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第131話

Author: 三佐咲美
慎一の顔色は、海苑の別荘に戻る道すがら、ずっと曇ったままだった。

私も彼も揃ってミルクティー攻撃をくらったせいもあるけど、それ以上に、彼が手伝うと申し出てくれたのに、私がそれを断ったことが原因だろう。

これが私の人生で初めて担当する案件じゃない。でも、これは間違いなく、私が一気に名前を売る絶好のチャンスだってことはわかってる。

弁護士の世界で大事なのは、世間がよく言う価値観とかじゃない。

結果がすべて。あのプレッシャーの中で勝ったって実績こそが、何よりもの評価基準だ。

他人の噂や批判なんてどうでもいい。ただ、自分のやるべきことに集中する。それが私の成功への第一歩なんだ。

もしも慎一が首を突っ込んでくるなら、むしろ私にとって最大の障害にしかならない。

家に着くと、雲香は目を真っ赤にして、自分と同じくらい大きなイルカのぬいぐるみを抱えて慎一を待っていた。

慎一は本気で私に怒っていたらしい。車を降りると、彼は一言も話さず、まっすぐ雲香を抱き上げて寝室へと消えていった。

私はというと、気楽なもので、さっさと自分の客間に戻ってシャワーを浴び、ネットで資料を漁り始めた。

調べてみると、青木さんは留置所を出た後、ネットで一連の発言を繰り返していたらしい。

自分の妻をどれだけ愛しているかを熱弁しつつ、最後にはこんなひと言を残していた。

「たとえ妻の弁護士が何を言ったとしても、俺は信じません。俺たちの関係は壊れていないし、絶対に離婚には同意しません」

新進気鋭のトップ俳優、その影響力はとんでもない。

早瀬さんは自分のファンが守ってくれるから、私の方が標的にされたのも無理はない。

数時間もしないうちに、「安井佳奈」という私の名前は、ただの名前じゃなくなった。写真付きで、私の過去から家族構成、履歴書の中身まで、徹底的に掘られた。

まあ、さすがに自分でも「よく調べられたな……」と感心するくらい、色々バレていた。

でも、私は顔も悪くないし、実力だって本物。経歴も申し分なく、家柄もそれなり。ネット民たちも叩く材料がなくて、「資本の庇護を受けて人間らしい苦労も愛情も知らない機械だ」くらいしか言えないみたい。

この案件自体は、別に難易度が高いわけじゃない。もうだいぶ長く別居してるし、私はただ裁判の日を待てばいい。

そろそろ寝ようかと思っていたら、ドアの外からノ
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