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第177話

Author: 楽しくお金を稼ごう
想花はぷくぷくの小さな手で直樹の顔をぺちぺち叩きながら一生懸命話しかけていた。「ま……わ……る……に……い……に……」

付き添いのベビーシッターは子供たちの周りを囲み、笑顔で直樹に教える。「そんなに強く回しちゃだめよ。優しくね」

言われた通り、直樹はおとなしく想花を抱きしめ、よだれを垂らしながら何度も想花にチューをした。

想花はよだれでベタベタになった顔を直樹の服で拭き、皆を大笑いさせた。

天音と龍一は海岸線をゆっくりと歩いた。夕日が沈みゆく黄金色の砂浜、そして街灯に伸びる二人の影。

突然、龍一は片膝をつき、きらめくダイヤモンドの指輪を天音に差し出した。「天音、結婚してほしい。君が直樹の母親になったように、俺も想花の父親になりたい。一生君たちを守らせてくれ。俺たち四人、もう二度と離れ離れにならないようにしよう、いいか?」

風が吹き、砂が舞い上がり、天音のスカートの裾がふわりと揺れた。

少し離れた基地の高層窓辺に、一つの影が灯りに照らされていた。

要は無表情で書類に目を通していた。

夜になり、天音は要の事務室の前をうろうろしていた。少し迷った後、意を決してドアを開けた。彼女の手には婚姻届が握られていた。

「隊長……」

「俺と結婚しよう」と要が先に口を開いた。

要は天音に視線を向け、読んでいた書類を机に置いた。

それは想花の住民票だった。父親の欄は空欄のままだった。

基地にいる天音は「叢雲」というコードネームだけで、名も姓も持たない存在だった。

天音の経歴は極秘事項で、要と数人の幹部以外誰も知らない。基地の人間は、彼女が国のために働く凄腕のハッカーだということしか知らない。

想花が生まれたとき、想花の身分に関わる書類に、両親の欄は空欄にしておいた。

しかし今、想花を幼児教室に通わせるには、身分を証明する書類を提出しなければならない。結婚していないことで「父のいない子」として見られ、想花が偏見にさらされる――それだけは絶対に避けたかった。

立ったままの天音と座っている要。二人の影はドアの灯りによって長く伸びていた。

蓮司は夢から飛び起きた。天音が真っ白なウェディングドレスを着て、他の男と結婚している夢だった。

止めようとしても体が動かない。必死に叫んでも、誰にも届かない。

胸に激痛が走り、蓮司は目を見開いた。

「旦那様が目を覚ま
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