結婚記念日に夫と愛人のウェディングフォトを見つけました。離婚した私、偏食CEOに溺愛され元夫が復縁を迫ってきてももう遅い

結婚記念日に夫と愛人のウェディングフォトを見つけました。離婚した私、偏食CEOに溺愛され元夫が復縁を迫ってきてももう遅い

last updateLast Updated : 2026-10-10
By:  悠・A・ロッサUpdated just now
Language: Japanese
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結婚8周年の記念に、夫とウェディングフォトを撮るはずだった三浦糀。だが写真館で見つけたのは、夫が別の女と撮ったウェディングフォトだった。帰宅すると、写真の女が自宅に――。 離婚、奪われたSNS、最愛の息子の裏切り、夫の陰謀。すべてを失い、祖母が遺した小さな店へ逃れた糀は、発酵料理で人生を立て直していく。 やがて店は評判を呼び、彼女の前に偏食の外食CEO・神楽坂煌が現れる。 「あなたの料理だけは、食べたいと思える」 裏切りの果てに、料理と新たな愛で人生を取り戻す、大逆転の溺愛ストーリー。

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第2話 写真の女が今、息子の隣で笑っている
 返事をしようとしても、糀の喉は動かなかった。  驚きより先に、八年間信じてきたものが崩れる怖さがこみ上げた。 「ご親族の方ですか?」  カメラマンに声をかけられ、糀は返事を探した。  違います。  夫です。  どちらも言えなかった。 「すみません。少し、見せてください」  糀は写真の下に添えられた小さなプレートを見た。  八年前の六月十五日。  入籍の手続きを終えた日、糀は市役所の帰りに修司と小さな蕎麦屋へ入った。式も写真もない代わりに、せめて何か食べようと修司が言ったからだ。 『俺についてきて、苦労をかけたな。仕事が落ち着いたら、ちゃんと埋め合わせる』  湯呑みを両手で包みながら、糀は頷いた。 『そのときは、糀にちゃんとドレスを着せる。今日、我慢させた分まで』  あのときの修司は、優しかった。  市役所の窓口で糀の旧姓が消えたあと、少し照れた顔で「瀬川糀か」と呟いた。その声を、糀はずっと覚えていた。  その声があったから、八年間、信じてこられた。  撮れなかったのではなく、いつか撮る約束がある。  選ばれなかったのではなく、時期を待っているだけ。  そう思っていた。  結婚してすぐのころ、修司は残業で遅くなっても、台所に立つ糀を後ろから抱きしめた。 『糀の味噌汁を飲むと、帰ってきたって思う』  具は豆腐とわかめだけでいいと言いながら、鍋の前に立つ糀の背中へ、仕事の愚痴を少しだけこぼした。糀はその声を聞きながら、火を弱めるタイミングを測った。  あのころは、家族を作っている途中だと思っていた。  時間をかければ、味がなじむ。  人も、家も、同じだと信じていた。  写真の中の女の横顔に、どこかで見たような気がした。けれど、名前は出てこなかった。  仕事先で見た人かもしれない。  店に来た客かもしれない。  ただ、まったく知らない人だと言い切れない。  その曖昧さが、糀を余計に苦しくさせた。  修司は仕事で誰かを迎えに行くと言った。取引先の都合で、断れない用事だったのかもしれない。写真だって、何かの企画かもしれない。八年前の今日という日付も、たまたま重なっただけかもしれない。  そう考えなければ、その場に立っていられなかった。  蒼太の顔が浮かぶ。  今年八歳になる息子は、今朝も「パパ、ちゃんと来る
last updateLast Updated : 2026-08-15
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第3話 どうして、この女が私の家にいるの
「今までどこにいたの」  義母が眉をひそめた。  糀は玄関に立ったまま、リビングのソファを見ていた。  美咲は蒼太とソファに並び、糀が買ったブロックで大きな家を作っていた。蒼太は美咲に肩を寄せ、楽しそうに笑っている。  どうして、この女が私の家にいるの。  いつの間に、私の息子とこんなに親しくなったの。 「ぼんやりしないで、早く化粧を落としてご飯を作りなさい。美咲さんをお待たせしているのよ」 「でも、私は客が来ることは聞いていません」  義母の眉がつり上がった。 「でもじゃないわよ。いつも口答えばかり」 「約束もなしに訪問したこちらが悪いんです。今日は、修司さんに急に誘われて」  美咲は、とりなすように言った。  腹が立った。 「そんな急に……」  結婚記念日なのに。  朝、修司の好物を買い、蒼太の好きな味も仕込んだ。写真館から帰ったあと、家族で八年目の夜を囲むつもりだった。冷蔵庫には、みんなで食べる小さなケーキも用意してあった。  そこへ、八年前の写真にいた女が座っている。 「私たち、仕事で知り合って、もう十年来の友人ですし。一緒に祝わせてもらおうかと」 十年来。  その言葉が、写真館の日付とつながった。「私たちの結婚記念日を祝うために来たの?結婚記念日なんて、家族以外の人が祝う必要ある?いったい誰のためよ」 彼女の笑顔が、一瞬だけ凍りついた。「それは……」 彼女が何か言いかけた、そのとき――「ママ、お腹すいた」 糀は両手を強く握りしめた。爪が手のひらに食い込む。  その拳を、突然、小さな手が包んだ。目を落とすと、蒼太が笑っていた。  熱を出した夜に何度も握った小さな手だった。振りほどくことなどできない。蒼太に呼ばれると、どれほど傷ついていても、糀は母親に戻ってしまう。  蒼太は糀の手を握ったまま言った。 「美咲さんも来るって聞いてたから、楽しみにしてたんだ。早くご飯にして」  自分の息子まで、美咲が来るのを楽しみにしていた。いったい誰が母親なの。そう叫びたかった。それでも空腹の蒼太を前にすると、糀の足は台所へ向かった。これは妻としてだけではない。母親としての戦いでもあった。  淡い色のエプロンをつけ、朝から用意していた食材を出した。  塩麹ロースト
last updateLast Updated : 2026-08-15
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第4話 ママのご飯、もういらない
 修司の指が止まった。美咲も一瞬だけ目を見開く。二人の間に、短い沈黙が落ちた。 「今する話か。美咲も蒼太もいるんだぞ」  修司は糀を見ず、テーブルの上の酒瓶へ手を伸ばした。 「だから聞いているの。どうして私に黙っていたの?」 「子どもの前だ。騒ぐな。あとで説明する」 「糀ちゃん、誤解よ」  美咲は声だけを柔らかくした。膝の上では、指先が固く組まれている。 「誤解なら、どうして二人とも答えないの?」  修司は面倒そうに息を吐き、「あとにしろ」と話を切った。  食卓の中央には、美咲のグラタン、ペンネ、カップサラダが置かれた。  義母は糀の皿を端へ押した。手まりおにぎりの皿が、テーブルの縁ぎりぎりで止まる。 「美咲さん、ここ座って。蒼太の隣がいいでしょう」  修司、義母、蒼太、美咲。  四人が座ると、糀の椅子はなかった。 「糀さん、お茶をお願い」  糀は湯呑みを運び、取り皿を出し、スプーンを並べた。蒼太がソースをこぼすと、義母が布巾を要求した。 「糀ちゃんも座って」  美咲はそう言いながら、自分の席を少しも動かなかった。  糀は台所から折りたたみ椅子を運び、テーブルの端に置いた。修司は場所を空けようともせず、「早く食べよう」と美咲の皿を取った。 「美咲さんのご飯、お店みたい」  蒼太がグラタンを頬張って笑う。 「蒼太、そのおにぎり、前は好きだったでしょう」 「今は、美咲さんの料理の方がいい」 「ママのご飯、もういらない」  糀は返す言葉をなくし、蒼太の前のおにぎりを見つめた。  蒼太は、小皿の手まりおにぎりを端へ寄せた。 「これ、もう下げて」 「はいはい。嫌いなものを無理に食べなくていいのよ」  義母は小皿を取り上げると、台所のゴミ袋へ中身を落とした。  ぽとり、と湿った音がした。  蒼太の好きだった甘いそぼろを詰めた手まりおにぎりが、生ごみの上で崩れた。  糀は空いた小皿を持ったまま、ゴミ袋の口を閉じた。  食べ物には何の罪もない。家族のために作ったものまで、どうしてこんな扱いを受けなければならないの。  もう、この家から消えてしまいたかった。この残酷な義母と美咲の顔を、二度と見ずに済む場所へ。  美咲は、食卓の中央に並べた自分の料理
last updateLast Updated : 2026-08-15
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第5話 美咲が母親に思われているなら、それはおまえの努力不足
「話したいことがあります」  糀が言うと、書斎の中で椅子を引く音がした。 「今じゃないと駄目か」  修司の声は、面倒な用件を押しつけられた時のものだった。  また、この面倒そうな口調……。  全部、自分の仕業なのに。  糀は扉を開き、スマートフォンを机の上に置いた。画面には、写真館で見つけた八年前のウェディングフォトが映っている。  修司は、ウェディングドレス姿の美咲の腰へ手を回していた。写真の下には、糀と修司が婚姻届を出した日と同じ日付が残っている。美咲の笑顔は、今日、家で見たものと何も変わらなかった。 「今日、写真館で見ました。八年前の写真です。あなたと、美咲さんが、ウェディングドレスとタキシードで写っていました」  修司の目が、一瞬だけ細くなった。  けれど次の瞬間、彼は笑った。 「衣装を着て撮っただけだろ。仕事上、必要だっただけだ」 「お店の人は、美咲さんのことを奥様と言っていました」 「店の人間の記憶を鵜呑みにするのか」  修司はそう言ったきり、糀から目をそらした。  その一瞬のためらいが、答えのように思えた。 「やっぱりそういうことなの? だから言わなかったんだ」 「美咲は十年来の友人だ。お前が勝手に騒げば、仕事に響く」 「……どれだけ大切な取引相手でも、一緒にウェディングフォトを撮る必要なんてないでしょう。妻の私とは、一度も撮ったことがないのに。今日来なかったのも、美咲さんのためだったの?」 「男は仕事を優先するものだ。お前みたいな女には分からないだろうな」  糀は信じられなかった。  目の前でこんな言葉を吐いている男が、かつて自分が愛した夫だなんて。  彼が昔くれた言葉が、頭の中に蘇る。 「一生、お前を幸せにする」 「誰もお前には敵わない」  男女の間に、本当に「既婚者だと分かっていてウェディングフォトを撮るほどの友情」なんて存在するのだろうか。 「それに、蒼太の前で、美咲さんを母親みたいに扱うのはやめて」 「母親みたいに思われているなら、それはおまえの努力不足だ」  修司は机に肘をついた。 「古臭い料理を出して、暗い顔で家の空気を悪くして、子どもに好かれると思うなよ」  糀はすぐに言い返せなかった。  問い詰めれば、何か一つくらい認めると思っていた。せめて「黙っていて悪かった」と言ってく
last updateLast Updated : 2026-08-15
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第6話 ママ、泣いてるの?
 修司が美咲の腰へ腕を回している。美咲も修司の胸に頬を寄せていた。  糀は二人のもとへ駆け寄ろうとした。  この二人を問い詰めてやる。  そう思った、その時――。 「こんなところで抱きしめて、大丈夫?」 「大丈夫だ。あいつはぼんやりしてるからな」 「本当に? 写真館で奥様って言われたって聞いた時、笑いそうになったわ」 「あいつ、まさか結婚した日まで見つけるとはな。さっきは、危うくバレるところだった」  結婚した日?危うくバレる……?  あの日には、何か特別な意味がある?  糀は足を止めた。  玄関の陰に身を寄せ、二人の会話に耳を澄ます。 「別にいいじゃない。今さら疑われたって、私たちが欲しいものはもうすぐ手に入るんだから」  欲しいものは、もうすぐ手に入るって……。  心臓が速く鳴った。  以前、友人と何気なく話したことを思い出した。  浮気の証拠は、記録しておいた方がいい。  その時は、まさか自分がそうなるとは思わなかった。  糀は、エプロンのポケットからスマートフォンを取り出し、録画ボタンを押した。 「今さらウェディングフォトなんて」 「あいつはずっと楽しみにしてたらしい。断ってたんだが、君の部屋で過ごせて気分がよくてつい」 「でも、写真館で待ちぼうけなんてかわいそうだったかな」 「あいつは待つのに慣れてる」  美咲が、小さく笑った。 「それに、蒼太くんも私の方になついてる」 「もういいだろう。あいつも、そろそろ自分がいらないって気づく。君が彼の母親になるんだから」  いらない。  私が。  糀は冷たくなった指先でドア枠をつかんだ。  叫びたかった。  修司が本当に、私の息子にあの女を『ママ』と呼ばせるつもりだなんて。  私……どうしてこんな人を好きになったんだろう。 「それで、離婚はいつなの?」 「近いうちに署名させる。生活費なんて出さなくても、蒼太に会わせると言えば聞く。何でも言うことを聞いてきた女だ」 「じゃあ、もうあの人の古臭い料理を食べるふりもしなくていいのね」 「ああ。大変だっただろう? さっきは仲良くしているふりをしてくれてありがとう」 「ううん。修司と早く一緒になるためなら、何だってするわ」  そう言って、修司は美咲の唇にキスを落とした。  糀は、あまりの衝撃に言葉を失っ
last updateLast Updated : 2026-08-15
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第7話 美咲さん、すごい。ママのは予備
「ママ、泣いてるの?」  蒼太の声を聞いた瞬間、目の奥にたまっていた涙が、ぽろぽろとこぼれ落ちた。  糀は慌てて涙を拭った。 「大丈夫」  必死に口元を上げたが、うまく笑えなかった。 「どうしたの?」  蒼太は、折れたプリントを糀へ差し出した。 「これ、ママの名前を書いて」 「運動会の?」  糀はプリントを広げた。 《保護者競技 参加者確認票》  保護者名の欄には、消しゴムで何度もこすった跡がある。  薄く残った文字を目で追うと、《瀬川美咲》と読めた。  どうして、ここに美咲の名前が書かれていたのだろう。  糀は蒼太を見たが、何も言わなかった。  空いた欄へ《瀬川糀》と署名し、続柄には《母》と書いた。 「これでいい?」 「うん」  蒼太は確認票を受け取った。  裏には、運動会のお知らせが印刷されていた。  家族弁当の時間と、保護者競技の案内が書かれている。  蒼太が一年生の時、糀は塩麹唐揚げと甘い卵焼きを作った。蒼太は友達に「うちの唐揚げ、おいしい」と言ってくれた。  あの時の顔を、糀はまだ覚えている。 「蒼太、今年のお弁当は何がいい?」 「美咲ママが……」  蒼太は言いかけて、口を閉じた。 「……美咲さんが、作ってくれるって」 「ママも作るよ。前に好きだった塩麹の唐揚げとか、醤油麹のそぼろとか」 「地味なのはやだ」  蒼太はスマートフォンを取り出した。  画面には、美咲から送られてきたらしい弁当の画像が並んでいる。赤いピック。キャラクターの旗。丸いカップに入ったオムライス。 「みんなに見せるなら、こっちがいい」  蒼太はその画面を、糀ではなく美咲へ送り返した。 《これがいい》  すぐに返事が来た。 《任せて。蒼太くんが一番目立つお弁当にするね》  蒼太は嬉しそうに笑った。 「じゃあ、ママのも持っていく。美咲さんのがメインだけど」  糀はプリントを持ったまま、声を荒げないように息を整えた。 「食べたいものを選ぶのはいい。でも、ママが作るって言ったものを笑わないで」 「笑ってない」 「さっきも、おにぎりを捨てたでしょう」 「ばあばが捨てたんだよ」  蒼太は悪びれずに言った。  その言い方が、修
last updateLast Updated : 2026-08-15
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第8話 隣のおばさんは誰?
保護者名の欄に、蒼太の字で名前が書かれている。 瀬川美咲。 続柄の欄には、短くこうあった。「母」 まさか、実の息子がほかの女を「母」として記入するなんて。  糀は頭の中をぐちゃぐちゃにかき乱されたようで、息ができなかった。  誰もいない家の中で、とうとう声を押し殺すのをやめた。  床に座り込んだ。 「うわああん……!」  自分でも驚くほど大きな泣き声が、誰もいない家に響いた。  家族の前では泣けなかった。  蒼太には「ママは泣き虫」と言われる。  修司には「何もできない」と思われる。  義母には、またほかの家の嫁と比べられる。  いつからだろう。自分の周りにいる家族が、誰一人、自分の味方ではなくなったのは。  良い妻になろうとした。良い母親になろうとした。良い嫁になろうとした。  そうすれば、いつか愛してもらえると思っていた。  それなのに、最後に残ったものは裏切りだけだった。  糀は祖母のことを思い出した。  かつて自分も、家族に愛される子どもだった。  本当に、自分を愛してくれる人に出会える日は来るのだろうか。  けれど、まだ終わっていない。  祖母が残してくれた店がある。  たとえアカウントを奪われても、また新しく始められる。  たとえ蒼太を奪われそうになっても、まだ取り戻せる。 何もかも失ったわけじゃない。  自分こそが、あの子の本当の母親なのだから。 そして今、修司の不倫の証拠も、もう手元にある。  涙で濡れたエプロンを干し、糀は台所へ向かった。明日のための食材を準備し始める。 ***  翌朝、糀は夜明け前に起きた。  台所の明かりをつけ、漬けておいた鶏もも肉を冷蔵庫から出す。塩麹の匂いが、まだ暗い台所に広がった。  蒼太が好きだった唐揚げ。  甘い卵焼き。  醤油麹で味をつけたそぼろ。  小さな人参を星の形に抜いて、すき間に詰める。  派手ではない。  美咲が送ってきた画像のように、赤いピックもキャラクターの旗もない。  それでも、蒼太が小さいころは、これで喜んでくれた。 「うちの唐揚げ、おいしいんだよ」  一年生の運動会で、蒼太は友達にそう言った。  あの時、糀は朝早く起きてよかったと思った。
last updateLast Updated : 2026-08-15
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第9話 うちのお手伝いさん
 蒼太は一瞬だけ糀を見た。 「うちのお手伝いさん」  糀の体が固まった。  近くにいた保護者が、気まずそうに視線をそらした。別の母親は、美咲と修司を見てから、糀の胸元にある保護者用の名札へ目を移した。  否定してほしかった。修司が「この人が蒼太の母親です」と、たった一言言ってくれればよかった。  けれど、修司はカメラの画面を見たままだった。義母も、蒼太の間違いを直そうとはしなかった。  誰も止めなかった。  義母は「子どもは正直ね」と笑った。  美咲だけが、困ったような顔を作った。 「私も嬉しいけど、そんなこと言ったら、糀ちゃんがかわいそうよ」  その言い方が、いちばん嫌だった。 私が、かわいそう? 人の夫も子どもも奪って、家まで欲しがるほうが、よっぽどかわいそうなのに。 糀は、そう言い返したかった。 でも、ここは蒼太の運動会だった。***  昼休みの前に、糀は蒼太を校舎裏へ連れていった。 「どうして、あんなことを言ったの」 「怒らないで」  蒼太は帽子のつばを握った。「……あんな言い方は、しちゃだめだよ」「……うん、でも……」 「みんなのママは綺麗で、いい匂いがするんだよ。ママのお弁当の匂いで笑われたら嫌だった」 「誰かに、そう言われたの?」 「美咲さんが、発酵の匂いは子どもにはきついって。友達に変だと思われるかもって」  昨日まで食べていたものが、美咲の一言で、蒼太にとって恥ずかしいものへ変わっていた。  糀が毎朝考えてきた味より、美咲の言葉の方を蒼太は信じた。そのことが、料理を捨てられた時より苦しかった。  その少し前、台所のゴミ箱に、蒼太の弁当が捨てられていたことがあった。  塩麹豚も、酒粕ポテトサラダも、小さく切ったままだった。  忙しくて食べる時間がなかったのだと思っていた。  ふたが開いて、落ちてしまったのかもしれない。  味が濃かったのかもしれない。量が多かったのかもしれない。  そうやって、理由を探していた。  でも、本当は。  蒼太は、あの女に、糀の料理は「恥ずかしいもの」だと吹き込まれていたのではないか。  料理は、私にとって家族への愛情そのものなのに。  許せない。  怒りと悲しみが同時にこみ上げ、目の奥が熱
last updateLast Updated : 2026-08-15
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第10話 もう、あなたたちのためには作らない
 台所には、朝から仕込んでおいた夕食がある。糀が仕上げにかかろうとすると、修司が口を開いた。 「飯の前に話がある」  修司が一枚の紙を、糀の前へ滑らせた。 そこには、すでに修司の署名が入っていた。 「署名しろ。まずはそれからだ」  修司は食卓の椅子に座った。  義母はすでに上座に座っている。美咲は当然のように修司の隣へ腰を下ろし、蒼太は美咲のスマートフォンをのぞき込んでいた。  糀の席は、またなかった。  離婚を考えたことがなかったわけではない。 それでも、いざ目の前に離婚届を突きつけられ、修司からここまで強い態度を取られると、簡単には受け入れられなかった。 八年間積み重ねてきた家族の時間が、最初からなかったことにされようとしていた。  糀は、離婚届に触れなかった。 「まず、ごはんの支度をします」 「こんなときに飯か」  修司が眉をひそめた。 「今さら?」  義母は鼻で笑った。「美咲さんが持ってきてくださったものがあるのよ」  食卓の中央には、美咲の総菜が並んでいた。デパ地下の惣菜らしい透明なふたに、彩りのいいサラダとローストビーフが入っている。 「最後なんだから、好きにさせてあげたら」  美咲が笑った。 「どうせ、私の料理が選ばれるけど」 糀は台所へ入った。  どうすればいいのか、分からなかった。  ウェディングフォト。離婚届。蒼太の顔。運動会で言われた「お手伝いさん」。  全部が一度に押し寄せて、何から考えればよいか分からない。  それでも、包丁を持つと少しだけ息ができた。  料理をしている間だけ、少し心が落ち着いた。  糀は朝から塩麹に漬けておいた豚肩ロースを焼き、白味噌を隠し味にした茶碗蒸しを蒸した。味噌とヨーグルトを混ぜた床から、蕪ときゅうりを取り出す。  家族に、おいしいものを食べてもらいたい。その一心で、一皿ずつ作り上げてきた。 料理は、糀にとって家族へ愛を伝える方法であり、自分自身であるためのものでもあった。 だから最後の一皿まで、雑には作りたくなかった。  肉の火入れを見て、茶碗蒸しの表面を確かめ、漬け床から野菜を上げる。いつも通りに整えることだけが、今の糀にできる反抗だった。  糀は皿を食卓へ運んだ。  蒼太は、
last updateLast Updated : 2026-08-15
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