それどころか――星の一太刀で、仁志が彼らの味方に回る可能性だってある。そう思うと、忠の瞳に、抑えきれない高揚がにじんだ。「さあ、選べ。こいつの命か――それとも、お前が握ってる株か」ここに来る前、星は最悪の事態も想定していた。命のほうが、株より重い――それは当然だ。ただ、その時なぜか、山下会長の言葉が脳裏をよぎった。忠に従えば、彼女はまな板の上の魚になる。好きなように切り刻まれるだけだ。そうなったら、彼女も仁志も――かえってもっと危険ではないのか。忠の一手は、容赦がなく、逃げ道もない。彼女が積み上げてきた計画を、根こそぎ崩してくるほどだ。頭が単純な忠が、本当にこんな陰湿な手を思いつくのか――?星の迷いは、忠の想定内だった。忠はさらに火を注ぐ。嘲るような、ねじれた口調で仁志に言った。「俺の目が節穴だったな。利益の前じゃ、お前ってその程度なんだ。ほら。原株を手放せないなら、仁志を刺せ。忠誠心を見せろよ」そのとき――ずっと黙っていた仁志が、ふいに口を開いた。「忠さん。星野さんに、どうやって原株を渡させるつもりですか。買い取るのか、それとも…
「星……まさか本当に、男ひとりのために、俺たち――一心にお前を支えてきた人間を捨てるつもりなのか?」星は言った。「どうであれ、他人の命を使って、自分の利益と引き換えにしたくありません」山下会長は怒鳴りつける。「星!お前は本当に、目が覚めないんだな!」時間がない。星はもう、山下会長と言い合う気はなかった。彼女は足早に外へ向かい、背後の声を置き去りにする。「星、必ず後悔するぞ!」この先、後悔するかどうか。星には分からない。ただ分かっているのは――今行かなければ、絶対に後悔するということだった。……星はすぐに、拉致の場所に辿り着いた。そこはひどく人里離れた場所にある別荘だった。中へ入ると、広いホールにはソファが一つ置かれているだけ。がらんとしていて、人の気配が薄い。冷えた静けさが漂っていた。その時、忠はソファに腰掛け、葉巻をくゆらせていた。星が入ってくると、彼は腕時計に目を落とす。「来るの、ずいぶん早いじゃないか」星は忠を見据えた。「仁志はどこ?」忠はもったいぶる気もない。葉巻をひと吸いすると、ソファから立ち上がり、二階のある部屋へ向かった。星も後に続く。扉を開けた瞬間、星は仁志が椅子に縛りつけられているのを見た。その背後には黒服の大男が二人、無言で立っている。拘束されているにもかかわらず、男の佇まいは相変わらず端正で気品があった。みじめさは欠片もない。拉致されたというより――招かれた客として座っているようにさえ見える。星は仁志を確かめ、目立った傷がないことに気づいて、ようやく少しだけ胸を撫で下ろした。すると、傍らから忠の声が響く。「星。お前は最近、判断をことごとく誤って、うち――雲井グループに大損害を出した。それに、この仁志は……会社の機密を漏らした人間の可能性が高い」星は淡々と遮った。「要点だけ言って」忠は鼻で笑う。「こいつは雲井グループの商業機密を漏洩させた。それなのにお前は始末もしないどころか、護衛まで付けた。星、俺から見れば、お前は完全に取り憑かれてる。徳がない者に地位は似合わない。雲井グループを管理できないなら、もう口を出すな。そもそも株だって、お前の取り分じゃないんだ」星は、憎たらしいその顔を黙って見つめるだけだった。忠は気にも留めず、少し離れた場所を指さす。「星。あれ、見え
仁志が携帯の充電を切らすことなど、今まで一度もなかった。星は、ハッと顔を上げ、山下会長を見た。「仁志は、今どこにいますか?」星が自分の話をまったく聞いていないことに気づいた山下会長は、顔を曇らせた。「星、まさか本気で、男一人のために手元の株を手放すつもりじゃないだろうな?」星はもう気が気ではなかった。忠が一番憎んでいる相手――それは間違いなく仁志だ。忠は普段から口が悪く、仁志に何度も痛い目に遭わされてきた。それでも忠は懲りない。後になって仁志も、相手にするのが馬鹿らしくなって放っておくようになった。だが星は分かっている。忠は、器が小さい。仁志に手を出さなかったのは、ただ機会がなかっただけだ。一度でもチャンスをつかめば、絶対に見逃さない。その時、星の携帯が突然鳴った。画面に表示されたのは、仁志の側に付けていた護衛の連絡先だった。星はすぐに通話を取る。「星野さん、仁志さんが……突然、いなくなりました!」星の表情が引き締まる。「突然いなくなった……どういう意味?」「少し前に仁志さんが外出して、こちらも護衛として同行していました。ですが、十数分前……仁志さんが急に姿を消したんです」星が詰め寄る。「消えた?どうして消えるの?」護衛は焦った声で説明した。「途中、渋滞がひどい区間がありまして、こちらの車が後ろで分断されました。渋滞を抜けた後、仁志さんの車が見当たらなくなっていて……それから、人通りの少ない場所で仁志さんの車は発見しましたが、車内は空でした。周辺をかなり探しましたが、仁志さんの行方がつかめず、取り急ぎ星野さんにご報告を……」星は冷たく息を吐いた。「分かった」通話を切ると、星は携帯を握ったまま外へ向かおうとする。その様子に山下会長は歯がゆさをこらえきれない顔になった。「星、大事を成す者は小事にこだわらない。お前の身分と容姿なら、どんな男だって選び放題だろう?雲井グループさえ守れれば、この先、男を十人囲ったって誰も文句は言わない。いいか、今のこの厄介の種は――絶対に残しちゃいけない!」星の心は仁志の安否でいっぱいで、山下会長の言葉は耳に入らない。山下会長がさらに説得しようとしたその時――星の携帯がまた鳴った。表示された名前を見た瞬間、星の瞳が鋭くなる。そして通話を取った。受話口の向こうから、忠ののん
「特に忠はな。お前があいつの傘下の会社を底値で買い叩いたせいで、あいつはこの先、伸びようがなくなった。恨みは骨の髄まで染みてる。今回、あいつらがお前と真正面から喧嘩しないのは、外に笑いものにされたくないだけだ。親族だなんだと言っても、靖たち三兄弟と明日香にとって、お前は――自分たちの資源を奪い、財産を分け前に来た人間なんだ。雲井グループの財産と資源は、桁が違う。昔から、これで親族が敵同士になる例は腐るほどある。お前はあいつらと一緒に育ったわけでもない。情も薄い。だから、あいつらがお前にそういう態度を取るのも、想定の範囲内だ。これまでは、手を出す機会も理由もなかった。だが今は――お前が機会と弱みを、自分から差し出した。あいつらが使わない理由があるか?」星は喉を詰まらせるように尋ねた。「仁志に、何があったんですか?」山下会長は淡々と言った。「忠が会社機密を漏らした名目で、すでに人を動かして仁志を確保した。助けたいなら、お前が持っている株式と原株で交換しろ。拒めば、あいつは仁志を処理する」星の瞳孔がきゅっと縮む。「処理……?どうやって?」山下会長は言う。「この世から消す。あるいは、事故死に見せかけて終わらせる。雲井家はそういう手を頻繁には使わない。だが、使わないとは限らない。本気で一人消そうと思えば、手段はいくらでもある」そして、重い声で続けた。「お前が忠の要求を飲まない限り、あいつらはお前に手が出せない。星、これが最後のチャンスだ。男一人のために、手元の株を捨てるな。もし本当に株式譲渡書にサインしたら、二度と逆転できなくなる」山下会長は星を深く見つめる。「ここはM国だ。資本が力を持つ国で、お前の元いた国とは違う。長く住んでいるなら分かるはずだ。ここでは公平や法律は、当てにならない。M国の法律と公平は、ただの一般人向けのルールにすぎない。権力も後ろ盾も失えば、何もかも相手の言い分で決まる。お前に抵抗する力はない。残酷に聞こえるだろう。だが、名家の中の権力争いは、それほど非情だ。お前はやりたい放題だと思うかもしれない。だが資本こそが、あいつらの天だ。いつか本当に傲慢になって、その天を突き破るでもしない限り、お前に資本がなければ、あいつらとは戦えない」星は黙り込んだ。山下会長の言うことが正しいのは分かる。それでも――仁志の命を見
星は、実は山下会長とは関係が良かった。雲井グループに入って最初の意思決定の時も、宗一郎を除けば、目の前の山下会長が最も強く彼女を支持してくれた。最近も、山下会長はずっと彼女と同じ陣営に立っていた。山下会長は生前、夜とも親しかった。だから仕事面でも、星に多くの配慮と支援を与えてきた。「雲井家の実の娘ではない」と噂されていた時も、山下会長は迷いなく星を支持した。星は山下会長を、ずっと敬ってきた。山下会長は言った。「お前のそばにいる仁志には、80%の疑いがある」星は答えた。「山下会長、正直に申し上げます。前に私の機密が漏れた時、危機を乗り越えられたのは仁志のおかげです。損失を取り戻しただけじゃありません。忠の会社にも、底値で踏み込んでくれました」ここまで来ると、星は周囲に仁志を誤解されたくなかった。やむを得ず、当時の経緯をすべて山下会長に話した。星は続けた。「今回の漏洩も、内通者がいたのは確かです。でも、その内通者が誰であれ……仁志であるはずがありません。彼には、そんなことをする理由がないんです」山下会長は同意しなかった。「星。あの時は、お前を害するつもりがなかったかもしれん。だが、今もそうだとどうして言い切れる?何を考えているかまで分かるのか?お前は純粋すぎる。だから騙されるんだ」山下会長の頑なさに、星は思わず眉をひそめた。「山下会長、何事も証拠が必要です。根拠もなく彼だと言うのは、善人を冤罪にすることになりませんか?」それを聞いた山下会長は、冷たく笑った。「彼だとして、何が問題だ?彼じゃなかったとして、何が変わる?たとえ今回が彼じゃなくても――彼でなきゃならん!」星の目がわずかに揺れた。彼女は愚かではない。山下会長の言葉の含みが、分からないはずがなかった。仁志を庇おうと口を開きかけた、その瞬間。山下会長が先に言い切った。「取締役会の場ではな、お前が最近やらかした失点を、全部あの色男のせいにしておいた。お前は甘い言葉に目がくらんで、隙を与えた。だからあいつに機密を盗まれた――そういう筋書きだ」山下会長は言葉を重くする。「星。信頼を築くのには時間がかかるが、壊すのは一瞬だ。お前はようやく社内で足場を固め、これだけの支持を得た。それを、こんなことで潰すわけにはいかん。中立派の株主だけじゃない。お前と、お前の母親を支持し
少しでも油断すれば、すぐにあいつの罠にはまります」そういう男を、怜央より危険だと言うべきか。けれど朝陽の胸には、一本の物差しがある。だから怜央のように、常に極端には振り切れない。怜央と朝陽が、星を追い詰めるやり方を見ても分かる。二人はまったく別のタイプだ。怜央は、単純で荒っぽい。肉体を痛めつける方向に寄る。朝陽は、陰で糸を引く。謀略と計算で絡め取る。どちらがより危険かは、簡単には言えない。ただ一つ確かなのは――どちらも善人ではない、ということだ。とはいえ当然かもしれない。家主の座に就く人間に、善良無垢な人がいるはずがない。翔は明日香を見た。「明日香。朝陽の次の手、何か聞いてるか?」明日香は首を横に振った。「最初から最後まで、朝陽は私に計画を話しなかった。綾羽がいなかったら、全部が朝陽の仕業だって、私も知らなかったと思う」だが翔は言う。「朝陽がそうした理由は二つだ。一つはお前を助けるため。もう一つは……前の拉致事件だ。明日香、忘れたのか?朝陽は星に拉致されたと言っていた。たぶん、星への報復だ」星に報復しつつ、明日香を押し上げる。朝陽は本当に、一切損をしない。明日香の瞳がわずかに揺れた。彼女もそこに思い当たったのだろう。小さく息を吐き、それ以上は口を開かなかった。そのとき、翔が忠を見た。「星は雲井家の人間じゃない――そういう話は誰が広めてもいい。だが、俺たちの口から出るのは絶対に駄目だ。忠、分かってるな?」忠も理解していた。雲井家の人間が言っていいことと、言ってはいけないことがある。言わないなら言わないでいい。時には、沈黙のほうが意味を持つ。忠は答えた。「分かってる」翔が続ける。「星が仁志を選ぶにせよ、選ばないにせよ、俺たちは得をする。今やるべきは、星に圧をかけて、早く決断させることだ」忠は、勝ちを確信したように笑った。「それなら簡単よ。いまは中立派の株主どころか、星側の株主でさえ、彼女を支持してないから」翔は明日香に言った。「明日香。あとで朝陽に聞け。次の計画は何だ。こっちも合わせて動ける」明日香は数秒黙り、最後に小さく頷いた。……その日、星のオフィスのドアがノックされた。入ってきたのは他でもない。夜側の株主たちだった。星は来訪者を見て、問いかける。「皆さま、どういったご用件でしょうか?」
もしもワーナー先生の認可を得られれば、清子の実績は星野夜をも凌ぐだろう。清子が降りて間もなく、再び一台の車がオークション会場の正面に停まった。車体には「7」が並ぶ傲然としたナンバープレートが輝いており、人々は思わず息を呑む。「えっ、あれは榊影斗の車じゃないか?」「榊影斗?誰だ、それ?そんな名前、聞いたこともないぞ」「榊家の事業はずっと海外中心だったから、聞いたことがなくても当然だ。今年から国内に拠点を移したばかりだが、その実力は神谷グループにも劣らないと言われている。ただ残念なのは、彼は密かに結婚していて、子どもまでいるらしい。そうでなければ、うちの娘を
翔太は俯いたまま、小さな声で言った。「ママに言っても無駄なんだ。だってあの日、ママはあの人たちにわざと足を引っかけられて転んだのに、誰も助けてくれなかった。ママはみんなの前で笑いものにされて......誰も庇ってくれなかった。そんなママじゃ僕のことなんて守れない」そしてさらに言葉を絞り出す。「さっきも健太のママ、僕のママが怜の監護者だって知った途端、あの子に跪いて謝れって言った。ママを全然怖がってなかった。もし今日、悪いことをしたのが僕だったら......僕も跪かされてたの?」その言葉に、雅臣と影斗の視線が同時に三谷夫人へと突き刺さる。彼女は顔面蒼白にな
影斗は視線を落とし、怜に問いかけた。「怜、この件について、父さんが代わりにお前のために筋を通してやろうか?」怜は答えた。「この件のきっかけは、そもそも星野おばさんが翔太お兄ちゃんの誕生日パーティーで、誰かにわざとつまずかされたこと。父さんが本当に僕のためにけじめをつけてくれるなら、星野おばさんを貶めた人たちを罰して」影斗は淡々と口にした。「そういうことなら、その日、星ちゃんを転ばせた連中を全員ここに呼べ。まずは彼女に謝罪させる。それからの処分は......好きに考えればいい」雅臣の目に意外の色が走る。「お前たちは怜のために筋を通そうとしているのか?そ
清子の表情が一瞬こわばったが、すぐに笑みを取り戻した。「どうしてそんなことを。翔太くんは嘘ついたりするような子じゃないわ」彼女は翔太を見下ろし、優しい笑みを浮かべる。「だから、星野さんももっと翔太くんを信じてあげて」ほんの一言で矛先を再び星へと向ける。母から冷たくあしらわれて傷ついていた翔太の心は、その一言で癒やされた。母に突き放された痛みを、清子の言葉があっさりと覆す。赤くなった目を潤ませながら、翔太は清子の胸に飛び込んだ。「清子おばさん、あの悪ガキが僕をいじめたんだ」清子は翔太の髪をなで、優しく声をかける。小さな子どもを手のひらで転がすのなど、彼







