LOGIN告白に成功し、理想の彼女ができた。 これで全部、上手くいくはずだった。 けれど―― ずっと当たり前だった幼馴染は、 その日から、自分の気付かないうちに、少しずつ距離を変えていく。 今まで気づかなかった想い。 変わってしまう関係。 これは 「彼女ができた日」から始まる、 青春と後悔の物語。
View More放課後の教室には、もう二人しか残っていなかった。
今日は全ての部活がなく、窓の外では、下校する生徒たちの声が遠くに混ざり合っている。
けれど、その喧騒はガラス一枚隔てただけで別世界みたいに遠かった。
上野高校二年四組。夕陽が斜めに差し込み、机の影を長く床へ伸ばしている。
オレンジ色に染まった教室の中で、浅村駿(あさむら・しゅん)の声だけが、不自然なくらいはっきり響いた。
◆◆◆
喉が熱い。
心臓がうるさい。 指先にはじっとり汗が滲んでいた。「……」
彼女、早川果奈(はやかわ・かな)は、一瞬だけ目を見開き、何かを隠すみたいにゆっくり俯いた。
印象的な茶色のポニーテールが肩の横で揺れる。
返事はない。だけど、机の端を掴んだ細い指が、かすかに震えていた。教室の時計が、かちり、と鳴る。一秒一秒が、永遠みたいに長かった。
やっぱり無理だったかもしれない。 急すぎた。 今の、忘れてくれって言えば。弱気な考えが次々浮かぶ。
逃げ出したかったし、この沈黙ごと、なかったことにしてしまいたかった。
でも。ここで引いたら、きっと一生後悔する。
そんな気がした。
「……入学式の日」
俺でも驚くほど、声は静かだった。
「学校で迷っていたところを早川さんが案内してくれて」
あの日の光景が脳裏に浮かぶ。まだ慣れない学校のなか、どこに行けばいいのか分からず、途方にくれていた時、声をかけてきたのは早川さんだった。
早川さんは初対面の俺に、教室の方向を指差しながら、丁寧に案内してくれた。
そして、別れ際に見せた太陽のような明るい笑顔が今でも鮮明に残っている。一目惚れだった。
「それから意識するようになって、気づいたら、好きになっていました」言い切った瞬間、胸の奥が空っぽになる。後は返事を待つだけだ。
沈黙。窓から差し込む夕陽が、早川さんの横顔を淡く照らしている。
伏せられた睫毛。
赤く染まった耳。 制服の袖を小さく握る指先。その全部が妙に綺麗で、だから余計に怖かった。
やがて。本当に長い時間のあとみたいに感じた数秒後。
「……付き合っても、いいよ」 消えてしまいそうなくらい小さな声。けれど、その言葉は確かに俺の胸へ届いた。「……え」
間抜けな声が漏れてしまう。
早川さんは少しだけ困ったように笑って、ゆっくり顔を上げた。頬は夕陽以上に赤く染まっている。
でも、その瞳だけは真っ直ぐだった。
「実は……私も、浅村君のこと、前から気になってた」
一瞬、言葉の意味が理解できなかった。 「……本当?」「うん」
それだけの返事なのに、胸の奥がじんわり熱くなる。さっきまで息苦しかった教室が、少しだけ明るく見えて、まるで世界の色が変わったみたいだった。
「こちらこそよろしくお願いします!」勢いよく頭を下げると、何かから解放されたように、早川さんが小さく吹き出す。
「よろしくね……駿」
不意に名前で呼ばれ、嬉しさを堪えるのに、必死になる。
――こうして。俺と早川果奈の関係は始まった。
だけど、この時の俺は、まだ知らなかった。
この選択が。
誰かを傷つけ。 大切だったはずの関係を壊し。 戻りたいと願っても戻れない未来へ、繋がっていくことを。 夕陽に染まる教室の中で。 静かに。 けれど確かに。 物語は、動き出していた。次の日。 空は相変わらず灰色で、昨夜から降り続いていた雨は弱くなっていたが、完全には止んでいない。 そんな中、駿は学校へと向かっていた。◆◆◆ 足は前へ進んでいる。 それなのに心だけが、あの昼休みに取り残されたままだった。 教室に着いて、果奈がどうしているのか気になり、果奈の席の方を見てみる。 無意識だった。 そこに居てほしいと思ったのかもしれない。 けれど――。 席は空いていて机と椅子だけが静かに並んでいるだけだった。 それを見た途端、胸の奥が重くなる。 やがてホームルームの時間になり、担任の田中(たなか)先生が教室に入ってきた。「早川は今日、休みだから日直は学級日誌に書き忘れないように」 ホームルームになっても姿がなかったから察しは付いていたが、果奈のことが更に心配になる。(大丈夫なのかな……) 自然と考えてしまう。 ちゃんと眠れただろうか。 泣いていないだろうか。 誰かそばにいてくれているだろうか。 心配はいくらでも浮かぶ。 なのに。 俺は何も出来ていないし、何をすればいいのか分からない。 連絡するべきなのか。 そっとしておくべきなのか。 会いに行くべきなのか。 それとも――。 考えれば考えるほど答えが見えなくなり、そして答えが出ないまま時間だけが過ぎていった。 昼休みになり、今日も部活が出来なさそうなので、顧問の今江先生の所に行き、部活を休む為の許可を取ることにする。「浅村、今日も体調悪いのか、大会が近いんだから早く治せよ」 今江先生は昨日よりも険しい表情をしながらも、心配するような口調で許可を与えた。
美生はいつものようにスーパーで買い物を済ませて、駿の家へと向かっていた。◆◆◆ けれど今日は足取りが重く、買い物袋を持つ手にも、どこか力が入らなかった。 同時に、頭の中で何度も今日の出来事が繰り返されている。 昼休み。 廊下で友達と話していた時だった。 突然、廊下の向こうを駆け抜けていく駿君と果奈ちゃんの姿を目撃した。 ただ事ではない様子で、その時は何が起きたのか分からなかったけど、噂が広まり、昼休みの騒動を知ることとなった。 そして――。 果奈ちゃんが以前話していた「彼氏」が誰なのか。 ようやく繋がった。 幼馴染で。 毎日のように顔を合わせていて。 今も一緒に夕飯を食べる相手。 駿君なのだと理解した。 駿君の家に着くと、駿君の靴があるのに気づく。 普段、この時間には絶対にない筈だった。 それだけで嫌な予感が強くなる。「やっぱり……」 小さく呟いて居間へ向かうと、結ちゃんが不機嫌そうな顔でテレビを見ていた。「結ちゃん、駿君はどうしたの?」「知らないです。それよりも兄さんは学校で何かあったんですか?」「ちょっと揉め事があってね」「どんな揉め事があったんですか?」「私も見てないから詳しくは分からないかな」 嘘ではないけど、本当のことも言っていない。 もし話せば、駿君と果奈ちゃんの関係まで話すことになる。 それは私が言うことじゃない。 だからその言葉を飲み込んだ。 「兄さんが揉め事するなんて珍しいですね」「ほんと……そうだね」 駿君が昔から誰かと争うタイプじゃないからこそ、今日の出来事がどれほど駿君自身を追い詰めているのか想
放課後。 駿は近々ある大会の為にも部活に向かおうとする。◆◆◆ 本来なら部活へ向かう時間で、近々大会もあり、休む理由なんて無い筈だった。 だけど。 この状態で部活をやっても、集中出来ないし、ミスを繰り返して部員たちに迷惑を掛けるだけだ。 何より。 今はテニスをする気力そのものが残っていなかった。 重い足取りで教員室に居る顧問の今江(いまえ)先生の元へと向かい、体調不良と嘘をついて部活を休むことにした。「今江先生、体調が悪いので今日、部活休ませてください……」 自分で言っていて分かった。 その声には全く力が無く、嘘をついている罪悪感もある。 けれど、本当の理由なんて説明できるはずもなかった。 今江先生は少しだけ俺を見つめて、何かを察したようだった。 だが深くは聞いてこない。「分かった……早く体調治せよ」「はい……ありがとうございます」 その優しさが逆に胸へ刺さった。 帰り道。 雨は朝より弱くなっていたが、空はまだ重たい灰色だった。 その色が妙に他人事とは思えなかった。 いつもだったら、放課後の部活を終えて、果奈と一緒に帰る道だった。 だけど。 今はその姿が無く、それだけで世界が妙に広く感じた。 家に帰ると誰も居なく、学校であった出来事が嘘かのように、静かな空間が広がっていた。 自室に入り、制服のままベッドに倒れて仰向けになると、改めて今日の出来事を考え込む。 果奈の涙。 震える声。 助けを求める姿。 何度も繰り返し浮かんでは消える光景が嫌になり、左腕で目を覆ってしまう。 光すら鬱陶しくて考えたくない。
人気の無い場所まで走ってきたところで、ようやく駿は足を止めた。◆◆◆ 息が上がり、雨の湿った空気が肺に入り込む。 しばらく口を開けなかった。 先ほどまでの出来事があまりにも突然で、頭が追いついていない。 黙っていても何も変わらないと思い、口を開く。「俺があの時、もっと早く駆けつけてれば……」 果奈の怯えた表情が脳裏から離れず、言葉が詰まる。「怖い思いさせたくなかったのに、本当にごめん」 果奈は小さく首を横に振った。「私こそ、ごめんなさい。辛島先輩から告白を受けていたことを話さなくて……」「何で果奈が謝るの?果奈は悪くないよ」 とは言ったけど、少しショックだった。 責めたい訳じゃない。 怒っている訳でもない。 だけど。 相談してほしかった。 頼ってほしかった。 そんな気持ちが心の奥に生まれる。「悪いのは私だよ……抱え込まないで駿に相談していれば、こんなことにならないで済んだかもしれないのに」 途中から声が震え始め、ぽろりと涙が零れていた。 胸が締め付けられる。 違う。 そんな風に自分を責めてほしいんじゃない。 「そんなの、分からないじゃん!」 果奈が自身を傷付けるような言葉を聞きたくなかったのと自身の不甲斐なさもあって、強い口調で言葉を返してしまう。 俺だって悔しかった。 もっと早く動けなかったこと。 怖くて動けなかったこと。 全部が許せず、重たい沈黙が落ちる。 果奈が涙を手で拭きながら俯いていると、 学校内にチャイムが鳴り響く。「早川果奈さん。至急、教員室に来てください」「呼び出されたか
果奈に流されるまま、駿は映画館へと向かった。 ◆◆◆ 映画館は休日ということもあり、様々な人たちで賑わっていた。 「私、観たい作品があるのだけどそれでもいい?」「いいけど、どんな作品?」「恋愛もの。ラスト泣けるって友達が言ってたから気になってたんだよね」「そうなんだ」 特に観たい作品も無かったし、一緒に見られればそれでいいと思い、この作品を観ることにする。 作品のタイトルは『失いたくない』。 主人公がヒロインへの告白から始まる恋。 想いが通じ合い、幸せな結末へ向かう筈だったが、ヒロインが通り魔に刺されてそのまま死んでしまう。 絶望していた主人公がヒロインの真実
週末。 午前中の部活を終え、駿は家に戻るとすぐシャワーを浴びた。 ◆◆◆ 髪を洗って、流して。 念のためもう一度首元にシャワーを当てる。 絶対に汗の匂いが残らないよう、念入りに身体を綺麗にする。 (気にしすぎだろ) そう思ったが、手は止められない。 今日は、果奈と二人きりで出かける。 考えるだけで、落ち着きを保てなくなっていた。 シャワーを終え、家にある姿鏡の前で服を広げる。 候補が何着も並んでおり、着てみては脱ぎ、鏡を見る。 しっくりくるやつもあったが、すぐに違う気がして、また着替え直す。「……何やってんだ、俺」 服選びがただの繰り返し作業へ
駿が倉庫裏に着いた時、早川さんの姿はまだなかった。 ◆◆◆ 夕焼けに染まった校舎の影が、静かに地面へ伸びており、風が吹くたび、木々がかすかに揺れていた。 スマホの時間を確認するが、まだ数分しか経っていない。 本来なら、早川さんが所属するバドミントン部はテニス部よりも早く終わって、待っているはずだった。(……練習、長引いてるだけだよな) そう思おうとするのに、別の考えが勝手に浮かんでくる。 疑いたくないのに、疑ってしまう。(何考えてんだよ、俺) 頭では分かっている。けれど、不安は理屈じゃ止まらない。 胸の奥に、小さな黒いものが広がっていく。 その時だった。 「
翌朝。 駿は目覚ましが鳴る少し前に、自然と目が覚めた。 ◆◆◆ カーテンの隙間から差し込む朝の光が、やけに眩しい。 ぼんやり天井を見上げながら、小さく息を吐く。 胸の奥が落ち着かない。だけど、嫌な感覚ではなかった。 むしろ逆だ。 何かが始まってしまった後特有の、ふわつくような高揚感。 昨日の放課後。 夕陽。 震える声。 思い返した瞬間、身体が熱くなる。 枕に顔を埋めたくなるくらい恥ずかしいのに、何度も思い返してしまう。 (……付き合ってるんだよな、俺たち) まだ実感は薄いけど、昨日の出来事を頭の中で繰り返すたび、少しずつ現実が輪郭を持