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第106話

Author: 三佐咲美
慎一を部屋から追い出そうとした、その時だった。雲香が、先にドアをノックした。

けれど、そのノックに礼儀や遠慮なんてものは全くなかった。私と慎一がまだ唇を離せずにいるというのに、彼女はいきなりドアを押し開け、ずかずかと中に入ってきたのだ。

「お兄ちゃん……」

雲香の顔は真っ青で、全身が小刻みに震えていた。怯えきった目で、部屋の中をきょろきょろしている。

次の瞬間、まるで誰かに尻尾を踏まれた猫みたいに、彼女は慌てて私と慎一の間に割り込んできた。小柄な体で私をぐいっと押しやり、私は壁にぶつかりそうになってしまった。どれだけの力を込めていたのか、よくわかる。

「お兄ちゃん、雲香、夢見たの……雲香の腕から血がたくさん流れて、すごく痛かったの、うぅ……

誰かが雲香を殺すって言ってたの、怖いよ、うぅぅ……」

客間のベッドは固かった。私は上手いポジションを選んで、しばらく芝居見物としゃれこんだ。

おかしくて仕方がなかった。自作自演だというのに、どうして彼女はこんなにも自分を被害者役に仕立て上げるのがうまいのだろう。

慎一が言う「悪夢に悩まされている」というのも、きっと彼女がこれまでにやらかしてきた数々の悪事のせいではないかと思う。

彼女の瞳は毒液のように冷たく光っているが、それを隠すように必死で弱々しい演技をしている。だが皮肉なことに、慎一はその演技に毎度のごとく引っかかってしまうのだ。

彼はすぐにその「大きなお人形さん」を抱き上げた。そして優しい声で彼女を宥め始める。「お兄ちゃんが一緒に寝てあげるから、大丈夫だよ」

慎一は本当に優しい兄だ。

彼は心配で仕方がないらしく、早足で彼女を連れて部屋を出ていった。遠くなる二人の背中から、こんな会話が聞こえてきた。

「お兄ちゃん、頭がふらふらする。明日、学校休んじゃダメ?一日だけ家にいたい……お兄ちゃんも一緒にいてよ。雲香、怖いの」

私はそっと立ち上がって、部屋のドアを閉める。そして再びベッドに腰掛けた。

口元に、自然と笑みが浮かんだ。ふふっ、雲香、もう我慢できなくなったの?

私と慎一が仲良くなって、まだ数日しか経っていないというのに。彼女の忍耐力は、私が思っていたよりもずっと低いらしい。

たったこれだけの刺激で、もう限界なんだから。

私は無意識に指先でベッドの端をカリカリといじっていた。シーツを握る手
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