LOGIN翌日、俺は出勤するとすぐに、桑山を社長室に呼び出した。 「例の件の進展はありましたか?」 「はい。天野恭吾と協力関係にある職員の身元が判明しました。名前は倉木慎二。40歳。10年前から天野恭吾の勤める法律事務所で、財務担当をしています。詳しくは、こちらの資料をご覧ください」 俺は桑山からファイルを受け取ると、一枚ずつ資料に目を通した。すると、そこには気になる記載があった。 「中学一年生の娘は、入院中」 「そのようです。倉木は男手ひとつで娘を育てています。その娘は、長期入院中です。治療費も莫大だと考えられます」 「だとすると、あの100万円は……」 「断定はできませんが、娘の治療費を盾に、倉木は天野恭吾に、加担させられている可能性も考えられます」 「憶測かどうかは、本人に会って直接確かめます。倉木が行きそうな場所は分かりますか?」 「毎日、18時に、娘の病室を訪れているようです」 「では、今日の18時に僕もお見舞いに伺うとしましょう。桑山さん、準備をお願いします」 「承知しました」 桑山が社長室を退出すると、俺は煙草を1本取り出し、火をつけた。そして、窓から外を見下ろしながら煙を吐いた。俺は、子供の頃から、恭吾の事が嫌いだった。恭吾は、俺のことを散々罵った。あの屈辱は、今でも忘れていない。だから、俺は恭吾がどうなろうが知ったこっちゃない。全ては身から出た錆。自業自得というやつだ。 トゥルルルルルル... 煙草を吸い終わった時、内線が鳴った。俺は、受話器を取った。 「はい、社長室です」 「お疲れ様です。天野社長。ただいま、天野社長のお兄様だと仰る方が受付にお越しなのですが、お通ししてもよろしいでしょうか」 恭吾が来たようだ。遅かれ早かれ、俺の前に来るとは思っていた。さて、どうやって、恭吾を追い詰め、揺さぶりをかけようか。考えると胸が高鳴った。 「はい、通してください」 「承知しました」 俺は内線を切った。そして、社長の椅子に座った。もうすぐ、恭吾が社長室の扉を勢いよく開ける頃だ。俺は心の中でカウントダウンを始めた。 「世那!!」 ほらやっぱり。恭吾は、俺の名を叫びながら、社長室へ入ってきた。 「兄貴、何か用?」 「分かってるだろ!麗奈だよ!」 「だから昨日、説明しただろ」
「痛っ」 私は痛みで目を覚ました。外はまだ真っ暗だ。しかし、隣に世那の姿は無かった。私はベッドから起き上がり、世那を探した。すると、リビングに明かりがついていた。そっとドアを開け、様子を伺うと、リビングの床に散らばった複数の書類を、真剣に凝視する世那が居た。 「世那、何してるの?」 私の声に、世那は驚いた様子で振り返った。 「麗奈さん、眠れないの?」 「傷が痛くて……」 「え!?今すぐ病院に行こう」 「大丈夫よ。休めば治るから。私の鞄に入ってる痛み止めを取ってくれる?」 「分かった。麗奈さんは座ってて」 世那は私を支え、ソファーに座らせた。 「薬と水だよ。他に欲しいものはない?」 「大丈夫。ありがとう。ただ、世那が寝るまでここに居てもいい?」 「いいよ」 世那は私をソファーに寝かせると、丁寧にブランケットを掛けた。そして、私から離れようとする世那の腕を掴んだ。 「世那、これは何?」 私は、床に散らばった書類に視線を向けながら尋ねた。すると、世那は観念したように重い口を開けた。 「麗奈さんには、確信をもってから伝えようと思ってたんだ。今日の兄貴の麗奈さんへの行動を見て、すぐにでも証拠を突き止めないといけないと思った」 「どういうこと?」 私は痛む身体を無理やり起こして、世那が話すのを待った。 「これが、ここ2ヶ月間の兄貴の行動と支払い記録。高級腕時計にブランドバッグ、それから、スイートルームへの宿泊、装飾品まで購入してる。あまりにも羽振りが良すぎるんだ。それで、更に調べたら、数ヶ月前から毎月、100万円をある人物の口座に振り込んでた」 「ちょっと待って。どこでこんな情報を?まさか、世那。危険なことしてないでしょうね?」 「してないよ。麗奈さんも知ってるでしょ?俺の秘書の桑山さん。彼は、元探偵なんだ。今は俺の右腕として、その手腕を発揮してくれてるよ」 「そうだったのね」 桑山とは、先日、世那の会社で初めて会った。物腰の柔らかい、人あたりの良さそうな男性だった。まさか、桑山にそんな過去があったとは、私は驚きを隠せなかった。 「調査を進めると、兄貴の振込先が、兄貴が勤める法律事務所の職員だということが分かった。だけど、俺が掴んだ情報はここまで。兄貴が会社の金を横領していると仮定すると、まだ証拠は不十分だ。これでは、兄貴を完全
世那は私にスーツのジャケットを羽織らせ、支えながら玄関へ向かった。しかし、その途中で母が私達の行く手を阻んだ。 「麗奈、どこへ行くの?」 「帰ります」 「そんなわがままが、許されると思ってるの?」 いつでもそうだ。母には私の言葉は届かない。今、こんなに心も身体も痛いのに、これ以上、傷を抉らないでほしい。私は俯いたまま、何も言わなかった。すると、私の代わりに世那が答えた。 「お義母さん、麗奈さんは気分が優れないようなので、お先に失礼します」 「ちょっと!待ちなさい!」 母は私の肩を掴んだ。 「麗奈、顔を上げなさい」 「嫌です」 「どうして、私の言うことが聞けないの!」 母は、右手を振りかぶった。私は痛みに備えて目を閉じた。 「いい加減にしろ!」 母を止めたのは、意外にも父だった。そして、父は私の元へ駆け寄り、私に手を伸ばした。しかし、咄嗟に、私はその手を拒んだ。 「どうして、あなたまで麗奈を庇うのですか?この子はもう……あなただって知ってるでしょ?」 「黙りなさい!私もお前も勘違いをしていたんだ。麗奈は何も悪くなかった。それなのに、私は、麗奈を信じず、取り返しのつかない事をしてしまった」 父は、自責の念に駆られながら私を見た。その目には涙が滲んでいた。今更、父に泣く資格などない。あの時、その優しさを、ほんの少しでも私に向けてくれていたら、未来は違ったかもしれない。 「もう終ったことです。あの時、私を信じなかった時点で、親子関係は破綻しました。今更、私は、父にも母にも何も求めていません。ただひとつ、私の人生に干渉しないでください。今度こそ、私は自分の人生を生きたいのです」 私は痛む身体に鞭を打ち、背筋を伸ばして、父と母に言い放った。それでも、母の私を見る目は、相変わらず冷ややかだった。 「麗奈、行きなさい。麗奈が望んでいなくとも、父さんはいつでも麗奈を助ける。どうか、忘れないでくれ。今まで本当にすまなかった」 父は私に深々と頭を下げ、謝罪をした。しかし、私は決して振り返りはしなかった。その代わり、私は世那の手を強く握った。これから先、私の隣を歩く人は、世那一人だけでいい。 「世那、行きましょう」 「うん」 すると、父が世那に声をかけた。 「世那くん、麗奈を頼む。どうか、幸せに」 「はい。必ず、麗奈さんを幸せにします」
コンコンコン 「麗奈さん。居る?着替え終わった?」 世那がドアをノックした。助けを呼ぶなら今だ。しかし、口を塞いでいるタオルが邪魔をして声が出せない。 「無駄な抵抗はやめろ。麗奈が叫んだところで外には聞こえないよ。さっき、ドアの鍵も閉めたしな」 恭吾が私の両腕を、痕が付くくらい強く掴んだ。それでも、私は恭吾を睨みつけ、必死で抵抗した。そうしている間に、外から呼びかけていた世那の声が聞こえなくなった。私がまだ着替えていると思い、パーティー会場に戻ってしまったのかもしれない。私は絶望に打ちひしがれた。 「さっきまでの威勢はどうした?やっと、俺と帰る気になったか?今まで通り、何も変わらないよ」 何も変わらない?そんな訳あるか。どこまでこの男は馬鹿なんだ。こんな男を愛していた自分が情けない。私は唇が切れる程、歯を食いしばった。 「本当に反省してるんだ。麗奈が去って気づいたよ」 反省した人が、元恋人を拘束して、痛めつけたりしない。私の前に居る男は、欲に支配された悪魔だ。私は恭吾の目を睨みつけた。その時だった。 バンッ! 「兄貴!麗奈さんから離れろ!」 ドアを蹴破った世那が、恭吾に殴りかかった。そして、恭吾に馬乗りになり、何発も彼の顔を殴った。私はその隙に、口からタオルを外し、起き上がった。 「世那、もうやめて」 「どうして、止めるんだ?」 「こんなクズの為に、世那の手を汚して欲しくないのよ」 私の言葉で、正気を取り戻した世那は、恭吾から離れた。そして、私の元に駆け寄った。 「麗奈さん、来るのが遅くなってごめん」 「いいの。助けてくれてありがとう」 「ね……顔怪我してる。まさか……!」 世那は、床でうずくまっている恭吾を見下ろした。 「世那、落ち着いて」 「落ち着ける訳ないよ。あいつにやられたの?」 「そう。抵抗したら殴られた」世那はしゃがんで、床に這いつくばっている恭吾と視線を合わせた。 「兄貴、元からクズなことは知ってたけど、ここまで落ちぶれたとはな。お前は、麗奈さんを散々利用した挙句、裏切った。だから、捨てられたんだよ。なのに、また、麗奈さんを手に入れようとしてるのか?身の程を知れ!だからね、兄貴。現実を見せてやるよ」 世那は立ち上がると、私の頬に手を添えた。 「世那?んん……////」 「世那!お前何してる!」
「恭吾、離して!!離してってば!!」「嫌だ!麗奈。心配したんだぞ。電話もメールも繋がらないし。こないだの事は謝る。俺が悪かった。だから、別れるなんて言わないでくれ。頼むから、俺の所に戻ってきてほしい」恭吾は、私を痛いくらい強く抱き締めたまま、ドラマの台詞のような言葉を、次から次へと吐き出した。全てが安っぽく聞こえて反吐がでる。私が何も知らないとでも思って、タカをくくっているのだろう。私は横目で世那の様子を伺った。すると、世那は両手で拳を握り、今にも恭吾に殴りかかりそうな形相をしていた。「兄貴、麗奈さんから離れろ。嫌がってるだろ」「世那、お前に俺と麗奈の事は関係ないだろ。黙ってろ」「それを言うなら、麗奈さんにフラれた兄貴も関係ないよな。もう一度言う。麗奈さんから離れろ」世那はドスの効いた声で、恭吾を威嚇し、睨みつけた。世那の気迫に負けた恭吾は、私を抱き締めている腕を離した。しかし、その拍子に私は、赤ワインを持った招待客とぶつかってしまった。あろうことか、世那がプレゼントしてくれたドレスに、赤ワインが零れた。私はショックと苛立ちを隠しきれなかった。 「世那、ごめんなさい。ドレスが……」「ドレスはクリーニングに出そう。気にしないで。それよりも怪我はない?」「私は大丈夫。部屋に予備のドレスがあるから、着替えてくるわ」「うん、分かった。一緒に行こうか?」「大丈夫。着替えたらすぐ戻るわ」 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄私は階段を駆け上がり、2階の自室に足を踏み入れた。久しぶりの自室は、以前と何も変わっていなかった。私は不覚にも懐かしさを覚えた。しかし、私には感傷に浸っている暇はない。私は、早速、クローゼットを開け、予備のドレスを探した。ガチャッドレスを探していると、物音が聞こえた。私は咄嗟に振り返った。「きょう……んん……」私は無断で部屋に入ってきた恭吾に、タオルで口を塞がれてしまった。そして、恭吾はそのまま私をベッドに押し倒し、馬乗りになった。「どうして逃げる?どうして嫌がる?麗奈。あんなにいい子だったじゃないか。これからも、俺の為に尽くしてくれよ」私は全力で首を横に振った。まさか、恭吾がここまでするとは予想外だった。自分の手を汚すなんて、恭吾らしくない。「まだ俺に逆らうのか。なぁ。麗奈。俺を見ろ。俺の事が好きだよな?な。そ
父の誕生日パーティー当日、私は世那にプレゼントしてもらったドレスを身に着け、寝室にある姿見鏡の前に立った。すると、私の背後にスーツ姿の世那がやってきた。そして、私の首にネックレスをかけた。「うん、似合ってる」「世那、このネックレスいつの間に?」「内緒」世那はサプライズが上手い。だから、私はいつも驚かされる。「そろそろ行こうか」「そうね」「麗奈さん、緊張してる?」今日、私は久しぶりに恭吾と顔を合わせる。緊張というより、恭吾に対して怒りが爆発しないか心配していた。「してないわ。世那がいるもの」私は世那の手を握り、家を出た。 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄「麗奈さん、行くよ」「ええ」私は世那と腕を組み、実家の門をくぐった。私の行動は、母親に対する反逆だ。予想通り、私と世那を見つけた母が、鬼の形相でこちらにやって来た。「麗奈、恭吾くんは?」「だから別れたって電話で話したでしょ」「馬鹿なこと言わないの!」母は私の頬を叩こうと、右手を振りかぶった。しかし、それを世那が阻止した。「お義母さま、今日は祝いの場です。そういうことはやめましょうよ」「世那くんこそ、お兄さんの婚約者とこんなことをしていいの?」「はい。麗奈さんと、兄貴はもう何の関係もありませんので。僕が、麗奈さんと親しくしていても、問題ないはずです」「だけど……」母はまんまと世那に言いくるめられ、言葉を詰まらせた。そこに、騒ぎを聞きつけた父がやって来た。「おお!世那くん。来てくれたのか。ありがとう。麗奈もいらっしゃい。二人ともゆっくりしてってくれ」「あなた、麗奈は恭吾くんと……」「お前も知ってるだろ?彼のした事を。麗奈が望まないなら、婚約も無理強いすることはできん」私は父の言葉に驚きを隠せなかった。父が私の肩を持つなんて、信じられない。水無瀬に嫌がらせをされた時、私の話を一切信じず、事件を揉み消した張本人なのに。「世那、父は何か企んでるのかしら」「どうして?」「だって、さっき、母の前で私の肩を持ったじゃない。ありえないもの」「それはね、お義父さんは後悔してるんだ。あの時、麗奈さんのことを信じなかったことを」「どういうこと……?」「水無瀬の事件の真相を、証拠と共に麗奈さんのお義父さんに話したんだ。そしたら、泣き崩れてたよ。麗奈さんに悪いことをしたって