「カナ……カナ、どの女なのよ」
私はあのカフェを出てから憑りつかれたように『カナ』という女の情報収集を始めた。
啓介のビジネス用のSNSは当然、彼と繋がりのありそうな友人の更新を片っ端から読み漁る。過去の投稿まで遡り、写真やタグ付けされた名前、コメントのやり取りなどわずかなヒントでも拾い上げようとした。
しかし、分かっていたが啓介は、プライベートに関して驚くほどガードが固かった。SNSの更新は仕事関連か同僚との飲み会の写真程度。しかも、そこに写り込む女性は皆、顔がはっきり写っていなかったり遠景だったりする。
個人的な旅行や趣味に関する投稿は皆無に等しい。共通の友人にそれとなく探りを入れても、「啓介?あいつは相変わらず仕事人間だよ。休みの日は何してるんだろうな?聞いてもはぐらかされるんだよな」という返事ばかり。プライベートの知人についても、極力職場と切り離している節があり、共通の知り合いはビジネスライクな付き合いの人間が多かった。
「なによ、少しはプライベートも載せなさいよ!!!」
苛立ちが募る。手掛かりになるものは見つかるのだろうか……まるで霧の中に隠された真実を探すような作業だった。
それでも諦めなかった。睡眠時間を削り仕事中も頭の片隅では「カナ」のことでいっぱいだった。啓介への好意ではなく自分を捨てたのに他の女と結婚することへの悔しさが執念となっているのだ。
いくつかの投稿を見ているうちに繰り返し登場する女性の影。毎回違う友人グループの中にいるが、時折啓介とも同じ場にいるらしき写真がある。
顔はやはりはっきりしないが雰囲気や服装に共通点がある気がした。名前はタグ付けされていないが、その友人の友人の…と辿っていくうちに『カナ』あるいは『佳奈』と読める名前の女性が複数浮上してきたのだ。
一人目の候補は、派手なファッションに身を包んだインフルエンサーのような女性。
啓介の知人がフォローしていた。投稿には「今日のランチは光友商事の片岡さんと♡」といったキャプションがあり、その他にも社長や大手企業の勤務先の人と交流している写真がアップされている。この女か?しかし啓介の洗練された雰囲気とは少し違う気がする。こんなSNSで人脈の広さを誇り、プライベートも晒すような女と付き合ったりするだろうか。
二人目の候補は、清楚で落ち着いた雰囲気の女性。趣味のサークルで啓介と接点があるらしい投稿を見つけた。真面目そうな印象だが笑顔が穏やかで、もしかしたら堅実な啓介の好みに合うのかもしれない。だが、こちらも決め手に欠ける。
そして三人目。この人が一番怪しいと思っている。顔は不明瞭だが、仲間内で飲みに行ったのか同じ場所で撮られたらしき写真が、啓介の友人がタグ付けして投稿されていた。直接の繋がりは見えないが同じ時空間を共有している証拠。この女性の名前が『佳奈』だった。
「これだわ…この女…!」
私の疑惑は確信に変わった。この「佳奈」こそが啓介が結婚すると決めた女に違いない。
「でも、今回の件で改めて凛と向き合わなくてはいけないと思ったよ。凛が直接指示したわけじゃないけれど、凛から話を聞いたことで、木下さんが心配して動いたわけだから。それに誤解や噂を立てるようなことは、やめてほしいし。」「そうね。夏也のように凜さんの話を聞いて行動を起こす人ばかりではないにしても、偏見で見られるのは困るわよね。私たち二人が言って、納得するかしら。どうしたら、凜さんの諦めがつくかな?」私は、啓介と手を繋ぎながら、凛という強敵について話し合った。凛の執着心の強さは、もはや笑い話では済まされない問題だった。「それなんだよ。普通の人なら、とっくに諦めると思うんだけど……。」今までの凛の行動を思い出す。啓介と自分の関係を都合のいいように湾曲して説明し周りの協力を仰いでいること、パーティーでのDVD、そして突然のカフェでの再会。その常人離れした行動力に二人で同時に溜め息をついた。「結婚最大の敵が元カノっていうのも面白いけどね。」私の言葉に、啓介は心底うんざりしたような顔をしながらも小さく笑った。「やめてくれよ……。でも、佳奈が冗談でもそう言って笑ってくれる人で良かったよ。」「啓介は、私から離れないし、凜さんのところにはいかないって自信があるから言えるのよ。」
「俺たちが誤解していただけで、木下さんは悪い人じゃなかったんだな。申し訳ないことしたと思うけれど、安心したよ。」夏也と別れた帰り道、啓介と手を繋ぎながら今までの出来事を話していた。急に元彼アピールをしたり、啓介を挑発するようなことをするから、てっきり未練があって関係を壊そうとしているのだと啓介も私も思っていた。まさか、そんな真意があったなんて想像もしていなかった。「仕事も転々としているって聞いていたけど、大手IT企業にも勤めていたなんて全然知らなかったわ。」「佳奈のことが大切で、好きなんだね。」啓介の言葉に、嫉妬や棘のある含みはない。啓介は、私と夏也への信頼からか穏やかな笑顔を浮かべてこちらを見ている。「うん、もうお互いに恋愛感情はないけど、相手の幸せを心から願える家族みたいな感じかな。そういえばね……。」夏也に結婚を考えている彼女がいることを伝えると、さきほどの私と同じように「えー!」と大きな声を出して驚いていた。「もー、なんなんだよ。悪い人じゃないけれど、よくそこまでできるな。」啓介は手を額に当ててため息をついていたが、しばらくすると小さく笑った。「でも、良かった。実は、佳奈が木下さんのことを『家族みたい』って言うたびに、関係の深さを見
「さっき私のこと、色々言ったけど、夏也も信じたら疑わない頑固者だと思うけど?」私の言葉に、夏也は苦笑した。「ああ、そうだな。似た者同士なのかもな。」夜風が心地よく少しだけ冷たくなった空気の中、私たちは顔を見合わせ笑った。過去の出来事が、すべて解き明かされた今、二人の間に怒りも後悔はもはやなかった。「佳奈、幸せになれよ。」「ありがとう。夏也も。いい人見つけて幸せになってね。」私の言葉を聞くと夏也は少し気まずそうな顔をして頭を掻いた。「あー、実はさ、付き合って三年の相手がいるんだ。結婚も真剣に考えている」「はああーー!?!?」私は、この日一番の大声を上げた。今までの一連の行動はなんだったの!?と、心の中で叫びたくなる。しかし、夏也自身にも大切な人がいると知って、心が温かくなった。「佳奈は家族みたいなもんだから、幸せになって欲しかったんだよ。」「私も、夏也はさ、家族みたいなもんなんだよね。」過去の
「夏也、色々とありがとう。あと、勘違いして怒ってばかりでごめんね。」この場は啓介が会計をしてくれたので、その優しさに甘えることにした。私は夏也と二人で先に店を出たタイミングで、改めてお礼と謝罪をした。「いいんだ、俺も良いやり方がこれしか思いつかなくて。それにしても、高柳さんにも俺たちが別れた理由を留学って言っているんだな。」「うん。本当は夏也が何回も謝ってきたときに許そうと思ったの。でも、夏也が『他の女を知らないのは恥ずかしい』って言ったのを聞いて幻滅しちゃって。」私の言葉に夏也は大きくため息をついた。その表情には、過去の自分の言動に対する後悔と、恥ずかしさが入り混じっていた。「あー、あれか。あれ、馬鹿だったよな、俺。絶対的に俺が悪いんだけど、言葉足らずというか、やり方を間違えたというか……。」「どういうこと?」夏也は、言いづらそうに言葉を選びながら、ゆっくりと話し始めた。「俺も佳奈も初めて同士で、異性の身体のことって相手以外知らなかっただろう?佳奈をもっと喜ばせるには、一緒に楽しくなるためにはどうすればいいか考えたら、テクニックを上げることだと思ったんだよ。それで、練習をしたかったというか、もっと色んなことを知って佳奈を喜ばせたかったんだよ。しかも、驚かせたいとも思ったわけ。言い訳がましいし、本当に馬鹿な発言なんだけどさ。」
「啓介、どうしたの?夏也も一緒って何かあったの?」店をラウンジから居酒屋に変えて俺は夏也と二人で酒を交わしていた。そして、夏也が席を外したタイミングでこっそり佳奈に、夏也と飲んでいるから来れないか、と連絡をしたのだった。「高柳さん、そういうことですか……」夏也は、俺の意図を察して少し困った顔をしている。そんな夏也の表情を見て、今までのことがあったからか、また変なことをしていないかと佳奈は疑いの目で夏也を睨みつけている。「違うんだ、佳奈。佳奈にも聞いてほしい話があって……」夏也は、佳奈のことを想い心配して、わざと挑発するような態度を取って真相を確かめようとした。そして最後に謝罪までしてくれた。佳奈に対する夏也の真摯な気持ちを知らずに、俺は夏也のことを誤解していた。そして、それは佳奈も一緒だった。夏也の性格なら、このまま悪役のふりをして佳奈に事実を伝えないかもしれない。佳奈のために行動したことを、佳奈本人には知っていて欲しかった。佳奈は事の顛末を聞くと、驚きで何度も「嘘でしょ?」と声をあげていた。間接的でも、凜が関わっているなんて夢にも思ってもいなかっただろう。「勘違いしていたのは申し訳なかったけど、話を知って心配になったなら啓介に仕事を依頼するとか回りくどいことをしないで、直接、私に聞けばよかったじゃない」
「あと、この件は前田さんには話をしていません。自分の目で見て怪しいと感じるようなら、彼女に連絡しようと思っていましたが、その思いはなくなりました。」「そうですか……。良かった」凜が知らないことに胸を撫で下ろした。凛が、これ以上余計な動きをしないことを願うばかりだった。「そう言えば、高柳さんは佳奈から俺と別れた理由を聞いていますか?」「いや、詳しくは。でも、佳奈が海外に行くからと聞いています。」そう言うと、夏也は小さく笑った。先ほどの陽気さはなく、少しだけ昔を思い出したのか切なそうな顔をしている「そうですか。それなら、これで俺の話は終わりです。でも、高柳さん。佳奈が悲しむ可能性があると感じたら、全力で奪い取りに行きますからね」夏也はそう言ってにっこりと微笑んだ。以前のような脅迫めいたものではなく、信頼して任せるぞというメッセージも込められた冗談めいた口調だった。「はい、任せて下さい。そんな思いは絶対にさせません」俺が力強く答えると、夏也は満足そうに笑い席を立った。彼の背中を見送りながら、俺は今日この日まで夏也のことを好きになれなかったが、この告白を聞いたことで、佳奈が五年もの間、彼と一緒にいた理由が分かった気がした。