「今日は、あなたたちに話があるの」
紅茶を一口飲んだ後、母は静かに切り出した。俺と佳奈はゴクリと唾を飲み込み母の次の言葉を待った。
「正直なところ、私はまだあなたたちの結婚に全面的に賛成できるわけではないわ」
母の言葉に俺はやはりそうかと肩を落とした。佳奈も少しだけ表情を曇らせたのが分かった。しかし、母はそこで言葉を切ると意外なことを口にした。
「でもね、啓介。そして佳奈さん」
母は、一つ一つ言葉を区切るようにゆっくりと続けた。
「あなたたちが本当に周りの人たちから祝福されていると私が納得できるのであれば……私は、あなたたちの結婚に反対することはできない。むしろ認めてあげたいと思っているわ」
その言葉に俺と佳奈は目を見開き、顔を合わせた。予想外の言葉に俺は混乱した。
(祝福されているなら認める? あの頑なだった母が、一体どういう風の吹き回しだろうか。)
俺は隣に座る佳奈の顔を覗き込んだが、佳奈もまた驚きと戸惑いの表情を浮かべていた。
「ただ、そのためにはいくつか条件があるのよ」
「装飾や料理も『世界の誕生日』をコンセプトに、ゲストも楽しめるようなパーティーにしようと思うの。協力してくれた人たちも紹介して新しい交流が生まれたらWin-Winじゃない?もちろん費用はかかるけど、啓介の誕生日と私たちの婚約パーティーを盛大に祝うためなら必要経費でしょ?」佳奈はにこりと笑った。その笑顔はどこか悪巧みをしているようでもあり、同時に底知れない安心感を与えてくれた。「すごいな…」「ありがとう。 お母様に認めてもらえるとびっきり素敵な会にするから、あとは全部私に任せて」母もまさか佳奈がここまで周到な準備をしているとは夢にも思わないだろう。佳奈の秘密兵器は単なる裏技ではない。彼女の周到な計画性とこれまでに培った人脈がなせる技だ。俺は、佳奈の強さに改めて惚れ直した。「それなら、提案するタイミングも重要だと思うんだ。俺たちだけで行くのは、敵の陣地に何も持たずに鎧だけ着ていくようなものだ。母さんの言いなりになるのも、これ以上暴走が悪化するのを避けるためにも俺に考えがある。任せてくれないか」「分かった。その件は、啓介に任せるわ。」俺はある策を考えていた。母が「家庭を優先する」人を結婚相手に選んでほしいと思っていることは、前々から感じていたが、凜のこともあり、最近の母の行動や言動は異常で過激さを増していた。初対面の佳奈に対しても、叫ぶように荒れたことがそのことを物語っていた。(母さんがおかしいのは俺が蒔いた種でもある……。どうにかしなくては…)俺は、ある人物に協力をあおぐため、電話を掛けた。「もしもし、今ちょっといいかな。実は相談したいことがあって……。」
二週間後、俺と佳奈は再び実家の門をくぐった。佳奈が練りに練った「秘密兵器」を携え、今回はパーティーの具体的な計画を報告をしにきたのだった。佳奈のことは信頼しているが、母が一筋縄でいくとは思えなかった。俺は不安を胸に抱いていた。リビングに通されると、母は予想通り少し構えた表情で俺たちを迎えた。俺は深呼吸をして佳奈に視線を送った。佳奈は小さく頷き、俺に代わって口を開いた。「お母様、本日は啓介さんの誕生日パーティー兼婚約披露の件で、ご報告に参りました」佳奈は、事前に用意していたタブレットを母の前に差し出した。プロのプレゼンテーションさながらに、佳奈は淀みなく企画内容を説明し始めた。招待状のデザイン案、装飾のイメージ図、そして目玉である「世界の誕生日」をテーマにした料理のコンセプト。タコスバーを中心にゲストが楽しめる工夫を凝らしたメニュー案が次々と提示される。俺も、横で佳奈の説明を聞きながら改めてその完成度の高さに驚かされた。母も、その内容を一つ一つ確認していくうちに驚きを隠せない様子だった。予想よりもはるかに豪華で、細部にまでこだわり抜かれた計画に最初は感嘆の表情を浮かべていた。しかし、ある一点に気づくと、その表情は一変した。「あら? 盛大に、と言ったはずよ。なぜ、招待客のリストに会社関係者がいないのかしら?皆に祝福されている姿を見せてほしいと、確かにそう伝えたはずだけど?」母の視線が招待客のリストに釘付けになっていた。リストには、高柳家の親族と俺と佳奈の親しい友人たちの名前が数えるほどしか記されていなかったのだ。母が不服そうな声を上げた。「あら、やだ。ちゃんと話を聞いていなかったのかしら?私は会社関係者も呼んで盛大に開くように言ったはずだけど?」佳奈の落ち度を見つけたと言わんばかりに、母は嬉しそうに微笑みながら言ってきた。
「私の大学時代の友人にケータリング会社を経営している子がいるの。彼女に相談して手作り感のあるメニューをいくつか提案してもらっている。もちろん『佳奈の手作り』という体で出すことになるけど」俺は思わず吹き出しそうになった。『最難関』と自負していることも、ケータリングを「手作り」と言い張るつもりということも。しかし、母の意地悪な条件をクリアするためには背に腹は代えられない。「でも、それだけだと手作り感がないから当日メインの料理を一つだけ作るわ。コンセプトは『世界各地の誕生日』。ゲストに楽しんでもらうために自分で作ってもらうの。それならお母さまも文句は言えないはず」俺は佳奈の言葉にハッとした。『人様を招待してもてなすから料理くらいしっかりしなきゃダメよ』やや苦しい部分もあるが、もてなすこと・楽しんでもらうことに重点を置いたと言えば通じるかもしれない。「例えばタコスバーはどうかな? ソフトタコスやハードタコスの皮を用意して、ひき肉やチキン、豆、チーズ、レタス、サルサ、ワカモレ、サワークリームなんかを並べておくの。ゲストはそれぞれ好きな具材を選んで自分だけのタコスを作れる。これならゲストも楽しめるし、珍しさも相まって、みんなでわいわい作っている間に自然と会話も生まれるからパーティーも盛り上がるでしょ?」佳奈の瞳は自信と期待に満ち溢れていた。彼女の個性と経験を活かした、まさに一石二鳥のアイデアだ。母もまさかそんな発想が出てくるとは思わないだろう。
数日後、佳奈のマンションで俺は彼女の「秘密兵器」の全貌を知ることになった。彼女はリビングのテーブルに広げたノートパソコンの画面を見せながらその計画を説明し始めた。「まず招待状のデザインからこだわりたいんだ。啓介の仕事関連の人もくるなら失礼があってはならないでしょ? 私の友人にプロのグラフィックデザイナーがいるの。彼女に、啓介の会社のロゴマークをモチーフにした上品で洗練されたデザインをお願いするつもり」佳奈はテキパキと説明を進める。その眼差しは真剣で、まるで仕事のプレゼンテーションをしているかのようだった。「それからパーティー会場の手配。お母様は家で、と言っていたけれどゲストの数によっては手狭になる可能性もある。だから、マンションのパーティールームにしようと思うの。啓介の会社から近いホテルや、個室のあるレストランなど、いくつか提案できるように準備してあるわ。仕事関係や取引先とお母様は言ったけれど、還暦・引退でもあるまいし誕生日パーティーを開くなんて、相手側がどう感じるか分からないわ。そのためにもビジネス以外でも交流のある人限定にした方がいいと思うの。」「ああ、俺もそう思っていた。仕事に支障が出るのは避けたいし第一声なんて掛けれないよ」「お母様に最終決定権してもらうつもりでいるけれど、パーティールームと声を掛ける人の範囲を狭めてもらうように誘導するつもり。」「なるほど……。」俺は感心した。母の条件をただ鵜呑みにするのではなく先回
「逆手にって……。」「啓介、考えてみて。お母さまができないと思っているからこの条件を提示してきたとするなら、完璧にこなしてみせれば目論見は外れる。そして周りの人たちが祝福してくれることで、私たちを応援してくれる人も増えて、尚且つ私たちの絆の強さをアピールできる絶好の機会だと思わない?」確かに母は試している。しかし、その試練を乗り越えれば母も認めざるを得なくなる。佳奈は、この状況をネガティブに捉えず、むしろ自分たちをアピールするチャンスだと捉えているのだ。その発想の転換に感嘆した。「でも、どうやって…」俺が口を開きかけると、佳奈は俺の言葉を遮るように俺の唇に人差し指を当ててきた。「それは秘密。啓介は、ただ私を信じて当日を楽しみにしていてくれればいいから」佳奈の言葉はまるで魔法のようだった。彼女の自信に満ちた笑顔を見ていると、不思議と俺の不安も薄れていく。普段はクールで合理的な佳奈が時折見せるこういう大胆な一面に、俺はいつも惹きつけられる。「分かった。佳奈を信じる」俺は、そう言って佳奈の手を強く握った。彼女の温かい手のひらが俺の心に安堵をもたらす。この結婚は確かに母にとっては気に入らないかもしれない。しかし、佳奈と俺の間には誰にも邪魔できない確かな絆がある。このパーティーでその絆を母に見せつけてやる。
実家からの帰り道、佳奈のマンションに向かう車内で俺は助手席の佳奈をちらりと見た。先ほどまでの母に対する毅然とした態度は打って変わって、今はただ静かに窓の外を眺めている。「佳奈、大丈夫なのか? あんな条件、本当に飲めるのか?」俺は意を決して尋ねた。特に料理だ。佳奈は料理が大の苦手だ。俺にとってパーティーでの手料理は最大の懸念材料だった。佳奈はゆっくりと俺の方を振り向くと、にこりと微笑んだ。その笑顔は、母に見せた笑顔とはまた違って、どこか自信に満ちているように見えた。「心配ないよ。ああ言うしかない状況だったからね。あの場で断れば、お母様は間違いなく結婚を認めないと言い張っただろうし、それこそ啓介の立場も悪くなる」佳奈の冷静な分析に思わず息をのんだ。確かに、あの場で反論し続けても母の態度はさらに硬化するだけだっただろう。「でも、料理も、段取りも、全部佳奈一人でやるのか? 仕事もあるのに…」俺の不安は尽きない。佳奈は、そんな俺の心配を笑い飛ばすかのようにくすっと喉を鳴らした。「大丈夫だって言ってるでしょ。パーティーの段取りは私の得意分野なんだから。それに、料理だって、やればできる」「やればできるって…」