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第236話

Author: 三佐咲美
車窓の外には途切れることなく車が行き交い、穎子のため息は回を重ねるごとに重くなっていく。

「絶対にあのクソ男に頭を下げに行っちゃダメよ。本当にどうしようもなくなったら、何とかして夜之介に頼ってみるって手もある。佳奈、同じ門下生だったんでしょ?顔つなぎくらいはしてくれるって」

私は車窓から視線を戻して、穎子の顔に目をやった。「やめておいて」

穎子は何か言いたげに口を開きかけて、しばらく沈黙した後、ぽつりとつぶやいた。「夜之介が佳奈に親切なのは、全部康平の顔を立ててるだけって分かってる。でも、その康平だって全然頼りにならないじゃない!こんなに日が経っても一度も顔を見せないなんて!」

私は静かに言った。「もともと私と彼には何の関係もないよ」

康平の名前を出されて、私は少し心配になった。一ヶ月以上も音沙汰が無いなんて、家で行動を制限されているのかもしれない。

そして、その裏で糸を引いているのは……

「関係ないなんて!あの人、佳奈のこと好きなんでしょ?だったら何で何もしてこないのよ!」穎子は苛立ったように畳みかける。「それに元夫もさ、佳奈と付き合ってた時は、そんなに尽くしてなかったくせに、真思って女にはどんだけ甘やかしてんのよ!せめて半分でも佳奈に向けてくれてれば……」

「穎子!」私は彼女の言葉を遮って、静かに言った。「あの人が誰に優しくしようと、私にはもう全く関係ないよ。これからその名前も出さなくていい。康平だって、私と何の縁もないんだから。それに、私がこれから誰かと付き合うとしたら、それは私がその人を好きだから。相手が誰だろうと、何をくれるかなんて関係ない」

「はいはい、佳奈は純愛至上主義。でも私は、佳奈がまだ苦労し足りてないと思うよ。この世の中、白か黒かだけじゃない。権力や地位も男の魅力の一部なんだから」

「そうそう、そんなに割り切れるなら、とっとと恋でもしなさいよ!」

「……」

実を言うと、慎一のやり方は私にも通じなかったわけじゃない。安井グループだって、私が売り払わなければ、今でもまだ名ばかりの社長だった。女を甘やかすなんて、あの人にとっては指一本動かすくらいのことだった。

私は別に純愛に憧れてるわけじゃない。ただ、慎一という男と出会った後は、もう自分を犠牲にしてまで何かを手に入れたいなんて思えなくなっただけ。

純愛なんていうより、むしろ
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