「ビリッ!」薄い生地が裂ける音は、取るに足らないはずなのに、私の耳にはひどく不快に響いた。肩には大きく肌色が露出し、冷たい空気がじわじわと腕に染み込んでくるまで、自分の肩が鈍く痛むのに気付かなかった。誰かが私の腕をわざと強くつねりながら、服を乱暴に引き裂いている。「この女、不倫者の味方までして、恥知らず!服を剥いでやろう!本当に恥ってもんを知ってるか確かめてやろう!」一瞬、私は呆然とした。女の子は女の子を助けるって、みんなよく言うけど……女の子が一番、女の子の恥ずかしさをよく分かっているのだ。女の子が何を大事にしているか、痛いほど知っている。前に学校で起きたいじめ事件を何度か担当したことがある。よくあるのは、女の子がトイレで他の女の子に服を全部脱がされて、辱められるという話だ。まさか、学校を出てこんなに経ってまで、こんなやり方で私を追い詰める人間がいるなんて思わなかった。それも、こんな人目のある場所で。「やめろ!」夜之介はいつも落ち着いていて、優しくて、大きな声なんて出したことがない人なのに、このときばかりは、目を剥いて遠くから叫んでいた。私はますます、これは計画された行動なんだと確信した。だって、夜之介の周りには男の子たちがぐるりと輪を作っていて、穎子たちの方には女の子たちが集まっている。「ビリッ!」まただ!私はもともと波風を立てるつもりはなかった。裁判も控えているし、どんな小さなことでも揚げ足を取られたくなかった。だけど、今この瞬間、怒りが胸の中で燃え上がるのを感じた。私は思い切り、目の前の女の子を突き飛ばした!私はアイドルにも興味がないし、ファンダムなんてよく分からない。でも、どこかで聞いたあの言葉だけは、なんとなく覚えている。「ファンの行いは、全部アイドルの責任になるんだよ!あんたたち、今日こんなことして、青木さんは知ってるの?イメージ下げてるって、自覚ある?」その瞬間、周囲は短い静寂に包まれた。私の言葉は、湖に投げ込まれた爆弾みたいに、数秒で更なる騒乱を生み出した。まるでチャイムが鳴った瞬間の教室のように、怒号が爆発する。「はぁ?今なんて言った、クソ女!お前、早瀬のファンだろ!」「暴力だ!この女、暴力振るった!弁護士のくせに!」「早瀬の愛人とできてんじゃないのか、お
差し出されたのは、一束のクチナシの花。淡いミントグリーンのヨーロピアンな包装紙に静かに包まれ、外側は砂のような透けるネットで飾られていた。差出人の名前のないカードには、からかうような一言だけが書かれていた。【まさか、この花が佳奈へのプレゼントだと思ってないよね? 夜之介に渡しておいて】この言い回し……誰が書いたか、考えるまでもない。でも、康平が突然花をくれたおかげで、さっきまで頭を抱えていた選択のジレンマからは解放された。と思ったのも束の間、今度は夜之介が、もっと厄介な問題を私に投げてきたのだ。彼は花束を受け取り、鼻先に近づけてそっと香りを嗅ぐ。その眉間に漂っていた険しい皺も、ふわりと解けていく。そして上機嫌そうに私に尋ねた。「クチナシの花言葉、知ってる?」「さあ……」私は首をかしげる。彼はふっと微笑み、花束を私に差し出した。「この花、僕は受け取れないよ」……今夜は何事もなく終わるはずだった。だが、レストランを出た瞬間、出口は青木さんのファンたちに完全に包囲されていた。扉を出るや否や、女子たちが「きゃーっ!」と叫びながら押し寄せてきて、私たちのグループはあっという間にバラバラにされた。夜之介も穎子も、どこかへ押し流されてしまい、みるみるうちに人波に呑まれて見えなくなった。見知らぬ、しかも敵意むき出しの人々を前に、私の心臓は制御不能なほどドキドキと高鳴っていた。追っかけ女子たちは、まるでプロカメラマンのような勢いでスマホを顔の目の前に突きつけてくる。私はなんとか頭を庇った。誰かの拳が当たるのを避けるためだ。しかし、その動作の隙を突かれた。「安井佳奈でしょ?なんで顔隠してるの?人前に出せない顔してるから?」「早瀬からいくらもらったの?良心を売って、うちの俊彦を陥れて楽しい?」「白核市のお嬢様って聞いてたけど、お金もそんな汚いやり方で稼いでるの?それともその肩書きも全部ウソで、わざと流した設定?」「誰かを好きな気持ち、あんたにわかる?うちの俊彦は今、毎日ふさぎ込んで、CMも契約も全部キャンセルしてるのよ!その損失、あんた責任取れるの?」私はずっと黙ったままだった。私が何も言わないので、今度は罵声が飛んできた。彼女たちは私だけじゃなく、私の家族まで呪いの言葉で攻撃してきた。けれど、残
実のところ、夜之介についていく方が、一人で戦うより遥かにいいに決まっている。案件はすでに揃っていて、心配する必要もない。まるで餌を待つ小動物のようにしていれば、彼はきっと私を事務所のエース弁護士に育て上げてくれるだろう。何かを思い出したのか、夜之介がぽつりと言葉を足す。「康平は誠和だけに応募した。他の事務所は全部僕が決めたんだ。その点は心配しなくていい」康平の名前を聞いて、私はふと、あの人のことをもう随分思い出していなかったことに気づいた。彼はまるで私の人生の、本当に一瞬だけ通り過ぎた旅人だった。彼が消えたその瞬間から、私の「子供時代」も完全に終わりを告げたんだ。穎子は空気の読める人だった。私の肩を軽く叩いて、「ちょっとそこの同僚と話してくるね。昔は事務所であまり親しくなかったけど、今ちょうど挨拶しとこうと思って」と言った。彼女が去り、私と夜之介の間にだけ、静かな会話の時間が残された。「少し……考えさせてください」今の私は、天秤のど真ん中に立っている。どちらにも傾く勇気がない。一歩間違えば、自分だけじゃなく、他の誰かを巻き込むことになる。母のことが、何よりもその証拠だ。あの教訓は、あまりにも重すぎた。夜之介は無言でグラスの酒を飲み干し、しばらく空のグラスを見つめてから口を開いた。「佳奈、僕は君を知っている時間は短いけど、康平のやつから何度も君の話を聞いてきた。でも、実際に会ってみると、あいつが言ってた君とはまるで違う」「へえ、そうなんですか?」私はごまかすように笑ってみせた。「でも、今日は私のことはいいじゃないですか。主役は渡辺先生でしょう?」けれど、夜之介は交渉上手だ。私の話術なんか、簡単に受け流してしまう。「君は何も言わないけど、目を見ていれば分かる。君には君の計画があって、全部ちゃんと考えている。でも、僕は言っておきたい。僕が君に示す道が、最善の道だってことを。この職業は、資本を恐れる必要がない。僕たちには自分を守る武器がある。いやむしろ、資本を利用することだってできる。君は僕のことを心配しなくていい。それに、君が慎一と何かしらの取引をしたことも、うすうす勘付いてる。だから、彼は誠和を穎子に譲ったんだろう?だったら、僕のことも利用していい」法律を学ぶ者は、損得をよく考えるものだ。分かっているなら、
私は眠れなかった。真夜中、午前三時。スマホをいじっていると、雲香がアップしたSNSの投稿が目に入った。私にお返しとして、彼女は一枚の写真を載せた。そこには、慎一が彼女の隣で安らかに眠っている姿が写っていた。彼は目を閉じ、表情は穏やかで静かだった。さっきまで私と激しく言い争っていた人とは思えない。まるで静謐な一枚の絵画のように美しい。雲香のキャラクター柄パジャマの裾が、彼の肩のすぐそばに見えた。二人とも服は着ていたけれど、彼らは同じベッドで眠っていた。二十二歳の義妹と、二十九歳の兄が一緒に寝ているなんて……投稿には、こんなコメントが添えられていた。「ずっとお兄ちゃんの可愛い女の子だもん!」私は苦笑した。全身の細胞が抜け落ちたみたいに力が入らず、固いゲストルームのベッドに横たわる。まるで、死んでからしばらく経った死体のように、心臓の鼓動さえ感じられなかった。この出来事がきっかけで、私は慎一と冷戦状態に入った。ケンカはしなかった。言葉はなくても、私たちはお互いの気持ちを察していた。自然と、誰も口をきかなくなった。何日かずっと、朝起きれば慎一はもう会社にいて、彼が夜帰宅する頃には私はすでに夕食を終え、一人で客間にこもって勉強や仕事に没頭していた。私はそれを受け入れた。むしろ、この方が楽だった。これ以上、彼の優しさに溺れずに済むから。ただ、たまに顔を合わせる時、慎一がじっと私を見つめてくることに気付いた。けれど、そのたびに雲香がどこからともなく現れて、彼女のお兄ちゃんを連れて行ってしまう。まるで、慎一と私が一秒でも一緒にいれば、すぐに罪に問われるような、この家では許されない関係みたいだった。そして雲香は、その公平無私な「裁判官」なのだ……私はすべてを見ていたが、気にも留めなかった。より多くの時間を仕事に費やした。慎一のいない生活になって、私はもう、笑うことすらできなくなった。演じるべき舞台も、失ってしまった。時はあっという間に過ぎ、夜之介が退職する日がやってきた。私は久しぶりに、仕事以外の集まりに参加した。送別会は簡素なものだった。彼が上司として親しい部下を食事に誘っただけ。夜之介の法律事務所は誠和だけではないので、別れの悲しみはなかった。ただ、同僚として過ごした時間があまりにも短くて、指で数
慎一の顔色は、海苑の別荘に戻る道すがら、ずっと曇ったままだった。私も彼も揃ってミルクティー攻撃をくらったせいもあるけど、それ以上に、彼が手伝うと申し出てくれたのに、私がそれを断ったことが原因だろう。これが私の人生で初めて担当する案件じゃない。でも、これは間違いなく、私が一気に名前を売る絶好のチャンスだってことはわかってる。弁護士の世界で大事なのは、世間がよく言う価値観とかじゃない。結果がすべて。あのプレッシャーの中で勝ったって実績こそが、何よりもの評価基準だ。他人の噂や批判なんてどうでもいい。ただ、自分のやるべきことに集中する。それが私の成功への第一歩なんだ。もしも慎一が首を突っ込んでくるなら、むしろ私にとって最大の障害にしかならない。家に着くと、雲香は目を真っ赤にして、自分と同じくらい大きなイルカのぬいぐるみを抱えて慎一を待っていた。慎一は本気で私に怒っていたらしい。車を降りると、彼は一言も話さず、まっすぐ雲香を抱き上げて寝室へと消えていった。私はというと、気楽なもので、さっさと自分の客間に戻ってシャワーを浴び、ネットで資料を漁り始めた。調べてみると、青木さんは留置所を出た後、ネットで一連の発言を繰り返していたらしい。自分の妻をどれだけ愛しているかを熱弁しつつ、最後にはこんなひと言を残していた。「たとえ妻の弁護士が何を言ったとしても、俺は信じません。俺たちの関係は壊れていないし、絶対に離婚には同意しません」新進気鋭のトップ俳優、その影響力はとんでもない。早瀬さんは自分のファンが守ってくれるから、私の方が標的にされたのも無理はない。数時間もしないうちに、「安井佳奈」という私の名前は、ただの名前じゃなくなった。写真付きで、私の過去から家族構成、履歴書の中身まで、徹底的に掘られた。まあ、さすがに自分でも「よく調べられたな……」と感心するくらい、色々バレていた。でも、私は顔も悪くないし、実力だって本物。経歴も申し分なく、家柄もそれなり。ネット民たちも叩く材料がなくて、「資本の庇護を受けて人間らしい苦労も愛情も知らない機械だ」くらいしか言えないみたい。この案件自体は、別に難易度が高いわけじゃない。もうだいぶ長く別居してるし、私はただ裁判の日を待てばいい。そろそろ寝ようかと思っていたら、ドアの外からノ
今夜は本当に楽しかった。慎一がトイレに行っている間に、さっきこっそり写真を撮っていたあの店員を見つけて、スマホの中の写真を見せてもらい、消してもらうように頼んだ。「すみません、うちの旦那はプライベートが晒されるのを嫌うんです。でも、とても綺麗に撮れていたので、記念に一枚だけ送ってもらえませんか?」そう言って、私は個人的に彼に20万円のチップを渡した。雲香だけが見られるように、ひっそりとSNSに投稿し、慎一の上着を手に取り、運転手が車を回してくるのを待つことにした。ぼんやりしていると、突然何かが私の体にぶつかってきた。ヒールを履いていた私は一瞬バランスを崩し、数歩よろけてから、なんとか踏みとどまった。足元を見ると、高級な赤いソールの靴とふくらはぎがすっかり被害を受けていた。少し離れた床には壊れたミルクティーのカップ。中のタピオカが一粒、私の靴の先にぺたんとくっついている。「この女よ!不倫女の弁護士!」尖った女の声が左前から響いた。おそらく青木さんのファンだろう。私は呆然としてまだ反応できずにいると、その女はまた友達のミルクティーを奪って、私めがけて投げてきた。私は少し麻痺して、避けようとも思えなかった。青木さんは今をときめく新進気鋭の映画俳優、ファンの数なんて千万単位だ。この一杯のミルクティーからは逃げられても、これから先何杯のミルクティーを私は避けきれるだろう?この案件を引き受けた時から、こうなる日が来ると覚悟していた。有名人が世間に向けて不倫を認めた時、世間の非難は必ず自分に向けられる。でも、依頼人の事情を知った私は、彼女の秘密を守ると決めた。だから、これくらいのことは私の報酬のうちだ。お金だってもらっている。ミルクティーがどんどん近づいてくる。私は慎一の上着を背中に隠した。でも、予想していた痛みは来なかった。私が落ちたのは、温かい胸の中だった。代わりに慎一の背中がミルクティーを受け止めていた。彼が、私を守ってくれたのだ。女の子は、さすがに大きな男の人には敵わないと思ったのか、遠くから私を指差して罵声を浴びせ、すぐに逃げていった。慎一は、外ではいつも自分のイメージを大事にしている人だ。私は慌てて隠していた上着を差し出した。「あなた、服は汚れてないから、早く着て」「佳奈!お前はバ