Masuk「春翔は私を閉じ込めて、毎日のように男たちを送り込んできた。私が妊娠すると、今度は無理やり中絶までさせられたの。半年の間に3度もよ。死にかけるほど追い詰められて、ようやく助けてもらえた。何度も死んでしまいたいと思った。でも、あの男はそれすら許してくれなかった!」日和の目から涙があふれた。彼女は狂ったように叫んだ。「毎日毎日、苦しめられて!死ぬことさえ許されない!全部あんたのせいよ!殺してやるッ!」けれど今の南嶋には、それがただ滑稽に思えた。あのとき、被害者は自分のほうだった。子どもを失ってもなお、自分は春翔に復讐することもなく、ただ彼のもとを去り、遠くへ行くことを選んだだけだった。それで、あの地獄のような過去からようやく抜け出せたと思っていた。それなのに、春翔はしつこく自分につきまとい、仇を討つという名目で日和を苦しめた。そして今、そのすべての報いが、何も望んでいなかった自分に降りかかってきている。南嶋には、それがあまりに馬鹿げていて、笑うしかなかった。そのとき、日和が何か思いついたように、南嶋の服のポケットを探り、スマホを取り出した。そして、暗記していた春翔の番号に電話をかけた。一度コール音が鳴っただけで、春翔が出た。「南嶋……やっと電話をくれたのか。許してくれたんだな?」日和の喉から、くつくつと笑いが漏れた。「ヒヒ……春翔、私よ?びっくりした?春翔のだーいじな奥さん、見つけちゃったぁ」電話の向こうの声が、たちまち切羽詰まったものに変わった。「日和?なんでお前がそこにいる?南嶋に何をした!」「私が何をしたかって?春翔には、もう私を問い詰める資格なんてないわ。1時間以内に現金1億円を用意して、私を逃がして。それから新しい身分も用意して。でないと、春翔が愛してやまない大事な元奥さんには、二度と会えないから」それだけ言うと、日和は一方的に電話を切った。春翔の動きは早かった。10分も経たないうちに、現金を持って倉庫の前に現れた。「日和、金は用意した。早く南嶋を放せ」現れた春翔を見て、日和はふいに笑った。「あら、本当に一途なのね。でもこんな体にされて、今さらお金なんて何の役に立つと思う?私が欲しいのはね、あんたたちの命なのよ!」そう言うなり、日和は服の前をばっとはだけた。その
「違う、違うんだ、南嶋!確かに俺は、日和と曖昧な関係だった。それは認めるさ。でも、お前は俺の妻だ。お前がそばにいてくれたこの3年の間に、俺はとっくにお前を愛していたんだ。ただ、自分で気づいていなかっただけで。お前が受けた仕打ちは、もう全部調べ上げた。日和は警察に突き出した。お前が受けた苦しみは、あいつに何倍にもして償わせる」春翔は必死の形相で、その態度には卑屈なほどの懇願がにじんでいた。「だから、もう一度だけチャンスをくれ。信じてくれ……」なおも南嶋に手を伸ばそうとした春翔の手首を、横から伸びてきた大きな手がぐっとつかんだ。春翔が目を上げると、鋭い眼差しをした、威圧感のある男の顔が目の前にあった。「大道寺社長。うちの会社で、うちの社員に手を出すのは感心しませんね」柊真は冷たく笑い、春翔の手を力ずくで振り払った。それから南嶋のほうへ向き直る。その目に浮かぶものは読み取れなかった。「大丈夫か?」南嶋ははっとして、思わず首を振った。次の瞬間、ほのかに松の香りがする高級な仕立てのジャケットが、頭からふわりとかけられた。南嶋の姿がすっぽりと隠れる。「君は先に帰れ。ここは俺が片づける」そう言うと、柊真は春翔のほうへ向き直り、余裕のある仕草でジャケットの前を整えた。「噂には聞いていましたよ、大道寺社長。本国にたったひとりの妻がいたのに、幼馴染……いや、義理の妹と言うべきでしたか、その女性のために、奥様を死に追いやったとか。まさか、うちのような小さな会社に、こんな方がいらっしゃるとは思いませんでしたよ。死んだはずのあなたの元妻が、俺の秘書だったとは」春翔の顔色が、ますます険しくなった。「これは我が家の問題です。そっちには関係ないでしょう。それに、こんなふうに横槍を入れて、うちと御堂グループの取引が白紙になってもいいんですか?」柊真は、軽く眉を上げただけだった。「浅葉は俺の秘書です。本人が望まない限り、誰にも連れていかせはしません」「……取引、ですか?」柊真は冷笑した。「あんな小遣い程度の取引で脅せるのは、せいぜい下の者くらいですよ。まさか本気で、自分がうちの大口顧客だとでも思っているんですか?今日をもって、うちと大道寺グループの取引は一切打ち切らせてもらいます」それを聞いて、春翔の顔色が変わ
8月、異国の街。プラタナスの木陰では、木漏れ日が揺れていた。南嶋はコーヒーを片手に、通りを歩いていた。慣れない土地で戸惑っていた南嶋も、半年かけて少しずつこの街に溶け込めるようになっていた。今の彼女はもう、浅葉家で肩身の狭い思いをしていた先妻の娘でもなければ、大道寺家の当主の妻という肩書きを背負っているわけでもない。ごく普通の会社員だ。生活に余裕を持たせるため、毎月進んで残業を引き受けていた。ここへ送り出されるとき、妙子はいくら断っても、まとまったお金を無理やり持たせてくれた。さらには、南嶋のために信託基金まで設けてくれていた。けれど、こちらに来てから、南嶋はそのお金に一度も手をつけていない。自分の力で生きていこうと、ごく普通の仕事を自分で見つけた。最初の仕事探しは、なかなかうまくいかなかった。そんなとき、同郷の人が経営する企業で、同じ言葉を話せるアシスタントを募集しているのを見つけた。面接も無事に通過し、南嶋は御堂柊真(みどう しゅうま)の専属秘書として採用された。忙しい毎日だったが、南嶋はこれまでにないほど満たされていた。ここでは、彼女は誰の妻でも、誰の娘でも、誰のお荷物でもない。自分の両手で稼ぎ、自分の力で生きている。ただ、玉のように美しいその容姿だけは、どこにいても人目を引いた。入社したその日から、彼女は社内の大勢の男性社員から注目され、次々と好意を寄せられた。けれど、南嶋が柊真の秘書だと知った途端、男たちは蜘蛛の子を散らすように去っていった。御堂家の御曹司が恐ろしい人物だという噂は、あまりにも広まっていて、彼のそばにいる女性には誰も手を出そうとしないのだ。たとえ、ただの秘書であっても。南嶋としては、苦笑するしかなかった。なにしろ、この御曹司は、扱いにくいことで有名なのだ。顔立ちは群を抜いて整っていて、家柄も申し分ない。それなのに、感情の起伏が激しく、誰もが手を焼く人物だった。そのとき、スマホが鳴った。画面に【御堂社長】の文字が表示されているのを見て、南嶋は慌てて手元のコーヒーを飲み干した。案の定、電話に出るなり、感情の読めない声が聞こえてきた。「10分後、会社の会議室に大事な客が来る。ちょうど君と同郷の客だ。応対を頼む」それだけ言うと、電話はぷつりと切れた。南嶋はため息
新しく用意された部屋に戻ると、日和はようやく肩の力を抜いた。得意げな顔でスマホを手に取り、電話をかけ、相手の男と話しはじめた。「大丈夫、カマをかけてみたけど心配いらないわ。春翔は何も気づいてない。昔から、私の言うことなら何でも信じるんだから。それに、あの女が死んだからって何よ?春翔の中では、いつだって私のほうが大事なのよ」電話の向こうで何か言われたのだろう。日和は皮肉っぽく口角を吊り上げ、くすくすと笑った。「最初から言ってたでしょ。私が戻ってきたのは、妻の座を奪うためだって。あのときは、あのクソ婆に邪魔されたせいで、海外に追いやられたんだから。だったら帰ってきて最初にやることは、南嶋に思い知らせてやることに決まってるじゃない。春翔が本当に愛してるのは誰なのか、嫌というほどわからせてやるのよ」そこまで言うと、日和は悔しそうに歯ぎしりした。「ただ、私が海外にいる間に、春翔があの女を妊娠させてたなんて思わなかった。病院であんたと一芝居打って、押しかけてきた患者の家族のふりをさせて、あの女の腹を深く刺すよう仕向けたのに。あの女、しぶとく生き延びてくれちゃって!でもまあ、結果的に春翔がとどめを刺してくれたようなものよね。まさかあの女が、あんな折檻を受けてまでこの家を出ようとするほど意地っ張りだとは思わなかったけど。結局は、私の手で死んだんだから。ほんと、馬鹿な女……」得意げに話し終えるより早く、ドアの外で大きな音が響いた。次の瞬間、ドアが蹴り開けられた。日和は驚いてスマホを床に落とした。音のしたほうを見ると、逆光の中に春翔が立っていた。その顔は、ぞっとするほど険しく、暗く沈んでいた。「は、春翔!?どうしてここに?」春翔は一歩ずつ日和に近づき、手を伸ばして、その首をつかんだ。「来なければ、わからなかっただろうな。お前が最初から、南嶋とお腹の子を傷つけるつもりで、すべて仕組んでいたことも!病院での再会さえ、お前が仕組んだことだったなんてな。俺の罪悪感につけ込んで、好き放題に芝居を打っていたこともな」「ち、違うの、ねえ、聞いて?冗談なの。友達と悪ふざけで話してただけで……本気にしないで……」春翔は書類の束を、日和の顔に叩きつけた。紙の端が日和の頬をかすめ、赤い筋が残った。日和は痛みに顔を押さえたが、春翔の目は微塵も
大道寺家の書斎。春翔は執事から渡された火災調査の報告書を手にしていた。その顔は暗く沈み、何を考えているのか読み取れない。「この報告書に間違いはないんだな?」執事はうなずいた。「はい。念のため、別々の3つの調査機関に調べてもらいましたが、結果はどれも同じでした。火事の前に、床板の隙間に油がまかれていたそうです。そうでなければ、あれほど早く燃え広がることはありません。さらに発火装置まで仕掛けられていて、それが作動した際に爆発が起きたと」執事はそれ以上を口にしなかった。けれど、春翔にはもうわかっていた。あの部屋に、誰にも気づかれず、これほど手の込んだ仕掛けができる人間。そんな者は、ひとりしかいない。春翔は拳を握りしめた。その目が、暗く沈んでいく。そのとき、書斎のドアが開いた。入ってきたのは、不満げに唇を尖らせた日和だった。「春翔、いったいどういうこと?どうしてあんなにたくさんの人が私の部屋をあれこれ調べてるの?被害者はこっちなのに!春翔が前に買ってくれたワンピースも宝石も、全部燃えちゃったんだよ。それなのに、私の味方もしてくれないの?」春翔は顔色ひとつ変えず、指先で軽く机を叩いて言った。「火事のあとの後片付けだ。必要な現場検証をしているだけだ。どうした?人に見られて困る秘密でもあるのか?」日和は一瞬きょとんとした。それから頬を赤らめ、春翔の肩をぽかりと叩いた。恥じらう少女のような仕草だった。「やだ、もう。いじわるなんだから」そう言うと、日和はちらりと執事のほうを見て、春翔の耳元に顔を寄せ、小声でささやいた。「そうだ、春翔。私が勝手に帰ってきた件は、南嶋が代わりに罰を受けてくれたでしょ。でも病院でのことは、親族の口うるさい老いぼれたちがまだしつこく蒸し返してくるの。私の医師としての資質に問題があるとか言って、病院を辞めさせろとまで騒いでるのよ。もうさぁ、なんとかしてよ」あの病院での一件を持ち出され、春翔の指先にかすかに力がこもった。血まみれで病院の床に倒れていた南嶋の姿が、脳裏によみがえる。春翔は深く息を吸った。「……つまり、病院でお前が南嶋に白衣を着せたのは、本当にあいつが南嶋だと気づかなかったからなんだな?」「も、もちろんよ。あのときはただパニックになってて……ほら、少し前に、病院で
その頃、ある病院の特別病室では、ひとりの女性が医師の診察を受けていた。10分ほどして診察を終えると、医師は聴診器を置き、マスクを外して微笑んだ。「よかったですね、浅葉さん。お体の状態は順調に回復しています。傷がもう少し回復すれば、退院できますよ」南嶋はうなずいた。けれど、その顔に喜びの色はなかった。南嶋の意識は、あの夜の炎の中へと引き戻された。春翔が別の女を抱いて火の中から逃げていくのを、自分はただ見ていた。炎は、すぐそばまで迫っていた。絶望の淵で、すぐそばからパチパチと火花のはぜる音が聞こえ、何かがおかしいと気づいた。ただの火事にしては、あまりにも急激に燃え広がっている。日和が何か細工をしたに違いない。考えている暇はなかった。南嶋は傷だらけの体を引きずり、部屋の隅に置かれた頑丈な収納棚の中に身を隠した。扉を閉めたのとほぼ同時に、凄まじい轟音が響いた。次の瞬間、部屋全体が爆発の衝撃に襲われた。収納棚に身を隠していたおかげで、爆発の衝撃の大部分を避けることができた。南嶋は激しく咳き込みながら扉を押し開けようとした。けれど扉は衝撃で歪んでしまい、びくともしない。南嶋は必死に扉を叩き、かすれた声で助けを呼んだ。返ってきたのは、扉の向こうから聞こえる、聞き慣れた男の声だった。「本当に懲りないやつだな。そこまでやるなら、もう誰も付き合う必要はない。家が燃えるなら勝手に燃えればいい。誰も助けに行くな!誰も中に入るな!芝居に付き合う相手がいなければ、あいつもこれ以上演じようがないだろう!」その声を聞いた途端、部屋へ駆け込もうとしていた足音がぴたりと止まった。南嶋がどれほど助けを求めても、応える者はいなかった。熱気と煙に息が詰まり、意識が遠のいていった。南嶋は絶望の中で目を閉じた。このまま終わるのだと思った。そのとき、年老いた声が聞こえた。「南嶋?南嶋、いるのかい?」南嶋はかっと目を見開き、必死に扉を叩いた。やがて、外から扉をこじ開ける音がした。目に飛び込んできたのは、涙でぐしゃぐしゃになった妙子の顔だった。「南嶋……よかった、本当によかった……」妙子は南嶋を抱き寄せ、声を詰まらせて泣いた。「私が悪かったんだよ。あのとき、春翔と日和を一刻も早く引き離したくて、焦ってあんな決断さえしなければ、あんたを