INICIAR SESIÓN数日後。
「今日は体調はどうですか?」
朝食のあと、蒼真がコーヒーをテーブルへ置きながら尋ねた。
美月は少し考えてから微笑む。
「大丈夫です」
「つわりも、前より少し落ち着いてきました」
「それなら良かった」
蒼真は短く頷いた。
しばらく静かな時間が流れる。
美月はふと、テーブルの上に置かれた赤ちゃん用品のパンフレットへ目を落とした。
「……あの」
「何でしょう」
「そろそろ母子手帳ケースを買おうかなって思ってて」
美月は照れくさそうに笑う。
「今使っているの、病院でいただいた簡単なケースなので」
蒼真も自然に頷いた。
「では、見に行きましょうか」
「え?」
「近くにベビー用品店があります」
「そんな、ご迷惑じゃ……」
「迷惑ではあり
次の健診日まで、拓也は何度もカレンダーを確認していた。 今度は、ただ美月を見るだけではない。 どこへ帰っているのか。 それを知りたかった。「九条の家なのかな」 拓也はスマートフォンで、蒼真の名前を検索する。 九条グループの代表取締役。 記事や写真はいくつも出てくる。 だが、当然ながら自宅の住所など載っていない。「どこにいるんだよ……」 拓也は画面をスクロールする。 美月が今どこで暮らしているのか。 九条と一緒に住んでいるのか。 それとも、九条がどこか別の場所を用意したのか。 何も分からない。「まあ、次で分かるか」 拓也は画面を閉じた。 その頃。 美月はサービスアパートメントで、次の調停について藤崎と話していた。『このまま双方の意思が変わらない場合、調停での成立は難しいでしょう』「はい」『次回の状況を見て、今後について改めて相談しましょう』「分かりました」 美月は落ち着いて答えた。 拓也が離婚を拒否し続ける。 それ自体は、もう予想している。「時間がかかっても大丈夫です」『はい』「私は戻りませんから」 自分の口から自然に出た言葉だった。 通話を終えたあと、美月は少しだけ笑った。 以前は、離婚できなかったらどうしようと考えていた。 今は違う。 すぐに離婚できなくても、拓也のところへ戻る必要はない。 それだけでも気持ちはずいぶん楽だった。 そして数日後。 拓也が待っていた日が来た。 朝から病院
最初の候補日から三日後。 拓也は、また病院の近くにいた。 今日も朝から同じ店の窓際に座っている。 注文したコーヒーは、とっくに冷めていた。「今日も違うのかな」 窓の向こうへ視線を向ける。 病院へ入っていく人。 出てくる人。 車寄せに停まる車。 その一つ一つを、何時間も眺めていた。 昼近くになり、拓也はスマートフォンを確認した。 今日は求人の面接を入れなかった。 美月が来るかもしれないからだ。「仕事はまた探せるし」 今しか分からないことの方が大事だった。 その時。 一台の車が病院の前に停まった。 拓也の身体が固まる。「……来た」 見覚えのある車。 運転席から蒼真が降りる。 続いて、美月が助手席から降りた。 拓也の口元が緩んだ。「やっぱり今日だった」 当てた。 それが妙に嬉しかった。 美月のお腹は、前に見た時よりも丸く見える。「大きくなったな」 拓也は窓越しに目を細めた。 美月と蒼真は、そのまま病院へ入っていく。 拓也はスマートフォンのカレンダーを開いた。『美月と赤ちゃんに会いに行く』 その予定に、『○』 と書き加える。「これで分かった」 前回の健診日。 今日。 日数を数えれば、次もある程度予想できる。 拓也は満足してスマートフォンを置いた。 あとは、美月が出てくるまで待つだけだった。 一方。 美月は診察を終え、医師の説明を聞いていた。「順調ですよ」「良かった……」 その言葉を聞くたび、ほっとする。 診察を終えて待合室へ戻る。 今日は蒼真が外で待っていた。 病院側には、前回の件についてすでに事情を伝えてある。 受付の近くを通った時、職員から声を掛けられた。「朝倉さん」「はい」「先日お話しいただいた件ですが、その後こちらへ問い合わせなどはありません」「そうですか」「何かあれば、またお声掛けしますね」「ありがとうございます」 美月は頭を下げた。 少し安心する。 拓也も、病院から情報を得られないと分かって諦めたのかもしれない。 そうであってほしかった。 病院を出る。 車寄せには、蒼真が待っていた。「お疲れさまでした」「お待たせしました」「どうでした?」「今日も順調でした」「良かったです」 美月は笑った。 蒼真が助手席のドアを開ける。「あ
翌日。 美月は病院へ電話を掛けていた。 昨日、藤崎から勧められた通り、拓也が受付へ来たことについて記録を残してもらえるか確認するためだった。『承知しました。こちらでも昨日の対応について記録しております』「ありがとうございます」『今後、同じ方がいらした場合についても、院内で共有しておきますね』「お願いします」 通話を終える。 美月はスマートフォンをテーブルへ置いた。「……本当に来たんだ」 昨日から何度も考えている。 偶然、拓也が病院の近くにいた。 そこで自分を見かけた。 それだけなら、あり得ないことではない。 けれど。 自分が帰ったあと、わざわざ病院へ入り、次の予約日と出産予定日を尋ねている。 偶然見かけただけの人間が、そこまでするだろうか。「前からいたのかな……」 その考えが浮かんだ瞬間、美月の背中が冷たくなった。 病院へ着いた時。 診察を受けている間。 帰る時。 どこかから見られていたのではないか。「朝倉さん」 蒼真の声に、美月は顔を上げた。「すみません。ちょっと考えてました」「昨日のことですか?」「はい」 美月は少し迷ってから続ける。「次の健診、九条さんに送ってもらってもいいですか?」「もちろんです」 即答だった。「帰りもお願いします」「分かりました」「……ありがとうございます」 美月はほっと息を吐いた。「一人で行くの、ちょっと嫌になっちゃって」「では、しばらくは私が送迎します」「でも、お仕事が」「時間は調整できます」「毎回は悪いですよ」「でしたら、私が難しい日は別の者に頼みます」「別の人?」「会社の運転手を手配できます」 美月は少し驚いたあと、苦笑した。「そうでした。九条さん、本当に社長なんですよね」「今さらですか?」「たまに忘れます」 蒼真がわずかに笑った。 その顔を見て、美月の緊張も少しだけほどけた。 一方。 拓也は求人サイトを眺めていた。 次の調停までに仕事を見つける。 そう言った以上、何もしないわけにはいかない。 一件、条件の合いそうな求人を見つける。「ここならいいかな」 応募画面を開く。 だが、面接可能日の入力欄で手が止まった。 表示された候補日の一つ。 その日は、美月が病院へ行くかもしれない日だった。「この日は無理だな」 拓
拓也は病院から帰る電車の中でも、スマートフォンのカレンダーを眺めていた。 今日の健診日は当たった。 前回からの日数を数える。「このくらいか……」 次も同じ間隔とは限らない。 それくらいは、拓也にも分かっていた。 だから候補日をいくつか入れておけばいい。 仕事もまだ決まっていない。 時間ならある。「一日くらい外れてもいいし」 誰かに予定を教えてもらう必要はない。 自分で確かめればいい。 そう考えると、病院で断られたことさえ大した問題ではなくなった。 帰宅すると、和江がリビングにいた。「どこ行ってたの?」「美月の病院」「病院?」「今日、健診だった」 和江が驚いた顔をする。「美月さんから聞いたの?」「聞いてないよ」「じゃあ、どうして分かったの?」「前に行った日から予想したら当たった」 拓也は得意そうに答えた。「今日も見たよ。美月」「話したの?」「話してない」「そう」「見るだけなら問題ないだろ?」 和江は少し黙った。 けれど、止めることはなかった。「病院にも聞いてみたんだ」「何を?」「次の予約とか予定日」「教えてくれた?」「全然」 拓也はソファへ座った。「夫だって言っても駄目だった」「最近はそういうの厳しいのかしらね」「意味分かんないよな」 拓也は笑った。 怒っているようには見えなかった。「まあ、別にいいけど」「いいの?」「うん。次も自分で当てればいいから」 そう言って、スマートフォンを和江へ見せる。 カレンダーには
数日後。 美月は健診のため、病院を訪れていた。 診察を終え、医師から今回も問題ないと聞いて、ようやく緊張がほどける。「ありがとうございます」 診察室を出たあと、美月は少し迷ってから受付へ向かった。「あの、相談したいことがあるんですけど」「はい。どうされましたか?」「夫のことで……」 受付の女性が美月を見る。「できれば、夫が来ても私のことを教えないでほしいんです」 言葉にすると、胸がざわついた。「今、離婚の話し合いをしていて、直接会うことも避けています」「そうなんですね」「以前、この病院の近くで待っていたこともあって……」 正確には、以前病院で偶然拓也に見つかった。 けれど今となっては、また来る可能性を考えずにはいられない。「少々お待ちください」 受付の女性は奥の職員へ声を掛けた。 しばらくして、美月は別の場所で詳しい事情を説明することになった。 現在、離婚調停中であること。 警察にも相談していること。 本人への直接の連絡を控えるよう言われているにもかかわらず、実家へ第三者を使って手紙を届けてきたこと。「夫が来た場合、私の予約日とか、通院しているかどうかを教えないでもらえますか?」「もちろん、患者さんの受診状況や予約について、ご本人の同意なくお答えすることはできません」「良かった……」「ご不安があるということですので、院内でも情報を共有しておきますね」「お願いします」 美月は頭を下げた。 こんな相談までしなければならない。 少し前なら、申し訳ないと思っていたかもしれない。 けれど今は違う。 自分と子どものために必要なことだ。 診察を終えて病院を出ると、蒼真の車が待っていた。
次の調停の日がやってきた。 美月は前回と同じように、藤崎と家庭裁判所を訪れていた。 緊張していないわけではない。 けれど、前回ほど身体は強張っていなかった。「お気持ちに変わりはありませんか?」 調停委員に尋ねられ、美月は頷く。「はい。離婚したいです」「ご主人は、今回も夫婦関係を続けたいと希望されています」「そうですか」 予想していた。「ご主人からは、生活を立て直すために仕事を探しているというお話もありました」「はい」「今後は家族を大切にしたいと。その点を踏まえても、お気持ちは変わりませんか?」「変わりません」 美月は迷わず答えた。「拓也がこれからどうするかとは別に、私はもう一緒に暮らしたくありません」「分かりました」 調停委員は静かに頷いた。「では、そのご意向としてお伝えします」 美月は小さく息を吐く。 前回と同じだ。 拓也が何を約束しても、自分の答えは変わらない。 しばらくして、今度は拓也が調停室へ入った。「奥様は、離婚の意思に変わりはないとのことです」「……またですか?」「はい」「俺が仕事を探してることは伝えました?」「お伝えしています」「もう浮気もしないってことも?」「夫婦関係を改善したいというご意向についてもお伝えしています」「それでも?」「はい」 拓也は黙った。 以前なら、そこで苛立っていたかもしれない。 けれど今日は違った。「分かりました」 調停委員が少し意外そうに拓也を見る。「離婚に同意されるということでしょうか?」「違います」 拓也は穏やかに答えた。「離婚はしません」「そ







