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第5話

Author: 蕎竹
聖司は手にしていたジュースを飲み干し、私を支えて車に乗せた。

頭が少しぼんやりする。

走行中、突然の急ブレーキで私は体が揺れ、思わず目を見開く。目の前には黒いSUVが道をふさぐように停まっている。

私は一目で、それが拓哉の車だと分かった。

窓越しに見えた助手席には、玲奈が座っている。

拓哉が車を降り、数歩で近づいてドアを叩いた。

聖司はただ、窓をわずかに下ろした。

サングラス越しの視線が、拓哉の目と鋭くぶつかり合う。

「うちの妻に何か用でも?」

拓哉は聖司を一瞥し、片手を窓枠にかけて軽く笑った。

「詩帆、いい役者を見つけたな。芝居がずいぶん細かい。

式をあそこまで引っ張るのも、手間がかかったろ?」

私は口元がひきつった。

婚姻届の受理証明書を手元に持っていれば、あいつの顔に叩きつけてやれたのに。

だが、拓哉に対しては、もはや自分を証明しようとする気力すら残っていなかった。

「どいて」

私は冷たく一言吐き捨てた。

拓哉の表情がわずかに揺らいだが、すぐに元に戻る。

「玲奈が上着を持ってきていない。外は寒い。お前のを渡せ」

玲奈の視線が一瞬こちらに向いたか、すぐにそっけなく顔をそむけた。

私はあきれて言う。

「拓哉、そこまでみじめになったの?」

こんなことは、彼のいつものやり口だ。

私が嫉妬して苦しむ様子を見るのが好きで、本気で怒ったときになると、軽く甘い言葉を投げてなだめる。

そのたびに私は感情をかき乱されてしまう。

それでも心のどこかで、自分だけは彼にとって特別なのだと、わずかな望みにすがり続けていた。

けれど、今の私はただ黙って後部座席から上着を取り上げ、そのまま拓哉に投げつけた。

「いいわ、それならあげる」

それは大学の頃、彼と一緒に買ったお揃いのものだった。もう手放すときだろう。

彼はすぐにそれと分かり、呆然としたように固まった。

声に怒気が混じている。

「詩帆、もういいだろ。これ以上はやめろ」

聖司はアクセルを踏み込むと、車は弧を描いて走り、あのSUVの車を抜き去った。

ほどなく車が止まった。着いたのは聖司の家ではない。

高級ブティックだ。

彼は助手席に座る私のためにドアを引き、口を開く。

「行こう」

「え、今日?服は別に足りてるけど」

聖司は平然と話題をずらす。

「そうか。でも僕は足りないんだ。

特に、お揃いのものがな」

彼は大股で店の中へ入っていき、私はしばらくその場に立ち尽くした。

聖司は、どうしてあれがお揃いだと知っていたの?
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