Share

第26話

Author: 藤崎 美咲
誠司に断られるのを恐れて、秘書は両手を合わせるようにして懇願した。「お願いします、どうか!」

誠司は苦笑して軽くうなずいた。「私が届けるよ。あなたはもう戻っていいから」

その言葉を聞くなり、秘書はまるで恩赦を受けたかのように、パタパタとハイヒールの音を響かせて小走りにその場を後にした。

誠司は小さくため息をついて首を振り、オフィスの前まで戻った。だが、ノックしようとした手がふと止まる。

――そういえば、少し前に悠真から、篠宮家のことはすべて自分が判断するようにと指示を受けたばかりだった。

しばらく考えた末に、余計な火種は避けるべきだと判断した誠司は、ノックをやめ、そのまま踵を返した。

……

篠宮家。

「本当か?冬川家が本当に投資を?」

正隆はソファから勢いよく立ち上がった。電話の向こうから、プロジェクトへの出資が決定したという知らせが入ったばかりだった。

「ありがとうございます!どうか悠真さんにもよろしくお伝えください。今回のプロジェクト、絶対に成功させてみせます。二度と彼を失望させるようなことはしません!」

何度も礼を言い、相手が電話を切るのを待ってから、ようやく満足げにスマホをテーブルに置いた。

そのとき、階段を降りてくるパジャマ姿の綾子に気づいた正隆は、駆け寄ると彼女を抱き上げた。彼女の悲鳴も構わず、そのまま腰を抱いて、彼女を何度もくるくると回した。

「やったぞ、綾子!うまくいった!」

「ほんと、君って賢いな。なんで俺の妻がこんなに頭の切れる人なんだろうなあ!」

正隆は心から嬉しそうだった。

これまでは、悠真の祖母の計らいでようやく資金を得ていた篠宮家。

だが今回は悠真が自らの判断で出資を決めてくれたのだ。

綾子の言ったとおりだった――篠宮家のために、星乃に頼ってばかりでは先がない。

やはり、自分たちの力をつけなければ、未来は切り拓けない。

浮かれ気分の正隆をよけて、綾子はパジャマの裾を整えながら、何事もなかったかのように落ち着いた表情をしていた。

正隆は不思議そうに尋ねた。「綾子、お前がこんな策を思いつくなんて驚いたよ。いつもはビジネスのことなんて全然興味なさそうなのに……見事に的を射てたな。ほんと、侮れない」

正隆の言葉に、綾子は少し誇らしげに微笑んだ。

実のところ、ネットで偶然見かけたやり方を真似しただけだっ
Continue to read this book for free
Scan code to download App
Locked Chapter

Latest chapter

  • 彼女しか救わなかったから、子どもが死んでも泣かないで   第328話

    けれど、悠真に「星乃と縁を切れ」と命じる勇気もなければ、彼のやったことを正面から否定することもできなかった。少し考えてから、怜司は探るように言った。「悠真、最近、涼真の件でトラブルがあったって聞いたけど……」悠真は短く「うん」とだけ返した。それ以上話す気配がないのを見て、怜司はさらに言葉を続けた。「なんか、悠真がやったって言う人までいるんだよ。ね、笑っちゃうよね?でも、そういう噂って広まると本気にする人も出てくるし……俺が否定しておこうか?」「いい」悠真の声は静かだった。「俺がやった」怜司の心臓が一瞬止まりそうになった。ここに来るまでは、誰かが悠真を陥れようとしているんじゃないかと思っていた。結衣に誤解されたのもそのせいだと思っていた。何より、怜司の知る悠真は、感情で動くような人間じゃなかった。でも、今こうして本人の口から聞かされた瞬間、胸の奥がズドンと沈んだ。「どうして……?まさか、あのグループチャットでの一言が原因じゃないんだよね?」悠真は視線を上げ、けれど何も言わなかった。怜司にはわかっていた。何も否定しないということは、つまり、肯定だ。頭が真っ白になる。「そんな、悠真……たかが一言だよ。それに、あれは星乃のことを言っただけで、結衣のことじゃない。もう星乃とは離婚してるのに、なんでそこまで庇う必要があるの?」怜司は言葉を重ねた。「涼真の家は確かに冬川家ほどの力はないけど、それでも瑞原市では名の通った家だ よ。そんなことして、もし怒りを買ったらどうするんだよ?」悠真は少し考え、そしてうなずいた。「そうだな」そう言ってスマホを取り出し、誠司に電話をかけた。怜司はほっとした。やっと冷静になったんだと思った。しかし電話がつながると、悠真は淡々と告げた。「神崎家を、二週間以内に瑞原市から追い出せ」怜司「……え?」いや、ちょっと待って。そういう意味じゃないでしょう!?怜司が言葉を発する前に、電話口の誠司が戸惑いながら声を出した。「社長、それは……」「できないのか?」悠真の声が一段低くなった。「い、いえ、できないわけじゃ……ただ……」誠司は困ったように言葉を濁す。「最近、冬川グループはいろんなところと対立してますし、神崎家もこの街ではそれなりの影響力があります。もしも何かあっ

  • 彼女しか救わなかったから、子どもが死んでも泣かないで   第327話

    星乃は律人の綺麗な瞳をまっすぐ見つめ、その奥に潜む熱をはっきりと感じ取った。一瞬ためらってから、そっと唇を吊り上げる。指先で彼のネクタイを軽く引き、少しだけ力を込めた。律人はその動きに合わせて身をかがめ、両手を彼女の背後の机につく。二人の距離はほとんどゼロ。律人の鼻先には、星乃の肌から漂うさっぱりとしたボディソープの香りがふわりと広がった。「問題ないわ」星乃は笑みを浮かべて言った。律人は、日に焼けて少し赤くなったものの、相変わらず整ったその顔立ちと、長くカールしたまつげが揺れる様子を見つめ、呼吸が少し乱れる。心臓の鼓動が、一瞬、理由もなく乱れた。「そんなにあっさり?僕が求める『報酬』、君に払えるかもしれないのに、怖くない?」律人の声が少しかすれる。星乃はまた笑って首を振った。「怖くないわ」「だって、私が心から愛してる彼氏も、同じように私を愛してる。だから、私を困らせたりしないって信じてるの」律人は低く笑った。「……ああ、困らせたりしないさ」そう言うと、彼は顔を近づけ、唇を重ねた。同時に彼女の膝裏に手を回し、そのまま抱き上げて大股で歩き出す。車に乗り込み、去っていく二人は気づかなかった。少し離れた場所に停まった車の中で、赤いランプが点滅し、レンズが静かに光っていることに。冬川家の邸宅。悠真は、ボディーガードから送られてきた写真を見つめていた。星乃と律人が手をつなぎ、笑い合いながら車に乗り込む姿。もともと冷えきっていたその眼差しが、さらに氷のように冷たくなる。胸の奥が、重く沈んだ。息が荒くなり、苛立ちがこみ上げてくる。【悠真様、まだ追跡を続けますか?】ボディーガードからのメッセージが届いた。悠真はすぐには返さなかった。窓の外、真っ黒な夜空を見つめる。その目は、まるで夜の闇そのもののように深い。これまで、彼はずっと信じていなかった。律人と星乃が愛情で結ばれているなんて。何かの取引か、裏があるはずだと。けれど、今見ている光景は……そうではないらしい。本当は、自分でもわかっていた。たとえ二人の関係が打算であっても、もう自分には引き返す道はない。ここまで来て、結衣を裏切って婚約をやめ、結衣を笑い者にするような真似はできない。別れはもう決まったこと。祝福するべきなのだ。

  • 彼女しか救わなかったから、子どもが死んでも泣かないで   第326話

    星乃は彼の性格をよく分かっていた。「帰らない」と言ったら、本当に最後まで動かないタイプだ。それ以上は何も言わず、彼女はスマホを取り出して十分後にアラームをセットしようとしたが、律人がそのスマホを取ってしまった。「十分後に起こすよ」「安心して寝てて」星乃は取り返そうともしなかった。「絶対に起こしてね」と念を押すと、律人は軽くうなずいた。星乃は腕を組み合わせて枕代わりにし、机に横向きで顔を乗せた。そして目を閉じた瞬間、意識がふっと遠のいて、そのまま眠りに落ちた。どれくらい経っただろう。律人が自分の名前を呼ぶ声で、星乃はぼんやりと目を覚ました。まるで何世紀も眠っていたような気分だった。ハッとして報告書のことを思い出し、慌てて体を起こす。そのとき、律人はちょうど最後のキーを叩いて、ノートパソコンを彼女の前に押し出した。「大まかなデータは、君のメモをもとに仕上げた。細かい部分は自分で埋めて」星乃は一瞬、呆然とした。画面を覗くと、そこにはすでに完成度の高い報告書が並んでいる。ざっと目を通しただけでも、構成もデータの分析も、自分のよりずっと細かいだった。「これ……」星乃は驚いたように彼を見た。律人は落ち着いた様子で、その視線を受け止める。彼女が何を思っているか察して、少し笑った。「難しくなかったよ。ここ最近ずっと君の分析を聞いて、メモも読んでたから、自然と覚えたんだ」星乃は感心と驚きの入り混じった表情で彼を見つめた。律人はそんな彼女の視線を受けながら、何気なくペットボトルの水を開けて喉を鳴らした。「律人、UMEに来てよ!」星乃がぱっと顔を輝かせて言った。その瞬間、律人は飲んでいた水を吹き出しそうになった。「……今なんて?」冗談だろうと思って聞き返す。だが星乃は真顔だった。「どうせ白石家の仕事はそんなに忙しくないんでしょ?UMEに来てよ、掛け持ちでもいいから。技術顧問でも何でも。安心して、ちゃんと給料は出すから。市場価格より高くするし」律人がいれば、仕事の進みももっとスムーズになる、と星乃は本気でそう思っていた。「……」律人は呆れたように息をついた。せっかく彼女を気遣って手伝ったのに、感謝でもなく、まず出てきたのが「スカウト」ってどういうことだ。可笑しさと呆れが入り混

  • 彼女しか救わなかったから、子どもが死んでも泣かないで   第325話

    悠真と結衣の婚約の日が、少しずつ近づいていた。登世もほどなくして本宅へ戻され、静養することになった。星乃は余計な噂を立てられたくもなかったし、ふたりに会いたくもなかったので、登世とのやり取りも減り、今では時々メッセージで様子を伺う程度だった。結衣のことを調べるうちに、星乃は彼女が海外にいた頃のいくつかの不審な点を見つけた。それをきっかけに、結衣の海外での動きを詳しく調べるよう、人を探して手配することにした。そうしていくつものことが重なり、星乃の自由な時間はますます減っていった。睡眠時間さえ削られるようになったほどだ。その日、彼女は郊外の工場地帯から戻ってきて、会社でその日の報告書をまとめようとしていた。パソコンを開いた途端、猛烈な眠気が押し寄せてくる。顔を洗いに行き、階下でコーヒーを買って戻ってきたが、デスクに戻ると、いつの間にか律人が彼女の隣の席に座っていた。「え、どうした?もう来てたの?」星乃が首をかしげる。あらかじめ律人には、しばらく忙しくなると伝えてあった。だから彼が迎えに来るのは、いつもかなり遅い時間だった。時計を見ると、まだ十時前。今日はずいぶん早い。律人は、眠気と戦う星乃の顔を見て、少し青ざめた彼女の頬に目をやり、それから手にしたコーヒーへと視線を落とした。大体の事情を察したらしい。ここしばらく、彼女は目が回るほど忙しかった。送っていく途中で寝落ちすることも何度もあった。口では何も言わないが、律人には彼女がどれほど疲れているか分かっていた。「眠いなら、少し休んだ方がいいよ。人間は機械じゃない。無理に起きてたら身体壊すよ」そう言って律人は、彼女の手からコーヒーを取り上げ、やわらかく笑った。「今日は早めに帰って休もう。報告書は明日でいいだろ?」星乃は首を振る。「だめ。今日中に仕上げなきゃ。明日にはラインの組み立てが始まるの。実現性の検討は今夜中に終わらせないと、明日の工程が全部ずれる」もともと時間がギリギリなのだ。一日でも遅らせれば、その分現場の作業も一日遅れる。費用も余計にかかるし、生産が止まれば売上にも響く。星乃の声には、迷いがなかった。律人は、頑なな彼女の表情を見て、何を気にしているのかを理解した。それ以上は言わず、ポケットから小さな鏡を取り出

  • 彼女しか救わなかったから、子どもが死んでも泣かないで   第324話

    「いいの、いいの」彩花はすぐに手を振った。「そんなに高くないし、クーポンもあるの。ネットで買うとすっごく安いんだよ。だから、遠慮せず食べてね。もう一時だよ。遅いし、私たちもそろそろ寝ようか」そう言って、彩花は遥香の手を取って早足で星乃の寝室を出ていった。ドアを閉めると同時に、彩花は胸を押さえながらほっと息をついた。「危なかった、あたし機転が利いてほんとよかった。もう少しでバレるところだった」「もうバレてるよ」遥香があきれたように言う。「えっ?」彩花は目を丸くした。「さっきあなたが持ってったお菓子と果物、ネットにそんな店ないし、クーポンも割引もないやつだよ」「それにね……」遥香が顔を近づけて、すんっと鼻を鳴らした。「さっき律人さんにちょっと近づきすぎたでしょ?香水の匂い、しっかりついてる」「……」彩花は言葉を失った。「それともう一つ」遥香は続ける。「前にも星乃の前で律人さんの名前が出たことあったよね。ほんの数回だけど、聞いたことあるはず」「さっきのあんたの演技、ちょっとオーバーすぎたの」「……」彩花は唇を尖らせた。ドラマではいつもあんな感じだったのに。「じゃあ、どうすればいいの?」「星乃が何も言わないなら、知らないふりしておけばいい」遥香は肩をすくめた。これまでだって彼女はできるだけ口を開かず、慎重に動いてきた。なるべく自然に見えるように。でも最近になって、星乃がすでに何かを察しているんじゃないか、と思い始めていた。だって、普通のシェアハウスに住んでる人が、彩花みたいに二十万円以上のバッグを持ち歩いたり、毎日タクシー通勤して、三食きっちり栄養バランスの取れた食事なんてしない。星乃が疑うのも当然だった。彩花は毎回うまく言い訳をしてごまかしていたけど。最初はバレるのが怖かった。でも考えてみたら、律人が彩花を選んだ時点で、星乃に完全に隠すつもりなんてなかったのかもしれない。きっと、二人のちょっとした遊びなのだろう。どうせお金はもらってる。演技の続きに付き合うだけなら、それで十分。そんな遥香の落ち着いた様子につられて、彩花の心も次第に落ち着いていった。――もしかして、遥香が嘘をついてるのかも?星乃がそんな細かいところまで気づくはずない。もし本当にバレてるなら、とっくに指摘し

  • 彼女しか救わなかったから、子どもが死んでも泣かないで   第323話

    別荘の中で、星乃は布団にくるまったままベッドに座り、くしゅん、と大きなくしゃみをした。ちょうどその時、ドアの外で彩花と遥香がドアを開けて入ってきた。遥香の手には、湯気の立つスープの碗。「星乃、とりあえずこれ飲んで。飲んで汗をかけば、すぐ治るから」彩花もそばに来て、星乃の額に手を当てた。「うん、熱はないみたい。単なる風邪ね、よかった」そう言って、彼女は星乃の掛け布団をもう一度しっかりと包み直してあげた。星乃は胸の奥までじんわりと温かさが広がっていくのを感じた。体だけじゃなく、心の中まで。律人とクルーズから帰ってきた夜、冷たい風にあたったせいで風邪をひいてしまった。最初は我慢して、翌日に薬を買いに行こうと思っていた。けれど、遥香がすぐに顔色の悪さに気づき、風邪だとわかると夜中に薬を取りに降りてきてくれた。彩花は湯たんぽを用意して、お腹を温めてくれ、遥香はカイロを貼ってくれた。咳がひどくても、嫌な顔ひとつせず、むしろ生姜湯まで作ってくれた。久しぶりに感じる、誰かに世話を焼かれる温もり。こんなに優しくされるのは久しぶりだった。悠真は自分を気にかけることなどほとんどなかった。彼に迷惑をかけたくなくて、病気でも黙って我慢する。どうしても辛いとき、ようやく言葉をこぼしても、悠真はただ一瞥をくれるだけで、「病院へ行け」と冷たく言うだけだった。彼の冷たさを感じてからは、なるべく手を煩わせないようにしてきた。できることは自分で。病気も、自分で病院に行けばいい。昔は沙耶が気にかけてくれたけど、それももう遠い話。今では友達もいなくて、「友達」ってどんな存在だったのかすら思い出せない。星乃が動かないのを見て、遥香はためらっているのかと思い、声をかけた。「生姜湯、ちょっとピリッとするけどね。体が温まるから、早く治るよ」彩花も続けた。「飴を用意してるの。鼻つまんで一気に飲んで、すぐ飴食べたら苦くも辛くもないから。私もそうしてたんだ」そう言って、彩花はポケットから小さなソフトキャンディを取り出して渡した。星乃はふたりの優しい視線を見つめ、何も言わずにスープを口に運んだ。彩花がタイミングよく飴を彼女の口に入れる。「どう?甘いでしょ?」星乃は小さくうなずいた。「うん……甘い」彩花は満足そうに

More Chapters
Explore and read good novels for free
Free access to a vast number of good novels on GoodNovel app. Download the books you like and read anywhere & anytime.
Read books for free on the app
SCAN CODE TO READ ON APP
DMCA.com Protection Status