共有

第9話

作者: 半分の月
裁判は四か月続いた。

その四か月のあいだに、東都では二度、雪が降った。

美佳子が正式に起訴された。

学校の安全改修費を着服し、それが火災の原因となった。

事件後、鍵を隠して救助を妨害し、精神鑑定書を偽造して事情聴取を逃れようとした証拠も、すでに固まっている。

祥子は事件当時、刑事責任年齢に達していなかったため、刑事手続きはとられなかった。

だが裁判所は、保護者である美佳子が長年にわたり祥子を危険な行為へと誘導し、放任していたと認定した。

民事上の主たる賠償責任を負わせ、親権も剥奪した。

祥子は専門の心理ケア施設に送られた。

判決が下りた日、裁判所の廊下で、私は祥子の姿を見かけた。

ずいぶん痩せて、いつものドレスではなく、ふつうの運動着を着ていた。

彼女は私の前に来ると、服の裾をぎゅっと握りしめ、小さな声で言った。

「牧野おばさん、ごめん」

私は長いこと、彼女を見つめた。

十歳の子なら、怖さくらいわかる。

八歳の子だって、ドアに鍵をかけられたら、中にいる人が泣くことくらい知っているはずだ。

私は彼女を叱らなかったし、許しもしなかった。

ただ、こう尋ねた。
この本を無料で読み続ける
コードをスキャンしてアプリをダウンロード
ロックされたチャプター

最新チャプター

  • 娘が死んだ日から、私は夫を捨てた   第9話

    裁判は四か月続いた。その四か月のあいだに、東都では二度、雪が降った。美佳子が正式に起訴された。学校の安全改修費を着服し、それが火災の原因となった。事件後、鍵を隠して救助を妨害し、精神鑑定書を偽造して事情聴取を逃れようとした証拠も、すでに固まっている。祥子は事件当時、刑事責任年齢に達していなかったため、刑事手続きはとられなかった。だが裁判所は、保護者である美佳子が長年にわたり祥子を危険な行為へと誘導し、放任していたと認定した。民事上の主たる賠償責任を負わせ、親権も剥奪した。祥子は専門の心理ケア施設に送られた。判決が下りた日、裁判所の廊下で、私は祥子の姿を見かけた。ずいぶん痩せて、いつものドレスではなく、ふつうの運動着を着ていた。彼女は私の前に来ると、服の裾をぎゅっと握りしめ、小さな声で言った。「牧野おばさん、ごめん」私は長いこと、彼女を見つめた。十歳の子なら、怖さくらいわかる。八歳の子だって、ドアに鍵をかけられたら、中にいる人が泣くことくらい知っているはずだ。私は彼女を叱らなかったし、許しもしなかった。ただ、こう尋ねた。「遥がドアを叩く音、まだ覚えてる?」祥子の顔から血の気が引いた。それでも、こくりと頷いた。「なら、一生覚えていなさい」彼女は泣き出した。私は背を向けて歩き出した。謝れば許されるとは限らない。なかには、一生背負わなければならないこともあるのだ。あの学校は処分を受け、旧校舎の取り壊し計画も完全に止まった。校長と事務長も責任を問われた。賢治は捜査妨害と救助遅延で実刑判決を受けた。水島教育基金も調査を受け、英一郎はグループの社長職を辞任した。その後は捜査に協力し、巨額の賠償に応じるとともに、独立した学校安全基金を設立して公表した。基金の理事会が私に理事長就任について打診してきた。私はそれを断った。遥を、これ以上水島家と関わらせたくなかった。賠償金が振り込まれた日、私はその一部を、山下隊長の消防公益プロジェクトに寄付した。学校向けの防火訓練と、子どもたちのための自救教育に使われることになっている。残りで、私は西都の小さな海辺の町に墓地を買った。こぢんまりとした霊園で、東側はすぐ海だ。朝になると、白い墓石に陽が差す。写真の

  • 娘が死んだ日から、私は夫を捨てた   第8話

    翌朝、美佳子は警察署に連行された。すっぴんで、顔色が悪かった。黒いロングドレスに、手首には留置針のテープが貼られたままだった。そんな姿を見たとき、事前に証拠を目にしていなければ、彼女のほうがよほど被害者に見えたかもしれない。彼女は英一郎を見るなり、弁解よりも先に口を開いた。「英一郎、本当に私を刑務所に入れるつもり?」英一郎は椅子に座ったまま、視線を向けようともしなかった。「自業自得だ」美佳子は力なく笑った。「よく言うわ。この三年、私がこんなことができたのも、全部あなたのせいじゃない」英一郎の体がこわばった。美佳子はこちらに顔を向ける。「絵美さん、気分がいいでしょうね。やっと彼にも、私の正体が知れたんだから」私はなにも言わず、焼け焦げた絵本を机の上に置いた。「見物に来たんじゃない。証拠を届けに来たの」美佳子はその絵本を見て、はっと顔色を変えた。表紙の端は焼け、中のページは水に濡れてまだらに色が変わっている。私は手袋をはめて最後のページを開いた。そこには、半分焼けた紙が一枚挟まれていた。三年前は、ただの落書きだと思っていた。昨晩、赤外線スキャンで復元して初めてわかった。それは遥の、たどたどしい字だった。【祥子が言ってた。美佳子おばさんが、隠れてればパパが迎えに来るって。でも、ドアが開かない。ちょっとこわい……ママ、ごめんね】私は復元した紙を美佳子の前に差し出した。「この子は最後まで、あなたたちを恨んだりしなかった。ただ私に謝ってるだけよ」美佳子はその文字をじっと見つめ、唇を震わせた。英一郎もそれを目にした。手を伸ばしかけるが、触れる直前でやめた。警察の捜査により、さらに多くの資料が明らかになった。三年前、水島グループは学校に安全改修のための特別寄付金を出していた。美佳子は、亡き夫の名義で自らが管理していた教育基金の名目で、このプロジェクトを任されていたのだ。火災の一か月前、旧校舎では電気システムの修理が三度要請されていたが、いずれも手つかずだった。理由欄にはこうある。【改修工事検収待ちにつき、支出保留】署名は美佳子だった。山下隊長が資料を机に叩きつけた。「これは事故じゃない。彼女は安全上の問題も、ドアの鍵の不具合も把握していた。火災

  • 娘が死んだ日から、私は夫を捨てた   第7話

    廊下から足音が聞こえてきた。現れたのは美佳子ではなく、祥子だった。祥子はあのドレスを着たまま、ウサギのぬいぐるみを抱えて、ぽつんと入口に立っている。英一郎の姿を認めると、怯えたように後ずさった。ぬいぐるみをそっと床に置き、震える声で言う。「英一郎おじさん……ママがね、また変なこと言ったら、もういらないって」言い終えると、背中を向けて夜の闇に駆けだした。祥子はすぐに警察署の前で警官に追いつかれた。英一郎はガラス扉の向こうから彼女を見つめている。祥子は階段の端にしゃがみこんだまま、黙っていた。英一郎は三年間、祥子をかわいがってきた。恩師への感謝と、美佳子への憐れみのすべてを、この子に注ぎこんできたのだ。なのに今、実の娘である遥を倉庫に閉じ込めたのが、祥子だと知らされた。しかも、それをけしかけたのが、三年ものあいだ守り続けてきた美佳子だという可能性が高い。これまで支えてきたものが、音を立てて崩れていった。その後、祥子は取調室へ連れていかれた。三十分ほどして、美佳子の弁護士が診断書を携えてやって来る。「久保さんは重度のストレス状態にあり、現在は事情聴取に応じられません。また、祥子は当時八歳未満でしたから、刑事責任は問われません」弁護士は私のほうを向いた。「久保さんは、金による補償をご用意するとのことです」三年前、祥子が遥を階段から突き落としたとき、英一郎は「彼女は愛情が足りない」と言った。今回、祥子が遥を倉庫に閉じ込めたときには、弁護士が「彼女は当時八歳未満でした」と言う。いつだって、誰かが彼女たちのために言い訳を並べる。けれど、あの日、遥が何歳だったのか、誰一人として尋ねはしない。英一郎は、弁護士が差しだした和解意向書を手にとった。一枚目に、こう書きつける。【水島グループは、いかなる私的な和解にも関与せず、一切これを認めない】書類を押し戻して言った。「美佳子に伝えろ。俺の名前を勝手に使ってやってきたことを、今夜からひとつ残らず清算させる、とな」弁護士の顔色がわずかに変わった。「水島社長、そこまでなさいますか。久保さんの手元にも古い資料がございますが」「出させろ。足りなければ、俺が補う」英一郎が美佳子をかばわなかったのを、私は初めて見た。やがて、山

  • 娘が死んだ日から、私は夫を捨てた   第6話

    新幹線が東都を出ると、窓の外の街並みが少しずつ変わっていった。私の指先は、あの匿名のメッセージに止まったままだった。三年前の事故報告書に、英一郎もサインしてた。その一行が、離れようとしていた私の気持ちを完全に断ち切った。英一郎はただ、えこひいきしているだけだと思っていた。彼はとっくに、死んだのが遥だと知っていながら、あの母娘を三年ものあいだ、のうのうと生かしていたのか。これ以上は考えられなかった。私は母親として、この事実を、どうしても受け入れられなかった。私の子は殺されただけじゃない。真実まで、みんなに葬られた。私は次の駅で降りた。リュックを抱えてベンチに腰を下ろし、ある人物に電話をかける。「牧野さん?」電話の相手は、三年前の火災調査を担当した消防士、山下隊長だった。私はこの数年、何度も彼を訪ねていた。彼は東都から異動になっても、あの火災のことを決して忘れていなかった。子供があまりに幼く、ドアにしっかり鍵がかかっていたからだ。そしてあの日、誰かが事前に現場を、あまりにもきれいに片付けてしまっていたからだ。「山下隊長、再調査をお願いしたいんです」向こうで、少しの沈黙があった。「ついに決めたか」私は遥の写真を見つめながら、言葉を続けた。「昔はお金も証拠もなかった。でも、今は違うんです」山下隊長がため息をつく。「あの腕時計型の電話は、まだあるか」「はい」遥の遺品で、手元に残したのはあの絵本と、半焼けの腕時計型の電話だけだ。あの時、修理の人がかろうじて録音データを、一部取り出してくれた。でも、ずっと聞けなかった。あの録音を聞くたびに、苦しくて全身が震えたから。山下隊長は言った。「腕時計を持って東都警察署へ行け。学校や水島の身内に頼るんじゃないぞ。手元に当時の現場写真がある。必要なら送る」私は電話を切り、折り返しの切符を買った。今ここで去るのは、逃げることであって、区切りをつけることじゃない。遥の骨はバッグの中にある。パパの愛を待てなかった。でも、真実だけは必要だ。午後五時、私は警察署の相談室に入った。警察は話を聞き終えると、表情を一瞬でこわばらせた。変形した腕時計型の電話を机の上に置く。技術係が機器を接続した。十

  • 娘が死んだ日から、私は夫を捨てた   第5話

    「英一郎」改札口の外では、人の流れがゆっくりと前に進んでいた。胸に抱えたリュックのファスナーが、手のひらに食い込んで痛い。「遥の遺骨が、このバッグに入ってるの」「絵美、やめてくれ。頼む」彼の口からそんな言葉が出るなんて、まるで別人みたいだった。三年前、校門の前で跪いて、遥を助けてほしいと頼んだ。けれど、彼は無視した。今さら頼まれても、もう遅すぎる。アナウンスがもう一度流れる。「西京府行きのお客様、改札をお急ぎください」私は電話を切り、改札へ向かった。だが、数歩も行かないうちに、またアナウンスが流れる。「牧野様、お忘れ物がございます。サービスカウンターまでお越しください」足を止める。誰の仕業か、わかっている。英一郎がこれまでの人生でいちばん得意だったのは、釈明でも、やり直すことでもない。自分の権力で、他人の人生を勝手に決めることだ。昔は、私に美佳子を受け入れろと強いた。それからは、遥に何も言わずに我慢しろと強いた。そして今度は、私がここを離れることすら許さない。スーツケースを引いて振り返る。サービスカウンターの前で、二人の係員が行く手を遮った。「牧野様、お持ちのお荷物を再度検査させていただきます」「どうして?」係員は目をそらす。「規則ですので」リュックを胸の前に抱え直し、落ち着いた声で言った。「これ、娘の骨壺なの」係員の顔色が変わった。周囲が一瞬で静まり返る。ファスナーを開け、白い骨壺と写真立てを少しだけ見せた。写真の遥は、小さな八重歯をこぼして、あどけなく笑っている。「この子は他人の理不尽のせいで、もうたくさんの大切なものを失ってきた」カウンターの奥の防犯カメラを見据える。「今日、これ以上私を止める人がいたら、警察に通報する。あなたたちのこともクレームするから」係員の手がキーボードの上で止まった。パソコン画面と私を交互に見て、困惑した顔になる。そのとき、入口の方からせわしない足音が響いてきた。英一郎だ。濃い色のスーツを着て、ネクタイは曲がり、ボタンを掛け違えている。こんなにみっともない彼を見たのは、起業に失敗したあの年だけだ。かつて彼は、どんなに辛くても乗り越えると言っていた。なのに今は、数メートル先から

  • 娘が死んだ日から、私は夫を捨てた   第4話

    英一郎は電話を切ると、私の番号を着信拒否にした。消防士が鉄の扉をこじ開けたとき、隅にうずくまった、見分けもつかないほど変わり果てた遺体があった。その手には、ふちが焼け焦げた絵本が、まだしっかりと握りしめられていた。絵本の最初のページには、たどたどしい字で【パパ、お誕生日おめでとう】と書いてある。病院で娘の死亡が確認された後、私は区役所に向かった。そこには、古びたインクの匂いが染みついていた。私は死亡診断書と死亡届を窓口の職員に差し出した。「死亡届の手続きをお願いします」職員は情報を確認し、受理証明書に判を押した。それからハサミを取り出すと、私がこの世に遺した最後のつながりを、ためらわずに断ち切った。その死亡届受理証明書は、重いハンマーのように、十年分の愚かさを粉々に打ち砕いた。ずっと耐えさえすれば、いつか英一郎の心を動かせて、遥にちゃんとした家族をあげられる。そう思い込んでいた。けれど、結局、私はとんでもなく思い違いをしていた。受理証明書をバッグにしまい込んだ。その瞬間、遠い昔の英一郎の姿が、ふと脳裏に蘇った。まだ起業したばかりで、家賃も払えないほど貧しかった頃、まともな婚約指輪さえ買えなかった。彼は、缶ジュースのプルタブを私の薬指に通し、目を真っ赤にして誓ったのだ。「絵美、誓うよ。もう二度と、お前にも俺たちの子どもにも、辛い思いは絶対にさせない。もし誰かがお前たちをいじめる奴がいたら、俺が真っ先にぶっ飛ばしてやる」あの言葉はまだ耳に残っている。なのに彼は、自分が言う責任や恩人のために、実の娘を自ら死へと追いやった。区役所を出て、葬儀場へタクシーで向かった。三年前の離婚で、私は何も受け取っていない。遥の葬式を終えたあと、お墓を買う金さえなくて、冷たい納骨堂に骨壺を預けるしかなかった。今日、ようやくまとまったお金が貯まったのだ。職員が、小さな骨壺と写真立てを差し出してきた。写真立ての中の遥は、小さな八重歯を見せて、優しく微笑んでいる。私はその骨壺をぎゅっと胸に抱きしめた。ひんやりとした感触が伝わってくる。音もなく涙がこぼれ落ちた。「遥、怖くないよ」私は小さくささやいた。「母さんが迎えに来たよ。大好きな海に行こうね。もう誰にも、いじめられたりしないからね」

続きを読む
無料で面白い小説を探して読んでみましょう
GoodNovel アプリで人気小説に無料で!お好きな本をダウンロードして、いつでもどこでも読みましょう!
アプリで無料で本を読む
コードをスキャンしてアプリで読む
DMCA.com Protection Status