Masuk撮影した人はかなり離れた場所から撮っていたようで、映像の中の二人の背中はぼやけていた。けれど、まるで「この女は星乃だ」と主張するかのように、動画の中では彼女の指につけられたダイヤの指輪と、首元のネックレスがわざわざ拡大され、細部まで注釈付きで映し出されていた。そのダイヤの指輪は、今も彼女の指にある。ネックレスも変わっていない。少し見ただけで、それが彼女だとわかる。男はカメラに背を向けていたが、よく見れば悠真ではないことも明らかだった。会場の空気が一瞬で凍りつく。ざわざわと、小さなささやき声があちこちで漏れた。「これ、星乃だよね?ほかの男と……信じられない」「ってことは、悠真さんを裏切ったってこと?これは離婚になるだろ」「いや、わからないよ。お互い自由にやってるだけかもしれないし。そうなると、離婚してるのと同じようなもんでしょ」「自由でも、もう少し気をつけるべきよ。今みたいに証拠を掴まれたら、自分の恥どころか冬川家の名誉にも関わる。いくら登世様が庇っても、もう見逃してはもらえないわね」「ほんと、なんて愚かなんだか……」「……」悠真は周囲の声を聞きながら、画面の中で男に抱き寄せられている星乃を見つめた。怒りが一気にこみ上げる。彼は視線を上げ、星乃を見た。星乃はただ、スクリーンの映像をじっと見つめていた。撮られたことに驚いている様子はない。陰で自分を狙う視線はいつだって多かった。離婚を望んでいる人間も、数えきれないほどいる。だから、彼女は最初から覚悟していた。あのとき、彼女が大勢の前で律人に応えた瞬間から、撮られる覚悟はできていた。だから心は特に揺れなかった。ただ、映像の中の自分を見て、思わず息をのんだ。背筋をまっすぐに伸ばし、冷ややかで、どこまでも自信に満ちたその姿。一か月前、空港でガラス越しに見た自分とは、まるで別人のようだった。生まれ変わったみたいに。悠真は、ただ茫然と写真を見つめている彼女を見て、突然の出来事に混乱しているのだと思った。こみ上げた怒りをどうにか押し殺し、心の中でつぶやいた。――今回だけは、助けてやる。悠真はそう心の中でつぶやいた。彼はボディーガードを呼び寄せた。すぐに動画を削除するよう指示を出すと、前に出て言った。「この動画は偽物だ。
場の空気が一瞬で静まり返り、皆が登世に向ける視線には自然と敬意が宿っていた。冬川家が瑞原市で立ち上がってからまだ日が浅いというのに、今ではすでにこの街で一番の地位を築いている。それは、雅信と悠真の実力が抜きん出ているのもあるが、何より登世が家の基盤をしっかりと固めてきたからだ。だからこそ、七十歳を迎えた今もなお、彼女が冬川家の最大株主であり続けることに、誰一人として異を唱える者はいない。ただ今日は、特別な知らせがなかったにもかかわらず、全員がわかっていた。登世の誕生日祝いが一つの目的で、もう一つは、彼女がその持ち株を譲渡する日だということを。会場の視線が、次第に悠真へと集まっていく。その目には複雑な感情が入り混じっていた。不安、恐れ、驚き、そして媚び。悠真はまだ本気を出していないのに、すでに瑞原市では圧倒的な影響力を持っている。もし登世から株を正式に譲り受けることになれば――そのとき、誰も彼に逆らおうとは思わないだろう。今ここで彼の機嫌を損ねるなんて、自殺行為も同然だった。そう思えば思うほど、さっきまで悠真に逆らおうとしていた星乃に、みな心の中でそっと同情した。中には忠誠を示すため、星乃がこっそり名刺を渡したことをすぐに悠真へ報告する者までいた。さらに、彼女がその名刺を破り捨てた映像を送りつけ、自分は絶対にUMEとは組まないと付け加えて。悠真はその破れた名刺に刻まれた「篠宮星乃」という名前とUMEのロゴを見て、鼻で冷たく笑った。――蟻が大木を揺らそうとするようなものだ。UMEがどれほど将来性を持っていようと、冬川グループが本気を出せば長くはもたない。悠真はちらりと見ただけで、興味を失ってスマホを閉じようとした。ちょうどそのとき、スマホがまた震える。通知を開くと、業界でよく使われている匿名掲示板アプリの投稿通知だった。内容は――賭けだ。1か月前、すでに誰かが賭けを始めており、その内容は彼の「結婚の行方」に関するものだった。こういう妙な賭けは珍しくない。最初はバカバカしくて無視していた。だが覗いてみると、参加者は思った以上に多く、大半が「離婚」に賭けていた。その倍率、九対一。圧倒的な差だった。こんなにも多くの人が自分の離婚を望んでいるのか――そう思うと、さすがの悠
星乃は、壇上で悠真と結衣が見せる動きを、嫌でも目に入れてしまった。それでも気にするそぶりを見せず、人混みの中を行き来しながら、手にした名刺を配っていた。UMEの知能ロボットの性能の高さや、今後の協業による利益の見込みを丁寧に説明して回る。中には、心の中で彼女を見下していながらも、表面上は興味深そうに振る舞い、名刺を受け取ってから、そのまま横の秘書に渡す人もいた。さらに、演技すらしようとせず、目の前で名刺を破ってゴミ箱に放り込む人さえいた。また、彼女に声をかけられても気づかないふりをして、わざと距離を取る者も。星乃はわかっていた。彼らのその行動は、冬川グループに忠誠を示すためのものだ。UMEが少しずつ知名度を上げてきたとはいえ、瑞原市での冬川グループの地位は揺るがない。今の状況では、たとえUMEの技術力や評判が冬川グループを上回っても、彼らは敵に回す勇気がないのだ。けれど、名刺を受け取らせることができただけでも、第一歩は踏み出せた。UMEが瑞原市で発言力を持つようになれば、彼らも態度を変えるだろう。星乃は一通り配り終えると、名刺入れを閉じた。喉がからからだった。水を頼もうとスタッフを探したその時、背後から勢いよく押され、思わずよろめく。振り返ると、そこには嘲るように笑う美優の姿があった。さっき、篠宮家の人たちを見かけていたが、星乃は面倒を避けたくて声をかけなかった。まさか向こうから絡んでくるとは。美優は鼻で笑った。「私だったら、こんなところに来て恥をさらしたりしないわ。だって、自分の夫が他の女と仲良くしてるのを見せつけられるなんて、つらくない?」そう言いながら、壇上の二人を顎で示す。星乃は穏やかに微笑んだ。「私だったら、そんなみっともないこと言わないわ。だって、うちの夫が他の女と仲良くしてたとしても、少なくとも私は一度手に入れた。でも、どこかの誰かみたいに、取れないからって妬むのは、みっともないわ」「なっ……!」美優の顔がみるみる青ざめ、次いで怒りに染まった。しかし、すぐに表情を抑え込む。今日は言い合いに来たわけじゃない。最近の星乃は、まるで人が変わったように強気で、執拗に攻めてくる。自分では太刀打ちできない。だが、代わりにやってくれる人がいる。「お父さんが呼んでるわ。
星乃は少しぼんやりしていて、悠真が何を話したのかも、壇上で何が起きたのかもよくわかっていなかった。けれど、周りの人たちが一斉に拍手をして、しかも自分のほうを見ているのに気づく。理由も分からず、とりあえず笑顔を作って、形だけの拍手を返した。壇上の悠真は、その無関心そうな表情を見て、こめかみの血管がぴくりと動く。さっき、彼がスピーチしていたとき、結衣が不意に彼の頬にキスをした。その瞬間、場内がざわめき、拍手と歓声が湧き起こったのだ。なのに、星乃までが一緒になって拍手をしている。その無反応と茶化すような態度は、怒って食ってかかってくるよりも、よほど彼を苛立たせた。星乃は悠真の胸中など知る由もない。ただ、冷ややかな視線をこちらに向けられても、どこで機嫌を損ねたのか見当もつかなかった。昔なら、彼女はすぐに自分を責め、原因を探しただろう。けれど今はもう、気に留めることもなかった。悠真と結衣のスピーチが終わると、寿宴はダンスの時間へと移った。主催者である悠真と彼のパートナー・結衣が先導して踊り、そのあとに他の人たちが続く形だ。招待された男女が自由にペアを組み、誰でも参加できる。星乃はその隙を見て、名刺を指先で軽くつまみながら人混みの中へと紛れた。照明は少し落とされ、豪華なシャンデリアから柔らかく灯りが落ちる。ゆったりとした空気に、どこか甘い熱が混じる。ステージの上では、悠真が結衣の手を紳士的に取り、子どものころから慣れ親しんだワルツを踊っていた。結衣は片手を彼の肩に、もう一方の手を彼の掌に重ねている。微笑みながら軽やかに舞う姿は、それは蝶の如く、どんな難しいステップでも軽々とこなしてしまう。――星乃とは違って。星乃は基本的な動きしか知らなかった。悠真の頭に、初めて星乃をパーティーに連れて行ったときのことが浮かんだ。本当なら、彼女が覚えたステップだけでも十分通用するはずだった。だが当時、結婚のことで苛立っていた彼は、わざと難しい動きを要求した。星乃が焦って足をもつれさせ、顔を真っ赤にしていたのを何度も見た。一度、混乱のあまり自分の足を踏んで転んでしまったこともある。そのとき、会場中の視線が彼女に向かった。それでも星乃はドレスを整え、再び彼の手を取って最後まで踊りきった。その夜、帰
このところ、UMEのロボットはかなり好評で、注目度もほぼ冬川グループと肩を並べるほどだった。けれど、冬川グループは資金力も規模も桁違いで、その勢いにあっという間でUMEの話題はかき消されてしまった。星乃は宣伝に大金を投じるのをためらい、自分の手で広告を打ち、提携先を探すつもりでいた。今回、登世の寿宴には、瑞原市の名だたる一族や企業家、政界の要人、それに学校や病院など公共機関の関係者までもが顔をそろえていた。これ以上ないほどのビジネスチャンスだった。一度悠真と離婚してしまえば、こんなふうに多くの人脈と出会える機会は二度とない。「本当にやるつもり?」遥生は壇上の悠真に目を向けて言った。「こんなことしたら、悠真を怒らせるかもしれないよ」「怒らせるようなことなんて、もう山ほどしてきたわ。今さら一つ増えたところで変わらない」星乃は淡々と答えた。「そもそも、商売の世界なんて弱肉強食でしょ。大企業が小さな会社を飲み込み、小さな会社は生き延びるために必死でチャンスをつかむ。悠真ほどの人が、そんな単純な理屈もわからないはずがない」そもそも怒らせなくたって、悠真がUMEに手を抜くとは思えない。星乃の中には、もう感情への未練など一片もなく、ただ未来への渇望と、手にできる限りのチャンスを掴もうとする強い意志だけだった。遥生はしばらく黙り、これが良いことなのか悪いことなのか、判断がつかなかった。「遥生」背後から低くよく通る声がした。二人が同時に振り返ると、そこに立っていたのはえんじ色のスーツを着た中年の男だった。厳めしい顔つきで、無言のままでも人を圧する気配がある。星乃はすぐにその人を思い出した。水野家の当主であり、遥生と沙耶の父・水野崇志(みずの たかし)だ。彼の正妻、つまり遥生と沙耶の母が亡くなったあと、崇志は六度も再婚していた。離婚した相手もいれば、病で亡くなった人もいる。そして、どの妻との間にも子どもがいるが、彼は誰もが納得する形で、家族全員をまとめ上げていた。家の中で揉め事が起こったことは一度もなく、外ではたった一人で水野家を支え、内では見事に家を守ってきた。星乃は子どもの頃から、そんな崇志を尊敬していた。――あの出来事までは。数年前、崇志は水野家の利益のために、沙耶と圭吾の政略結婚を強引に決め
周囲の視線が、一斉に星乃へと注がれた。驚き、動揺、そして羨望……星乃は、全身に刺さるような無数の視線を感じ取った。一瞬だけ動きを止めたが、考える間もなく、悠真の低く落ち着いた声が、ふたりだけに聞こえるような小さな音量で届いた。「終わったら、控室で待っていろ」その言葉に返事をする間もなく、悠真はもう背を向け、結衣のいる方へと歩き出していた。人々の注目を集めながら、恥じらいを浮かべる結衣の手を取って、会場の中央の円形ステージへと進む。その光景に、周囲の人々の顔には「やっぱりね」と言わんばかりの表情が広がり、ざわざわと囁き声が飛び交った。ときおり悠真と結衣の方を見ては、また星乃に視線を戻した。「最初から悠真はこの結婚に反対してたし、毎年のように結衣を探してたんでしょ。結衣が戻ってきたなら、そりゃ彼女を選ぶに決まってるわ」「でもさ、さっき星乃のところに行ったのはなんで?」「まずは恥をかかせたんじゃない?自分の『本命』が五年間も外で苦労してたのは、あの人のせいなんだから」「かわいそうに」「どこが?あの結婚だって、もともと他人の婚約を壊して手に入れたものでしょ。自業自得よ」「……」星乃はそんな聞き慣れた皮肉の声を無視して、手元のデザートを口に運んだ。人間だから、もちろん何も感じないわけではない。胸の奥に小さな痛みはあった。昔は、こういう言葉を聞くたびに立ち直るのに時間がかかった。けれど、何度も経験してきたせいか、それとももう気にしなくなったのか。一口デザートを食べ終える頃には、気持ちはすっかり落ち着いていた。周囲の人たちは、誰もが「修羅場」を期待していた。夫に裏切られた妻が、怒りや悲しみで取り乱す姿を見たい――そんな好奇心で息を潜めていた。だが、一分経っても星乃は黙々と食べ続けている。その姿に、「強がってるだけじゃないか」と思いながら、さらにもう一分見守る。星乃はデザートを食べ終え、ようやく立ち上がった。「始まるぞ……!」誰かが小声で囁いた瞬間、周囲の空気がぴんと張り詰めた。視線が一斉に星乃へと注がれる。隣の人を肘で突き、見逃すなと促す者もいる。そのとき、悠真もまたざわめきを耳にして、思わず顔を向けた。星乃がこちらに向かって歩いてくるのが見えて、眉をひそめた――まさか騒ぎを起