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第8話

Auteur: 塩せんべい
梨乃はしばらく迷っていたようだが、結局、誰にも引き止められないまま、すごすごと和也のそばへ戻ってきた。

だが、誰も彼女を気に留める者はいなかった。

ほどなくして、医師と看護師が手術室から出てきた。

「申し訳ありません、雪見様。手を尽くしましたが……おそらく……」

医師は和也の顔色を窺いながら、言葉を継いだ。

「息を引き取られてから、すでにしばらく時間が経過しております。なぜ、もっと早く搬送されなかったのでしょうか?」

見る見るうちに梨乃の顔から血の気が引いていくのが分かった。彼女はわざとらしいほど慌てふためき、医師の手にすがりついて詰め寄った。

「何をおっしゃるんですか?詩音が死ぬなんて!嘘ですよね、嘘だと言ってくれ!」

そして、和也の掌が、梨乃の頬を激しく打ったのだ。彼女はよろめき、口の端から血が滲む。

「詩音がお前を殴ったと言ったな!?あんなように、どうやってお前を殴れると言うんだ!説明しろ!」

悟もまた、血走った目で病室の入り口を塞ぐ梨乃を突き飛ばした。

私の遺体を抱きしめた。

「詩音、兄さんが悪かった。約束を破ってしまった。お前を守れなかった……

お前を傷つけた奴は絶対に許さない!詩音、兄さんが必ず報いを受けさせてやるからな」

彼は私の冷たい額に口づけを落とした。

吐き気がして、私は彼を突き飛ばそうとした。額を拭おうとした。

だが、すべては徒労だった。私の手は彼をすり抜けてしまう。

喜びなど微塵もない。私はただ悟の顔を見つめ、誰にも届かない声で囁いた。

「でも、私を傷つけた連中の中には、あなたもいるのよ。私の『優しい』兄さん」

和也がベッドに覆いかかり、痩せ細った私の体を強く抱きしめる。

彫りの深いその顔を、大粒の涙が伝い落ちていく。

「詩音!どうしてこんなに残酷なことができるんだ。蓮はまだ小さいのに、俺たちを置いていく気か!」

そう叫ぶなり、彼は自分の頬を二度、力任せに殴りつけた。

「俺のせいだ……全部、俺が間違っていた。

俺が馬鹿だった。だから頼む、戻ってきてくれ……」

張り裂けんばかりの悲痛な叫びが、病室に木霊した。

悟は入り口へ向かい、床に倒れ込んでいた梨乃を引きずり起こした。

彼女の髪を掴み、私の病床の前まで引きずってくる。その眼光は鋭い。

「妹の最期に会ったのはお前だ。一体何があったのか、洗
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