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第506話

Author: かおる
清子の胸の奥が、ぎゅっと締めつけられるように痛んだ。

彼女はずっと、あの葛西先生を「ただの迷信じみた老人」だと思っていた。

――まさか、本当に医術に通じていたなんて。

そうなると......自分が仮病であることも、とっくに見抜かれていたのでは?

いくら鈍い清子でも、この瞬間ばかりは気づかざるを得なかった。

さきほどの葛西先生の振る舞い――あれは、まるで自分を試すような芝居だったのだ。

そして、星も......おそらく最初からすべて分かっていた。

それでも彼女が黙っていたのは、雅臣から二百億を取り返すため――

つまり、計画のために協力していたということ。

もし葛西先生が、ただの老人だったら。

彼の言葉など、雅臣が信じるはずもない。

だが――彼は「葛西グループ」の創始者だ。

その彼が言うなら、雅臣もきっと信じる。

「......やばい。

全部、バレる!」

清子は恐怖に駆られ、視線をそっと横に向けた。

雅臣もまた、驚きの表情を浮かべている。

胸がドクドクと高鳴り、手のひらが汗ばむ。

身体中に焦りの熱が広がった。

「どうしよう......!」

そして、彼女の頭にひとりの男の名がよぎる。

――溝口仁志。

そうだ、彼なら何とかしてくれる。

たしか、S市に来ると言っていたはず。

雅臣の視線が舞台に向いている隙を見計らい、清子はスマホを取り出して、素早くメッセージを打ち込んだ。

そのころ、会場の廊下。

仁志は壁際の窓辺にもたれ、静かに佇んでいた。

ポケットの中でスマホが震える。

画面を見て、彼は薄く笑う。

白く長い指が滑るように動き、短い返信を打った。

【心配するな。

俺が片をつける】

その一文を見た瞬間、清子の緊張が少しだけ和らいだ。

だが、それでも不安は拭えない。

彼女はすぐにもう一通、送信した。

【......どうやって?】

返ってきたのは、一言。

【廊下に来い】

清子は息を呑んだ。

まさか、もうここに――

彼女はあたりを見回した。

どこにも見えなかったはずのその姿が、いつの間にか近くにいるような錯覚に襲われる。

「雅臣、ちょっとお手洗いに行ってくるわ」

舞台を見つめる雅臣は気のない返事をした。

「ああ」

廊下に出ると、そこにはすでに彼がいた。

長身の男が、窓辺にもたれながら夜景を背に
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